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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 08年7月4日 (10年6月4日,11年1月19日 記述を追加) |
タイトル | 分かるからいいじゃないか!(ぞんざいな物言い) |
以前に略字の問題を取り上げたことがあります。 それこそ家庭内暴力(ドメスティック・ヴァイオレンス)をDVなんて略したりしますよね? ダメダメな人は、この手の略字が多い。それも、狭い領域でしか通用しない略字を平気で使ったりする。それこそメールマガジンをMMなんて略したり、メールの際のハンドルネームをHNと略したりする。 「これから、ドメスティック・ヴァイオレンスをDVを略して表記します。」・・・という事前の記述があった上でその略字を使うのであればともかく、いきなり略字が出てきたりする。 MMとかHNと書かれても・・・前後の脈略から分かるとは言え・・・ちょっとなぁ・・・ それに、そんな略字を使わないといけないほど急いでいるの? 1時間後に地球が滅亡するような危機なの? 相手に分かりやすく伝える意識があるのなら、略字というものは、出来るかぎり避けるものなんですね。 だって、略字を使っているということは、それだけ、その背景として「面倒くささ」という感情があるものでしょ? 文章の読み手に対しては、そんな「面倒くささ」という感情を含めて相手に伝わってしまいますよ。マトモな人は、略字が多発している文章を見た時点で、「ハイ!サヨナラ!」ですよ。そんな面倒くささを漂わせている人に対して質問しても、丁寧な追加説明なんてしてくれないでしょ?丁寧な追加説明をする人だったら、略字を使うにも、もっと慎重になりますよ。 何も略字の問題だけではありません。 文章においては、誤字脱字の問題もありますよね? まあ、たまにはそういうこともありますよ。私だって後になって、誤字を発見して「アチャー!」となることもある。 しかし、頻度の問題もありますよね? 「ちゃんと見直した上でも見落としがあり、誤字脱字がある文章が結果的に出てしまったのか?」 「そもそも文章の見直しをせずに、その文章を出してしまったのか?」 同じ誤字脱字でも、その心理としては、まったく違うでしょ? あるいは、敬語の問題なり、ある種のスラングに類する言葉の問題もある。 略字も、あるいは不適切な敬語の使用も、「分かるから、いいじゃないか!」という発想の元に使用する・・・そのようなことは、友人同士が直接顔を合わせてのやり取りでは許されることでしょう。まあ、「タメ口でいいよ!」なんて言われたりしますよね? しかし、顔が見えないやり取りなり、あるいは、ある種の公的な文書の場合には、当然のこととして不可でしょ? あるいは、方言の問題も同じでしょう。 顔を合わせてのやり取りにおいて方言を使うのだったら、まあ、アリでしょう。対象者も明確でしょうからね。しかし、インターネット上でのやり取りでは、少なくとも当初は避けた方がベターでしょ? だって、それだけ誤解されやすいわけですからね。 結果的に相手に分かってもらえるかもしれませんが、誤解されやすい表現を平気で出してくる・・・そんな発想自体は問題でしょ? 十分に注意していても、結果的に不適切な表現が入ってしまったのなら、いたし方がない面もありますが、そもそも、そんな配慮もなしに「て・き・と・う」に表現している・・・そんな匂いがプンプンしているような文章や言葉使いもあったりするでしょ? ダメダメ家庭は会話が不全の家庭です。言葉は飛び交っていても、「相手に分かりやすい形で語り」「相手の話を真摯に聞く」そんな発想を持っていない。だから相互理解には至らない。 自分勝手な判断のもと「どうせわかるから、こんな表現でもいいじゃないか?!」と略字なり一般的ではない表現を使ったりする。 だから・・・聞いていても、サッパリ分からない。 逆説的になりますが、「分かるからいいじゃないか」という発想で、略字を使ったりするような人は、その略字の意味は確かに分かっても、その文章全体の意味は分からないものなんですね。 だって、「相手に分かりやすい形で伝える」という意欲そのものがないんだから、当然のこととして分かりませんよ。 その手のズボラな表現を弁護する言葉として「オレはアイツのことを信頼しているから・・・十分な説明せずともアイツは分かってくれる・・・」なる言葉があったりしますが、そんな発想からは真の信頼は生まれませんよ。必死に説明しようとする姿勢、そしてその積み重ねこそが信頼につながるものでしょ? 信頼ができた後になって、フランクなやり取りになるはアリでしょう。 しかし、信頼が何もない段階から、ズボラなスタイルで言って来られても、対処できませんよ。 実際にズボラな物言いをする人は、信頼というものが欠如している人と言えるでしょ? やり取りによって、成果を積み上げ、信頼を積み重ねていく・・・そんな発想を持っていないでしょ? ズボラなやり取りでは、お互いの合意など、実質的な成果などはありえませんよ。 ただ、「イヤな思いをしなかった。」「反論はされなかった。」という形の、二重否定的で、減点法的な面で「悪くはなかった」というだけ。 この「分かるからいいじゃないか。」という発想を持って、相手に対して「語る」人は、もう一つの問題点もあるものです。 「分かるからいいじゃないか。」は、「自分が分かったから、もう、いいじゃないか!」という発想ともつながっているもの。 人の話を聞く際には、相手が話をしていても、「ああ!こう言うことなのねっ!」なんて勝手に判断してしまって、最後まで聞かなくなってしまう。 まだ、その人が驚異の洞察力を持っていて、「一を聞いて、十をわかる」レヴェルの人なら、それもありでしょう。しかし、そんなレヴェルの人がゴロゴロいるわけではないでしょ? それに、最後までしっかり聞いても損はないじゃないの?最後まで聞くことがイヤな相手だったら、最初からやり取りをしない方がマシ。 結局は、相手の話を最後まで聞かずに、途中で早合点してしまって、後は妄想モードに突入。 当人としては、「自分が分かったのだから、もう、それでいい。」と思ってしまっている。 しかし、本当に分かったの? まあ、そんなケースは滅多にありませんよね? 「まあ、これで分かるんだから、こんな表現でもいいじゃないか。」そんな発想を持つ人の表現は、聞いていてもサッパリ分からない。 「自分が分かったのだから、もう、聞かなくてもいいじゃないか。」そんな発想を持つ人は、相手の言っていることを、誤解する。 逆説的になりますが、現実はそんなものでしょ? ズボラなやり取りも、その人がそうしたいのなら、勝手ですが、その人はその人の子供とどんな感じで話をするのやら? そんなやり取りになじんでしまったら、その子供はどうなってしまうの? あるいは、子供が困っていることを親に相談したら、誤解もせずに理解する自信はあるの? というか、家庭内でそんなやり取りをしていたら、子供の側は、親を信頼していませんよ。 このサイトでは、おしゃべりと会話は違うと頻繁に書いていますが、おしゃべりは顕著な相違点があることは、いい状況とはいえない。それに対し、会話であれば、お互いの相違点を認め合い、相互理解を達成し、合意形成を積み重ねていくことが成果といえるでしょ? 「分かるからいいじゃないか?」「分かったからいいじゃないか?」という姿勢は、おしゃべりを向いたものであって、相違点が発生した場合の対処能力がつかないわけです。 結局は、より分かってもらうための説明能力なり、相手の話を聞き取る能力が低いまま。 しかし、会話の能力が低いが故に、会話の能力の低さが自覚できない。だって、やり取りの相手は、同類の人間ばかりになってしまうんですからね。 そんなことを積み重ねたなれの果ての文章って、見る人が見ると、スグに分かったりするものなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 ちなみに、この私の文章も、やっぱりコケている時はあります。もしそのような誤字脱字等がありましたら、ご連絡いただければ幸いです。 バックナンバーを修正いたします。 ただ、意図的に、違った字を使っているケースもあります。 それこそメールマガジンのタイトルの「目次録」なんて言葉は、「黙示録」という言葉の意図的な誤字になります。 ただ、できるだけわかりやすく伝えようと思って書いております。 ダメダメな人は、「わかりやすく書く」という発想そのものがないわけ。 だから、たとえその文章に誤字脱字がなくても、代名詞の使い方とか、句読点の使い方がメチャクチャだったりするもの。この代名詞とか句読点の問題については、また別の機会でまとめたいと思っております。 |
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R.11/1/19 |