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カテゴリー | 信頼と好意の諸相 |
配信日 | 08年12月24日 (10年9月8日 記述を追加) |
タイトル | 信頼につながる名前 |
参考 | 10年9月21日に補足文章を追加。 |
さて、このメールマガジンでは、子供の名前について言及することもあります。ただ、具体的に記述すると、「熱い」意見が返ってきたりして・・・ その手の「熱い」人は、人の考えを聞くという会話の精神がなく、自分の被害を感情的に述べているだけであって・・・まあ、色々とね。 私の見解が気に入らなくても、それを「相手にわかりやすく」伝えようとすれば、それは結構なことなんですが、逆上されてもねぇ・・・ そんな人は、いったい、どんな感じで、自分の子供とやり取りしているんだか? ちょっとでも、子供が気に入らないことを言うと、逆上したりするんだろうなぁ・・・ その人の子供も、親の機嫌をうかがって、オドオドしているんだろうなぁ・・・ それこそ、児童虐待の現場でのやり取り、 「オレが子供を虐待しているって?オレはそんなことをしていないぞ!誰がそんなことを言っているんだ?そんなヤツはオレがブン殴ってやる!」そんな熱い「反論」と同じ。 いったい、何を証明しているんだか・・・ まあ、それはいいとして・・・ 名前の問題も、具体的な個別の事例をあげると、色々と支障があるもの。 と言うことで、ダメダメ家庭を考える視点というか、考え方で、名前の問題を見てみましょう。 ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別が付かない。 このことは、たびたび書いています。 人との関係を「好意」という「感情次元」でしか捉えられなくて、「信頼」という「判断」には到達しないわけ。 相手から自分に対して好意を持ってもらいたいと念願したり、他者に対して「ワタシを好いてよ!」と要求したりはしても、相手に信頼されるような人間になるように自分を律したりはしない。 そんな「好意」と「信頼」の違いという観点で見ると、名前の問題も、よく理解できるものなんですね。 この点は、何も人間の名前だけの問題ではありません。 マルチ商法や、その他の詐欺の事件が報道されると、ローマ字が並んだ会社名だったりしますよね? あるいは、「妙に」カッコイイ名前だったり。 そんな名前は、一般の人から「好意」を持たれたい・・・そのような意味で付けたのでは? 以前に、「堅い名前は信頼の印」なるテレビのCMでのキャッチコピーがありましたが、まあ、現実的にそんなこともあったりするもの。 たとえば、近くに2つの銀行があるとしましょう。 ひとつは「東北農業銀行」(あくまで架空です)。もうひとつは「ミッキーマ○ス銀行」(こちらも架空です) 皆さんだったら、その2つの銀行のうちで、どちらに預金をしたり、取引をしますか? 「東北農業銀行」って、まあ、ダサイ感じですが、信頼という点においては、それなりにありそうでしょ?その名前からバックグラウンドもわかりますしね。それに対し「ミッキーマ○ス銀行」は、好意は持っても、取引をする気にはならないでしょ?口座を作るとミッキーの携帯ストラップがもらえるのなら、口座は作ってもいいけど、預金するかどうかは別問題。 だって、ちょっと怪しそうですものね。 会社の名前と同じように、人間の名前も「好意」を得ようとしているのか?「信頼」を得ようとしているのか?違ってくるでしょ?もちろん、「好意」も「信頼」も何も考えていない・・・「て・き・と・う」一直線、そんなダメダメな名前もあるでしょう。 名前というものは、親の思考が反映されているわけですから、子供のバックグランドを示していたりするもの。いま流行の「萌」なんて漢字を使っていたら、親の趣味も想定できるでしょ?それが子供にとって、幸福かどうかは別問題ですが。 外国風の名前だったら、まあ、親のどちらかが外国人なんだと思いますよ。 実際に外国人なら、そのバックグランドの、正直な反映ですから、ごもっともなこと。 しかし、両方とも純粋な日本人なら、「別の」バックグラウンドを示すことになるでしょ? 外国風の名前ということで、よく登場してくる理屈があります。将来において、外国でも活躍してほしいから、外国人に覚えやすい名前がいい・・・そんな理屈です。そんな物言いは、皆様も、聞いたことがあるのでは?そんな理屈は、なんとなく正論に響くものですが、じゃあ、母国である日本人には、覚えにくくてもいいの?奇異に感じられてもいいの?最初から母国を捨てる気マンマンなの? あるいは、外国人にも覚えやすい日本風の名前と、そもそも外国風の名前とは違うでしょ? 逆に言うと、日本びいきのスペイン人がいて、子供の名前を、「ジュンイチロー」なんて名前を付けたら、日本人の皆さんは、そのスペイン人を信頼しますか? ちょっと面白い人だなぁ・・・とは思っても、信頼することには逆効果でしょ? その「ジュンイチロー」という名前が気に入っているのなら、Tシャツにでも「ジュンイチロー」の名前をプリントして着ていればいい話。あるいは、ペットの犬の名前にでも使ったら? そんな名前は、好意を持つ可能性はあっても、信頼につながるには逆効果でしょ? あるいは、ロドリゲスという名前の純粋な日本人を、マトモなスペイン人は信頼しませんよ。 信頼よりも好意を重視する人は、「かわいい」「かっこうがいい」響きの名前を使いたがる。 あるいは、母国よりも外国に目線が行っている人は、それに対応した名前を使う。 それだったら、その国に移住すればいいだけ。自分の子供にロドリゲスという名前を付けたのなら、サッサとスペインなりアルゼンチンにでも移住すれば、誰も文句は言いませんよ。信頼というものは、まずは身近な人たちから寄せられるもの。だって、やり取りの積み重ねの結果が、信頼というものでしょ? 継続したやり取りをすることになる身近な存在を軽視している時点で、信頼よりも好意を向いていることがわかるわけ。 子供の名前を見るだけで、信頼と好意のどちらを重視しているのかについて明確に見えてくるケースが多いもの。 実際に、「好意」志向の名前の子供って、コミュニケーション能力が低いと感じることがありませんか? 何回も書きますが、子供の名前というものは、その子供のバックグラウンドを示しているもの。親の社会的な立場なり、教養なり、子育てに対する責任感なり・・・ その子供の信頼性ということを判断するには、非常に有効な視点なんですね。 マトモな親というものは、その点に配慮して子供の名前をつけるもの。そもそも名前に使用する漢字も、漢字というものは表意文字なんだから、その「字」自体に、そもそもバックグラウンドの「意味」を持っているもの。 よく事件があったりすると、報道されている関係者の名前を見ると、「この名前・・・どうやって読むんだろう?」と思うことも多いでしょ?凝った読み方・・・という問題もありますが、一般的には滅多に使わない漢字のケースも多くありますよね? 「こんな漢字って、人の名前以外には見たことがないなぁ・・・」 「普段はこんな字は使ったことないよ。」 そんな漢字が使ってある名前ならば、なかなか読めませんって・・・ それに、名前以外には使わない漢字だったら、子供はどうやって、その漢字を周囲の人に説明するの? 人の名前しか使わないそんな漢字を、子供の名前に使った親は、普段はどんな漢字を使っているんだろう? たぶん・・・一般的な漢字も、滅多に使わないのでは? 名前しか使わない漢字と、一般的に使用される漢字の区別が付かないのでは? 名前しか使わないような特殊な漢字を使った名前の子供も、コミュニケーション能力が低いと感じることがありませんか? 名前でしか使わない漢字は、「音(おん)」というか「響き」から、名前なり漢字を決めているのでは? そんな人は、その文字の意味から、名前に使用する漢字を決めるのではないでしょ? 親が子供に託すものが、意味ではなく「音」や「響き」である・・・ そんな発想がマトモなの? 少なくとも、そんな家庭は信頼とは無縁でしょ? 漢字の意味からの字を選択したのなら、親の意図も読みやすく、子供のバックグラウンドにつながりますが、「音」や「響き」はバックグラウンドにはつながりませんよ。 マトモな名前は、その意味がスグにわかったりするものでしょ? 言葉は思考の道具なんですから、自分たちの言葉はリスペクトしないとね。言葉をリスペクトしない人は、思考も軽いわけ。日本語だったら、その要素としての表意文字としての漢字も含まれるでしょ?漢字を使ったのなら、その意味も含めて考えないと、言葉に対する冒涜ですよ。音だけにこだわるのなら、まだ、表音文字の「ひらがな」の方が潔い態度ですよ。 自分の名前に使われた漢字の意味くらいは、説明できないとね。 しかし、名前を「付けられてしまった」子供の側が、その漢字の意味を説明できないくらいならともかく、「付けた」親の側さえも、その漢字の意味を説明できない・・・そんな事態は、ダメダメ家庭の領域では、結構あったりするでしょ?自分自身や自分の子供の名前に使われている漢字の意味を、英語に翻訳してみては?マトモな名前だったら、簡単に翻訳できますよ。 ここで、子供の名前について考えておりますが、メールのやり取りなどで使われることがあるハンドルネームも同じ観点から見えたりするんですよ。 まあ、メールのやり取りにおいては、あまり堅苦しいことは考えなくてもいいでしょう。 トラブルがあっても、金銭的な損害が発生するわけでもないでしょうから、それほど警戒する必要もない。 しかし、そのハンドルネームも、長く使うことを考えたものなのか?それとも、「てきとう」なテンポラリーなものなのか?そんな点から見えてくるものなんですね。 たとえば、「さくら」というハンドルネームを考えて見ましょう。 その人が、桜の花が大好きで、それにちなんでハンドルネームとして利用しているというのなら、まあ、バックボーンも見えてくる。 しかし、外を見たら、たまたま、桜の花が咲いていたので、それをハンドルネームとして利用した・・・というのなら、それこそ、秋になったら「菊」になったり、梅雨の季節になったら、「あじさい」とかになってしまうでしょ? まあ、「このハンドルネームは、ちょうど、今の季節にちなんでいそうだ。」・・・という人は、「とりあえず」の雰囲気が濃厚の場合が多いわけ。 信頼とはブレないこと。 だからこそ、背骨というか、まさにバックボーンが重要になってくる。 背骨がしっかりしていれば、その人は、信頼できるでしょ? メールのやり取りにおいても、そのハンドルネームを見ただけで、その後のやり取りが予想できたりするものなんですよ。 好意志向の「かわいい」系のハンドルネームの人とか、「とりあえず」「て・き・と・う」な雰囲気でテンポラリーにつけたハンドルネームの人は、まさに、そんなメールの文章なんですね。メールの文章に一本筋が通った信念というか信頼感というものが、欠落しているもの。 ハンドルネームを考えるに際し、長く使うことを前提に考えることくらいは、どんなに経済的に苦境にあっても、できることでしょ? 長く使うハンドルネームをつけられない人は、「てきとう」に結婚してしまって、結局は、修羅場になってしまい、周囲に対して、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!みんなもワタシに同情してよ!」と好意を求めることになる。 まさに、「名は体を表す」そのもの。 最初の段階で、ロングスパンを考えた上での、認識なり判断がない状態だったら、その後においても信頼も何もありませんよ。 まさにロングスパンを生きてきた、いわゆる名門とされる人たちは、ヘンテコな名前は付けないし、名前に使われている漢字も一般的なものでしょ?苗字だけでなく、名前も信頼につながるもの。 名門というものは、苗字を聞いて、「おお!」とビックリし、名前を聞いて、「ふーん」と思うもの。 ダメダメ家庭は、苗字を聞いて、「ふーん」と思って、名前を聞くと「おいおい!」と思うもの。 そんなモンでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 今のお婆さんたちの名前がユメとかウメとかキクとか・・・ 時代の流れを先読みしないと、そんな時代はずれになってしまうのでは? ・・・なんてことをおっしゃる方もいますよね? しかし、今のお婆さんが若い頃は、それが一般的だったわけでしょ? 今の時代においては時流から外れていても、そんな昔流の名前のお婆さんが、原宿や六本木でナンパするわけでもないでしょう。自分よりかなり若い人から、どう思われようと、実際上はたいした話ではありませんよ。もし自分より50歳若い子をナンパするつもりなら不都合になるだけ。 ただ、自分より年長者の方々からヘンな名前だと思われると、それこそビジネスの上では厄介。 ナンパに有利な名前にするのか? ビジネスに有利な名前にするのか? 信頼を向いた名前なのか?好意を向いた名前なのか? その違いによって、自分の子供が、将来は、どの分野で「活躍」ほしいのか? 親の考えもわかるわけ。 |
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10年9月21日 サイトの管理者による補足文章 | |
さて、この「信頼につながる名前」という文章にドンピシャな事例が、山形県の小学校であり、今でも騒ぎになっているようです。 なんでも、とある小学校の名前を「さくらんぼ小学校」というネーミングにしようとして、後になって調べてみたら、アダルト系の関係で、その名前が使われてしまっていたそう。 ということで、「マズイから、名前を変えよう。」とか、「いや!アダルトに屈してはならない!」とかで色々とやっているようです。 まあ、「さくらんぼ」というのは、好意につながりやすい「かわいい」ネーミングといえるでしょう。まさに、「信頼」というよりも、「好意」に目を向けたネーミングですね。 逆に言うと、好意につながりやすいから、アダルト系で使われたわけでしょ? アダルト系だったら、「信頼」を志向しても、意味ありませんよ。 堅い名前なんて、そんなシチュエーションでは不適でしょ? やっぱり、相手から好意をもってもらわないと、商売になりませんよ。 それこそ、源氏名なんて、そんなものでしょ? 山形県だから、名産品は「さくらんぼ」。 それを生かした名前にしよう! それはいいとして、それを小学校の名前につけるのは、ちょっとぉ・・・と、思いませんか? それだったら、新潟県の魚沼だったら、「こしひかり小学校」になるの? 大阪だったら、「タコヤキ小学校」になるの? 静岡県の浜松だったら、「うなぎ小学校」になるの? あるいは、農業関係だけではなく、三重県の亀山だったら、「液晶小学校」になるの? 「さくらんぼ小学校」というネーミングも、流れとしては、そんなモンでしょ? バックボーンは見えてくるでしょうが、その手のバックボーンは、小学校の趣旨とは違うでしょ? 公立の小学校だったら、「○○市 第△小学校」くらいが、逆に言うと、その小学校のバックボーンを示しているわけでしょ?その所在地の地名をそのまま利用するのが一番オーソドックスですよ。だって、一番「変わらない」ものなんですからね。 私立の学校の名前は、学校を立ち上げた理念などにちなんだものでしょ? だからこそ、やっぱり「変わらない」。 変わらないということは、まさに一本スジが通った態度ということ。 それこそが信頼というもの。 どうして、そんなに「かわいい系」の名前にしたがるの? そして、この一件でも見られましたが、名前に絡んで不都合な事態になった際の、逆上気味の対応は、まさに、この手の「かわいい系」の名前を付けたがる人間にお約束のもの。 好意を求める発想の基本は自己逃避であり、それだけ他者に期待してしまっているわけ。 だからこそ、期待した好意が相手から得られないと、逆上することになる。 まあ、当人たち自身がどう思っているのかはわかりかねますが、小学校の名前がアダルトで使われてしまっていたということは、別の言い方をすると、小学校の名前を源氏名と同じ扱いをしたということ。 その点から色々と見えてくるものなんですね。 |
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R.10/9/21 |