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カテゴリー ダメダメ家庭の顔
配信日 09年4月6日 (10年12月25日 記述を追加)
タイトル 押し付けがましい笑顔
以前に、実際にいただいた逆上メールを取り上げたことがあります。
その中の一つとして、選挙における共産党の候補者の「笑顔」に関する文章についての逆上がありました。もっとも、その逆上は、その共産党の候補者の笑顔の問題よりも、その前に書いてあった、「男女の分類にこだわる」という内容に対しての逆上でした。

自分から逃避するダメダメ人間は、「自分はここで怒っているんだ!」「この部分にインパクトを受けた。」と認めること自体から逃避する。だから別のマターを取り上げ、「コッチの方に怒っているんだよ!」なんて主張するわけ。
まあ、そこいらのボンクラな人間に対してならいざ知らず、この私には通用しませんよ。

しかし、その逆上メールのおかげで、日本の共産党の候補者の「笑顔」について、改めてウォッチするようになりました。
あのような「押し付けがましい笑顔」って、共産党の候補者だけでなく、皆さんも、時々見たりするでしょ?
かと言って、あの「笑顔」を見て、「この人は楽しそうだなぁ・・・」とか、「自分に自信がありそうだなぁ・・・」とか、「きっと幸福なんだろうなぁ・・・」とは思わないでしょ?

あの文章でも触れましたが、あの手の「押し付けがましい笑顔」というと、まさに北朝鮮での民衆というか、「女性ダンシングチーム」とか、ピョンヤン放送のアナウンサーの笑顔がそれですよね?
あの笑顔を見て、「ああ!この人たちは幸せそうだな!」とは絶対に思わない。

実は、ちょっと前に、あの手の「押し付けがましい笑顔」を本で見ることが出来ました。
皆さんも名前は知っている「エホバの証人」というキリスト教系の宗教団体があるでしょ?輸血を拒否したとかで、たまに話題になったりする宗教団体です。
その人が私の家に来て、布教をしようとして、結局はパンフレットを置いていったわけ。
実は、そのパンフレットについては、そのうち、取り上げてみようかな、と思っています。ダメダメの要素がテンコ盛りなんですね。
・・・まあ、それはいいとして・・・

そのパンフレットの中の絵で描かれた人たちの表情が、まさに「押し付けがましい笑顔」そのもの。まるで共産党のパンフレットみたい。
その団体の意図としては「神様のおかげでワタシたちは幸福です!」「皆さんも、ワタシたちと一緒にやりましょう!」なんて言いたいのでしょうが・・・
絵の表情からは、むしろ不気味に思うだけ。

あの手の「押し付けがましい笑顔」は、「○○のおかげで、ワタシたちは幸せ!」ということを主張したいのでしょうが、そんな物言いの中の「○○」の部分をちょっと変更すれば、ヴァリエーションを持たせることもできます。
それこそ、上記の○○に「金将軍」を入れても通用するでしょ?
あるいは、カール・マルクスや毛沢東やアドルフ・ヒトラーという人名を入れてもOKですよね?
あるいは、「王様」や「大統領」や「教祖様」という称号でもいい。
あるいは、何も人物のパターンだけではなく、それこそ「日本国憲法のおかげで、ワタシたちは天国のいるように幸せ!」なんて言っている人たちもいるでしょ?

キリスト教系の団体のパンフレットの中の表情も、北朝鮮の民衆の表情も、共産党の候補者の表情と似ている。
その表情の押し付けがましさは、「このワタシに質問するなよ!」という無言の圧力にも通じているでしょ?
あんな笑顔の人に話しかけたいとは思わないでしょ?

逆に言うと、その手の人は本当には自信がない。だから人から質問を受けると、答えられない。ただ、上から教えられたことをオウム返しに繰り返すだけ。
だから、その手の人がよく使う言葉は「学ぶ」という言葉となる。決して「考える」という言葉は使わないでしょ?

マルクスの考え方を「学ぶ」。
主体思想を「学ぶ」。
聖書の言葉を「学ぶ」。
日本国憲法を、「学ぶ」。
あるいは、これらをちょっと発展させると、平和の尊さを「学ぶ」とか、命の大切さを「学ぶ」とかの物言いになる。そのような物言いは、言葉としては通りがよくても、そこにその人なりの思考がないでしょ?
思考がないということは、尊厳がないということ。

「学ぶ」という言葉を頻繁に使う人と、あの手の「押し付けがましい笑顔」の人は、往々にして重なっている。
それだけ、自分では考えていないわけです。
考えることから逃避しているんですね。

そして考えることから逃避していると、逃避していることを認めること自体から逃避してしまう。
常に逃避しているから自信がない。だから、その自信のなさを人に見破られたくない。
そうなってくると、人から感情を読まれないような顔の表情になってしまう。
押し付けがましい笑顔は、心の余裕からではなく、他者から自分の本心を見通されたくないという恐怖心の発露なのでは?

自分自身から逃避しているので、そんな人は、他者に「教えよう」とするわけ。
「教える」という手段で、自分から逃避するわけです。
教える対象を凝視することで、自分の内面を見ることから逃避してしまう。
そう見ると、あの手の笑顔も、実に理解しやすいでしょ?

キリスト教系の団体のパンフレットにある押し付けがましい笑顔ですが、ヨーロッパ絵画で描かれている人物には、あんな笑顔はないでしょ?ヨーロッパ絵画には、それこそ宗教的なテーマを持つ作品が多くありますよね?
「芸術作品とパンフレットを一緒にするなよ!」
と、おっしゃりたいでしょうが、パンフレットこそ、その目的達成のために最善を尽くす必要があるんじゃないの?芸術作品だったら自己満足でもいいわけですが、パンフレットこそ、受け手への配慮が必要ですよ。

キリスト教の信仰によって、内面が充実した人の表情と言っても、傑出した芸術家が見据え表現した人物の表情と、単なる商品や指標となってしまった表情は、まったく違うもの。
そして、どっちの表情が、内面の充実を達成しているのかについては、子供でも判ることですよ。

当人自身から「ワタシは幸福よ!」と『主張する笑顔』と、実際に幸福な人の笑顔は違うもの。
幸福というものに関しては、幸福の自信というものは存在しない。
だって、本当に幸福な状態だったら、幸福について考えなくてもいいわけでしょ?だからそれを誰かに語ることもできないし、そんな必要もない。人から聞かれたら、「そう言えば・・・今、特に大きな問題はないわ・・・こんな状態が幸福というものなんでしょうねぇ・・・」と思えればそれでいいだけ。

自分の幸福を積極的に主張することは胡散臭いもの。
しかし、自分自身の幸福に対して、不安なり自信のなさは存在する。
それを自分で見ないようにするために、あるいは他者に指摘されないように、自分から率先して「ワタシは幸福よ!」と語り出すわけ。自分が幸福を感じているから「ワタシは幸福よ!」と言うのではなく、幸福な状態に見える雰囲気を「作り出す」ために、自分を騙すために「ワタシは幸福よ!」と言わざるを得ない。「ワタシは幸福よ!」という言葉は、逆に言えば、当人の不安や恐怖を表しているわけ。

自信がないがゆえに、「型どおり」の「隙のない」表情にならざるを得ない。
自分がどう思うのかではなく、その表情を見た人がどう思うのかが重要になってしまう。
自分ではなく、常に他者の視点が優先されてしまう。
そんな状態のどこが自信なんだか?

型どおりで規格品的なものに「すがる」のは、まさに当人の自信のなさを表しているわけです。
顔の表情だけでなく、別のところで書いていますが、「絵のようにすばらしい家庭」の姿を「作り出す」ために汲々としている人もいるでしょ?
まさに、家族全員が宗教団体のパンフレットのような「いかにもな」笑顔をしていて、家族同士で意見がぶつかり合うこともなく、いつも、笑いが絶えない家庭の姿を周囲に見せている。
そして、その家族の笑顔とやらが、まさに「押し付けがましい笑顔」そのもの。

非の打ち所はないとは言え、じゃあ、そこに家族の居場所はあるの?
家族が「絵に描いたようなすばらしい家庭」の登場人物を演じているからこそ、そんな立派な家庭の姿になっているわけでしょ?
つまり本音が消失した家庭なんですね。

それこそ、トルストイ描くアンナ・カレーニナでは、アンナの別荘に、義理の姉が訪問しても、その姉はその場からスグに逃げ出してしまうシーンがありました。
アンナの義姉としては、アンナの別荘は、「非の打ち所がない」がゆえに、落ち着かない・・・そんな状態になってしまうわけです。
それこそ、宗教団体のパンフレットでの家族の風景のようなものが、現実として目の前にあったら、皆さんだって落ち着かないでしょ?
押し付けがましい雰囲気は、やっぱりイヤですよ。
だって、「アナタも、このように正しく生きないとダメですよ!」って、説教されているようなものでしょ?

自分で考えることから逃避しているダメダメ人間は、自分たちなりの居心地を考えるのではなく、規格品的な立派さにすがってしまう。
規格に従っているだけだからこそ、当人自身としては、何も考えなくてもすんでしまう。
しかし、自分では考えていないがゆえに、本当の意味での自信にはなっていない。
だからこそ、ますます減点面を除去することに血道を上げるし、人から突っ込まれないように、ますます先制的になってしまう。

押し付けがましい笑顔は安っぽいでしょ?いわば商品化され、規格化された笑顔のようなもの。別の言い方をすると、人間疎外の笑顔。
あの手の「押し付けがましい笑顔」を見て、「わぁ!キモチ悪い!」と思ってしまうのは、そんな自己逃避の心理が無意識的に判るからなんでしょうね。

(終了)
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発信後記

今回の文章中で北朝鮮について触れておりますが、今回の文章は昨日の北朝鮮のミサイル発射にちなんで・・・
ということではありません。
今週は、ダメダメ家庭の人間が見せる、この「押し付けがましさ」について、集中的に取り上げようと思っているんです。

基本的な考え方は、「押し付けがましさ」というものは、それだけ当人の自信の無さや不安を表している・・・そんな考えです。
弱みを見られないようにと、それだけ必死になっているわけ。
押し付けがましい笑顔は、別の見方をすると、恐怖に引きつった笑顔に近い。
そんな笑顔は、笑い事じゃあないわけ。
R.10/12/25