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カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル |
配信日 | 09年3月30日 (10年12月22日 記述を追加) |
タイトル | 失敗を認識する力 |
以前に韓国で大統領をされたノ・ムヒョンさんは、「ワタシは失敗したことがない。」とおっしゃっていたそう。 「失敗したことがないなんて・・・・ノ・ムヒョンさんは、なんて偉大な人なんだ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はダメダメ人間というものは、失敗とは無縁な存在なんですね。 そもそもダメダメ人間は、被害者意識が強い。あらゆることを自分が被った被害と捉える。だから、自分が判断して、その自分の判断が間違った・・・と言うことにはならないわけ。 何かをするにせよ、他者が命令するから、「しょうがなく」それを「させられた」「してやった」という受け身での認識になっている。 「しょうがなく」「させられた」「してやった」んだから、それは「失敗」ではなく、「被害」ですよ。 常にそんな発想なんだから「ワタシは失敗したことがない。」って言えますよ。 当事者意識があるから失敗するのであって、 当事者意識がないと、すべてが被害となってしまう。 何も韓国の政治家の問題ばかりではありません。 同じような問題になるのは、離婚の時です。 ダメダメな人は、「ワタシはあのオトコによる被害者だ!」と言いたがるもの。 「ワタシは結婚相手の選択を失敗した!」とは、決して言わないものなんですね。 「ワタシはひどいオトコに騙された!」 「ワタシは悪くない!」 「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」 そのように被害形の物言いで語ることになる。 結婚の失敗も、その人が「人を見る目」がなかっただけで、逆に言えば、次にはもっと慎重に判断すればいいだけなんですが、当事者意識がないがゆえに、自分の失敗は存在しない。 あらゆることが、自分がこうむった被害と認定されている。 そして、そのように被害形で語ると、同類が寄って来るもの。 そうして「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と大合唱。 そうして「自分に対し被害を与えた」加害者と認定している存在を攻撃することになる。攻撃することによって、「 相手=加害者 ,自分=被害者 」という関係性を確定する儀式とするわけ。 しかし、そんなことだから結婚でトラブルになるだけでなく、子育てにおいてでも同じトラブルになってしまう。 「ワタシは悪くない!」 「ワタシは失敗したことがない!」 と日頃から思っている親が、子供とどのように接するの? あるいは、家庭内でトラブル状況になったときには、どのように対処するの? 子供が自分の考えを言い出した時には、それをどのように聞くの? あるいは、周囲の人が、その家庭の問題点を指摘した時に、どのように聞くの? そんなことは、誰でも分かることでしょ? 結果的に、その家庭はどんどんと悪くなってしまう。 しかし、当事者意識がなく、「失敗を認識する能力がない」ダメダメ人間は、あらゆることを被害と捉え、「自分に被害を与えた加害者」を探すだけなんですね。 そもそも「失敗したことない」という言葉は、ダメダメ家庭にお約束の二重否定表現ですよね?失敗したことがないのはいいとして、じゃあ、成功したの?何が達成できたの? 実際には、成功したものも、達成したものも何もないでしょ? しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、達成したいものそれ自体がない。達成したいもの自体がないんだから、逆に言うと、達成できなかったという失敗もないわけ。何も判断しないわけだから、判断ミスもない。 ダメダメであるほど、失敗から遠くなってしまうわけです。 失敗から遠くなるとは言え、自信があるわけではない。 だって、達成したものがないんだから自信も持ちようがありませんよ。 「あの人は、自信を持っているなぁ・・・」と、自信満々のオーラにみえる場合にも、実際は自分の失敗を認める能力が失調している場合も多いわけです。 というか、いったん失敗を認めてしまったら、パニックになってしまい対処できないという恐怖心があり、だからこそ過剰なまでに自信満々の様相を示そうとすることになる。 達成した成果があり、だからこそ、自信を持つことができるのがマトモな人間。 しかし、失敗を認められないがゆえの恐怖心から、そして、都合の悪いことは全部被害として認識してしまうがゆえに、「オレって、スゴイんだ!」という雰囲気を作るのがダメダメ人間。 一見似ているように見える場合もありますが、その心理は正反対となっているわけです。 ダメダメであるがゆえに、失敗から遠くなってしまう人は失敗談が少ない。「ワタシはこの点で失敗した。」そんな話ができない。本来なら、人間は生きていれば、色々と失敗もしますよ。要は、そこからリカヴァリーしていけばいいだけでしょ? しかし、ダメダメ家庭の人間は失敗しない。まあ、唯一言える失敗談は子供に対して語る「オマエを育てるのに失敗した!」という言葉くらい。しかし、これは客観的な認識なり報告というより、所詮はグチでしょ? 失敗とは縁がないダメダメ人間は、失敗しないからと言って、成功するわけではない。 しかし、グチの共鳴という状態を獲得するのには成功する。 その結果が、どうなるのか? いわば被害リピーターと言える存在になるわけ。 当事者意識があるから失敗と認定できる。だから自分でそれなりに対策を取る。だから同じ失敗は繰り返さないけど、被害だからこそ、問題は他者のせいになってしまって、対処と言うと、「何が犯人なのか?」という犯人探しだけ。 当人自身では何も対処せずに、結局は、同じトラブルを繰り返すことになる。 失敗は繰り返すといわれていますが、そのように言われる「繰り返す失敗」は、当人としては被害という認識となっている。 だから「ワタシはなんてかわいそうなの?!」と自己憐憫しているだけ。 結局は同じようなトラブルを繰り返してしまう。 このようなことは、以前には「デ・ジャ・ヴ」とか「往復ビンタ」なる文章でまとめてあります。 失敗とは認識していないので、反省はしない。ただ後悔はしたりする。 そして、後になってグチグチ言い出すもの。「こんなことになって、ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」そんな感じで嘆くことに。 当人は後悔しているだけで、反省は他者に求めたりするもの。 他者に対して「反省せよ!」と迫るわけ。 それこそ結婚の失敗の後で、「アナタは悪くないわ!」と弁護してくれる人間を集めてしまう。その弁護だけを聞き、そんな同類たちの中から次の結婚相手を選ぶ。 そんな組み合わせだと、最初は「オレたちは悪くない!」と一緒にグチで盛り上がっていても、やっぱり自身では何も対処せず、問題点は何も解決しない。 そうなると、「オレは悪くない!」『アンタが悪いんだ!』の応酬となり、ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)となる 会社を離職する場合も同じ。 就職する会社を選択した際の、自分の選択ミスの問題を考えずに、「あの会社が悪い!」「社会が悪い!」「時代が悪い!」と連呼するような人間を集めて、一緒になってグチる。 だから次も同じような失敗をしてしまう。 アタマを冷やして、じっくりと自分を見つめなおして、自分なりに考えることから逃避してしまう。 じっくりと考えることから逃避するためにも、離婚した後に、スグに再婚し妊娠して、同じような失敗を繰り返す。だから無戸籍児童ができてしまう。 「誰が悪いのか?」そんなことばかり考えている人間が周囲に増殖してしまい。結果的に当人自身も、その色に染まってしまう どんどんと無反省状態がスパイラル的に進行してしまう。 当人だけでなく、世代を渡って進行するわけ。 子供が事件を起こしたりすることもありますが、「子供を育てるせいで、オレはこんな目に!」そう思っている親に育てられた子供が、事件を起こしても、その子供が反省するわけもない。 無理に子供に反省を強いても、反省しているポーズをするだけ。 失敗という概念自体が存在しない、そんなダメダメな環境の問題まで目を向けないとダメなんですね。 と言っても、ダメダメ家庭の周辺環境はやっぱりダメダメなもの。周囲の大人は、そのあたりの事情がまったくわからず、結局は子供に無理に反省を強いて、子供としては人に合わせる技術だけが進歩して、カタストロフが大きくなるだけ。 そうして、実際にカタストロフが発生して嘆きの言葉を上げる。 「どうしてワタシだけがこんなことに?!」 まあ、ダメダメ家庭の人とやり取りすると、その嘆きが、お約束のように出てきますよ。イヤ、ホント。 そして、その「どうしてワタシだけがこんなことに?!」の後で続く言葉もお約束。 「ワタシは、ただ、ふつうの生活が欲しかっただけなのに・・・」 この「ワタシは、ただ、ふつうの生活が欲しかっただけなのに・・・」という言葉については、以前に配信しております。まあ、この2つの言葉は、ダメダメ家庭における最強ペアなんですね。 「どうしてワタシだけがこんなことに?!」はいいとして、じゃあ、「こんなこと」って、具体的にどんな状態なの? それに、「どうして」はいいとして、それを相手に質問しているの?その言葉を受けた方は、それに対して回答した方がいいの? 言われてしまった私としては、「アナタは『こんなこと』になっているわけは、これこれです・・」なんて説明した方がいいのかな? 私がその気になれば、実に詳細に説明できますよ。 しかし、たぶん・・・説明を聞きたいわけではないでしょうね。そもそも、当人自身がその『こんなこと』が明確にわからないもの。そもそも当事者意識がないので、自分自身の現状など、何も認識していない。自分自身の現状を認識していないものだから、何もアクションを起こさない。ただボケーと被害者意識に浸っているだけ。 当人ですら「こんなこと」が説明できないんだから、一般の人が、その「こんなこと」について分からないのは当然でしょ? その「こんなこと」とやらについて、「じゃあ、今現在はどんな状況なの?」と聞いても回答がない。 むしろ、『どうして、そんなことを聞くのよ!キーっ!』と逆上されるだけ。 「じゃあ、アナタは、どうしたいの?」と、聞くと、やっぱり『ただ、ふつうの生活が・・・』とこれもお約束。 「そのふつうの生活って、具体的にどんな生活なの?」 「そのふつうの生活とやらを得るために、アナタは何をやっているの?」 なんて続けて聞くと、やっぱり、『どうして、そんなことを聞くのよ!キーっ!』と涙目で逆上されるだけ。 そうして、『どうしてワタシだけがこんなことに?!』との最初の嘆き節を繰り返すだけ。 ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうね。ただ、幸か不幸か、実際に体験なさった方もいらっしゃるのでは? 実際に体験なさった方はお分かりでしょうが、もうそうなっちゃうと、ただ途方に暮れてしまうだけなんですね。もう何も言えなくなってしまうわけ。 完全に脱力してしまっている相手を前に、自分の嘆きに気分が高揚したダメダメ人間は、高らかに宣言する。 『まあ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!』 いや、そんな言葉を聞かされるコッチがかわいそうですよ。 ダメダメ家庭の人間とやり取りすると、「どうしてワタシだけがこんなことに?!」→「ワタシは、ただ、ふつうの生活が欲しかっただけなのに・・・」→「まあ!ワタシってなんてかわいそうなの?!」なんて流れは、もはや王道のレヴェル。 逆に言うと、その最強トリオのうちで1匹でもいたら、その他も潜んでいる可能性が高いわけです。 まあ、現実では、そんな状態になると、それこそ腐臭にハエやゴキブリが吸い寄せられるように、『善意』のボランティア人間が寄ってきて「まあ、なんてお気の毒なの?!」「アナタは悪くないわ!」と共鳴が進んでいくもの。 しかし、そんなボランティア人間が集まっても、グチで共鳴するだけで事態が何も改善するわけもなく・・・ そもそも失敗を認識せず、犯人探しばかりやっている連中なんだから、そんな人間が集まってやることといえば、つるし上げくらい。かと言って、当人の問題は何も改善されていない。だから、やっぱりトラブルが発生することになる。 結局は、「どうしてワタシだけがこんなことに?!」と振り出しに戻るわけ。 失敗したなら、その対策を取ればいいだけですが、失敗を認識することから逃避するのがダメダメ人間というもの。むしろ負け惜しみのようなものを言い放ち、自分を納得させることになる。 「ボクは本当は失敗したんじゃないんだ!」 「アイツの卑怯な手で、このボクがこんな目に・・・」 「アイツめ!今に見てろよ!」 そんな負け惜しみの言葉というか捨てセリフを投げつけることによって、自分は被害者であって、自分は失敗したのではないと自分に納得させたいわけ。 あるいは、そんな失敗した自分を見たくないがゆえに、自分ができること以上のものに手を出すようになってしまう。まさに「背伸び」するわけ。 しかし、当然のこととして、何も成果が得られるわけではなく、ますます気ばかり焦ってしまう。ということで、またもや失敗し、それを、またもや被害と捉え、ますます誰かを恨むだけ。 ということで、スパイラル的に逃避が進み、背伸びが進み、犯人認定の度合いが進むことになる。 しかし、そんな姿は周囲から一番嫌われるものでしょ? しかし、ノ・ムヒョンさんだけでなく、多くの韓国人がいつもやっている姿ですよね? 当人は、それでいいのでしょうが、そんな人間に育てられる子供が、一番気の毒でしょ? しかし、そんな人は、まさに周囲の人から相手にされず、子供相手に自らの被害者ぶりを語るわけ。 失敗を認識しないがゆえに、何も対処をせず、だから何も解決せず、そのひずみは一番弱い存在である子供に集約してしまう。 そうやって、世代を超えて、ダメダメが濃くなってしまうものなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 この文章も、基本的なドラフトは、もう1年以上前に出来上がっていました。 今回取り出してきたのは、先日開催された野球の国際大会での韓国の対応を見て、「そういえば・・・この心理も前に書いてあったな・・・」と思い出したわけです。 何も韓国人の問題を指摘するのが目的ではありません。 このような失敗を認めない姿勢は、日本のダメダメな人もやっているでしょ? 当事者意識がない人間にしてみれば、要は「ワタシが悪くない!」と自分で納得できればそれでいいわけ。 「ワタシのせいじゃない!」と自分に納得させるには、自分が被害者である・・・と自分が納得できればそれでいい。被害者であるがゆえに、悪くない・・・というロジック。逆に言うと、その手の人は、被害者というポジションから脱却しようとはしないわけ。 |
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R.10/12/22 |