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カテゴリー | ダメダメ家庭と「いい人」 | |
配信日 | 09年2月9日 | |
タイトル | 加害者認定への耐性の低さ | |
備考 | 「罪の意識」は、否定的な発想であり、それに対して耐性が「低い」というスタイルで二重否定的な状況といえます。 | |
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い・・・って、お約束の書き出し。 「ワタシはかわいそうな被害者なんだ!」と自分で確信している。 そして周囲に対しても「ワタシがかわいそうな被害者であることをわかってほしい!」と要望することになる。 かと言って、当事者意識がないので、自分で何かをしたいというものがない。 「ワタシは被害者。」 そんな信念だけで生きている。そして、「自分はかわいそうな被害者」としてしか自分を語れない。被害者という立ち居地がアイデンティティとなっているわけ。 しかし、人間が生きていれば、色々とありますよ。音を立てたり、匂いを発生させたり、それこそ二酸化炭素を発生させ、地球を温暖化させている。どんなに注意しても、何がしかは人に迷惑はかけていますよ。そんな現実を踏まえ「アンタは『自分が被害者だ!』って言っているけど、実はこんなことで人に迷惑を掛けているじゃないか?アンタは、実は加害者の側なんじゃないの?」 そのように人から言われたら? ダメダメ家庭の人間は、そんな指摘には実に弱い。 「ああ!自分は被害者の側だと思っていたのだけど、実は違うのかも?」 そうなると、お約束とも言える逆上状態に入ってしまう。 『どうして、そんなイジワルなことを言うのよ、キーっ!』と我を忘れる状態に逃げ込み、思考することから回避するわけ。 まあ、上手に逆上し、思考停止になる人間もいるわけですが、抱え込んでしまう人間もいたりする。 「ああ!ワタシは実は加害者だったんだ!被害者の方じゃなかったんだ?!」そんな感情がループしてしまい、抜け出せない。 「色々とあったけど、自分はこのことをやり遂げたんだから・・・」なんて加点法で考えれば、何も落ち込む話ではないでしょう。しかし、そんな加点法的な考えをしないのがダメダメ家庭。だから、どうしても「抱え込んで」しまう。 自分の問題点を指摘されると、逆上状態することで我を忘れることが通例ですが、我を忘れるという思考停止に逃げ込むことができず、抱え込むことによって、静かなパニックになるパターンもあるわけ。 「ああ!もう、どうしていいのか、わからないわ!」 何も被害者とか加害者とかの認定は別にして、「自分がやりたいことは何なのか?」そんなことから考えていけばいいわけですが、そんな習慣はない。 結局は、そんなパニック状態を抱えて、何かにすがろうとするわけ。 それにダメダメ家庭の人間は、減点法。 減点がない「いい子」や「いい人」でいようとする。 そんな人は、「オマエだって、人に迷惑を掛けているじゃないか!」なんて言われてしまうと、『アナタはいい人である。』『アナタは悪くない!』と誰かから言ってくれる状況を待ち望んでしまうわけ。 と言うことで、いかがわしい新興宗教にすがってしまう。 よく韓国由来の新興宗教の話が出てくると、割とそんな感じになっているでしょ? 「オマエは実は加害者なんだ!」 →「しかし、こうすれば贖罪できるぞ!」 そのような論理の進め方は、「ワタシは悪くない!」と自分を弁解したいダメダメ人間には、実にフィットしたものなんですね。 そうやって、ますます「オマエは悪くない。」と言ってくれる人を頼るようになって、もはや離れられなくなってしまう。 以前より書いていますが、そもそも「悪くない」という言葉は、意味がわからない。 マトモな人は、そんな言葉は言いませんよ。 マトモな人は、何が不都合なことがあっても、「ワタシは、このような目的があって、このような現状認識を元に、このように行動した。結果としてこうなった。ただ、その結果はワタシが求めていたものではない。次にはどこを修正すればいいのか?」そんな感じ。 「アナタは悪くない!」なんて言われて喜んでいる段階で、もう既にダメダメなんですね。しかし、逆に言うと、ダメダメな人間には、「アナタは悪くない。」と言ってあげると喜ぶことになる。それに言うこと自体は簡単でしょ?そもそも「悪くない」なんて意味不明なんだし。 言う側も、何も考えずに言えるし、言われる方も、何も考えずに受け入れられる。 しかし、だからこそ、「考えない状態」が温存され、ダメダメが進行してしまうことになる。 このような「加害者認定への耐性の低さ」は、わりとアチコチで頻繁に見られるものですが、たとえば、「お肉を食べる」ことへの過剰な罪の意識として見られるケースがあります。 動物の命を奪ってお肉を食べてはいけない・・・その考えは、ある意味において、正論でしょう。じゃあ、地球上の肉食獣はどうなるの?草食動物の肉を食べるライオンやトラは倫理的に欠陥があるとでもいうの?人間だって、そんな動物の一種ですよ。食べることに倫理的な問題があるわけでもないし、草食動物だって、罪があるから「食べられた」わけでもない。そんなものは生物としての営みに過ぎませんよ。 あるいは、哺乳類のお肉はダメだけど、魚はいい・・・というのも矛盾でしょ? 当人が、当人なりの考えで、菜食主義をやっているのは勝手ですが、それを組織立った運動にまで推し進めている人もいますよね?それこそ、以前に元ビートルズのポール・マッカトニーさんとの間で離婚騒動があったヘザー・ミルズさんという女性は、そんな運動もやっているようです。 そんな人は、自分が加害者であることに耐えられない。 いわば「動物の命を奪う加害者」としての自分を発見するとパニックになってしまう。だからこそ、そこから目を逸らしたい。 だからこそ、「アイツのせいで!」と、いったん誰かを犯人認定してしまうと、それにのめりこんでしまう。まさに「自分がこんな『よくないこと』をやってしまっているのは、全部アイツのせいだ!」という論理にすがってしまうわけ。そうして、その関係性を確定させるために狂喜乱舞してつるし上げ。つるし上げ行為は、その心理的な意味合いは『報復』となっている。つまり、「この行為は被害者が加害者に報復している行為なんだ。」と自分に言い聞かせ、それゆえに、「自分こそが被害者の側なんだ!」という関係性を確定させようとするわけ。 普段から自己逃避で現実逃避なので、自分が人にかけている迷惑は、「指摘されない限り」認識されない。そして、いざ指摘されてしまうと、パニックになってしまって、逆上したり、抱え込んでしまったりするわけ。だからこそ、加害者としての自分から目を逸らしてくれる状況を求めてしまう。 現実的には、加害者認定への耐性が低い人は、周囲に大きな迷惑をかける人でもあるわけ。 そして、そのような周囲への迷惑を指摘されると、やっぱり被害者意識と加害者意識のループに陥ってしまう。 だからこそ、そんなループから解放してくれる言葉を切望することになる。 「オマエは実は加害者なんだ! → こうすればオマエは救われるぞ!」 そんなロジックのストーリーを作り出した韓国の宗教関係者は、さすがダメダメの心理をわかっていますよ。 必要は発明の母というわけでしょうね。 逆に言うと、そんなロジックが必要とされる背景があるわけ。 しかし、そんなロジックでは何も実現しないし、トラブルが解決するわけでもないでしょ?ただ「悪くない」というだけ。 自分の希望を実現させるのなら、色々とトラブルもありますよ。 ある意味において、誰かの加害者になってしまっていることもあるかも? しかし、そうならそうで、その「被害を受けている人」が、自分の言葉で要求を出せばいい話でしょ? 「アナタのその行動で、ワタシはちょっと迷惑しているので、この点を修正してほしい!」と言われれば、『ごめんなさい!』『今後は注意するよ!』と言って、次から直せばいい話。 世の中のすべての人に配慮していたら、何もできませんよ。 しかし、ダメダメ人間は当事者意識がない。 自分の目標なり、自分で実現させようとしているものが、そもそもないわけ。だから常に減点法であり、発生したマイナスに対して対処するだけ。だからこそ、減点のない「いい人」でありたいと考えている。 そんな人だからこそ「オマエは実は加害者なんだ!」と言われてしまうとパニックになってしまう。普段から自分で考えないし、会話の能力もないので「アナタはそう言うけど、自分はこのように考えて、このように行動したんだよ。」とは言えない。だって、そんな人の行動の根拠なんて、単に「権威ある○○さんが、こうしなさいと言ったから・・・」ただそれだけなんですからね。 だからこそ、「何となく権威」がある、別の△△さんから、「オマエは本当は悪くない。」と言ってほしいわけ。 まあ、いかがわしい新興宗教に入り浸る前に、自分自身を見つめ直してみればいいのでしょうが、結局は「アナタは悪くない!」という言葉を求めてズブズブの状態になってしまう例が多いでしょ? 自分が加害者認定されてしまうことに対する耐性が低い人は、加害者としてのレッテルを貼られそうになると、まさに必死でそこから回避しようとする。それこそ、いかがわしい宗教に逃げ場を求めたり、あるいは、自分を加害者として認定しそうな人に対して、先制して攻撃を仕掛けたりする。「オマエこそが加害者じゃないか!」「だから、オレはうまく行かないんだ!」と大仰に主張したり、クレームをつけたりすることになる。まあ、そんな行為自体が、まさに加害者のそれ。 ギャグのように思われる方も多いでしょうが、現実で見られる光景でしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 本文中でも触れておりますが、菜食主義も個人の主義として、あるいは、健康管理として行うのはそれこそ個人の自由でしょう。 しかし、それを他者に押し付ける人もいますよね? 以前より書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、抑圧的な傾向を持ち、それゆえに、倫理的な発想の比重が異常に高くなる傾向があります。物事をすべてに倫理的に見てしまうわけ。逆に言うと、倫理を持ち出すことで当人が自分で考えることから逃避するわけ。 他者に押し付けるという行為も、自分の考えが倫理的に正しいということを確認する儀式になっているわけ。自分の考えが倫理的に正しいと思っているがゆえに、自分の考えと相反する考えは、倫理的に劣っているとなってしまうのは理の当然。 だから、「劣っている」他者への攻撃となってしまう。 倫理が語られる周囲においては、このような攻撃性が頻繁にみられるものでしょ? |
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R.10/11/6 |