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カテゴリー | ダメダメ家庭が持っている発想 |
配信日 | 09年1月7日 (10年10月19日 記述を追加) |
タイトル | 孫への期待 |
ダメダメ家庭を作る人間は、被害者意識が強く、普段からグチばかり。 子育てだって、親である自分が被った被害と思っていて、その被害を子供に語ることになる。本来なら、そんなに子育てがイヤなら、子供なんて作ってはいけないんですが、そんなダメダメな人間ができることは子作りだけ。そしてそんなダメダメ人間がグチを言えるのは自分の子供だけ・・・それが現実。 そんな被害話ばかりを聞かせられて、「悪いのは全部オマエのせいだ!」と犯人認定されてしまっているので、そんな家庭の子供は抑圧的になってしまう。 自分自身で考えることを抑圧し、自分の希望を持つことを抑圧するようになるわけ。 まさに「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地。 そんなダメダメ家庭の子供は、親から何をグチられても、生返事をして「やり過ごす」ことになる。 こうなると、ダメダメな親はつまらない。 自分の渾身のグチに子供がダメージを受けて、困ってくれるのなら、「グチりがい」もあるけど、馬の耳に念仏だと面白くない。 かと言って、そんなダメダメな親は、相変わらずグチしか言わない。 「おい!聞いているのか?オマエのために言ってやっているんだぞ!」 そう言いながらグチり続ける。しかし、やっぱり言っていることは、いつも同じ。 だから、自分の子供しか相手になってくれないことは変わらない。 そして、そんなグチを聞かされ続けた子供も、年齢的には大人になる。 結婚して、別の家庭を持ったりする。そうなるとダメダメな親にしてみれば「親であるワタシには、もう構ってくれない!」状態。 そうなると、グチの相手がいない状態。 「ああ!グチりたくてたまらない!」 「グチの相手がほしい!」 「グチることができないこの嘆きを誰に語ればいいの?」 以前に取り上げたバルザックの小説「谷間のゆり」では、そのような境地を「ワタシはアナタに飢えて、飢えて!」と表現していました。 まさに禁断症状に陥っているように、執りつかれたように、グチることを求めてしまうわけ。かと言って、かつて相手をしてくれた自分の子供は自分を避けてしまう。ああ!どうしよう?! こうなってくると、ダメダメ人間は、孫に期待するようになるわけ。 年齢が低い子供にだったらグチを語れる。 かつての自分の子供が聞いていたように、自分の孫だったら、私のグチも黙って聞くだろう! と言うことで、かつて自分がグチを語り続けた子供に対し、「早く孫を作れ!」と要求するようになるわけ。 まあ、「孫の顔を見たい!」なんてことは、マトモな人でも言うこと。 それ自体がダメダメというわけではありませんよ。 しかし、ダメダメな人間は、自分の子供と疎遠になった、というか、グチの相手をしてくれない「埋め合わせ」として孫に期待するわけ。だから、実際に孫を見ても、その孫を可愛がるわけではない。 奇妙な生き物を見るようなまなざしをするだけ。 そして、その孫も成長して、言葉がわかるようになったら、いよいよ孫を相手にグチを語ることになる。 「ああ!あそこが痛い!ここがつらい!」 「オマエのお母さんは子供の頃に、ワタシに苦労をかけてねぇ・・・・」 「オマエは若くてやりたいことが何でもできるよ。それに比べて、このワタシは・・・」 と、かつてのようにブチブチとグチの羅列。 自分の親が、かつて子供時代の自分に対してやったように、今度は自分の子供にグチグチとやっているのを、どうするの? ジジババから、そんなグチを聞かされ続けた子供はどうなっちゃうの? そんなことはちょっとでも考えればわかることでしょ? 何と言っても、身の覚えのあることなんですからね。 本来なら、そんな状況になるのを避けるのが、子供の親としての当然の判断。 しかし、ダメダメな親の元で、自分自身の希望を抑圧するようになった人間は、結局のところ、できるのは子作りだけ。 それも自分がほしくて子供を作ったというシチュエーションにはしたくない。 いわば受身で・・・別の言い方をすると被害者としての立場になりたい。 つまり「言われたから子作り」というシチュエーションがほしい。だから「オマエも子供を作れよ!」と、誰かから「言われたい」わけ。 このことは以前に配信しております。 そんな人間にとって、当人の親が言う「孫の顔が見たい」という言葉は、まさに「飛んで火に入る夏の虫」のようなもの。 「ウチの親がどうしても孫がほしいって言っていたから、しょうがないから、子供を作ってやった・・・」そんなストーリーにしてしまう。 ダメダメ家庭において、孫というのは、ジジババにしてみれば、グチの相手として有効であって、そして、そんなジジババに育てられた子供にしてみれば、子作りは「子作りしかすることがない」自分の唯一できること。それに親と同じようにグチしか能がないダメダメ人間は、親譲りのグチ愛好家。そして、やっぱり自分の親と同じキャラクターであり、誰かにグチを語りたい。そんなグチの相手をしてくれるのは、やっぱり自分の子供くらい。だから子供がほしい。 ある意味において、双方の利害が一致しているわけ。 しかし、利害は一致していても、そこには愛情がない。 グチを聞かされ続けた孫も、結局は、ジジババとうまく行くわけもない。 祖父母と親という二代からグチを言われるわけですからね。 子供だって気分が落ち着きませんよ。 そもそも子作りには関心があっても、子育てには関心がない親の側は、ジジババと孫が険悪な雰囲気になっても、知らん顔。 結局は、被害者意識を募らせたジジババが、孫を虐待なんて事件が起こったりする。 あるいは、孫がそのジジババに逆襲するなんて事例もあったりしますよね? そもそも孫に期待するよりも、自分の子供との関係改善をするのが先でしょ? しかし、当事者意識がなく、被害者意識だけがあり、会話の能力がないダメダメ人間は、いったん悪化してしまった自分の子供との関係改善なんて、しない。 と言うか、親子間の関係がよくないことを認めること自体から逃避する。 だから、ますます孫に期待する。 孫だったら、自分に逆らわないので、安心してグチることができるので、自分の子供に対して、「孫を連れて遊びに来なさい。」と要求する。 ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別がつかないというか、信頼というものが理解できないことについては、頻繁に書いております。 信頼というのは、責任感を持っているからこそのものでしょ? 自分の子供を育てるに当たっては、責任感を持って、そして一貫性を持つことが必要ですよね? しかし、孫となると、やり取りにあたって、そのような一貫性とか責任感は必要ないでしょ? いわば、孫にしてみれば、祖父母はいわばアディショナルな存在ですよね? だからこそ、ダメダメ人間にしてみれば、孫とのやり取りは、心理的にラクになるわけ。 無責任でもOKなんだから、プレッシャーも感じませんよ。 孫がかわいいという言葉を使っても、相手に対して慈愛の感情を持つ場合と、「無責任でいられるから、心理的に気楽だ。」という自分のフィーリングを向いた場合があるわけ。 ダメダメ人間は、その気楽さを求めて、孫に期待する。 しかし、そんなやり取りをしていたら、祖父母譲りの無責任人間になってしまうだけですよ。信頼というものを理解できない人間とやり取りをしていたら、当然のごとく、同じように信頼とは無縁の人間になってしまいますよ。 信頼とは身近な人とのやり取りの積み重ねによって達成できるものでしょ? 孫よりも身近な存在といえる自分の子供とのやり取りが不全であるがゆえに、孫に期待している段階で、そんな人は孫とも信頼関係は構築できるわけもありませんよ。 ダメダメ人間というのは、自分自身や身近な対象について考えることから逃避して、常に遠くの存在に期待するもの。 子供との関係がうまく行かないから、孫に期待。 近所の人との関係がうまく行かないから、国に期待。 自分の子供との関係がうまく行かないから、孫に期待すると、結局は、事態がより一層悪くなるだけ。そんなことは本来なら誰でもわかることですが、ジジババと孫による刃傷沙汰って、そんな当たり前のことから目を背けている家庭で実際に起こっているものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 孫というと、アメリカ大統領選挙で副大統領候補になったペイリンさんが、44歳で孫を持ちましたね? あのような「若いお祖母ちゃん」については、以前に配信しております。 ペイリンさんは政治的な姿勢においては、保守派とされるようですが、その保守派といっても、現実的な手法というパターンの保守派もあれば、原理主義的な発想というパターンの保守派もある。 まあ、ペイリンさんが、どっちの保守派なのかは言うまでもありませんが。 原理主義的な発想は、人間を「現実を直視」したり「考えることから解放」してくれるので、抑圧的な人間が陥りがちなもの。そんな親の元で育ったので、子供も考えることを抑圧するようになってしまう。だからこそ、高校生で妊娠なんてことになる。 前にも書きまたが、抑圧的であるがゆえに、何も考えずに、結果的に妊娠してしまう・・・そんな事例は日本でもポピュラーでしょ? 若くしての妊娠って、道徳とか倫理の問題ではなく、思考の抑圧という心理の問題なんですね。 |
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R.10/10/19 |