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カテゴリー このメールマガジンそれ自体について
配信日 08年8月22日 (10年8月5日 記述を追加)
タイトル 一般的な序章 (プロローグ)
このメールマガジンでは、ダメダメ家庭のダメダメな諸相を、具体的に記述していく・・・そんなスタイルをとっております。

こんな箇所でコケやすい。
こんな物言いがダメダメのポイント。

そんな文章が多くなっております。

では、ダメダメではない・・・つまりマトモな家庭はどうなっているの?
本来ならその方面の記述が重要になりますよね?
とは言え、マトモな人によるマトモなやり取りの特徴なんて逆に記述しにくい。それこそ「ふつう」なんて言葉になってしまう。しかし、その「ふつう」という言葉を頻繁に使う人はダメダメなもの。「ふつう」というのは、結果として存在するものであって、目標にするものではありませんよ。

実は、次回より、とある著作を集中的に取り上げる予定です。
7回の文章を連続して配信する予定です。
今回は、その連続して配信する文章の序章として、あるいは、別のダメダメ家庭の事件を考える際の序章として、マトモのマトモたる所以について考えてみたいと思っております。

マトモ家庭、あるいはマトモな集団とは、このようなものではないのか?
そんな状況を私なりに書いてみましょう。

マトモなやり取りは以下のようになります。

自分の希望がわかっている。
自分の現状がわかっている。
だから自分のやりたいことが自分でもわかっている。
それを他者に説明できる。
そして、自分が説明した後で、相手の意見を聞く姿勢がある。
相手の見解を踏まえて、自分の見解を説明することができる。

そして、
合意できたら → 一緒に協力して進めていく。
お互いの見解に接点がないのなら → お互いが個別に進めていく。ただし適宜連絡は行う。
お互いの見解が対立するものなら → 会話を進めて調整をしたり、あるいは、関係を解消する。

これがマトモなやり取りなのでは?
過激なことを書いていると思われているかもしれない、このメールマガジンですが、言っていることは、こんなことなんですよ。
「このようにやり取りを進めましょうよ!」と申し上げているだけ。

見解が一致するしないが重要なのではなく、その見解の一致なり不一致を認識し、それを踏まえた対応の差に注目する必要があるわけです。
上記のようなマトモなやり取りで進めていけば、何も修羅場になることはないでしょ?
本来なら、そんなことは小学生でもできること。

しかし、ダメダメ家庭というものはそれができないわけです。

そもそも自分の希望が自分でもわかっていない。
自己逃避であるがゆえに、現状も認識していない。
だから、相手に伝えたいこと、わかってほしいこと、それ自体が自分でもわかっていない。
そんなことだから、説明能力もない。
そんな人の相手になってくれる人も、同類なので、お互いが人の話を聞かない。
お互いがお互いの意向を聞く気がないのにやり取りをするので、トラブルになってしまう。

だからやり取りをした後でも、見解の一致も、不一致も、お互いがわかっていない。
だって「相手にわかってほしいこと」それ自体が自分でもわかっていないんだから、「合意に至ったのか?」「それが相手に受け入れられたか?」なんて当人同士でもわかるわけがないじゃないの?

まずは、「自分が何をしたいのか?」それを自覚することが先でしょ?
しかし、自己逃避の人間にとっては、それができないわけ。だから、そんな人の相手をしてくれる人間も、同類だけになってしまう。

まずは、「自分がしたいこと」を明確にすること。
その点が明確になったら、「それを達成するためにはどうすればいいのか?」「どんな人に説明すればいいのか?」「自分の見解に対して、このような反応だったらどうするのか?」そんな思考や判断を積み重ねるだけでしょ?
何回も書きますが、小学生でもできることですよ。

このメールマガジンは、そんな当たり前のことしか書いていないんですよ。
そんな当たり前のことができないのがダメダメ家庭というわけ。

当たり前のことしか書いていないこのメールマガジンの文章ですが、逆に言うと、当たり前のことは、当人には認識しにくいし、社会の人も意識することはない。
別のところで書いていますが、人間の周囲には空気がありますが、人間はその空気を意識しながら、生きているわけではないでしょ?お金のあるなしについては、頻繁に意識しても、空気のあるなしについては、滅多に意識はしませんよ。
しかし、空気がなくなったら、タイヘンなことでしょ?
お金がなくなっても、食料がなくなっても、しばらくは何とかなりますが、空気がなくなったら、スグに死んでしまいますよ。

だから、「アナタの周囲にある空気の重要性をよく考えなさいな。」という類の指摘と言えるこのメールマガジンの文章に対しては、色々な反応のパターンがあるもの。

好意的な反応としては、
「目からウロコが落ちた。」という感想。あるいは「あまりに言い当てている。」なる感想もありました。まあ、「あまりに」という言葉がわざわざ付いていることが通例です。
だから「鳥肌が立った。」なる感想の文言のパターンもある。

逆に、否定的な感想だと、「過激だ。」とかの文言だったり、「読めば読むほど腹が立った。」なる感想の文言のパターンもあります。
まあ、私の文章を「過激」と評するのはいいとして、「じゃあ、『間違い』なの?」という問題になるでしょ?本来なら、クレームの文章の表現としては、「過激」というクレームよりも、「記述内容が間違っている。」というクレームの方が適切ですよ。あるいは、「読めば読むほど腹が立った。」というクレームの言葉もいいわけですが、腹が立つものを、「読めば読むほど」にまで読まなくてもいいのでは?

まあ、良くも悪くも、記述内容について、反論を受けることはないもの。
ということで、別の好意的な感想の文言だと「うなった」なる文言もあります。
「うなる」って・・・なんか、ちょっとオッサンくさいなぁ・・・しかし、「うなる」というのは、その分野について、当人自身もある程度はわかっているということ。
それだけ、知見が広がっているわけです。
当人がある程度までわかるようにはなってきたので、うなることもできるようになったわけ。
もちろん、一番多い感想の文言は「妙に納得した。」というもの。

わざわざ「妙に」という言葉が入っているわけ。
このサイトの文章に対してだけでなく、お読みになられた皆様からのそのような感想の文言に対しては、「妙に納得」される方も多いのでは?

(終了)
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発信後記

今週の水曜日に、福島県での産婦人科の医師の裁判の判決がありましたよね?
お産の最中にお亡くなりになった女性がいて、『被害者の女性』の父親が、色々とおっしゃっていたようです。裁判では結果的に無罪になりました。

医療の現場には瑕疵も実際にあるでしょうし、そのような瑕疵に対しては、ある種の法的な対応が必要になることは私も否定しようがありません。

医療についての技術論はよくわかりませんが、別の面から見ると、あの事件は実に不思議。
そもそも、『被害者の女性』という文言が、実に気軽に登場している。
被害者って・・・何による被害なの?
お産による被害・・・ではなく、医師による被害というわけでしょうね。
しかし、その医師による被害があったかどうかを裁判で決めたわけでしょ?
『被害者の女性』という文言は、裁判の判決が確定する前に使ってはいけないのでは?

それに、『被害者の女性』の父親の方が、主体となって病院を追求なさっておられましたが、父親はともかく、ご主人はどうなっているの?もしかしてシングルマザーなの?
・・・とも思いましたが、どうやらご主人はいらっしゃるようです。
いるんだったら、そのご主人が主体となって、対応しなくてはダメでしょ?父親はその夫をバックアップする立場になった方が自然なのでは?
この事件?をご主人はどう考えているんだろう?
父親がワイワイ騒げば騒ぐほど、奇妙な印象を与えてしまうだけ。

しかし、「被害」という文言なり、「夫の不在」というか「影の薄い夫」から見えてくるものもあるわけ。「被害」という言葉が気軽に登場してくる背景には、その人の「被害者意識」があることは容易に推定できること。被害者意識があれば、当然のこととして「犯人探し」の心理も持っているものです。
そんな人は、何事も「不都合なこと」があれば、スグに「犯人探し」を始めるわけ。

そんな人は、自分の娘がお亡くなりになった事件が発生する以前に、自分の娘が結婚したことも被害と捉えてしまう。「アイツによって、オレの娘が取られてしまった・・・」と被害感情を持っているわけ。そんな人は、「加害者」である義理の息子とは話をするわけもない。

日常のやり取りを常に被害ととらえ、その被害感情が積み重なってしまう。
その被害感情は、深層心理的であって、意識の面では自覚できない。
しかし、大きなトリガーがあると、まさに爆発的に現れることになる。
しかし、「犯人認定」した対象の問題よりも、そもそもその前からあった被害感情の積み重ねが原因なんだから、自分自身の怒りの正体が自分でもわかっていない状態。だからなおのこと、「いったん認定した犯人」に食ってかかることになる。

普段から人の話を聞くような人ではなく、やり取りにおいても強圧的なので、周囲もその暴走を止められない。
ヘタに忠告すると、「オイ!オマエはあの○○の仲間なのか!」なんてすごまれるだけ。周囲としては、その頑固オヤジに静かに従うしかない。

何もあの事件だけでなく、ダメダメ家庭の周囲では、そんなシーンはポピュラーな情景でしょ?
エピローグ的な文章としては「 10年2月17日配信 エピローグ」という文章があります。
R.10/12/12