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カテゴリー ダメダメ家庭が持っていない発想
配信日 08年11月19日 (10年12月27日,11年1月2日 記述を追加)
タイトル 相談を受ける義務
以前に、このメールマガジンで「格の違いに対するセンシビリティ」についての文章を配信しております。
序列意識が強いダメダメ人間は、人間の関係を序列を基準として判断してしまう。
逆に言うと、「格の違い」に対する感性がないものなんですね。
だからこそ、家庭内では親子が同格になってしまう。同格であっても、「どっちが命令をするのか?」という序列の違いは存在する。だからダメダメ家庭では、親は子供より格上の存在としての義務を果たすこともなく、序列が上の存在の権利として、子供に対して命令するだけになってしまう。
ダメダメ家庭においては、親は権利はあっても、義務はない状態。
別の言い方をすると、ダメダメ家庭の親は、子供を支配する存在であって、子供を保護する存在ではないわけです。

本来なら、格上の存在は、格下の存在を、保護する責務があるでしょ?
自分が保護している格下の存在が、トラブル状態にあるときには、相談に乗ったり、サポートをする責務がありますよ。
このメールマガジンで、よく書いていますが「高貴なるもの、義務多し。」

しかし、格に対するセンシビリティがないと、格上の存在が背負っている責務にも頓着しない。格下の存在を保護し、サポートしようとは思わない。
格下の存在を保護し、サポートする・・・その一つとして、今回は「相談を受ける責務」について考えて見ましょう。

何回も書いていますが、上の立場にあるものは、自分の管理下なり保護下にある存在が困っていたら、その困りごとを知り、解決のためにサポートをする責務があるでしょ?つまり相談を受ける責務がありますよね?
しかし、家庭に限らず、ダメダメな集団なり組織は、立場が上の存在が、立場が下の存在から、相談を受ける責務があるという発想を持っていない。

それこそ、以前に、とある大学の大学院生が、研究室の青酸カリで服毒自殺した事件がありました。なんでもその大学院生は、その薬品の管理を担当していたんだそう。その大学のスタッフのコメントは、「今後は危険な薬品の管理には、もっと気をつけたい。」とのことでした。

危険な薬物である青酸カリの管理について、もっと気をつけるのは当然として、他にもやることなり反省することがあるでしょ?
その大学院生が、自殺する前に、たとえば教授なり大学のカウンセリングに相談していたの?その点が問題でしょ?

青酸カリの管理の問題以外にも、「どうしてこのワタシに相談してくれなかったのか?このワタシの何がいたらなかったのか?」「大学としても、そのような学生たちの悩み事に対応できる体制を取るようにしたい。」そんな反省もあってもいいのでは?
薬品管理の問題とは別に、メンタルな面でも、チェックは必要でしょ?大学院生と言えども、まだ学生なんだから、完全に一人前とは言えませんよ。

同じようなことは、たまに起きる警官のピストル自殺の後の警察のコメントでありますよね?
「今後は、ピストルの管理をもっと厳重にしたい。」なる警察署のコメントが結構あったりするでしょ?
しかし、外部の人間が、警察署のピストルを使ったわけではないんだから、管理の問題と言えるの?その自殺した警官の困りごとを聞けなかった、上司なり組織の問題の方が大きいんじゃないの?
ヘンな話になりますが、青酸カリとかピストル自殺だったら大問題だけど、首を吊って自殺したのなら、何の問題もない・・・そう言いたいの?

自殺の後の反省のコメントだって、「その部下がどうしてワタシに相談してくれなかったのか?」「自分は信頼されていなかったのか?」・・・そんな反省の方が意味があるのでは?
直接の部下から相談を持ちかけられない人・・・つまり部下の警官から信頼されていない警官が、地域の治安を守れるの?地域の住民から信頼を得られるの?そんなわけがないでしょ?

ピストルだったら大問題という発想だから、逆に言うと、ピストル以外での事件も起きたりするわけでしょ?それこそ、警察官がストーキングしたりするようになってしまう。
事件前での相談の重要性が意識されていない状態になっている。
青酸カリとかピストルのような派手な道具での事件以外でも、ダメダメな組織では、このような「事件前の相談」の重要性の意識が欠如しているでしょ?

逆に言うと、トラブルになる前に、困っている人からの相談を受ける態度によって、上の立場にいるその人が、支配者として存在しているのか?それとも保護者として存在しているのか?が見えているわけです。
それこそ、イジメ事件があったりすると、いささか年齢を重ねた人が、「昔のガキ大将は、こんな陰湿なイジメはしなかった・・・」とかのコメントを発することがありますよね?
「大昔が本当にそんなに平和だったのか?」という問題はあるでしょうが、「そんなに陰湿なイジメをせず、むしろ、弱いものを助けていた。」のなら、そのガキ大将は、支配者してのキャラクターだけでなく、保護者としてのキャラクターもあると言えるわけです。
昨今のイジメの統率者は、保護者としてのキャラクターを完全に消失していると言えるでしょう。

そして、そのようなイジメの統率者のキャラクターは、家庭内において、支配者であっても、保護者ではないダメダメな親の姿の反映なんですね。
保護者としての発想は、相談を受け、その状況に対処する責務の自覚と不即不離ですよ。
もし、下のものを保護する意欲があれば、相談を受け入れる覚悟を表明するのがスジというもの。

以前に東京であった、女子中学生が父親を殺した事件においても、事件の後に、校長が「親は君たちが考えている以上に、君たちのことを愛している。」とかのお説教を、生徒に対してしましたよね?
愛しているかどうかは、ともかくとして、もっと重要なことは、「困っていたら、遠慮なく、このワタシに相談してほしい!」と伝えることでしょ?
事件後に正論をお説教するよりも、事件前に、困っている生徒と一緒に考えることの方が価値があるのでは?

校長だって、「困ったことがあるのなら、どうしてワタシに相談してくれなかったのか?」「今後は生徒が相談を気軽に受けられる雰囲気を作りたい。」と反省するのが、本当の教育者というものでしょ?もちろん、そんな発想がないダメダメ教育者だからこそ、そんな学校で事件が起こってしまうのでしょうが。

あるいは、頻繁に書きますが、ドメスティック・ヴァイオレンス状況の「被害者の女性」は、実家に相談を持ちかけない理由として、「親に迷惑をかけたくないから。」と言ったりするものですが、それだけ、相談に対する敷居が高いわけです。
つまり、実家の親は子供にとってみれば支配者として存在していたわけです。
しかし、だからこそ、支配者としてのキャラクターを持つ男性と結婚してしまったわけでしょ?そうして、修羅場になってしまう。
実家に相談を持ちかけられないという点から、そのような事態に至る理由も見えてくるわけです。

そのようなメンタル構造が自覚できないので、結局は、ボランティアをやっているような人間に寄って来られてしまう。ボランティアの連中は、暴力的な、つまりムチを使った支配欲ではなく、人に優しい、つまりアメを使った支配欲が基本となっている。そんな支配欲を持った人間と一緒にやっていても、当人自身が持つ支配・被支配の関係への心理的親和性や、だからこそ、トラブルを呼び込んでしまう問題について自覚することはできませんよ。
実家に相談できないという点について、もっと真剣に考える必要があるわけです。

同じような問題は、以前にあった「オウム真理教」に関連してもありました。
「あんな邪教に惑わされてケシカラン!」とお説教をしている、既存の『権威ある宗教団体』の関連の人もいました。
・・・しかし、他の宗教に対して文句を言うよりも、「あんな得体の知れない宗教に頼るよりも、このワタシのところに来てくれれば一緒に考えて、その人を救うこともできたのに・・・」と、発言するのが、マトモな宗教関係者の姿じゃないの?

しかし、そんな宗教関係者って、いませんでしたよね?
既存の宗教関係者は、「困っている人を助ける。」という責務が意識されていない状態。
だからこそ、本当に困っている人がオウムに走ってしまうんでしょ?
切実に困っている人にとっては、既存のプロ宗教の関係者は、現実的にはオウム以下なんですね。

キリストだったら、この私の見解に賛成してくれると思うけどなぁ・・・
まあ、キリストも、プロとは言えない人なんですけど。
結局は、プロになってしまうと、組織を維持することに主眼が行ってしまうんですね。

ダメダメな集団においては、命令と服従の関係を規定する序列の問題はあっても、「高貴なるものの義務」につながる「格の問題」はないがしろになっている。
事件後のコメントを見るだけで、逆に言うと、その集団のダメダメさが分かるわけです。
その集団の長が、その集団の保護者だったのか?それとも、統率者だったのか?それとも、支配者だったのか?あるいは、傍観者だったのか?
そんな意識や覚悟が、事件後のコメントから見えてくるわけです。
実際に、この手の事件が起こったりすると、いかにもな正論を上から説教するだけのパターンが多いでしょ?それって、まさに、支配者や傍観者の姿ですよ。逆に言うと、だからこそ、このような事件が、実際に起こってしまう。

そして、そのような集団だけでなく、ダメダメ家庭そのものが、まさにそんなスタイルでしょ?困りごとを子供に言わせずに、親の側は、「ウチはうまく行っている!ふつうの家庭だ!」と周囲に豪語する。
北朝鮮のキム将軍もビックリ。

そんな家庭で育ってしまうと、親に相談する経験を積むことができずに、大人になって相談の仕方がわからない人間になってしまう。
これについては、以前にこのメールマガジンで配信しております。
相談に際し、必要となる態度とかスキルが身につかないわけです。
だから、相談を躊躇するようになり、一人で解決しようとして、うまく行かず、ドッカーンとなってしまう。

ダメダメ家庭では、親は子供の相談を受ける責務について、何も考えない。
そんな環境で育ってしまったら、そのような相談できない状況が積み重なるだけ。
せめてそれを自覚しないと、今度はその人が親になって、子供の相談を受けない親になってしまう。で、結局は、その子供が事件を起こしたりする。

昨今のダメダメ家庭の事件なんて、そんな面があるでしょ?

(終了)
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発信後記

本文中で、プロの宗教関係者について言及しております。
プロの宗教関係者は、平時にはキレイごとを連呼するけど、本当に困った時には、知らん顔・・・そんなものですよね?
以前に、「晴れた日に傘を貸す」というお題で配信しておりますが、まさにそのパターン。

そもそもプロの宗教関係者は、ダメダメ家庭の出身者でしょう。マトモ家庭の出身者は、そんなものにはなりませんよ。
だから本来なら、プロの宗教関係者は、ダメダメ家庭ならではの困りごとなり問題点なり注意点はわかっているはず。それを生かして、トラブルの解決に取り組むのなら、すばらしいこと。しかし、ダメダメ家庭出身者のネガティヴな面が出てくると、解決には悪影響になってしまう。

ダメダメ家庭は自分自身から逃避しており、自分自身が直面した問題から目を逸らしてしまう。
だから自分と似た状態には、思考停止になってしまって、対処できないわけ。
それにダメダメ家庭の人間は減点法であって、「いい子ちゃん」志向があるもの。だから自分の手を汚してまで、誰かを助けようとは考えない。
トラブルの現場から距離を置いたところから、正論を連呼しているだけ。

それどころか、その問答無用の正論連呼の姿勢から、現実から逃避したがるダメダメ人間のかっこうの「言い訳のネタ」になってしまう。
「あの○○先生の言っていることをワタシもやっているんだから、ワタシは悪くないっ!」「ワタシは言われたとおりにやっているだけ。」
「神様の言葉に従う」という大義名分を持ち出して、トラブルの現場を見ることから逃避してしまう。
そのツケは、結局は一番弱い存在である子供に向かってしまう。

キレイごとを連呼できるということは、厳しい事態を「見ない」ようにしているからでしょ?つまり、厳しい事態を持ち込ませないような雰囲気を作っているんですね。

聖書をお読みになった方ならお分かりになるでしょうが、キリストは、「それじゃあアカンよ!」って言っているんですが、こうも言っている。
「アイツらは言葉は聞くけど、中身は何もわかっちゃいない!」
色々な意味で、イエスさんのおっしゃるとおりですよ。
R.11/1/2