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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 09年3月25日
タイトル 鎧袖一触
たまたまアニメを見ていたら、登場人物がこんなことを言っていました。
「がいしゅういっしょくとはこのことか・・・」

「がいしゅういっしょく」?
何なの?それ?「外周一食」という字なの?
一日一食でグラウンドの外周を走ること?
よく分からないねぇ・・・

まあ、そんな感じでしょ?
「がいしゅういっしょく」は漢字で「鎧袖一触」と書きます。
意味は、使われている漢字のままで、「鎧(よろい)の袖が触れたくらいで、敵が逃げ出してしまった・・・アイツらは、なんと弱っちぃ連中なんだ!」
そんな感じです。

昔のお侍さんの合戦での用語なんですね。
このような鎧袖一触なんて事態が、ダメダメ人間とのやり取りでは頻発したりするもの。

「オイオイ!いくらなんでも、鎧を着て刀で切りあってはダメだろ?」
なんて思われるでしょうが、もちろん、単なる言葉でのやり取りでの話ですよ。

このメールマガジンの文章に対して、逆上メールが来たりすることがある・・・このことは書いたりしています。
もちろん、その他でも、ちょっと逆上気味の文章などをもらったりすることも多い。
そのことは別にいいのですが、こちらがちょっと補足説明をしたりすると、何も返事が返って来ないものなんですね。

ダメダメ人間は被害者意識が強い。
スグに自分の被害者意識が刺激され、逆上気味になってしまう。
そして、ダメダメ人間は対抗心が強い。
「悪いのは全部○○のせいだ!」と勝手に認定し、その○○への対抗心を募らせるわけ。前回取り上げた「臥薪嘗胆」状態。
そして、ダメダメ人間は自分自身で考えない。
だから自分が主張したいことも、特になく、言いたいことは「ワタシは悪くないわ!」と、そんなことだけ。
かと言って、ダメダメ人間は表現がヘタ。
自分の言いたいことを相手にわかりやすく伝える意欲も能力もないわけ。だから、表現能力も向上しない。
だから、そんな人の文章を読んでいても、「いったい何が言いたいの?」と思わされるだけ。
そして、ダメダメ人間は、背景を読む力がない。
「相手がどんなバックボーンや知性を背景に、こんな文章になったのか?」そんなことを、おおよそでも見当をつける能力がないわけ。
だから、まさに「蟷螂の斧」なんてことをやってしまう。
そして、ダメダメ人間は「勝ち負け」だけで物事を評価してしまう。
だから「自分が勝てない。」と思った相手からは、そそくさと逃げ出す。

あるいは、「どうしても相手に勝ちたい!」なんて思っているなら、それはそれで結構なこと。しかし、そんな気迫があるのなら、簡単に相手に絡むのではなく、もっと自分で準備しないとダメでしょ?まさに「敵を知り、己を知る。」必要があるじゃないの?
しかし、まあ、無理に勝ち負けにする必要はありませんよね?
自分の考えを自分の言葉で語ればいいだけじゃないの?

しかし、自己逃避のダメダメ人間は、「この人に、このことを、どうしても分かってもらいたい!」なんて考えていない。
ダメダメ人間の言いたいことなんて「ワタシは悪くないわ!」「ワタシは悪くないわ!」「ワタシは悪くないわ!」と、ただそれだけ。
しかし、そんな状態だったら、他者に絡むよりも、自分自身を見つめなおして、自分自身の考えなり、自分自身の表現を充実させた方がマトモでしょ?
言いたいことがあるのはいいとして、それが相手に分かってほしいことなの?
分かってほしいのなら、それ相応のスタイルにしないとダメでしょ?

まあ、そんなことをこちらが言ったりすると、まさに鎧袖一触になってしまうんですね。
何も、文章でのやり取りだけではなく、一般のやり取りでもあったりするでしょ?
「あの人・・・なんか私にクレームを言ってきたけど・・・ちょっと説明したら、もう何も言って来ない・・・じゃあ、最初に言ってきたクレームは何だったの?安っぽい人ねぇ・・・」
そんなやり取りをなさった方もいらっしゃるのでは?
まあ、その「安っぽい」側になった方もいらっしゃるでしょうが・・・

自分がどうしても相手に伝えたいことを自覚して、
相手にわかりやすいように伝える。

そんなやり取りの基本がまったくできていないダメダメ人間は、こんな鎧袖一触の事態を何回も起こして、どんどんと安っぽい人間になってしまう。そして、いわば「逃げ癖」がついてしまうわけ。逆に言うと、イザとなったらスグに逃げてしまうのが習慣化しているので、「いい加減」な気持で他者に絡んでしまう。

気軽に他者に絡むと言っても、そもそも自分で考えることから逃避する人間なんだから、とりあえず相手になってくれた相手とのやり取りだって上手く行かない。
「ワタシはこのような点については、このように考えます。」なんて形で相手に分かりやすく伝える意欲も能力もない。だから会話に発展しない。結局は「ワタシって、何てかわいそうなの?!アナタもそう思うでしょ?」
言いたいことはそれくらい。

そうして、自己弁護の理屈を並べる。
「社会のせいで・・・」
「時代のせいで・・・」
「親のせいで・・・」
あるいは、「ユダヤ人の陰謀のせいで・・・」とか、もちろんのこと「アイツのせいで・・・」「アンタのせいで・・・」。

しかし、そんな自己弁護の羅列に対して、「で、アンタ自身は、結局はどうしたいの?」なんて当然の質問もやっぱりあったりする。
そうなると、自分から逃避しているダメダメ人間は、何も答えられない。
結局は、「キーっ!!どうしてアナタはワタシのことをわかってくれないのっ?!」となるだけ。そうして、捨てセリフを残して、そそくさと逃げていく・・・まさに絵にかいたような鎧袖一触となってしまう。

結局は、「アナタはいったい何をしたいの?」などと聞いてくるような人間を避けるようになるんですね。一緒にグチを言い合えるような人間だけを周囲に集めるわけ。かと言って、そもそも自分で判断せずに、上手く行かないことがあると誰かを犯人認定するだけの人間たちなんだから、そんな人間が集まっても、互い同士で犯人認定するだけ。そうして、結局は、お互いに罵り合って、グチを言い合うだけのダメダメ集団も早々に解体することになる。
まあ、そんな光景はインターネットの掲示板ではお約束でしょ?
そして、それを家庭内でやると家庭内暴力となるのは当然のこと。

自分自身から逃避すると、判断することからも逃避し、結局はマトモな人からも逃避するようになる。
こんなことは自明のことでしょ?

そうやって、どんどんと自分の出口を自分で塞いでしまうんですね。

いざとなったらスグに逃げるような人は、その言葉も実に軽い。
「どうしても伝えたい!」「これだけはわかってほしい!」なんて気迫がないわけ。もともとが文章がヘタなのに、伝えたいという気迫までないだから何も伝わりませんよ。
だから、そんな言葉を聞いても、やっぱり「で、アンタは、結局は何が言いたいの?」なんて聞かざるをえない。

あるいは、その人が自身の意見を言おうと思っても、普段から自分自身で判断することから逃避しているんだから、その思考も軽い。だから相手からちょっとでも突っ込まれると対処ができない。

そんな人たちは、やり取りの数はそれなりにあっても、それぞれのやり取りが結論には到達していないもの。そもそも逃げクセが付いているんだから、成果なり結論なりの最後の段階まで行くことすらないわけ。結果的に何がわかったのか?何が合意されたのか?達成したものがない。
そのようなことは、このメールマガジンで頻繁にふれておりますボランティアもそうでしょ?「あの人をサポートした。」、「この事例に参加した。」・・・そんなことは言っても、じゃあ、結果的にそのサポート対象の人はどうなったのか?その肝心なことは言えないもの。

ちょっとチョッカイを出して、簡単に切り返されて、さっさとトンズラ。
そんな人は最終的な結論を出すことから逃避して、逃げることで事態を終局させようとするもの。
そんな中途半端なやり取りの繰り返しになってしまう。
逃避のクセがつくと、そのクセもどんどんとスパイラル状に進行するようになってしまうんですね。
一所懸命とか一生懸命の精神がないわけ。
そもそも、当事者意識がないのだから、「達成したい」もの・・・それ自体がない。だから、その達成のために努力するも何もない。それにダメダメ人間は被害者意識が強い。だから何事も「やらされている」という被害感情を持って捉えている。

それにダメダメ家庭の人間は、自分に自信がない。
「失敗したらどうしよう?」と常に減点法で考えている。
「一所懸命に努力して、結局はダメだったら、そんな自分はどうなるんだ?」
まあ、そんなことは誰だって思うことでしょ?

本来なら、「まあ、この件ではダメだったけど、あの時はうまく行ったんだから、次にはがんばろう!」
そんな感じになりますよね?当然のこととして、家族からのサポートもある。
「次の機会にがんばればいいじゃないか?」と周囲からの励ましもある。

しかし、今までの成功体験があるわけでもないし、家族からのサポートがあるわけではないので、ますます失敗が怖い。
結局は、いわゆる「斜に構える」ようになるわけ。

「フンっ!どうせ、こんなことなんてやってもムダさ!」

まあ、若い時は、今までの既存の考え方に疑問を持つことが多くあるわけですから、ちょっと斜に構えることもありでしょう。
たまに斜に構えるのはいいとして、じゃあ、いつ本気になるの?
そういう話になるでしょ?

いつもいつも、真剣になる必要もありませんが、「これだけは達成したい!」と思って、一所懸命に行動しなければ、何も達成できるわけがありませんよ。

しかし、「これだけは達成したい!」と思うものがあっても、周囲からサポートがあるわけではない。サポートというと、金銭面とかの具体的なものばかりではなく、有益な人を紹介してくれるとか、精神的なものとか色々とありますよね?
マトモな家庭だったら、そんなサポートも受けられるでしょう。
しかし、ダメダメ家庭だったら、サポートが受けられるどころか、「オマエはお気楽でいいねぇ・・・」「いったい誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」と親からのグチを言われるだけ。

そんな環境だと、たとえ達成したいものがあっても、なかなかうまく行かない。
そうなると、自信を持つことができずに、ますます失敗を怖がるようになり、ますます斜に構えるようになってしまう。
だからこそ、一所懸命とは行かなくなる。
言い訳を事前に用意しておきたいわけ。
望んだ結果が得られなくても、「これはワタシが本当にやりたいことではないから・・・」なんて言い訳をする。

結局は、そんなことの繰り返しとなってしまう。

すべての物事に一所懸命になる必要もありませんが、「これだけは!」というものを持っていることは必要でしょ?
いつまでも斜に構えることがカッコイイというわけでもありませんよね?

しかし、逃げ場所を意識した斜に構える姿勢は、自分が属しているダメダメ家庭で生きていくために身に付けた習性でもあるわけ。
そんな状態を改善するためには、まずは自分の出身家庭の問題を自覚するしかない。
周囲の人にしてみれば、「どうしてアイツはいつも斜に構えているんだ?!」なんて腹が立ったりするものですが、当人に怒ってもしょうがない。
むしろ、そのように周囲から怒られて、周囲との壁を意識して、ますます自己保身的な発想に終始するだけ。
「どうしてそうなったのか?」そこまで考えが至らないと改善できないわけです。

しかし、現実では、自分と似たような斜に構える人間が寄り集まって、言い訳を用意し合うことになる。そして、言い訳については、情報交換して、ますますレヴェルアップする。そして不都合な事態が発生すると、袖が触れたくらいの段階で、さっさと逃げ出すわけ。

たまには逃避もしょうがないけど、とうひの問題も、「戦わなきゃ!現実と!」なんですよ。

(終了)
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発信後記

前回に引き続き、4文字熟語のタイトルでした。
次回も、その予定ですが、次回のタイトルの4文字熟語はもっと一般的なものにいたします。
配信用の文章のストックがあるので、4文字熟語タイトルシリーズを延々と続けることは可能ですが、そんなことには意味はありませんから、シリーズとしては、今週で打ち止めの予定です。

ただ、4文字熟語をちょっと入れたりすると、文章に格調がでたりするもの。
日本の首相をされている麻生さんも、スピーチにちょっとした4文字熟語を入れると、歴史を背負った趣が出てくるはずです。

彼のスピーチの文章を読んでいると、「スピーチライターを雇えばいいのに・・・」と思ってしまう。まあ、その点は彼だけではありませんが。
緩急とか、引用とか、テンポ感とか、そんなスピーチの文章を作るのは言うほどラクではないでしょう。本来は専門のスピーチライターが必要なもの。逆に言うと、その手のスピーチライターが日本で一般的ではないのは、スピーチを聞く能力が、日本人は低いということなんでしょうね。
以心伝心もそれなりにはいいわけですが、ここぞという時にはちゃんとした言葉を使えないとね。
R.10/12/20