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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない体験,境遇
配信日 08年11月10日
タイトル プロジェクト体験
ダメダメ家庭においてはイヴェントが少ない・・・このことは以前に配信しております。
家族旅行とかのイヴェントには縁がない。
先日配信いたしましたが、お墓参りなどもしない。
家族が一緒に何かをするということはないわけ。

イヴェントというか、いわばある種のプロジェクトのようなものとは無縁になるわけです。

たとえば、家族旅行でも、目的地の選定とか、予算管理とか、スケジュール管理とか、役割分担とか色々と決め事がありますよね?
そのようなことを、旅行前に、会話によって調整しながら進めていくことになりますよね?

たかが家族旅行を、プロジェクトというのは大げさではありますが、逆に言うと、そんな家族旅行のようなものを体験していない状況だと、もっと本格的なプロジェクトには対応できないでしょ?それこそ、旅行のようなものならともかく、キャンプのようなものだったら、そのような事前の調整は、旅行以上の入念なものが必要になってくるでしょ?
家族旅行の事前調整もできなければ、家族キャンプの事前調整はできませんよ。

そもそも、ダメダメ人間は当事者意識がなく、いつも被害者意識に浸っている。だから、自分たちで何かを「する」という主体的な発想ではなく、「させられる」という受身の発想になっている。だから自分たちで主体的にプロジェクトを運営する発想がないし、体験がない。
家族旅行のようなものは滅多にならないし、やるとしても、旅行会社のような存在に丸投げしたり、知り合いの誰かについて行くという傍観者に近い形となってしまう。
旅行以外の一般的な行事だって、ダメダメ家庭では縁がない。

そんな状況だから、プロジェクトを遂行するのに必要なものがわからない。
それこそ、高校などの文化祭の出し物なども一種のプロジェクトでしょ?
しかし、家庭内で何もプロジェクトをやったことがないんだから、クラスなどの出し物にも主体的に参加できないわけ。「何をどうすればいいのか?」「どんなことに注意すればいいのか?」言葉の上ではそれなりにわかっていても、実体験としてわかっていない状態。

もちろん、高校の文化祭あたりから、プロジェクト体験デビューをすればいいわけですが、マトモ家庭出身者は、子供のころから基礎的なプロジェクト体験をしているわけだから、その「勘所」もわかっている。だから動きが違ってしまうわけ。
人のやっていることを手伝おうとしても、どうしてもトンチンカンなことをしてしまう。
そうすると、一生懸命にやっている人から文句を言われる。
「おいおい、何をやっているんだよ!こんなことは常識じゃないか?!」
周囲から怒られるけど、一緒に何かをやっていく際の勘所が、どうしてもわからない。

そもそも、ダメダメ家庭を作る親は、子供に対して「ふつうになれ!」という言葉で、「人に合わせる」ように要求する。だから、そんな家庭の子供は、とりあえずは「人に合わせる」ことができても、集団の中で役に立つようには動けないわけ。
だから、ダメダメ家庭出身者は、中心となっている人の周囲を右往左往するだけになってしまう。結局は、そんな高校の文化祭のようなシチュエーションにおいてもプロジェクト運営体験を得ることができないままとなる。傍観者というか賛助会員くらいのニュアンスで終わってしまう。

世の中で生きていると、予算管理とかスケジュール管理とか規模は別にして、様々なプロジェクトで発生するでしょ?
進学するためなり、資格を取得するための勉強だって、一種のプロジェクトですよ。目標とするレヴェルに到達するために、何をどのようにしていくのか?ちゃんと自分で管理しないと達成できないでしょ?

あるいは、学生時代の、論文作成とか研究もプロジェクトの典型でしょ?
会社に入って、働いている場合でも、多くのプロジェクトがありますよね?
目的を明確化して、役割分担をして、予算管理やスケジュール管理をしていく。
そのような「勘所」は、家族旅行と一緒でしょ?
ダメダメ家庭の人間は、個人だけで完結するプロジェクトは何とかなっても、役割分担が発生する集団でのプロジェクトにはまったく対応できないわけです。

それこそ、男女で付き合っている場合でのデートだって一種のプロジェクトですよ。
目的を見定め、予算管理とかスケジュール管理とか・・・やることは、やっぱりプロジェクトでしょ?
そして、付き合った結果として、結婚することになる。

そうなると、結婚式も、まさにプロジェクトでしょ?
結婚式の事前調整での対応力を見るだけで、その人が過去どんなプロジェクトを体験してきたのかについて簡単にわかるわけ。
ダメダメ家庭出身者は、プロジェクト体験をしていないので、結婚式のようなプロジェクトにおいても、まさに「丸投げ」状態になってしまう。

本来なら、そのような結婚式の準備を進めている段階で、「この人は、ダメダメ家庭出身者だ!」「このまま結婚してしまうとマズイかも?」あるいは、「この人は当事者意識がない。」と認識できるわけですが、そもそもそんな人と結婚する相手方も、同類。だって、付き合っている段階で、そのことがわからない者同士なんですからね。

結局は、それまでプロジェクトを主体的に運営したことがないもの同士が一緒になって、新しい家庭を運営するというプロジェクトに立ち向かうことになってしまう。
新婚家庭によって、プロジェクト体験デビューとするわけです。
しかし、それって結論は見えているでしょ?

プロジェクト運営の能力も、子供時代のちょっとしたプロジェクト体験があるから、スパイラル的に積み重ねることができるわけ。
出発点において、そのプロジェクト体験がない場合には、それ以降もプロジェクト体験の中心になれない。傍観者として、周囲をウロウロとするだけになってしまう。
それが現実ですし、そのことを自覚するしかないわけです。

しかし、心の弱いダメダメ人間は、そんな自覚から逃避する。
だから何かを達成するためのプロジェクトではなく、何かに抗議し、対抗するためのプロジェクトに逃げ込んでしまう。そのような運動なら、まさにダメダメ家庭で培った被害者意識が存分に発揮できる。達成するためのプロジェクトではなく、「壊す」ためのプロジェクトなんだから、まさにダメダメ人間にとっては、いつもの発想でOKとなる。

それに、壊すプロジェクトは、システマティックに動く必要はありませんよ。その場その場の感情をがなっていればいいだけ。壊した後に何かを作り上げるつもりなら、それなりのシステマティックに動かないといけませんが、壊すだけだったら、気分次第でOKでしょ?
だから、ダメダメ家庭出身者としては、自然体で活動できる。だから、入り浸ってしまう。

そうやって、他者にクレームをつけることばかりになってしまい、周囲のマトモな人から避けられてしまう。しかし、その手の抗議系のプロジェクトだと、今まで多くのプロジェクトの周囲を右往左往していただけだったのが、中心人物になれるわけ。
「ああ!やっとこのワタシにも居場所ができた!!」
その「喜び」に打ち震え、ますます「その道」に突き進んでしまう。
しかし、そんな人は、結局は何も達成できないだけでなく、周囲の人にしてみれば、トラブルメーカーそのもの。

そんな人を、皆さんもご存知なのでは?

(終了)
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発信後記

プロジェクトというと、選挙なども、まさにその典型ですよね?
もうすぐ日本でありそうですし、アメリカでは先日大きな選挙があったばかり。

アメリカ大統領選挙は、予備選挙やその準備段階から始まるわけですから、1年以上の巨大プロジェクトといえます。
あれだけの巨大プロジェクトを中心になって遂行する人は、なんだかんだと言って、大した人でしょう。
資金集めや、政策取りまとめ、国民へのPR方法なり、ライバルへの反撃など、単に頭がいいとか信念があるというだけではできないこと。

しかし、逆に言うと、それだけの試練があるがゆえに、チャンスがあるといえるのでは?
オバマさんも、マケインさんも、あるいはヒラリーさんも、世襲の政治家ではありません。
あのような厳しい試練がなければ、逆に言うと、出来が悪く資質の欠けた人間でも「振り落とされず」に、出発点の差が、結果の差になってしまう。アメリカでは1年以上の厳しい試練での対応力の差が、結果の差になる。

何もワシントンなり永田町における政治のプロの問題というよりも、政治家の言葉を聞き、そこから考える能力が、有権者に求められるんでしょうね。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、権威主義であって、「何を言っているのか?」「どんなことを言っているのか?」は、重視せずに、「誰が言っているのか?」「どんな人が言っているのか?」という点ばかりに、目が行ってしまうもの。
そんな人は「考える」「判断する」という言葉ではなく、「学ぶ」とか「信じる」という言葉が多くなるものです。
そんな人に対しては、どんな言葉も意味がない。
当然のこととして、世襲が多くなりますよ。

議員に世襲が多くなっているのは、日本の有権者が「言葉を聞き、考える意欲や能力」がなくなってきているということを示しているわけ。考えたくないがゆえに、有権者が世襲を求めてしまうわけ。

そんな人が家庭を作ったら、どうなってしまうのか?
そんな人が親になったら、子供とどんな会話をするのか?

そんなことは、ちょっと「考えれば」わかることですが、思考から逃避している人は、そんな当然のことも「見よう」としないもの。
そしてトラブルが起こると「信じていたのに、裏切られた!」と被害者意識に浸るだけ。
しかし、「信じている」から問題なのであって、常に「見て」、適宜「判断」しておけば、そうはならないものなんですよ。
R.10/12/14