トップページに戻る | 配信日分類の総目次に行く |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | やり取りと距離感 |
配信日 | 09年4月20日 (11年1月5日 記述を追加) |
タイトル | アナタに会いたい |
ダメダメ家庭は、会話不全の家庭です。 言葉は飛び交っていても、「相手にわかりやすく伝える」「相手の話を真摯に聞く」そんな発想がない。と言うか、自分自身を抑圧しているので、相手に分かってほしいこと、それ自体が存在しない。 そんな会話不全のダメダメ人間が、よく言ったりするのが「アナタに会いたい!」と言うもの。 逆説的になりますが、会話不全であるがゆえに、「会いたがる」わけです。 「相手に分かってほしいこと」が明確になっているのなら、逆に言えば、会わなくても済むことも多い。それこそ、今だったらメールのような手段もありますし、電話だって100年以上の歴史がある。もちろん、昔ながらの手紙という手段もある。 私としては、人と会わずに、引き篭もっていることを推奨しているわけではありませんよ。 ただ、人とのやり取りは、対面でのやり取りに限るというものではないでしょ? ビジネスの領域では、電話やメールや手紙などで、大まかにやりとりした後で、「じゃあ、顔を合わせて詳細を詰めていこうか・・・」そんな流れになったりするもの。 ほとんどのやり取りは顔を合わせなくても可能でも、細かい部分は、顔を合わせて相手の反応を見ながら進めて行った方が確実だし、現実的に速いことも多い。差しさわりのある微妙な問題だったら、特にそんな面もあったりするもの。 しかし、世の中にはそんなビジネスに近い領域ばかりではないでしょう。たとえば、お気軽なおしゃべりに近いやり取りもありますよね? おしゃべりだったら、基本的には顔を合わせてのやりとりになるでしょう。しかし、おしゃべりが成立する前提条件として、その前に色々とやり取りを積み重ねている・・・そんなことがあるでしょ? よく言う言い方である「気心が知れている」・・・そんな状態だからこそ、おしゃべりができるわけで、相手についてよくわからない場合には、おしゃべりなんて成立しませんよ。 いきなり『アナタに会いたい!』なんて言われても、「じゃあ、どんなやり取りをするのかなぁ・・・」「何について話をするのかなぁ・・・」「もしかすると、クレームでも付けてくるのかな?」と、やり取りの具体的なイメージができない場合には、リラックスどころか緊張や警戒するだけ。そんな緊張状態でおしゃべりも何もないでしょ? 案件について明確にイメージできる場合には、『この件について、話しをしたいので、ちょっと会って話でもしない?』と言う呼びかけの言葉になったりするもの。あるいは、何か教えてほしいことがあるのなら『この問題について、この観点から知りたいので、こちらに来て、ちょっと教えてほしい!』となるもの。そのような具体的なスタイルの呼びかけだったら、緊張も警戒もする必要もない。 逆に言えば、ダメダメの領域においては、取り上げる案件について、前もってイメージできていないがゆえに、『アナタに会いたい!』という言葉になるケースも多いわけです。 会話の実質がないがゆえに、会話の形式だけが頼りになっているんですね。 やり取りの成果が、議論して、このことが合意されたとか、説明できたとか、相手の考えを聞くことができたとかではなく、「○○さんと顔を合わせてやり取りをした。」という歴史的事実だけになっている状態。 それだけ「相手に分かってほしいこと」が自分でも分かっていないし、それを自分で抑圧している。心理的抑圧の結果として『アナタに会いたい!』という言葉になるわけです。逆に言うと、顔を合わせないと、何もないということ。そんな人とは顔を合わせても、何も成果はありませんよ。だから結果的にモメることになる。 その手の人は、「会う」口実を残しておくために、やり取りで事案を解決しようとはしない。 問題を小出しにしたりする。そして、一つの事案が解決しそうになると、別の事案をおもむろに出してくる。 別の事案もあるのなら、やり取りの最初の段階で、検討して行く事案について、その全体像をリストアップした上でやり取りしていく必要があるでしょ? 本来なら、一つの事案が解決したら、それによりお互いの信頼関係ができ、その信頼関係により、それまで以上に、やり取りが弾むもの。まさに気心が知れた間柄になる。しかし、「会う」口実を残すために、情報や事案を小出しにしているがゆえに、相手に嫌われてしまって、結局は、やり取りが終わってしまう。 そうなると、ダメダメ人間は、別の誰かを見つけて、『アナタに会いたい!』と言い出し、コンタクトを取ることになる。 そして、また、情報や案件の小出しをして、相手から嫌われる。 あるいは、情報や案件の小出しによって「会い続けよう」とするケースばかりではなく、それこそ「お土産」を持参する形で、会う口実を作ろうとしたりする。 とにもかくにも、「会う」ために必死になってしまっている。 抑圧的なダメダメ人間は、中身がない分、形式とか枠組みだけが頼りになってしまう。 それこそ、ダメダメ家庭の子供は、親からの「友人を作れ!」という要求があったりするので、とにもかくにも、人とのやり取りの「枠組み」や「形」を設定しなければならないという義務感を感じている。人に合わせるために、ふつうの人間になるために、人に会おうとする。形だけを認識し、形だけを意識し、形を整えることだけを考える。 いわば「ふつう」の人間の行動を外から真似ているわけです。行動を真似ても、本気で会いたいわけではない。ヘンな話になりますが、『アナタに会いたい。』と言い出す人は、本心では、会いたいのではない。 そもそも、人と会って話をして、楽しかったり、有意義だった経験などを持ってはいない。 会わなくてはいけない、会う義務がある・・・内心ではそのように認識している。 むしろ追い詰められたスタイルで、強迫的に思っているだけなんですね。 そのように強迫的に思っているので、被害感情と結びつきやすいもの。会えなかったら、被害感情が燃え上がってしまう。 「会う必要があるのに、会わなくてはならないのに、あの人は会わせてくれなかった・・・ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くことに。 しかし、義務感で人と会っても、実質的なやり取りにはなるわけがない。だからモメるのも本来は当然のこと。 ビジネスの分野だったら、逆に言うと、その手の問題は顕在化しやすい。 忙しい中、呼びつけられて、顔を合わせた状態で話をしても、具にも付かないことを、あーでもない、こーでもないとグダグダ言われたら、呼びつけられた側の人は怒ってしまいますよ。あるいは、政治の世界だと北朝鮮がアメリカに対して「アナタに会いたい!」と秋波を送ったりするでしょ?会いたいはいいとして、何について議論するの? しかし、逆に言うと、あーでもない、こーでもない話であるがゆえに、メールや手紙でやり取りをするわけには行かない・・・それも事実でしょ? 政治の世界なり、他人同士のビジネスの分野では比較的早期にこの手の問題は顕在化するわけですが、家庭だったら、そうはいかない。家庭では顔を合わせてやり取りをするのが基本的にはデフォルト状態。何かの成果を得るために、顔を合わせて話をするわけではないでしょう。 だから、家族間においては「アナタに会いたい!」という言葉は、自然に、別の言い方をすると「ふ・つ・う」に響く。 家族の間では、議論して「合意を詰める」必要はない。顔を合わせてのおしゃべりが基本ですよ。とは言え、おしゃべりの前提として、多くのやり取りの積み重ねがあって、「気心が知れている」ことが必要であることは、他人同士の場合とも同じでしょ? たとえ法律的な続柄として家族であっても、何を言い出すかわからない相手だったら、やっぱり警戒するのは当然のこと。 相手を警戒している状態だったら、呼びつけられても、やっぱり会いには行かなくなってしまう。 だからますます、やり取りの積み重ねがなくなり、ますます、相手の発想が読めないし、だからこそ警戒心が積み重なっていく。 そんな状態になったら、無理に対面でやり取りをしようとするよりも、電話やメールや手紙などで、「伝えたいこと」を伝えればいいわけです。そんなやり取りの積み重ねが、気心が分かっている状態を作り出すわけでしょ? しかし、抑圧的な人間は、「相手に分かってほしいこと」それ自体が存在しないので、そんな方法は取ることができない。 そうして、「いくら呼んでも会いに来ない!」と周囲にグチることになる。 そんな状態は、まさにダメダメ家庭では、実に頻繁に見られているもの。 子供と疎遠になった親が、お約束のようにグチっている。 それこそ、日本におけるやんごとないご家庭も、その典型でしょ? 「会えないから、話ができない。」「あの子は会いに来ない!」とグチる前に、手紙とかメールなどで自分の意向を伝えればいいわけですが、抑圧的な人間はそれができない。そんなこともしないから、なおのこと相手から不信感を持たれてしまう。 まあ、そんなグチの姿を見ていた側としては、『無関係の人間に対してグチる前に、手紙でも書きなよ!』と思うのは当然のこと。 しかし、ダメダメ家庭の周囲には、自分のグチの共鳴してくれるダメダメ人間ばかりのことが通例なので、そんなグチが通ってしまう。しかし、無関係な第3者に対しグチが通っても、肝心の相手側からはますます警戒され、軽蔑されてしまうことはちょっと考えれば誰でも分かること。 ダメダメ家庭の人間が、「アナタに会いたい!」と言い出すことは、皆さんも体験なさったのでは? そんな姿からは、伝えたい中身がなく、それだけ言葉が不毛であることが見えてくるもの。 それを自覚すればいいわけですが、抑圧的な人間は、まずもって現状認識からして逃避し、自分が何をしたいのかについて何も考えない。だからますますグチに精を出してしまう。 「ああ!あの子は会いに来てくれないわ!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」 そんなグチは、子供とのやり取りが絶えてしまった親のお約束のグチでしょ?身分のいかんに関わらず、そんなパターンですよね? ここで「会いに来てくれない!」とグチっているだけならまだしも、突拍子もないダメダメ人間は、「アナタのところに会いに行きたい!」と言い出したりすることもある。家族の間柄だったらまだしも、赤の他人でも、そんなことを言い出す人がいたりするもの。 そこまでぶっ飛んだダメダメ人間はサスガに少数派ですが、やっぱり現実に存在しているんですよ。 「アナタのところに遊びに行きたい。」と、ほとんど交流のない相手から言われてしまったら、皆さんはどう対処しますか? そんなことを言い出す人間が小学生だったら、まだ、どってことありませんが、それが、いい歳をした大人なんだからタチが悪い。サスガに『来るなよ!オマエは鬱陶しいんだよ!』と言いたくても、最初は社交辞令のようなものもある。だから婉曲的な言い回しをするわけですが、それこそダメダメ人間には皮肉が通じない。 結局は、コチラの努力もむなしく、本当に遊びにやってきたりするもの。あるいは、アポもなしに突然の訪問のケースもある。 チャイムが鳴ってドアを開けると、「その人」が立っている。コチラは作り笑いをすることもできずに顔面蒼白。 そんな状態で楽しいおしゃべりも何もないでしょ?そして、そんな無理な訪問によって、その人が何をするかというと、具にも付かないことを、あーでもない、こーでもない。 途方に暮れている側を横目に、勝手にしゃべっていた人がやっとのこと去って、ホっとした後で、更なる災難が待ち受けている。 別の人から話があって、「何でもあの人が、アナタの家に遊びに行ったんだって?アナタとあの人は仲がいいんだねぇ・・・ホホホ。」 常識的には、遊びに行くというのは、ある種の招待があったからと考えるのが大人と言うもの。歓迎しているわけでもない相手の家に押しかけるなんて、大人の思考の前提としてはありえませんよ。 だから第3者は、招待があったことを前提に考えてしまう。 だから、「仲がいい」なんて結論になってしまうのもしょうがない。 しかし、そんな言葉を聞かされた側は、顔面蒼白状態。 「おいおい!シャレになってないよ〜。」 そんな顔面蒼白状態で、必死に説明するハメに。 そうなると、「まあ〜、そんなことだと思ったけどね。あの人のすることだからねぇ・・・まあ、アナタも災難だったねぇ・・・」と、理解はしてもらえるわけですが、一人の誤解者は、多数の誤解者の存在を暗示しているもの。そのように考えると暗鬱な気分に・・・ このような「アナタに会いたい。」という物言いのヴァリエーションとしては、「一緒にやりたい。」という物言いもあります。 とにもかくにもグループを作りたいわけです。 何も孤高の人に価値があるとは申しませんが、グループを作ることそれ自体が目的というものではないでしょ? まあ、ちょっとした仲良しグループが自然に出来上がり、おしゃべりを楽しむというくらいならともかく、やたら人と会いたがる人は、グループの維持こそが目的化され、逆に、その中でのフランクなおしゃべりが霧散してしまうんですね。 みんなが、空気を読みあって、気を使いあって、フランクなやり取りにならない。 そんな人が家庭を作ったら、「絵に描いたようなすばらしい家庭」となってしまう。 外見ばかりを気にして、本音がなくなってしまうわけです。 最近ではよく「空気を読めない。」とかの言葉がありますが、抑圧系のダメダメ人間は自分自身を抑圧しているので、他者の感情や周囲の雰囲気を理解するどころではないんですね。 自分自身を抑圧している人間は、相手に伝えたいことも抑圧しているんだから、そんな人とのやり取りだって楽しいわけがない。 そんな人が笑顔で「アナタに会いたい!」「一緒にやりたい!」なんて言い出したりするもの。 前にも書きましたが、そんな人は、まずは自分自身との対話が必要になるわけです。他者との対話はその後なんですね。 「アナタに会いたい!」という言葉は、単純な肯定形の文章と思われる方も多いでしょうが、ダメダメの領域では違っているわけです。「アナタ」という言葉は、「自分以外の人物」という否定形の意味としての「アナタ」になっている。自己逃避としてアナタになっているので、「アナタに会いたい!」という言葉は、「アナタと会って、○○について話をしたい。」という肯定形的な意味ではなく、「自分自身から逃げたい!」「とにもかくにも、やり取りの形を作っておかないとマズイ!」という否定的な意味に近いわけです。 そんな人と会っても、楽しくないだけでなく、実に危険。 それがダメダメ家庭の現実なんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 ちなみに、「やり取りと距離感」という新しいカテゴリーを設定いたしました。 周囲から構ってほしがるところとか、実家との距離感などを、このカテゴリーに収録する予定です。 バックナンバーのサイトもそれに伴って、収録カテゴリーが変更になる文章もあります。 今週は、このカテゴリーの文章を集中的に配信する予定です。 |
|
R.11/1/5 |