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カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 09年3月18日
タイトル テンテンテン
「ワタシは、アナタを好きです!」
なんて、それこそおなじみの言葉ですよね?

あまりにおなじみなので、ちょっと工夫することもある。
「テンテンテン(・・・)」を使って、いわば時間的な間を作ったりして、「もじもじ」している様子を表現したりするわけ。

「ワタシは・・・アナタを・・・好きです。」
これだったら、ちょっと「もじもじ」している風情になって、告白した人の風情や感情も伝わることになる。
もちろん、この「・・・」を多用しすぎると、常に「もじもじ」となってしまって、「何なのさ?あの人?」となってしまうものでしょ?「もじもじ」どころか「うじうじ」に近くなってしまう。
それに、時間的な『間』を表現すると言うのならまだしも、述語を省くケースがあるわけ。

それこそ「ワタシはアナタを好きです!」という言葉でも、
「ワタシはアナタを・・・」で述語を省略して表現するパターンもある。
この場合は、「・・・」が述語になってしまっている。

このような場合は、「好きです!」という言葉を言い出せないモジモジ感を表現することが通例ですが、ダメダメの世界では、そうとは限らない。
「好きなのか?」「嫌いなのか?」そのことを自分でもわかっていないケースがあるわけです。

「好きなのか?嫌いなのか?」自分でもわかっていないし、そのことを考えたくないような場合には、人から聞かれた場合の返答として「ワタシは・・・あの人を・・・・」という形になり、述語が省略されてしまう。
単にモジモジしているのではなく、自己逃避なんですね。
それこそ、「アナタはあの映画を見たの?面白かった?つまらなかった?」なんて質問に対して「ワタシは・・・あの映画は・・・」と回答?したりするもの。

間を作り出すための「・・・」なら、その間を使って、述語を効果的にすることにもなる。
「ワタシは・・・アナタのことを・・・好きですっ!」
なんて「・・・」の使い方だったら、「モジモジしていたけど、意を決して、とうとう告白した。」と言うことになるでしょ?人間はたまには逡巡するもの。もじもじだってしますよ。しかし、もじもじだって、あまり頻発すると、周囲の人間にしてみれば、気持ち悪いもの。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、たまに逡巡するというものではない。いつだって自己逃避して、何も考えない。だから相手に伝えたいこと自体がない。だから、もじもじ感につながる「・・・」や、述語省略の「・・・」が多発することになる。

そんな人の文章って、読んでいても何もわからない。
文章を読みながら、「もじもじしていて」「肝心なことは何も言わない」姿が浮かんできて・・・ゲンナリすることに。
こんな人が身近にいたら・・・イヤだろうなぁ・・・と思うだけ。

ちなみに、上記の私の文章で、間としての「・・・」を使いました。このような間としての「・・・」という表記なら、意味的には無くてもいい。ただ文章を効果的にするのが目的です。だから、意味は伝わるでしょ?音楽における休符くらいの位置づけです。そもそも私の文章は、「?」や「!」を多用して、切迫感を出しているので、それ以外の「間」を作りたいこともあるんですよ。句点や読点と同じ感覚で「・・・」を使っているだけです。音楽における4分休符なり2分休符なり、全休符を使い分けている感覚なんですよ。詩人のエミリー・ディキンソンにおけるハイフォン(−)のようなもの。

それくらいの意識してやっているのならまだしも、文章に慣れていない人は、そんな「・・・」なんてあまり使わない方がいいわけです。
正確な文章を書く人は、そもそもが、そんな「・・・」はあまり使わない。上手な文章を書きたいにせよ、まずは正確な文章が書けるようになった後ですよ。もし、皆様が、この「・・・」の表記を使ったのなら、その「・・・」を使わなくても意味が通じるのか?その点について確認する必要があるわけです。無くても意味が通じるのなら、逆に言えば、その「・・・」を使ってもいいわけですし、「・・・」がないと意味不明の文になっているのなら、「・・・」は使ってはいけないわけ。オプションは所詮はオプションとまり。その点に配慮しないとね。

正確な文章の基本は、「何を、どのように伝えるのか?」ということ。
自己逃避で、抑圧的なダメダメ人間は、「何を伝えるのか?」そのことを考えることから逃避しているわけ。そんな人は、ただ、人に合わせているだけなんですね。
だからこそ、自分から「Yes or No」を言うことはないもの。
やり取りの相手が、Yes なり No なりを提示したら、その後に「・・・ワタシもそう思う・・・」とやるわけ。相手に先に言わせるために、まさに「・・・」で自分の発言を保留状態にしておくわけです。
逆に言うと、そんな態度から、「人に合わせるだけ」の抑圧的なキャラクターが見えてくるもの。

このようなことは、「・・・」以外には、たとえば「・・・かもしれませんが・・・」なる表現のパターンもあったりします。
それこそ、「メールマガジンの文章は、書き手が、書きたいことを書けばいいのかも知れませんが・・・」なんて表現になるわけ。

まあ、それはそれでいいとして、じゃあ、アンタはどう思うの?
「かもしれません」も何も、「自分はこのような点を、このように考える。アナタが違った見解を持っているのなら、その見解を聞かせてほしい。」・・・でいいんじゃないの?
自分の意向をわかりやすく伝え、相手の考えを聞く姿勢を示す・・・それが必要なことだし、重要なことでしょ?

「かもしれませんが」なんて、いかにも「逃げ道」確保の物言いって、そんな腰が入っていない状態では何も伝わりませんよ。

もちろん、「○○については、△△という考え方もあるかもしれませんが、ワタシとしては、□□のように考えます。」という表現ならありでしょう。だって自分の考えは伝わるわけですからね。しかし、文言の最後になって「かもしれませんが」なんて、じゃあ、結局は何が言いたいの?
そんな表現を聞いても、不快に思うだけ。

そんな逃げ道の多い表現に接しても「コイツはどうしようもないダメダメ。」と思うだけ。文章表現としてはヘタクソでも、あるいは論理的に未熟でも、自分の考えを必死で伝えようとしているのなら、まだ「見込みがある」と言えるわけですが、逃げ道がいっぱいある表現なんて、人から呆れられるだけなんですね。

だって、そんな物言いから見えてくるのは、
「ワタシに構って!」
と言うことでしょ?
つまり、「ワタシに協力して!」でも、「ワタシのこの点を分かって!」でもないわけでしょ?
分かってほしいことがあったら、あるいは、協力してほしいことがあったら、もっと明確に言いますよ。不明確な表現ということは、そんな具体的な点がないということ。
だから、厳しいことを言われたら、スグに逃げ出してしまうわけでしょ?
現実のやり取りでも、文章中に、この「・・・」が多い人は、厳しいことを指摘したりすると、絶対に返事が返ってこないものなんですよ。

抑圧的な人間は、人から嫌われないように、人に合わせるために、「Yes or No」を明確にしなかったり、あるいは自分の見解を言わなかったりしているわけですが、逆に言うと、そんなあいまいな態度から、ますます人から嫌われることになる。

だって、「Yes or No」を明確にせず、人に合わせてばかりだと、やり取りをする相手によって「Yes or No」が違ってくることになる。そうなると、「アイツはいい加減なヤツ!」と言われ、信頼を無くしてしまう。信頼を持てない人に対して好意を持つ人はいませんよ。
それに、人に合わせるために、まさに「・・・」と言った感じでウジウジしているので、「アイツはいつもはっきりしないヤツ!」と言われちゃうことになる。

「Yes or No」の見解が、自分と違っていても、その見解を、丁寧に説明することができれば、そんな人は信頼には値するでしょ?「Yes or No」をハッキリさせない状態で、集団で行動していて、そのうちに、「実はこんな事情があって・・・もうこれ以上はできない。」などと途中で言い出したりすると、そんな人が一番嫌われるもの。
言っていることがブレる人が一番嫌われるって、日本の現在の(09年3月当時)首相の麻生さんの支持率を見ればわかること。あるいは、その後任の首相となった鳩山さんも、まさにその点で嫌われたでしょ?

その人の文章に「・・・」とか「かもしれませんが・・・」が、あまりに多発しているようだったら、まあ、基本的にダメダメ家庭の人間ということ。そんな人は、後になって、まさに、「ご立腹なさるかもしれませんが・・・実はワタシたちにはこんな事情があって・・・」などと言い出したりするもの。皆さんもそんな人をご存知なのでは?
そんな人は、周囲から「今頃になって何を言っているんだ!」と怒られると、そそくさと逃げ出したりするものでしょ?その物言いに逃げ道が多い人は、実際にすぐに逃げる人なんですね。

そんな人は実に弁解がましい。
ヘタな弁解をするよりも、他者の意見が妥当なものなら、「ワタシも今度から注意します。」と、自分の行動を修正すればいいだけ。
その指摘が不当と思うのなら、自分の考えを説明して、指摘された行動を堂々と続ければいいだけ。弁解するから、その人の判断がわからないので、周囲の人は不快になるもの。
弁解というものは、YesでもNoでもないでしょ?
まさに「・・・」の境地ですよね?

そんな、あいまいな表現を使っている段階ではダメダメからの脱却なんてできないわけです。
YesでもNoでもどっちでも、その人の考えた結果ならそれでいいわけです。
退路を断って、前に進む・・・そんな気概が重要なのでは?

(終了)
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発信後記

テンテンテンは、ある種の時間的な「間」だったり、逡巡する感情だったりを表現するわけですから、いつもテンテンテンとは言えない。
それこそ「テンテン(・・)」くらいの場合もありますし、「テンテンテンテンテン(・・・・)」くらいの長い間の場合もある。

音楽の分野だとブラームスがその点に注意して作曲しています。音符があるところ以上に、音符のないところで音楽を作っているような趣。
微妙な逡巡感といいましょうか・・・

ブラームスを演奏する場合も、その逡巡する間の微妙な違いを表現しなくてはならない。
以前に、彼の交響曲での最大の難物と言える交響曲第3番の演奏を、とある指揮者の演奏で聞いていたら、その面での配慮が全然ないのには、笑ってしまったことがあります。
「若造め!アンタがこの曲をやるのは10年早いよ!」
若造と言っても、この私よりも年上の人なんですが。

まあ、演奏家は音符を音にするのが仕事。
しかし、よく言われていることですが、一流の演奏家は、休符を聞かせることができるもの。もっと上になると、様々な休符なり間の違いを表現し、意味を明らかにすることができるわけ。
そのあたりの感覚は、演奏家には難しいんでしょうね。

このメールマガジンではテンテンテンを使う場合には「・・・」と、点三つに統一しています。そこまで微妙な表現を志向しているわけではありませんから。
ただ、長めの間がほしい時と、短い間でいい時の違いはあるわけで、どうしようかなぁ・・・と逡巡する時も、やっぱりあるんですよ。
そんな逡巡する感覚があると、逆に言うと、他者の逡巡の表現もよくわかることになる。
逆に言うと、素人さんは、こんな逡巡の表現に気軽に手を出してはダメなんですね。
R.10/12/18