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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 09年4月10日
タイトル 先制的善意攻撃
政治の世界で専守防衛なんて言葉がありますよね?
「相手から攻撃されるまでは、基本的には何もアクションは起こさない方がいい・・・まずは防御に徹しよう!」なんて考え方です。
逆の考えとして「状況が危なくなったら先制攻撃を仕掛けた方がいい。」という考えもあります。

このメールマガジンは政治についてのメールマガジンではありません。政治家のメンタリティについては関心を持ちますが、政策そのものについては、特に関心をもって触れてはおりません。
だから「専守防衛がいいのか?先制攻撃がいいのか?」なんて議論はここではいたしません。

今回このメールマガジンで考えてみるのは、先制的な善意についてです。
まさに先制攻撃を仕掛けるごとく、善意を仕掛けてきたりする。
ダメダメな人にはそんな形で、自分の善意を相手に押し付ける人がいたりするんですね。それこそ、ちょっと前に書いた「押し付けがましい笑顔」で、善意や幸福を押し付けてくる。

それこそ、休日などにキリスト教の関係者を名乗る人たちが突然にやってきて、「何か困っていることはありませんか?」などと言ってきたりすることもあります。
以前にも書きましたが、そんな感じで突然に訪問する人間そのものに対して一番困るものでしょ?軽い話題ならともかく、シリアスな話題だったら、コッチだって準備が必要でしょ?

こっちは、それこそパソコンに向かって一生懸命に文章をまとめているんだし・・・「アポもなしに急にやって来るなよ!」なんて言いたくなってしまう。まあ、こうやってネタとして活用しているんだから、多少はありがたいとも言えますが。

さてさて、突然の布教活動?はいいとして、そんな人たちに私は言ったことがあります。
「急に来られても・・・コッチだって色々とあるし・・・だったら私が困っている時にそちらにお伺いしますよ。アナタの住所や連絡先はどこ?」なんて聞きました。
すると、
『それは言えません。』
とのこと。
その回答に私もビックリしてしまって、「・・・言えないって・・・それって、どう言うことなの?」と聞かざるを得ない。しかし、やっぱり『言えません。』とのこと。

その手の人は、自分の領地を確保しておいて、「敵」に対して先制的に、「困っていることはありませんか?」なんて言う事がオシゴトなんでしょうねぇ。自分の領地に来てほしくないものだから、自分の領地の情報は明かさない。戦いは敵の陣地に限定しておこう!
まあ、戦争に勝つための鉄則ですよ。
いやぁ!すばらしい!

しかし、戦いに勝つのはいいとして・・・「で、結局は、その人たちは何をしたいの?」と疑問に思うでしょ?

「オマエが困った時があっても、ワタシたちは知らないよ!」
「困っていることがあるのなら、さあ!この場で洗いざらいはいてしまえ!ラクになるぞぉ。」「故郷のオフクロさんが泣いているぞ!」「まあ、このカツ丼でも食べなよ!」
・・・って、アンタは事情聴取の刑事さんかよ!
そんな人たちを信頼する人って、いるわけがないでしょ?

そんな突然の訪問は、自分を納得させるための儀式としての布教活動であり、自分をいい子ちゃんと見せるための行為。
自己都合優先なので、いつも逃げ道を意識していて、自分の弱いところを突かれると、スグに逃げるもの。
まさに上からの物言いで、「布教してやる!」とか「教えてやる!」とか「オマエを助けてやる!」と言ったスタイル。
そんな行為は、神や自分自身について、考えないためには役に立つのでしょうね。

それこそキリストさん本人は、「困ったことがあったら、いつだってワタシの元に来なさい!」「祈るのは人に見せるものではない。だから隠れて祈れ!」って言っているんですからね。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、自分の善意を先制的に展開するわけです。それって、要は自分に自信がないわけです。自分のペースで物事を進めないと言葉に詰まってしまう。組織から教えられていない事態や、マニュアルに記載されていないことには対応できない。本当の意味で会話ができるわけではないし、相手に対して内容を説明できるわけでもない。

それに、その手の人は、まさに「親に迷惑を掛けてはいけない。」という心情の元に子供時代を過ごしている。やり取りを自分の領地に持ち込む発想がないわけ。
そして、その手の人は、自分自身から逃避している。テーマとなっていることが自分自身に関わる問題に移ってしまい、自分自身なり自分の親の問題に広がっていくことが怖いわけ。

だから、自分の身近な問題を放っておいて、先制攻撃に出かけざるを得ない。
しかし、戦いには勝てても、キリスト教の布教には百害あって一利なしですよ。

このような先制的な善意は、何もキリスト教関係者ばかりではありませんよね?
それこそ、このメールマガジンで頻繁に触れておりますボランティアの連中もその代表でしょう。自分の身近な問題を放っておいて、わざわざ外国まで出かける始末。その地理的な遠さこそが、自分自身から逃避そのものでしょ?

あるいは、若い人でも、「妙に」善意を語る人っていたりするでしょ?
それこそ、アフリカの恵まれない人たちとか・・・日本国内でも児童虐待の問題とか・・・話題になりそうな大きな問題に、熱心に首を突っ込もうとする。
あるいは、政治などに無理に関わって、その場で自身の善意を語ったりする。
しかし、高校生なら、そんな大きな問題にいきなり取り組むよりも、クラスメートの問題を心配したら?
そのクラスの人は、全員幸福なの?そんなわけないでしょ?まあ、「天国にいるように幸せ!」なのかもしれませんが・・・それって別の言い方をすれば、まさに地獄と同じ。
身近な人間を放っておいて、ご立派な善意を語られると、聞いていて、むしろ鼻白むだけ。
「よっ!お若いの!アンタの将来は立派な将軍様だよ!」

先制的に善意を語る人は、結局は、自分の善意を向ける対象のことは考えていないわけ。
「かわいそうな人に対して善意を与える自分」というシチュエーションに酔っているだけ。
だからこそ、相手の都合を考えずに、突然に訪問することにも躊躇がない。

先制攻撃的に善意を語るのにあたって、上記のように突然の訪問のスタイルがあるわけですが、ちょっとしたヴァリエーションとして、突然の呼び出しのパターンもありますよね?
「おい!オマエ!ちょっと来い!」
と呼び出しておいて、
「何か困ったことはないか?」と切り出す。
しかし、コッチはやっていることを中断しているんだから、そんな突然の呼び出しことが、一番困っていることですよ。

しかし、呼び出している側は、そんなことは考える発想がない。結局は、自分の都合で質問し、無回答を引き出し、そして「そうか!何も困っていることはないのか!」「ウチはうまく行っている!何も問題はない!」と豪語することになる。

そうして、「人の相談に『乗ってあげる』オレはスバラシイ!!ああ!オレって、なんていい人なんだ?!」と恍惚の境地。

このような先制攻撃的な善意をする人は、相手から反論されたり、実際に困りごとを言われてしまうと、当人が困ってしまう。だってもともと会話が出来ない人なんだし、自分で考えることから逃避している人なんだから、人の話を聞くこと自体に心理的なプレッシャーを持つもの。だからこそ、相手が何も言えないタイミングなり、何も言えないような立場の弱い人を捕まえて、自分勝手な善意を語ることになる。

その善意とやらも、権威筋ご認定のものばかり。それを問答無用に語るわけ。
そんな人は、現実の問題からは、常に安全圏にいる。安全圏からご高説を連呼する。
しかし、そんな正論は現実の問題を解決するには何も役には立たないもの。
現実の問題に適用しようとすると、どうしても無理があるので、やり取りの相手から突っ込まれることもある。

だから、相手から突っ込まれる前に、まさに機先を制して、別の言い方をすると、攻撃的なスタイルで「ワタシは幸福よ!」などと主張したりするわけ。
しかし、前から頻繁に書いていますが、自分の幸福を主張する行為自体が、矛盾を持っているもの。
本当に幸福な人は、そんなことはしませんよ。
たとえば、私に寄せられたお便りの中で、「ワタシは今現在幸福です。」なる表現があり、別の箇所では「ワタシは自分の親を反面教師にしてします。」なる記述がありました。
ちなみに、その組み合わせをしたのは、一人ではありませんよ。

その人が、今現在幸福なら、それはそれで結構なこと。
しかし、幸福な人は、反面教師なるものを掲げる必要があるの?
反面教師なるものを掲げている段階で、今現在において、何がしかのトラブルがあるということじゃないの?
今現在うまく行っている人は、「この人は、ワタシの人生の師だ!」と言うことはあっても、「あの○○は、ワタシの反面教師だ!」なんて言いませんよ。

このようなことは、以前にも配信しております。
せっかく以前に配信して、バックナンバーにも載せてあるのに、そんなお便りが来たので面食らってしまったわけ。

以前より何回も書いておりますが、「ワタシは幸福よ!」と、他者に対して主張するなんてヘンでしょ?
幸福な状態とは、幸福について考えなくてもいい状態と言えますからね。
だから、その時に幸福だったら、自分が幸福であることは自分では認識できない。
他者から『アナタは幸福そうねぇ・・・』と言われて気づいたり、時間が経過した後で、「あの時は幸福だったなぁ・・・」と回顧するだけ。
いずれにせよ、自分から自分の幸福を他者に主張しようもないし、無理に主張する必要もない。
今現在の課題を一つ一つ認識し、解決していく・・・そんな地道な積み重ねをするしかないし、そんな地道なことをやっていればいい状態が、まさに幸福な状態。
違いますか?

しかし、ダメダメ人間は自己逃避である。
だから、自分の現状なり課題や問題点を見たくない。
だから「ワタシは幸福よ!」と自分を騙すようになるわけ。

それだけ、自分自身に自信がないわけですし、だからこそ自分のペースで説明して、相手から突っ込まれないようにしたいわけ。

所詮は自分を騙しているだけなので、ちょっとでも突っ込まれると逆上する始末。
「どうしてそんなことを言うのよ!キーっ!」
「今現在うまくいかないのは、反面教師に認定している○○のせいなのよ!」
そんな捨てセリフのような逆上の文句を、実際に体験なさった方もいらっしゃるのでは?
まあ、ホント、幸福そうだなぁ・・・

そもそも「ワタシは幸福よ!」なんて主張を聞かされた側はどうすればいいの?
『あっ?そう?ふーん・・・』
それくらいしかないでしょ?
私のような人間だと、『ああ、どうしよう??突っ込みたいけど、突っ込むと逆上されるだろうし・・・困ったなぁ・・・』と思うことになる。いずれにせよ、会話には発展しませんよね?

本当に幸福な状態だったら、「自分は幸福だ!」なんて言わないことは子供でもわかること。そんな主張が異常であることは、それこそ北朝鮮の人々を見れば簡単にわかることでしょ?

グチばかり言っている人を避けるしかないように、「ワタシは幸福よ!」と率先して主張するような人間も避ける必要があるわけ。どっちも自己逃避のヴァリエーションなんですね。
実際に幸福な人は、自分の当面の課題がわかっている。その課題に取り組み、解決して、ますます順調に行く。ダメダメな人は、「ワタシは幸福よ!」と周囲に主張し、「今は幸福なんだから・・・」と何もアクションを起こさず、上手く行かなくなると、「アイツのせいで・・・」と誰かを恨むだけ。

自己逃避で、当事者意識がないので、自分で何かに取り組むということがなく、何かを達成したという体験もない。だから当然のこととして自信がない。子供時代に自信を持ち得なくても、ある程度の年齢になって、「自分はこれを達成した!」という成果があるのなら、それなりの自信になるでしょ?
しかし、そんな達成感とは無縁なんだから、自信にも縁がなくなりますよ。

だからこそ、コンプレックスが増長していくことになる。
「この部分に触れられるとイヤだ!」
「その部分は避けたい!」

まあ、人間は誰しもそんなものもあるでしょ?しかし、そんなコンプレックスの強いダメダメ人間は、その思いが一般の人よりはるかに強いわけ。
その面についての話題になるのが怖い!

だから、そんな人は、自分で話題を必死でリードしようとするもの。
言葉でやり取りしている際に、自分の苦手な話題になるのを避けるために、自分でその会話をリードして、自分の苦手な話題になるのを、先回りして防止するんですね。自分の得意の話題に誘導したり、マズイ話題になると、話を逸らすようにしたりするわけ。
あるいは、この手の人は、聞いてもいないことを猪突に、先制的に語りだしたりするもの。

それこそ自分の学歴にコンプレックスを持っていたら、自分から学歴の話題を振って、「それなりの」薀蓄を語り、自分のペースでその話題をリードする。そうすると、自分自身の学歴の話題になることを防止することができるでしょ?

まあ、単純な人は、「そんなものなのかなぁ・・・」と思ったりしますが、ちょっと鋭い人は、「聞いてもいないのに、どうしてわざわざそんな話をするの?」なんて怪訝に思ったりしますし、「この人は、そんなことをどうしても伝えたいと思っているの?」なんて疑問に思ったりするものですよね?

まあ、「それなり」の人にしてみれば、「あの人はすばらしい!」なんて決して思いませんよ。しかし、「仕切った側」のコンプレックス系のダメダメ人間にしてみれば、「自分にとっての痛い」話題にならなかったので、大成功のやり取りと言えるわけですし、そんなやり取りに参加している人間も、当然のこととして、「どーでもいい」話題だったので、安心して聞けるわけ。

自分に自信のない人ほど、「そんなことをコッチは聞いてもいないのになぁ・・・」なんて思わされることを率先して言ったりするものでしょ?
前記の「ワタシは幸福よ!」なんて言葉を、自分から率先して言ったりしますよね?
何も北朝鮮のように、「ワタシは天国にいるように幸せ!」なんて、いかにもな絶賛調でなくても、「ワタシたち家族は上手く行っているの!」なんて、「聞かれてもいないのに」「先制的に」言い出す人って、実際にいたりするでしょ?

それって、それだけ自分の幸福に自信がないわけです。人から質問されると、何も答えられないので、自分のペースで「説明」しなくては!と必死なんですね。

そんな人は、それだけ「触れられたくない」アンタッチャブル領域が大きいわけ。だから、その箇所を突かれると、逆上することになる。
それこそ、顔を真っ赤にして「ワタシは幸福よ!幸福だってば!どうしてわかってくれないのっ!」なんて必死で説明することになる。

ギャグを書いているように思われるかもしれませんが、そんな光景って、ダメダメの世界では、意外なほどにポピュラーなもの。

「そんなコンプレックスがあるのなら、それを自覚し克服するために努力すればいいじゃないの?」なんてマトモな人が思うのは当然ですが、コンプレックス系のダメダメ人間は、そのようなまっとうな点にはエネルギーを使わず、その話題から避けるためにエネルギーを使ってばかり。
自分の幸福を自分から説明する行為って、何よりも余裕がないでしょ?そんな余裕の無さがどうして幸福なの?

自分の親に迷惑を掛けられないと切羽詰っている人。
自分の考えに本当の意味で自信がない人。
会話の能力がなく、相手の話を聞き、自分の考えを伝えられない人。
そして、親から「いい子でいなさい!」と言われ続けてトラウマになってしまった人。
そんな人間が、「自分は、いい子である。」と主張するために、まさに相手の機先を制して、自分の善意を押し付けるわけ。
まさに先制的であり、専制的なんですね。

そこには善意はあるかもしれませんが、思いやりはないでしょ?
パウロだって言っているじゃないですか?
「山を動かすような信仰があっても、愛がなければ何も意味はない。」ってね。

(終了)
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発信後記

今週は、ダメダメ家庭の人間が行う「押し付けがましさ」「仕切りたがり」の傾向について、集中的に取り上げました。

結局は、自分で考えることからの逃避であり、相手からの話を聞くことからの逃避なんですね。だからこの手の人は、必要以上に強い調子の言葉を使ったりするもの。
以前に配信したお題だと「劇場風ハイテンション」になるわけです。

北朝鮮のピョンヤン放送のアナウンサーは「押し付けがましい笑顔」で、「劇場風ハイテンション」での語りで、「我々は幸福だ!」と主張しているわけですから、見事なもの。
そうやって、周囲の国を仕切ろうとしている。
いやぁ・・・参考になるなぁ・・・
R.10/12/21