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カテゴリー | ダメダメ家庭が好きな言い回し |
配信日 | 09年1月12日 |
タイトル | 世の中とはこういうものだ |
ダメダメ家庭は当事者意識がない。だから、そんな家庭の親は、子育てに対しても当事者意識もなく、子供を立派に育てようなんて思っていない。それこそ「ふ・つ・う」に育てばいいと思っている。しかし、その「ふ・つ・う」なる言葉の意味なんて、言っている当人でもわかっていない。 結局は、親である自分に迷惑がかからなければ、つまり親への被害が小さければそれでいいと思っているわけ。 マトモな親なら、自分が持っている知識なり経験を子供に伝えようとするでしょ?それこそ離婚などの失敗談だって立派な知識ですよね?その失敗の意味を子供が理解すれば、同じ失敗をしなくても済むわけでしょ?親だったら子供に様々な知識を伝えてもいいんじゃないの? しかし、ダメダメ家庭を作る親が子供に語る知識は、こんな感じ。 「世の中って、結局は、こんなものなんだ!」 ダメダメ家庭の人間は、自分自身がわかっていない。だから「結局は、アナタは何が言いたいの?」あるいは「結局は、どうしたいの?」などと、「結局」がついた質問に回答できないわけ。 そんなダメダメ人間でも、その物言いに「結局」が入ることもあるんですね。 それが、この「世の中と言うものは、結局は・・・」という言葉。 皆さんの中にもそんな言葉を聞かれたこともある方もいらっしゃるのでは? 大体は、こんな感じだったでしょ? 「世の中って、結局は、うまく立ち回る人間が勝つんだよな!」 「世の中って、結局は、金さ!」 「世の中って、結局は、コネだよな!」 それはそれでいいんですが、じゃあ、そんなことを言った人間は、それこそ「結局」は、どうしたいの? うまく立ち回る必要があるのなら、少しは自分のアタマで考えないとね。 お金が必要なら、お金を得る努力が必要でしょ? コネが必要なら、それを得る努力も必要だし、どうしても得られそうにないのなら、少なくとも子供を作ってはダメでしょ?親にコネがないのなら、子供に出来るわけがありませんよ。 つまり、そんな「結局は・・・」が付いた言葉は、「結局は」グチなんですね。 「オレたちは、かわいそうな被害者なんだ!」それが言いたいわけ。 「結局は○○なんだから、オレたちがどんな努力をしてもムダさっ!」 そう思っているのなら、それはそれでしょうがない。しかし、そんな言葉を聞かされた子供の方は「結局は」どうすればいいの? だって、「結局は○○」なんだから、子供だって何ともしようがないでしょ? そうなんですね。 「世の中とは、結局は○○」ということを持ち出してくることによって、親がうまく行かない言い訳になると同時に、子供に対し何もサポートしなくてもいい理由付けになるんですね。 「世の中は、結局は○○なんだから、オマエも何をやってもムダだ!」 この言葉は以前に取り上げました。ダメダメな親は子供の希望を摘み取ろうとするわけ。子供が希望を持たないからこそ、親としてのサポートからは解放されることになる。 子育てを親の被害と思っているダメダメな親は、そのようなことを当然の権利のようにするもの。 そんな「世の中とは、結局は○○」なんて言っている人間は、往々にして、世の中での「付き合い」も貧弱なもの。はっきり言って世の中のことを知らない人間なんですね。世の中を知らない人間に限って、「世の中とは・・・」と語るわけ。 そして、そんな言葉を語る相手は、自分の子供。 だって、マトモな人は、世の中のことをあまり知らない人間から、「世の中って・・・結局は・・・」なんてもっともらしく語られても、『何を言っているの?コイツ?』と思うだけでしょ?そんなことを言ったりするような人間とは話をしませんよ。 そんな、ご高説に対して、『ふーん・・・アンタも、色々と物知りだねぇ・・・』とニヤニヤするだけ。そして、『で、他には何か言いたいことはあるの?』と、またニヤニヤする。 そんな態度をしておくと、まあ、関わりもなくなってくる。 だから、「結局」は自分の相手をしてくれるのは、自分の子供だけになってしまう。そして唯一の語り相手である自分の子供に、「自分の弁解」を滔々と語るわけ。自分の失敗の弁解だけでなく、親としてのサポートをしない弁解をするわけ。 そんなことを語るよりも、少しは自分で勉強したり、人と話をして自分自身の知識を増やしたり、人との付き合いをして人脈を増やせばいいのでしょうが、そんな殊勝なことはダメダメ人間には縁がない。 と言うより、スグに「世の中って結局は○○なんだよな!」などと言い出す人間とは、実際に話をしていて楽しいわけでもないので、そんなことを言い出すような人間は、人との付き合いも狭く、世の中のことをほとんど知らない人間であることが、その物言いからスグにわかることになる。逆に言うと、世の中との接触がないので、自分のご高説を否定する人もいない。だから、ますますそんな物言いが進行してしまう。このような状態は、以前には「自称事情通」ということで配信しております。 最近では、その手の「結局は」の物言いが頻繁に見られるのが、インターネットの掲示板じゃないの? 私個人は、そのようなところを積極的に見たりはしませんが、たまに見たりすると、その手の文言が多い。 たとえば、そのような場に、「オトコとは、こうしたものだ・・・」などと、説教くさく書き込んでいる女性がいたりする。そんな説教をしている人が、結婚後スグに離婚した女性だったりするもの。いやぁ・・・その女性がオトコというものを、よくわかっているのか、何もわかっていないのか、さっぱりわからないよ。 まあ、そんな女性と結婚した男性も、まあ、アレですよ。と同時に、そんな物言いから、その女性の母親の姿も見えてくるわけ。そんな人に限って「ワタシは自分の母親を反面教師にしている!」と豪語するものですが、物言いとか、行動は、「結局は」母親そっくりなものなんですね。 世の中のことを知らないがゆえに、「世の中って、結局は・・・」と断定してしまって、そんな断定調であるがゆえに、人との付き合いも狭くなり、ますます世の中のことがわからない。こうやってスパイラル的に、「世の中って、結局は・・・」が、進行するわけ。 そんな家庭で育った子供が、「結局は」、どうなっちゃうのか? あまりに自明でしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 それぞれの国には、国民文学のような作品があったりします。その国の人の特質を、実によく描いているような作品。その国の人が読んでいると、「ああ!オレもこんな面があるよ!」なんてニヤニヤしたりする。 北欧のノルウェーだと、イプセンの「ペール・ギュント」という作品があります。 「ペール・ギュント」だと、その劇場上演のためにグリーグが作曲した付随音楽の方でも知られていたりしますよね?その中の「朝」なんて曲は、TVコマーシャルで頻繁に使われたりしますので、実際にお聞きになったら、「ああ!あの曲ね!」と思われるでしょう。 その「ペール・ギュント」の主人公のペールさん。実にゲンキいっぱい。 女性を次々とナンパするは、挙句には、結婚式をしようとしている女性を強引に奪い取ってしまう。女性を奪い取っては、スグに捨ててしまうことの繰り返し。人の持ち物がやたらほしくなってしまう。そうして世界中を放浪する。放浪しながら、アチコチで騒動を起こす。まさにヴァイキングの末裔。 なんだか、エネルギーが有り余っている状態。トラブルメーカーで、腹が立つことも多いけど、自分に正直で、ヘンに飾ったり取り繕ったりはしないので、まあ、憎めないヤツとも言える。ノルウェーの人は、そんなペールの姿に自分自身を重ねたりするようです。 何でも日本の芸能人の山本モナさんという人の父親が、ノルウェー人とのことで・・・ まあ、なんと言うか・・・ 彼女もゲンキがある人ですよねぇ・・・ |
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R.10/12/16 |