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カテゴリー 子供にすがるダメダメな親
配信日 08年11月21日
タイトル 先送りの道具としての子供
ダメダメな人間は自己逃避であって、自分自身で物事を考えたりはしない。
問題があっても、それを「見ない」ようにして、どんどんと先送りしてしまう。
しかし、先送りしても問題が解決するわけもなく、結局はドッカーンとなってしまう。
このような流れは、このメールマガジンで頻繁に触れております。

それこそ、ちょっと前に取り上げたトルストイの長編小説「アンナ・カレーニナ」の主人公のアンナさんも典型的にそのパターンと言えます。浮気が発覚した後で、「離婚するのか、元の鞘に戻るのか?」そんな重要な問題を考えることから逃避して、夫と離婚もせず、情夫のウロンスキー伯爵との間で、いつまでも「内縁の妻」のまま。
結局は、逃げ口を自分で塞いでしまって、列車にダイビングとなってしまう。

あるいは、ちょっと前(08年)に日本の山梨県で、妻子があるのにそれを隠して浮気をして、その浮気相手の女性と結婚式という段になったら、結局は、その結婚式場に放火した男性がいました。
浮気がいいわけもありませんが、早めに「どっちにするのか?」決めれば、そこまでの事態にはならなかったでしょう。まさに選択することから逃避して、「見ないようにするために」、ドッカーンとなった典型パターンと言えるでしょう。この問題は、女性を二股かける倫理的な問題というよりも、自分の希望を抑圧する心理的な問題なんですね。たぶん、その男性は、上手に遊べる人間ではなく、不器用で頼りないタイプなのでは?だからこそ、相手となった女性が「この人には、ワタシがついていなきゃダメだわ!」なんて思ってしまうことになる。恋愛状態というよりも一種の共依存状態に近いわけ。
そんな関係だから、事態が解決せず、トラブルが大きくなってしまう。

どんな状況においても、判断から逃避し、先送りする抑圧的なダメダメ人間ですが、当然のこととして、いつまでも「そんなものは見たくない!」「そんなことは考えたくない!」なんて言っているわけにも行かない。

アンナさんのような貴族だったら、お金持ちだし使用人がいるでしょうから、経済的なり、こまごまとした心配は不要でしょう。しかし、一般の庶民はそうはいかないでしょ?
それこそ「老後はどうする?」
そんな問題も発生しますよね?

そんな時に「使用」されるのが、子供という存在。

まさに、ルイ15世(・・・確か・・・)のように「あとは皇太子がなんとかするだろう!」「ワタシは知〜らない!」なんて言いながら、子供に全部押し付けるわけ。

普段から思考停止のダメダメ人間は、自分自身の問題を自分で考えることはしない。
国のような公的機関に頼る例もありますが、基本的には自分の子供にすがるわけ。

そもそもダメダメ人間は、被害者意識が強い。子育てだって親である自分がこうむった被害と考えている。だから加害者である自分の子供に面倒を押し付け、お金を得ることは、親として当然の権利であると考えている。いわば、自分の被害に対して補償を受け取る感覚になっている。お金の問題ばかりではなく、あらゆることを子供に「させる」ことになる。
そんな信念があるので、逆に言うと、自分で考える必要がない。
「親のワタシのことを考えるのは、子供の義務だ!」
そのように確信しているわけ。

そのような確信に近いものは、マトモ家庭にも、近いものがあるでしょう。
しかし、ダメダメ家庭においては、親が自分自身のことを考えた上で、必要に応じて、子供からのサポートを求めるという形ではない。親はそもそも自分自身の問題を考える発想がないし、子供のことを考える発想もないわけ。まったく当事者意識がない状態になっている。だから、依存関係が「親から子供への依存」という一方方向なんですね。
ダメダメ家庭においては、子供は親を頼れないのに、親は子供を頼っている状況になっている。
ダメダメ家庭においては、「保護者」という役割は、子供の側であって、親ではない状態。
親は保護者ではなく、支配者という立ち位置になっているわけです。
そして、被害者意識の強いダメダな親は、子供に「たかる」ことを当然のことと考えている。

お金の問題でも、子供のために、親としてできるだけ多くのお金を取ってこようなんて発想は持っていない。それこそ遺産分配のような事態が発生しても、いともお気楽に「遺産?ワタシはいらないわ!」なんて折角の権利を放棄してしまう。遺産を出来るだけ多く取るとなると、それなりに考えなくてはならない。しかし、考えることがキライなダメダメ人間は、考えたくないがゆえに、遺産を放棄してしまう。

権利を放棄するのは格好がいいわけですが、そのツケは自分の子供に行くわけ。
「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振ったんだから、ちゃんとワタシの老後の面倒を見るんだ!」「遺産を放棄したんだから、その放棄した分は、ワタシに尽くせよ!」となってしまう。
ダメダメな親にしてみれば、遺産を子供に与えたから、そのプラス分に対する「代価」なり「対価」として、子供から何かを得るという形では考えない。むしろ、自分が受け取る遺産を放棄した分、つまりそのマイナス分を、子供から補填しようと考えるわけです。

そうやって、どんどんと子供に背負わせることになってしまう。子供にツケを背負わせれば、親は何も考えなくてもいいわけです。
しかし、遺産放棄した親は、「お金にこだわらないワタシって、なんて、いい人なの?!」と自画自賛するだけ。
そんな親と暮らす子供は、お金は得られないは、そんな親をサポートしなくてはならないはで、切羽詰ってしまうばかり。
このようなことは、以前に「収入のアップにこだわらない」というお題で配信しております。

そして、そんなダメダメな親は、当然のこととして会話不全であって、周囲の人とコミュニケーションが取れない。だからそんなダメダメな親の相手になってくれるのは、自分の子供だけ。
だから、ますます子供に「たかる」ようになってしまう。

そして、「たかる」行為というか儀式を通じて、ますます「自分は子育てによる被害者だ!」と確信し、ますます「被害者なんだから、自分で考える義務はない。」となってしまう。
このような発想や行動の流れは、韓国人がいつもやっていることですし、日本でも女性運動の活動家はこんな流れでしょ?

つまり、ダメダメ家庭においては、子供という存在は、実に便利な道具と言えるわけ。
抑圧的で思考停止のダメダメ人間にしてみれば、子供がいれば、「自分で考える」義務から解放されるわけです。

だからこそ、子供を求めたりするもの。

もちろん、子供を作る行為の最中に、「子供を作って、その子供に面倒なことは全部やらせよう!」なんて考えながら、そんな行為をしているわけではありませんよ。
しかし、考えなくてもいい状態を作り出してくれる存在としての子供を、自分自身がラクをできるための道具としての子供を、かなり以前からイメージしているものなんですね。
そんな人は、「親として、子供ができたら、その子供には、こんなことをしてあげたい!」とは考えていないわけ。
「子供ができたら、こんなこともしてもらえる!」「あんなこともさせられる!」と思っているわけです。

そして、実際に子供ができたら、
「オマエのために、ワタシの人生を棒に振った!」
「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」
「妊娠中は大変だったんだぞ!」
と、子供に対してグチの連発。

と言うことで、子供の側が、気を使い「子育ての被害者たる」親に成り代わって、多くの課題に向き合うこととなる。子供は自分自身の問題ばかりではなく、親の現在の問題ばかりか親の老後の心配までする始末。
しかし、そんな状態だったら、子供も切羽詰ってしまうでしょ?
だから当然のこととして、トラブルが発生することになる。

当事者意識がなく被害者意識しかないダメダメな親は、子供のトラブルが発生しても、真っ先に自分の被害を考え、逆上するだけ。
そして、やっぱり、
「オマエのために、ワタシの人生を棒に振った!」
「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」
「いったい、いつになったら、ラクができるんだ?!」
と、グチるだけ。

思考から逃避し、自身では何も判断していないダメダメ人間にしてみれば、「悪いのは全部子供のせいだ!」となっているわけ。だからこそ、ますます子供に対し自分の面倒を押し付けることになる。
逆に言えば、一人の人間として自立していなくて、何も事態を解決できないダメダメ人間は、子供という「先送りの道具」がないと困ってしまうわけです。

だから「子供のせいで・・・ワタシはこんな目に・・・」と言いながら、いつまでも子供の周りをウロウロとすることになってしまう。
面倒なことを押し付けられる存在がないと、何も対処できない。
それがダメダメ人間の姿でしょ?

現在では日本という国自体がそんな状態でしょ?
「年金の財源とか国債の償還は、次の世代に押し付ければいいじゃないか?」
「だからこそ、子供をたくさん作れよ!」
しかし、そんな、子供を年金や税金の支払い者としてしか見ていない発想だからこそ、少子化になるんでしょ?

マトモな人が、そんな現状に危機感を持ち、結果として少子化が進むのは、ある意味において当然のこと。
しかし、ダメダメな人は違うんですね。
自分が子供時代に押し付けられた分を、今度は自分が親になって、自分の子供に押し付けるわけ。逆に言うと、そんな当事者意識のないダメダメ家庭であるがゆえに、そんな家庭では子供がどんどんと生まれてしまうことになり、当然のこととして、そんな子供は新たなダメダメ人間になってしまう。
こうやって、世代に渡って、スパイラル的にダメダメが深化してしまうものなんですよ。

以前に、このメールマガジンで「子供を愛さない親はいない」という「ありがたい」言葉を取り上げたことがあります。
そもそもそんな二重否定表現を臆面もなく発する時点でダメダメですよ。
そのような物言いは「自分が親として、自分の子供を愛しているのか?」そのことについて考え、表現することからの逃避なんですね。一般論にすることで、自分自身の問題から逃避するわけです。

その、「自分は自分の子供を愛している。」というシンプルな肯定形の言葉はともかく、その「愛している」と言っても様々なスタイルがあるもの。

それこそマトモな家庭では「無償の愛」のパターンでしょう。子供を育てるにあたって「見返り」を求めないことがマトモな親の姿でしょ?
しかし、ダメダメ家庭では違うんですね。
ダメダメ家庭では、親が「ワタシは自分の子供を愛している」と言っていても、それは「道具として重宝している。」と言うだけ。

だから子供の性別に拘ったり、あるいは、身体などに障害があったりすることを許さない。そして、自分の子供が、道具としての期待していた役割を果たしていない状態だと「ハズレを引いた!」と被害者意識を膨らませることになる。

その手の親は、機能を果たしていない自分の子供についてのグチが多くなるもの。
「ウチの子は、こんなにダメダメ!」
「あ〜あ、アナタのお子さんがうらやましい〜」
その手のグチを発していると言うことは、子供を道具としてみなしているということであり、つまり「子育ては親がこうむった被害」と認識していることが想定できるわけです。そんな被害者意識が強い人は、自分の子供との関係以外にも、その被害者意識を爆発させてトラブルを起こしたりするもの。
そんな例をご存知の方も多いでしょうし、実際に体験なさった方もいらっしゃるのでは?

そんな人とのやり取りにおいては、片方が、「無償の愛」の対象としての子供を前提に語っているのに、片方が「道具としての子供」を前提に語ることになり、やり取りがトンチンカンなものになってしまう。
そして、お互いが「あの人・・・何わけわからないことを言っているんだろう・・・」と怪訝に思うことになり、やり取りが終了してしまう。

結局は、「道具としてしか子供を見ない」ダメダメな親が群れることになってしまう。だからその「道具としての子供」というダメダメな発想がますます濃くなってしまう。
そうやって、どんどんとダメダメが深化してしまうことになるわけです。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンは、週3回の超ハイペースで配信しております。
私としても、早く終わらせたいので、無理しながら配信しております。
と言っても、次から次にネタが出てくるんだから、なかなか終わらない。

今回の本文中で、先日、山梨県であった二股男性の事件に言及いたしましたが、あの手の事件ネタの文章を定期的に配信しようかな、と思っています。
文章は短くして、その事件の背景となっているダメダメな心理については、その文章に記述するのではなく、バックナンバーのサイトのアドレスにリンクを貼るようにする・・・そんなスタイルのものを土曜日あたりに配信しようかな、と思っています。
個人宛のメールではそんなスタイルを取ることもありますが、メールマガジンの文章では、その手のスタイルは取っておりませんが、そんなスタイルをやってみたいと思っています。

このメールマガジンの文章を軽く読んでみたい人は、その土曜日の文章だけ読めばいい・・・そんなスタイルにすれば、多くの人にとっつきやすいでしょう。
ただでさえ、やたら長い文章ばかりですからね。
定期的に短い文章を配信したいと思っているんですよ。

さすがに今週の土曜日は明日ですので、ちょっと無理ですが、あの手のちょっとした事件ネタは結構ありますからね。
それこそ落語家の次女さんの騒動とか、まだやっている東京の漫画家さんの住居に対する抗議運動とか・・・

あの手の騒動も、ダメダメの心理がわかっていると、実に理解しやすいわけ。
理解することで、適切な距離を取ることができれば、あの手の騒動に巻き込まれずに済むわけです。
R.10/12/15