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カテゴリー | 会話のスタイル(聞き手側) |
配信日 | 08年10月24日 (10年7月12日 記述を追加) |
タイトル | 逃避の方法としての笑い |
以前にこのメールマガジンで、実際にいただいた逆上メールを例示しながら「戦略としての逆上」というお題で配信したことがあります。 ダメダメ家庭の人間は、心が弱い。自分自身と向き合うことから逃避している。 だから、誰かとのやり取りにおいて、自分にとって都合の悪いマターに話が進みそうになったら、その前に、「とりあえず」逆上して、それ以上考えることから逃避してしまうわけ。 ダメダメ人間は、そんな逃避の手段をよく使っているものなんですね。 とは言っても・・・人様の目の前でいつも逆上するわけにも行かない。 そんなことをしていると、もう「怖い人」どころか「危ない人」とされてしまいますよ。 減点法であり、「いい子ちゃん」志向があったりするダメダメ人間は、逆上という方法を頻繁に取るわけにはいかない。 「もうちょっと、お手軽で、お気軽な逃避の手段はないかなぁ・・・」 「逆上ではないにせよ、面倒なやり取りからの逃避という効果が得られるものは何だろう?」 と言うことで、その方法の一つとして「笑い」があります。 だって、目の前にいる人が笑っていたら、相手側としても、追加で説明のしようがないじゃないの? あるいは、笑っている人に対して、「その件について、もっとわかりやすく説明してよ!」とも言えませんよね? 「反論があるのなら、ちゃんと説明してよ!」とも言えない。 あるいは、「じゃあ、アンタ自身はどう考えるの?」とも聞けない。 こちらが何を言おうと、相手は笑っているだけ。 これじゃあ、なんともしようがない。 笑っている人に対して、会話は成立しないものでしょ? しかし、逆に言うと、会話からの逃避としては、意外にも有効なんですね。 実際に、やり取りの最中において、不必要な箇所で猪突に笑う人っているでしょ? 「この件について、コッチは、もっとしっかり話をしたいのに、いきなり笑い出してしまって・・・」「困ったなぁ・・・」 やり取りの最中や、後になって、そんなことを頻繁に思わされる人っているでしょ? コッチがギャグを振って、それに反応して笑ったのなら、それは計算のうち。計算しているんだから、その笑いがいつ収まるのかも、予測できる。あるいは、明らかにおかしいような場面も実際にある。つまりお互いが、「これって、おかしいよね?!」と納得しているような状況だったら、後の進展も予想できるでしょ? しかし、ダメダメ人間は、「どうして、こんなところで笑うの?」「何がおかしいの?」そんなところで猪突に笑ったりするものでしょ? 一緒に笑うことによって、やり取りが快活になるのではなく、一方的で猪突な笑いによって、やり取りがなんとなく萎んでしまうもの。 しかし、逆の方向で考えることができるわけです。 やり取りを萎ませるために、猪突に笑いを入れるわけ。 そう考えると、その手の人の笑いの意味もよく理解できるでしょ? インターネット上でのやり取りを観察すると、そんな姿はよく見られるでしょ? 現実のカタギの世界では、サスガに逆上は頻繁にするわけにもいかない。 逆上は許されなくても、笑いだったら、許容されるもの。しかし不必要なまでの笑いって、実は、自己逃避のための逆上と同じ意味になっているわけ。 「もう、その話を振らないで!」 「ワタシは、そのことを考えたくないのよ!」 そんな意味になっているわけ。 そんな人の文章って、不必要な箇所で『 (笑) 』なんて表現が入っていたりするもの。 あるいは、インターネットの掲示板では『 www 』なんて表現があるそうですね? これって、その場所での意味はともかく、心理的な意味は、「自分は笑っているんだから、このマターはもうこれ以上は振ってくるなよ!」という意味でしょ? その手の表現を書いている人は「オマエは、なんてバカをやっているんだ!おっかしいよ!」と他者を笑っているつもりなのかもしれませんが、心理的には、そのマターについて、もっと真剣に考えることから逃避しているんですね。 笑っている姿なんて、わざわざ人に見せるものではないでしょ? それに、対面でのやり取りで、自然に笑ってしまったのならいざ知らず、ネット上のやり取りだったら、「笑」なる表記を無理に示すこともないのでは? しかし、わざわざ見せることにより、会話からの逃避や自己逃避が達成できるわけ。 マトモな人は、ジョークなどで場を和ませたりするものですが、ダメダメな人は自分の弱さを相手から見られないように、必死で笑って、その場を逃げようとするわけ。 笑いというものは、マトモな人にしてみれば、心の余裕につながるわけですが、ダメダメな人にしてみれば、切羽詰った余裕の無さそのものなんですね。 いわば会話や思考から逃避するための笑い。 つまり、「捨てセリフ」の一種と言えるわけ。 そして、そんな捨てセリフによって、会話や思考から逃避する人は、その癖が付いてしまって何事も真剣に取り組むことがなくなってしまう。 クリティカルなものに接したら、とにもかくにも笑った姿を示しておくわけ。 実は、この「ダメダメ家庭」のサイトがインターネット上で紹介されていたりする際に、そんな表記が付随しているケースが多いものなんですよ。 まあ、意味もなく色々なマークが入っていたりするわけ。 ただ、「笑」とか「www」は、意外にもないようです。 まあ、いくらなんでも、このサイトの文章を笑うだけの知性がある人は、そうはいないでしょう。 かと言って、このサイトの記述について真剣に考えることが心理的に怖い・・・そんな場合には、ちょっとした「オチャラケ」の表記を入れたりするんですね。 いわば「オチャラケ」状態を見せることで、このサイトの記述についての評価から逃避してしまうわけ。 本来なら、記述について考えることから逃避したいのなら、わざわざ紹介しなくてもいいじゃないの? しかし、読んで、それなりにインパクトがあったんでしょうね。 だから、何がしかの「終息の形」を作っておきたい・・・ ということで、形の上では紹介し、オチャラケ表記を最後に付けたりするのでは? 記述内容について、その人なりに判断した上で、「考察が不十分だ!」と笑うのならアリでしょう。 しかし、思考から逃避する人間は、考察の入り口段階で逃避してしまうわけ。 そして、逃避していること自体を認識したくないので、「笑」とか、「オチャラケ」表記をつけてごまかしてしまう。 そんな人間は、距離をおいて見ていれば、それこそ笑っていればいいわけですが、そんな人によって育てられる子供にしてみれば、笑い事じゃあない。 話がクリティカルになったら、笑ってごまかそうとしたり、オチャラケな姿を見せたりする人に対して、子供としても、何を相談するの? だから、子供だけで解決しようとして、結局はトラブルが大きくなるばかり。 そして、それが積み重なってドッカーンとなってしまう。 そして、クリティカルな事態になったら、スグに逃げ出していた親は、「どうして、こんなことに?!」「ワタシたちは、笑顔が絶えない家庭だった!」と嘆くことになる。 そんな親は、外から見ていると笑うしかないわけですが、そんな事例は、現実において、実にポピュラーでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 何でも静岡県で建設中の空港で、立ち木がジャマになって滑走路の長さが制限されているんだとか・・・ 色々な意味でギャグそのもの。 そもそも静岡県で空港建設と言っても、そんな構想自体が小学生でも絶句するレヴェルですよ。 しかし、そんな「当たり前」のことを得意気に語ってもしょうがない。 一番興味深いのは、そもそもそんなトンデモ構想が、どうして実現までされてしまっているのか?という点です。 いくら静岡県の人も、ほとんどの人が、そんなものを本気にはしていなかったでしょう。 まさか、このまま実現までされるとは思っていなかったのでは? だって誰が見ても、「そりゃ、ないよぉ〜」と言いたくなるものですからね。だからこそ、何もアクションを起こさずに、結局は、実現まで行ってしまうもの。 それこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスの問題だって、「このまま、こんなオトコと一緒にいると、マズイことになる。」って、当人は『なんとなく』わかっていても、何も判断しないからそのまま突っ走ってしまって、結果的にドッカーンとなってしまう。 今回は、たかが空港の問題なので、税金のムダ使いのレヴェルですが、このような判断逃避が重なってとんでもない事態になってしまったのが、ナチスの台頭を許したドイツの人たち。最初の頃はいざ知らず、ある程度の段階になったら、「ヤツラはマズイぞ!」「このまま行くとシャレにならない!」って、ほとんどの人がわかったはずですよ。 本来なら、途中で、静岡県だったら空港反対の政治家を知事にするなり、あるいは、ナチスを容認しない政治家を当選させたり、そんな暴力的な家庭環境から逃げれば済む話。 しかし、そんな判断をすること自体から逃避するわけ。 そうして、のっぴきならない事態になってから「アイツらのせいで、こんな事態に!ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と嘆く。 このような流れは、先日配信いたしました、トルストイの長編小説「アンナ・カレーニナ」の流れとも全く同じ。そのような流れにおいて、ダメダメは実に共通しているわけです。 逆に言うと、そんなちょっとした予兆のうちに対処すればいいだけですし、そのような予行を早めに察知して、そうする必要があるわけ。 そんな予兆の察知の仕方は、このメールマガジンでいくらでも書いてあります。 まあ、参考になさってくださいな。 |
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R.10/7/12 |