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カテゴリー | ダメダメ家庭の対抗心 |
配信日 | 09年3月23日 |
タイトル | 臥薪嘗胆 |
ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。 何事も被害として認識し、そして、自分に対し被害を与えている加害者を探し、それを加害者認定し、それに対して、対抗心を燃やすことになる。 その対抗心が、その人のアイデンティティになっている。 そんな状態を、中国の故事で、「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)と言いますよね? 基本的な意味は、「日頃から、フカフカの柔らかいベットではなく、薪(まき)の上に寝て、その痛さから、自分が受けた屈辱を忘れないようにし、また、肝(きも)を毎日なめて、その苦さから、恨みを晴らす心を持ち続ける。」という意味です。まあ、ひらったく言えば「恨めしい!恨めしい!この恨み晴らさでおくべきかぁ・・・」と言ったところ。 中国の武将がそんな精神でいるのは、まあ、しょうがない。 まさに切った張ったの世界なんだから。 しかし、ダメダメ家庭では、21世紀の今でも、そんな臥薪嘗胆状態をやっているもの。 被害者意識が強いダメダメな親は、子育てというものは親である自分がこうむった被害と考えていることはこのメールマガジンで頻繁に書いています。 「だったら、子供なんて作らなければいいじゃないの?」と言いたいのは当然ですが、そんな人間ができることは子作りだけ。 それが現実というもの。 ダメダメな親としては、子供によって「被害」を受けているわけだから、まさに子供に対して「この恨みを、晴らさでおくべきか!」なんて思っているわけ。 ダメダメな親は、自分の子供を「憎い敵」と認定し、その恨みの心を持ち続けているわけ。まさに臥薪嘗胆状態。 そんなことだから児童虐待も当然のように起こってしまうことになる。 子供を虐待していることを周囲から非難されても、ダメダメな親の考えとしては、被害者としての当然の権利として、加害者たる子供に復讐しているだけ。逆に言えば、そのように子供を犯人認定することで、当人が何もしない大義名分としているわけです。 まさに「ワタシは悪くない!」「ワタシこそが被害者だ!」そのことを主張し、確認するための虐待行為なんですね。何回も書きますが、児童虐待の現場では、殴られる子供の側が加害者であって、殴る親の側が被害者となっている。 そのような事態を改善するにあたっても、そのようなダメダメ家庭の基本的な構図を無視しては悪化するだけ。 さて、そのように親からキツク当たられてきた子供はどうなるの? 最初の頃は、それに従うしかない。そもそも体力的にも経済的にも、圧倒的に親の力が上ですよ。子供だって黙って親のグチやイヤミを聞くしかない。いわば面従腹背状態になる。 子供としては、親からの言葉は聞いていても、もちろんのこと、親の言葉に納得しているわけではない。ただ、形の上で従っているだけ。 何回も書いていますが、ダメダメな親の論理は、「子育ては親がこうむった被害」という発想が基本になっている。しかし、頼んでもいないのに子供を作っておいて、その子供に恨み言を言うなんて、論理的にはメチャクチャですよ。 だから子供としては、親の小言に心の底から納得しているわけもありませんよ。 とりあえず面従腹背状態で耐えていても、それでも親からのイヤミは続く。 こうなると、まさに「臥薪嘗胆」状態にまで進化することになる。 「あのクソばばぁ!今に見てろ!」ってヤツ。 子供に対して「コイツを育てるせいで、ワタシの人生はメチャクチャだ!」と思っている親に育てられた子供は、まさに親と同じように「コイツを育てられたせいで、ワタシの人生はメチャクチャだ!」思っているわけ。 最初は親に対し面従腹背だった子供も、成長してくると、面従でもなくなってしまう。 大人になったら、親の顔を見ると言うことになる。 「いつまで生きているつもりなんだ?このクソばばぁ!」 「いったい誰のために、このワタシがこんな目に合っていると思っているんだ!」 「アンタは、何もせず遊んでいるだけ。お気楽でいいもんだねぇ・・・アンタが、うらやましいよ!」 ああ!まさにおなじみのセリフ。 まさに因果応報というもの。 しかし、親に対して、そんなことをしても、大人になった子供としても何も得るものがないでしょ? そんな、しょーもない親とはさっさと縁を切るのがベストですよ。 しかし、親が弱ってくると、親譲りの臥薪嘗胆の精神で、ここぞとばかりに、逆襲にでることになる。 中国の武将だったら、反攻したら、領地を獲得することもできる。 しかし、ダメダメな親に逆襲しても、自分がますます安っぽくなるだけですよ。 このようなことは、親子間だけではありません。 それこそ夫婦間でも起きますよね? 「ああ!今は経済的な理由から離婚できない!」 「夫が定年退職したら、離婚してやる!」 ということで、夫が退職したら、離婚を切り出し、ハイさようなら! 離婚したいのなら、何も退職まで待つことはないでしょ? それだけ「恨みの念」が蓄積されるだけ。しかし、ダメダメ人間にはその「恨み」の蓄積が心地よかったり、「そのうちに、アイツにギャフンと言わせてやるぞ!」と思える時間が心地よかったりする。恨みの心を周囲の人間や自分自身に語ることにより、「ワタシは、あの○○による被害者」で自分を説明できてしまう。 そんな人は配偶者ではなく、子供を頼ったりするものですが、そんな夫婦が子育てをやったんだから、子供が自分の親をどんな感じで思っているのか? そんなことは分かりきったことでしょ? しかし、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ」末に離婚した側は、「ワタシはスグにも離婚したかったけど、アンタを育てるために、我慢したのよ!」と子供に対してもったいぶって語ることになる。 子供は、そんな言葉を感謝の気持を持って聞くの?そんなわけないでしょ? 以前にこのメールマガジンでルイス・キャロルの作品「鏡の国のアリス」を取り上げております。 この中に出てくる白の女王が、いかにもダメダメ家庭の人間なんですね。 その白の女王は、過去と未来はあっても、現在はないという設定です。 臥薪嘗胆というものは、過去の恨みに固執し、そして未来において、それを晴らす・・・ そんな状態でしょ? じゃあ、その人の現在はどうなっているの? あるいは、その人は、自分の将来については、恨みを晴らすこと以外についてはどのように考えているの? 過去においては、不快なこと以外の思い出はないの? そんな家庭で育った人間は、よく「反面教師」なる言葉を語ったりするものです。 この「反面教師」という言葉は、以前にこのメールマガジンで取り上げておりますし、それ以降も頻繁に言及しております。反面教師というものは、まさに「アイツのせいで・・・」と主張し、その人に対する恨みの心を持ち続けることでしょ? 本来なら、反面教師なるものを掲げることよりも、尊敬に値する人生の師を見つけるようにした方がマシですよ。 しかし、親譲りの臥薪嘗胆の精神で、反面教師なる言葉を語り続けることになる。 逆に言えば、そんな人の現状認識は、自分の目の前の現実ではなく、過去の恨みであり、将来において恨みを晴らすことだけになってしまう。 現時点では「薪の上に寝て、苦いものをなめている」だけで、それに満足している状態。 心の貧しい現在では、将来的にも豊かになれないもの。 それこそ薪の上で寝て、恨みを持ち続けた王様がどうなったのか? あるいは、何かと言うと反面教師なる言葉を語る人間がどんな人間なのか? 現実もそんなものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 本文中に、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に言及しております。 その中の白の女王が、典型的なダメダメ家庭の人間。 白の女王は、どっちかというと抑圧系で、「人に合わせすぎる」タイプのダメダメ。 ちなみに、強圧的で問答無用系のダメダメは、「不思議の国のアリス」の方のトランブの女王がそのタイプ。まあ、ルイス・キャロルの周囲に実際に、色々といたんでしょうね。 「鏡の国のアリス」は、「不思議の国のアリス」よりも一般的な人気はないようですが、意外にも面白い作品です。 ちなみに、あの有名なウラディミール・ナボコフの「ロリータ」という作品ですが、「鏡の国のアリス」と、あとアベ・プレヴォーの有名な「マノン・レスコー」を組み合わせると出来上がるんですね。 「ロリータ」という小説は、少女性愛を描いた作品というよりも、文学ネタで遊んだパロディー小説の面がある作品なんですよ。 そもそも「ロリータ」の主人公の名前「ハンバート・ハンバート」というふざけた名前は、「鏡の国のアリス」での「ハンプティ・ダンプティ」という名前と近いでしょ? 名前だけでなく、アタマがよく、言葉遊びが好きで、性格が悪い点も共通。 「ロリータ」ではアメリカという枠組みを旅するという設定ですが、それって「鏡の国のアリス」における、チェス盤の中を旅する設定と近い。 あと、「ロリータ」では最後は夢オチとの見解が出ていますが、最後の夢オチは「不思議」でも「鏡」でもアリスものに共通。 「マノン・レスコー」から引き継がれているのは、男女2人の逃避行というスタイルが一つ。あとマノンは、「大人だけど、子供っぽい精神を持つ」という設定ですが、その設定にヒネリを加えて、「子供っぽい精神を持つ、子供」というキャラ設定にすると、まさにロリータ。 「ロリータ」を読んでいると、フランス文学における「ファム・ファタール」(運命の女)というジャンルのお約束が結構あったりするんですよ。まあ、だからハンバート・ハンバートさんはフランス文学の教授という設定にしたんでしょうね。 一般の人はそんなパロディーに気がつかないのはしょうがない。 しかし、文学解説のプロが、そんなことをわからずに、しょーもない解説をしていたりするもの。そんな、しょーもない解説を読んでいると、「不思議の国のアリス」でのセリフを言いたくなってしまうもの。「このものの首をチョン切っておしまい!」 |
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R.10/12/18 |