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カテゴリー ダメダメ家庭の人からのメール
配信日 08年6月4日  (10年5月14日,10年10月23日 記述を追加)
タイトル 書き込み感覚のメール (掲示板感覚のメール)
ダメダメ家庭の人間がたむろする場所のひとつと言えば、いうまでもなくインターネットの掲示板。このことについては以前に配信しております。
そもそもダメダメ家庭の人間は、会話の能力がない。おしゃべりはできても会話はできないわけ。だから、おしゃべり止まりの場所と言える掲示板だと居心地がいい。

もちろん、おしゃべりだって、相応に楽しめばいいわけ。私としても「会話以外は認めない!」なんて力んで主張するつもりはありませんよ。TPOに応じて、そしてそのジャンルにおける特徴をわかっていて、必要に応じて選択すればいいだけ。

しかし、そんなインターネット掲示板に「入れ込んで」しまうと、そんな発想なり習慣が身についてしまう。そして、普段のコミュニケーションにおいても、掲示板の「書き込み」のスタイルですべてを押し通すことになってしまうわけ。

そもそも、掲示板の書き込みって、どんな目的で書き込むの?
本来の目的は、いわば情報交換でしょ?
意見交換には無理があるでしょ?
しかし、そんな場でしか自分の考えを言えない人間は、掲示板に自分の意見を書き込まざるをえない。

しかし、意見を説明する際にも、その背景なり、あるいは実例なりを列挙し、そして客観的な論理でもって説明していかないと、「あっ?そう?ふーん・・・」で終わっちゃうでしょ?
そもそも、掲示板の書き込みに書いてあることで、同意したくなるようなことはあっても、自分にとって参考になることなんてないでしょ?別の言い方をすると、共感することはあっても、合意できるような文章にはならないもの。
その内容に合意したり、参考になるような文章だとそれ相応の長さが必要になるもの。
つまり、客観的な説明の体をなしていることが前提となってくる。

しかし、掲示板の書き込みって、文章は短くしないといけないようですから、背景説明なんてできるわけがない。それに、当然のこととして多くの実例を挙げての説明となると無理がある。
「ワタシはこう思う・・・」
「オレはアイツが嫌いだ!」
まあ、そんな感じにならざるを得ない。シンプル・イズ・ベスト。

そもそも掲示板では、それでいいんでしょうね。
それが不満なら見なければいいだけ。
自分の書き込みを見る人間は、どんなキャラクターなのか全く想定できないわけですから、込み入った説明は難しい。だから、それでいいんでしょう。
まあ、情報交換ができれば御の字でしょう。しかし、現実では、「ワタシに構って!」という人間同士が、「構い」合って、グチを言い合い、傷を舐めあって・・・そして、罵倒し合う・・・そんな状況でしょ?

しかし、その程度だからこそ、安心できる・・・そんな人だっていますよね?
そしてそのレヴェルに安住してしまうと、すべてがその調子になってしまう。

個人宛のメールでも、そんな「書き込み」の文章のような調子になっちゃうんですね。
特定の個人宛のメールだったら、相手のことに配慮して、必要に応じて自己紹介して、メールの目的を書いて、そして自分の意見なり質問を書いた方がいいでしょ?不特定の第3者ではなく、特定の人に相応した文章でないとマズイでしょ?
いきなり、掲示板の「書き込み」のようなスタイルの文章のメールが来ても、不特定多数に向けた純然たるスパムメールなら逆にわかりやすいわけですが、中途半端に宛先のことを考えている文章だと、逆に困惑するわけ。

インターネットの掲示板だったら、「ワタシに構って!」なんて内容の書き込みも、ポピュラーなものなんでしょう。しかし、個人宛のメールだと、ちょっとねぇ。
逆に、本気で『構ってほしい』のなら、それ相応の方法があるわけでしょ?
だって相手のことについて、ある程度わかっているのだから、ちゃんとした意見をしっかりと説明すれば、「構って」もらえるんじゃないの?

『自分はこのような人間で、このような目的があって、現状はこうなっていて、このような点を直したい、あなたの文章から、この分野には理解がありそうだから、色々と教えてほしい・・・どうしたらいいのか?』
なんて的確な文章だったら、受け取った私だって、相手をしますよ。

「ねぇ?ねぇ?ワタシ、困っているんだけど、何かいいことな〜い?」なんて言われても、逆に何ともできないでしょ?

そんなシンプルなスタイルの文章が来たりすることもあるので、「どうして、こんな文章にしちゃうのかな?」なんてよく思っていたのですが、たぶん、インターネットの掲示板の書き込み感覚で、個人宛にメールをしたんでしょうね。
それだけ、おしゃべり止まりであって、会話が不全ということなんでしょう。
と言うか、そんな人が言う「意見」とやらも、そんな数行で書ける程度のものなんでしょうね。相手に合意してほしい自分の見解というよりも、単に感想を書いただけ・・・掲示板なんて、そんなものなんでしょ?

おしゃべりの場も会話の場も使い分ければいいわけですが、使い分けができていないことが自覚できない状態になると、かなり重症。
それに「わかる人が読む」と、その記述のシンプルさゆえに、「ああ!この人って、インターネットの掲示板に入り浸っている人なんだろうなぁ・・・」って、スグにわかってしまう。

そんな人の相手をしようなんて思いませんよ。「入り浸っている」ことが見えるだけで、要警戒ポイントでしょ?何回も書いていますが、文章のスタイルだって「使い分け」ができればいいわけ。使い分けができない人間が集まるのが掲示板で、その常識に安住してしまい、それゆえ、ますます「使い分け」ができなくなってしまう。

たとえば、いただくメールの中に「長文で失礼します。」なんて記述があったりすることがあります。
不特定多数を対象としてインターネットの掲示板では、長文は避けるべきことなんでしょう。しかし、個人宛だったら、長文でも一向に構わないのでは?むしろ、短くても意味不明の文章の方がイヤですよ。
重要なことは、メールの宛先の人間にとって、分かりやすい文章であることでしょ?

ダメダメ家庭の人間は、「言いたいこと」はあっても、それが「相手にわかってほしい」ことにはなっていない。だから、分かりやすい表現で書くという発想そのものがない。
このような状況と似ているのが質問する時。
「知りたい」という気持ちを、当人としては、それなりに持っているのはいいとして、相手から知恵を上手に借りるという発想を持っていない。ただ、「思い」をぶつけてくるだけ。そんな質問をされても、途方に暮れてしまうだけ。
相手からの知恵を借りるためには、自分の感情はともかく、相手の状態を踏まえてやり取りをする必要があるでしょ?
しかし、心理的に他者というものを認識できていない抑圧的なダメダメ人間は、相手のことを何も考えずに、やり取りをしてしまう。

やり取りにおいては、相手からの知恵を借りたい場合もあるでしょうし、あるいは、自分の考えを相手に合意してもらいたい場合もあるでしょう。
しかし、抑圧的なダメダメ人間は、そもそも、その「相手方」と言う存在が心理的に認識できていない。
だから質問の回答を得ることもできないし、合意を取ることもできない。

相手から合意を取ろうとしたけれど、説明能力が充分ではないので、結果的に合意が取れなかったのではなく、そもそも相手から合意を取るという発想自体がないわけ。
合意を取るという発想がないんだから、「説明能力」が低くなるのは当然のこと。

だからこそ、ますます何も達成できず、だからこそコンプレックスが溜まっている。
コンプレックスが強いので、スグに逆上気味の表現となる。
それこそ、句読点も何もないような粗雑な表現を投げつける。

あるいは、自分が上の立場であることを示そうと、相手を必死で笑い飛ばそうとして、無理に(笑)とか「www」なる表記を使ったりする。
そんな表記も、相手に分かってもらうためには、逆効果でしょうが、自分が「言いたいこと」を言うにはそれなりの効果があるんでしょうね。
だって、相手から何も反論が返ってこないでしょうから、「言いたいこと」は、もっと言えることになるでしょ?

あるいは、分かってほしいという気持ちがないがゆえに、「略字」も多くなる。

略字というのは、「わかるからいいじゃないか?」そんな発想で使われるわけでしょうが、略字が多発している文章は、その略字の意味は確かに分かっても、その略字以外の点では、分かりにくかったりするものでしょ?

だからこそ、周囲の一般の人間には相手にされず、そんなローカルな論理が通用する場所に入り浸ることになってしまう。
そして、自分で文章を書き込むことで、自己洗脳されてしまう。

それこそ、たまに見たりしますが、同じ単語を、いくつも並べている例があるでしょ?
たとえば「あいつが悪い!あいつが悪い!あいつが悪い!・・・・」
そんな言葉を10回以上並べている書き込みがあったりするでしょ?
まあ、そんなスタイルのメールも実際にあったりするんですよ。

そんなスタイルも、自己洗脳の一種と見ると、理解できるわけ。
それこそ「解脱するぞ!解脱するぞ!・・・」とかのフレーズの繰り返しと同じですよ。

自分の言葉によって、自分自身を縛り、マゾヒズム的な解放感を得るわけ。

前にも書きましたが、分かってほしいという気持ちがないので、対象とする相手の選定には無頓着。
わかってほしいのなら、その相手としては、自分の文章を読解できるだけの知的能力があることが前提になるでしょ?
しかし、「言いたいこと」はあっても「わかってほしいこと」はないので、対象については考えないわけ。常に言い放しなんですね。むしろ、自分の問題点を指摘されないような「甘い」人を、やり取りの相手方として選ぼうとする。つまり「言い放し」で済む状況を求めているわけ。

だから、相手に質問をするにも、「てきとう」。
相手に配慮して、自分の現状を的確に伝えた上で、当人の疑問を提示するというスタイルではない。

しかし、そんな質問には回答しようがないでしょ?
結局は、「ワタシに構って!」って言っているだけ。
もし、本当に疑問を解決したいのなら、もっと質問の表現を練らないとね。
しかし、その手の人は、客観的な現状説明もないのに、それこそ「教えて、教えて、教えて・・・」と、同じ言葉を繰り返すだけ。
しかし、「このような問題についてどのようにお考えでしょうか?」「何か別の考え方がありますか?」という質問の文章において、最後の「?」が一つだと、ちょっと知りたい気持ちで、「どのように考えていますか??????」となると、ものすごく知りたい状態なの?
「?」が6個あるから、6倍の重要度があるの?

サイプライサイドだけの発想ではそんなことになっているのかもしれませんが、質問を受ける側としては、「?」の数よりも、的確で客観的な記述による現状説明の方が、的確な回答につながるもの。
「?」の数のような装飾的な表現は、上手に使えばそれなりに効果があるかもしれませんが、スベったりすると、「この人・・・気は確かかな?」と思われてしまうだけ。

「分かってもらうためには、どんな表現が適切なのか?」そんな思考がないのに、「ワタシのことをわかってよ!」と絡みまわる。
そんな人は、甘えたいだけ。甘えたいのはいいとして、子供時代に「甘える体験」をしていないので、珍妙な甘え方をしてしまう。

それこそ、センテンスの語尾に「ですぅ〜」なんてものをつけたりする。
そんな文章も、たまにあったりするでしょ?
「ですぅ〜」なんて表記があったら、「おお!なんてかわいいんだ!この人の質問にしっかり答えてあげないと!」と思ったりするの?そんなわけないでしょ?

掲示板のような場では、当人たち自身としては、議論しているつもりなんでしょうが、もしちゃんとした議論をしているのなら、それなりの成果があるでしょ?本来は、成果を出すために議論をするものでしょ?
しかし、成果自体がないし、議論を総括し、「最後を締める」発想がないので、その成果をまとめ上げることもない。

「な〜んとなく」の「テンテンテン(・・・)」で終わってしまう。
そんな人の表記には不必要なまでに「・・・」が多いもの。

そんな表記が色々と見つかったら、掲示板に入れ込んでいる可能性が高いことがわかるでしょ?

あるいは、「・・・」ではなく「www」なんて表記も掲示板ではあるようですが、そんなローカルな表記を使っている時点でマズイでしょ?
そんなローカルな表記は、それこそ「どんな人」に対して、「どんなことをわかってもらう」ために有効なの?

また、やり取りをするには、適切な心理的なテンションがあるでしょ?
必要以上に高いテンションを見せられれば、やり取りになりませんよ。だって、そんな高いテンションは回答されても、その文章を読まないということを自分で言っているようなもの。

あと、必要以下の低いテンションで、まるで独り言のようにボソボソと質問されても対応できないでしょ?
質問というものは相手があるのであって、独り言ではないんですからね。

おもしろいことに、ローテンションの独り言系の質問をする人が、突然に、ハイテンションになって逆上したりするもの。
いずれにせよ、相手というものの存在が見えていないわけ。
「教えて欲しい」という文言はあっても、相手からリ・アクションがあると、心理的に対応できない。

あるいは、特徴的なこととして、リンクの貼り方があります。読んでほしいサイトのリンクが貼ってあったりするんですが、ダメな人は単純に貼ってあることが多い。貼ることが悪いのではありませんが、自分なりの感想なり意見も含めて貼らないとダメでしょ?というか、そっちの方が重要でしょ?
「自分がどう考えるのか?」その傍証としてリンク先を引用するのが本来であって、リンクしたサイトをただ伝えても意味ありませんよ。

しかし、そんな自分なりの意見を言わないのが掲示板の書き込みスタイルなんでしょうね。だって、そんな場は、そもそもが情報交換が主目的なんでしょうからね。
それはそれでいいとして、個人宛のメールだったら、そのスタイルではマズイでしょ?
現実的にみると、そのようなリンクが多いメールってダメダメな人が多い。マトモな人は、そんなリンクがそもそも少ない。
その文章中におけるリンクの割合は、情報交換なのか、意見交換なのか?その方向性に対応しているわけ。
個人に宛てるのなら、書いた人間が責任を持った文章にした方がいいわけでしょ?
他人のサイトを引用しても、責任を負いきれませんよ。

もちろん、この私だったら、「こんな意味不明の文章を書く人は、どんなキャラなのかな?」なんて考えて、それなりの知見を得ることもありますが、まあ、こんな人間はレアケース。

言いたいことがあるのなら、わかってほしい相手のキャラクターに合わせて、わかってもらえるように書く・・・それが基本でしょ?
掲示板の書き込みのスタイルって、そうではありませんよね?

ヘンな言い方になりますが、インターネットの掲示板への書き込みのスタイルは、文章スタイルとしては「書き流し」に近い。
いわば傍観者感覚が染み付いてしまっている状態。
コメンテイター風であり、別の言い方をすると、独り言のようであり、逃げ場を残した感覚。

相手にわかってほしいことを自覚した上で「文章を作り上げる」というか、まさに「書き込む」ようにはなっていない。
本当に相手に分かってほしいことがあるのなら、その文章が相手にとって、分かりやすいように「書き込む」必要があるでしょ?

言葉と言うのは、それだけ大切にしなくてはいけないものなんですよ。
逆に言うと、掲示板のスタイルになじんでいることが、ちょっとした表現で読み取れたりするものなんですよ。

このようなことは、掲示板だけでなく、インターネットの相談サイトでもあったりするでしょ?
その人が本当に困っているのなら、相談サイトなどでは相談しないのでは?
だって、そのような相談サイトには差しさわりのあることは書けないでしょ?
そのような相談サイトというのは、いわば、共通の困りごとに対する、共通の対処を見出すという情報交換の延長のようなものでしょ?

基本的な精神が掲示板と同じなので、そのスタイルも似てきてしまう。
そして、誰かが相談の書き込みをしてくるのを待っている。
そしてそんな相談に対して、「オマエの相談ごとをオレ様が聞いてやる。」という上から目線で相談を受け、そして、「オレ様がアンタに教えてやる。」という上からの物言いで回答する。
そして、「こんなに見事に解決に導いたオレって、なんて立派な人間なんだ?!」「オレ様はすごい情報強者だ!」と、勝手に自画自賛。

しかし、そんな回答自慢の情報強者さんはそのような場では回答ができても、込み入った話で個別に相談を持ちかけられても何もできない人でしょ?
そもそも、相談を受ける側にしても、個別に相談を受けたら、「この点だけはわかってほしい。」という気持ちを持って回答をするものですよ。だから表現も「わかりやすい」ようにするようにしますよ。
しかし、「教えてやる」という上から目線の人は、まさに自分の持ち出しを意識しているので、表現もズボラ。そんな人は、「教えてやった」という自分にとっての事実が優先され、相手はどうでもいいわけ。

しかし、回答することで安直に居場所ができたので、入り浸ってしまうわけ。
だから、そんな「読んでやる」「教えてやる」という上から目線が、習慣化してしまう。
そんな目線は、その場とはまったく関係のないシチュエーションでのやり取りにおいても、見えたりするものなんですね。逆に言うと、自分が上から目線でやり取りができない相手とは関われないわけ。

特定個人に宛てたメールの文章と、掲示板の書き込みの文章を比べて、大きな違いがないようなら・・・かなり重症というわけです。
今からでもいいから、何とかしないとね。

(終了)
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発信後記

今回の配信より、カプライトからの配信を始めました。
と言っても、設定したばかりなので、購読者はいないと一緒ですが・・・

メルマガ天国が7月31日いっぱいで終了になりますので、6月4日の現在では3つのマガジン発行元からの配信になります。
メルマガ天国で購読されておられる方で、8月以降もご購読を希望されておられる方は、「マグマグ」か「カプライト」に変更していただきますようお願いいたします。
中身的には同じです。

「カプライト」はプロバイダでいうと、BIGLOBE系になり、NECの関係会社ですので、その面では安心かと思います。
もし、ご希望がありましたら、別のマガジン発行元を追加することも考慮いたしますので、ご連絡くださいな。
R.10/10/23