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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 08年10月17日  (10年9月10日 記述を追加)
タイトル 家庭の機能
このメールマガジンのタイトルに使用しております「ダメダメ家庭」という言葉は、私の造語です。まあ、「我ながらウマイっ!」って思いますし、購読者さんからもお褒めの言葉を頂戴したこともあります。
より一般的な言い方だと、機能不全家庭、あるいは、機能不全家族と言った方がいいでしょうね。
ちなみに英語で言うと、dysfunctional familyとなるようです。

家庭というものが、本来は果たさなくてはならない機能を果たしていない家庭・・・それがダメダメ家庭・・・単純に言ってしまうとそうなります。

じゃあ、家庭が本来は果たさなくてはならないことって、いったい何?

子孫繁栄や種族保存?
経済共同体?
老後の面倒?

現実的には、経済共同体という面が、やっぱり大きいでしょう。家庭内の誰かが収入を得て、それを、自分たちの子供に支出して、次世代につなげていく・・・そんなパターンが基本でしょ?
そして、その子供が経済的に自立したりして、今度は年老いた親の面倒を見る・・・

しかし、その程度だったら、ダメダメ家庭でもやっていること。というか、ダメダメ家庭は、「その面」では立派と言えます。とにもかくにも子供を作ったり、その子供に対し「オマエは親の老後の面倒をみるんだ!」と、子供の顔を見るたびに言う始末。親が費用をかけて子供を養育し、後になってその費用を回収する。そんな経済共同体。

ダメダメ家庭であっても、経済共同体としての面は、機能不全ではない。むしろそれに徹していると言えるんですね。

しかし、そんな日々だったら、子供もいたたまれないでしょ?
親と顔を合わせるたびに、お金の話じゃあね。
それこそ、ヤミ金とかサラ金に、毎日取り立てにあっているようなもの。
これでは、子供には精神的な安らぎなんて持ちようがないでしょ?
そんなに切羽詰った日々だからこそ、トラブルも起こるわけでしょ?

毎日取り立てにあっている子供以外の家族にとっても、そんな雰囲気では精神的な安らぎなんて持ちようがないでしょ?家庭内で、いつもお金お金でギスギスしていたら、イヤでしょ?
会社から帰った夫に対して、「お帰りなさい。」「お疲れ様。」の一言もなければ、夫だってヤル気をなくすでしょ?もちろん、そんな妻を選んだ夫も夫。そんなダメダメ夫婦が子育てした結果なんて誰でも予想できること。一緒に住んで家庭を営んでいても、心はバラバラ。そして「このワタシこそが、一番かわいそうな人間なんだ!」とお互いに確信している。

しかし、そんな状態だからこそ、まさに経済共同体としての家庭にすがらざるをえない。「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」「オマエを育てるために多額の出費をした!」などと、子供に対し自分の被害を語ることになる。経済的な「締め付け」によって、子供の感情や行動を束縛する。

経済共同体の面だけに目が行き、精神共同体にはならない。
家族の経済的な機能を重視し、精神的な役割については何も考えない。
それこそ、最近(10年)になって、同居している親の死を届けずに、年金を不正に受給していた事件が続いて発覚していたりしますが、そのような事件の心理も、このような経済的な機能だけに特化したダメダメ家庭の発想を理解していると、簡単に理解できるもの。

そもそも、経済的な機能による結びつきなんだから、そんな家庭の親は、子供に対し、「親の面倒を見るんだ!」と顔を合わせるたびに言っていたりする。しかし、そんなことばかり言っていた親の側が子供より先に死んだら、子供としては、その親から、お金を取ることを考えるのは、当然のことでしょ?

もともと、精神的な結びつきは何もなく、ただ、経済的な役割と、それに基づく結びつきがあっただけ。だから、生物的に死んだかどうかなどは、問題ではない。生物的に死ぬ以前に、メンタル的な面においては、もともと生きてはいなかったといえる。家族の間では、経済的な機能による関係性が存在していただけなんですね。経済的な機能が、「有効」であれば、それでOKとなっている。生物的な死は、もともと大した事件でもないんだから、わざわざ面倒をかけて、役所に届けたりはしませんよ。それに、届けることによる、経済的なデメリットが明確なんだから、そんな不合理なことをするわけがないじゃん?

そして、そんな事件に対して、年金の不正受給の面からしか問題視しない、昨今の人々においても、程度問題は別にして、家族というものを、経済的な機能の面しか見ないという点においては、まったく共通しているわけです。

本来は、家族の問題において、年金というファクターは、大きな比重を占めるものではないでしょ?しかし、死亡届を出さずに年金を受け取る家庭も、そんな家庭を年金の不正受給の観点から感情的に非難する人々も、家族における精神的な結びつきを考慮していない。だって、経済的な結びつき以外の結びつきなんて、実感として分からない。だからこそ、その点については非難しようがない。その人が、家族を考えるに際し、唯一認識できる経済的な機能に着目して、「怒りの」コメントを発することになる。
逆に言うと、どの点に注目して、その手の事件に対しコメントしているのかを見れば、コメントしている人が抱いている家庭のイメージも見えてくる。

ダメダメ家庭においては、経済的な機能だけが注目され、精神的な関係性がない。
本来は、相手を選択した上で結婚したわけだから、家族の間では、価値観が近かったり、会話のスタイルも近いはずでしょ?だから、家族と一緒にいると気を使わなくてもいいのでリラックスできる・・・となるもの。だからこそ、家庭というのは、精神的な面がまず最初に注目されるもの。
しかし、何も考えずに「て・き・と・う」に結婚するんだから、価値観も会話のスタイルもまったく別。というか、そもそもそんな大層なものは最初からないのがダメダメ家庭の人間。

考え方も、話のスタイルも、まったく別の人間が、「家庭」という制度を維持するために、あるいは、経済共同体を維持するために、耐え難きを耐えて、忍び難きを忍んで、一緒に暮らしている・・・それがダメダメ家庭。
まさに精神的な意味で機能不全となっている。だから、日頃から家族についてのグチばかり。
そんなグチばかりの人に対して、「じゃあ、アンタは、家庭の役割って、どんなものだと考えるの?」と聞いて御覧なさいな?
「うーん・・・」となってしまうもの。
だったら、家庭なんて持たなければいいわけですが、何も考えずに「ふ・つ・う」に、そして「て・き・と・う」に結婚し、子供を作る。

ダメダメ家庭というか、機能不全家族(=dysfunctional family)というものは家庭の役割について、何も考えない人間が作った家庭といえる。
そんな家庭で育ったら、家庭という集団以外にも、様々な集団の役割についての基本ができなくなってしまう。

よく、「市民団体」などの人たちが、地球市民とか言って、「全世界の人が仲良く!」なんて理想を言っているでしょ?まあ、理想は理想でいいでしょうが、その手の人って、自分の国に対しては、やたら敵対的ですよね?
「多くの人と仲良くしょう!」という肯定的な精神はいいとして、自分たちの国を無理に否定する必要はないのでは?
その手の人たちは、国家というものをどのように考えるのでしょうか?
今まで書いてきたような、単なる経済共同体なの?それとも個人への抑圧の組織化?
現実としては、そのような面もあるでしょうが、もともととしては、会話のスタイルが近い人間,価値観が近い人間の集団という面もあるでしょ?

考え方を押し付ける必要はないでしょうが、日本人同士だと理解が早いって、当たり前のこと。だって言葉も同じなんだし、境遇も似ている。そんな人たちで国家を作っている・・・そうとも言えるでしょ?
もちろん、人間には多様性がありますから、日本人的な発想よりもフランス人的な発想に近い日本人もいるでしょうし、日本人の発想よりも韓国人に近い発想の日本人もいるでしょう。
どうしても「相容れない」と思ったら、住む場所を変えて、国籍を変えればいいだけ。
自分のいる国は、本来は、自分と近いキャラクターの人間による集団とも言えますよね?

それって、まさに家庭の役割の延長でしょ?
逆に言うと、「地球市民」とかの、やたら高邁な理想を言い、国家の役割を否定する人が、じゃあ、家庭の役割をどのように考えているのか?
ちょっと疑問でしょ?

「自分の育った家庭での体験から、自分が作る家庭では、このような役割を果たしてほしい。」「その役割を果たすようにするためには、パートナーには、こんな役割を果たしてほしい。」「逆に、自分としてはこんな役割を果たす用意がある。」

それの規模が大きくなったら、国家になる。
そんなことは、個人の主義主張とは関係ありませんよね?
自分自身の問題から逃避するダメダメ家庭出身者は、「じゃあ、自分はどうしたいのか?」という点から逃避するばかり。おまけに、ダメダメ家庭の人間は、「親に迷惑をかけてはいけない!」といつも切羽詰っている。
だから、自分の本当の不満を、身近な存在ではなく、「遠くにある」ものにぶつけてしまう。

家庭の役割について考えることを逃避しているから、自分自身から、より距離感のあるところにある国家の役割について議論したがる・・・そして、深層心理的には自分の家庭を否定したいのに、出身家庭の問題について考えることができないので、その代替として国家を否定しようとする。何も国そのものを否定しなくても、居心地のいい国にすればいいだけですし、どうしてもイヤなら、国を変わればいい話ですよ。

まあ、最近では、このヴァリエーションとして「結婚という制度自体をやめよう!」なる運動もあるそうですが・・・
結婚なんて、国家における法律制度の問題ではなく、その人個人の希望の問題でしょ?
結婚したい人はすればいいだけですし、独身のままでいたい人は堂々と独身でいればいい話。
もちろん、数としての多数派少数派の問題はありますが、少数派になっても、自分の考えを自分の言葉で説明すればいいだけ。
しかし、抑圧的なダメダメ人間は、選択すること自体がイヤ。
もちろん、自分の考えを説明することもイヤ。
だから選択できないような状況にしたい。

まあ、結婚という制度にクレームをつけるのはともかく、その人の両親はどんな人だったの?どんな夫婦関係だったのか?
制度について反対するよりも、当人が一番よく知っている具体的な婚姻関係について、もっと考えることが先でしょ?
しかし、そこから逃避して、制度の問題にしてしまう。

ニュースなどで登場してくる人の立派なコメントを聞いて、「じゃあ、この人は、どんな家庭で育ったのか?」という点について考えてみると、色々と見えてくると思います。

ダメダメ家庭は、価値観も会話のスタイルもバラバラなんて書きましたが、実は、意外と近いともいえる。そのダメダメさということで共通しているものなんですね。
親のダメダメさは、何も自覚がないと、子供もやっているもの。それを認めたくないものだから、遠い存在である国家を敵認定して、自分を騙してしまう。

しかし、そんな敵認定のスタイルも、結局は親譲りだったりするものでしょ?
最初に様々な家庭の機能について列挙いたしましたが、家庭の機能を伝えることそれ自体も、家庭の機能といえるでしょう。
マトモな家庭が持っていて、実際に行っている家庭の機能を、次の世代に伝えていくことも、その家庭の重要な機能ですよ。
しかし、「生きていればそれでいいだ!」という美辞麗句を持ち出して、実質的に子供をネグレクトするのがダメダメ家庭。
家庭の適切な機能は次の世代に伝えられなくても、「子供なんて、死ななければ、それでいいんだ!」というズボラさを、次の世代に連鎖させていく機能はしっかり持っている。
ダメダメ家庭というものは、そんなダメダメ共同体なんですね。

(終了)
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発信後記

ちなみに、次回は、700回記念の配信となります。
もうこうなってくると人類史上の奇跡ですよ。
サスガに、これだけの文章があると、私が死んだ後でも、相互の文章が色々と語ってくれるでしょう。

以前にちょっと言及した作曲家で指揮者のグスタフ・マーラーは、「オレが作曲した曲を、オレの死後50年後に指揮したい!」と言ったそうですが・・・
いやぁ・・・気持ちはよくわかるよ。

作品がそれなりに受け入れられるようになるには、それなりに時間が掛かるもの。
しかし、受け入れられると言っても、それは理解されたというよりも、一般人受けの誤解の体系が確立に過ぎない場合が多いもの。
作者の本当の意図を理解した上で、受け入れているわけではないものなんですね。
だから、それなりに受け入れられた段階で、「オレの本当の意図はこうなんだよ!」と、自分でやりたいわけ。

上記のマーラーは1911年にお亡くなりになりましたが、その50年後の1961年あたりから、マーラーの曲は盛んに演奏されるようになりました。
まさに想定していた死後50年後なんですが、死後なんだから、マーラー本人が演奏できるわけではない。
マーラーとしては、生きている当時から、それがわかるわけ。
それが彼にとって幸福かどうかは別問題ですが。

ちなみに、私としてはこのメールマガジンの文章を書くにあたって、
ペリカンのように書き、
白鳥のように歌い、
カナリアのように死ぬ。
そんなスタンスで書いています。

書く側である私の覚悟はともかく、読んでおられる皆様は、この文章を適宜参考にして、自分の目の前の現実を真摯に見るきっかけになれば、それでいいと思っています。
ちなみに、次回は、この「見る」ということをテーマにした文芸作品を取り上げます。
R.11/1/31