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カテゴリー やり取りと距離感
配信日 09年4月24日
タイトル 交流の習慣
映画とか、美術展とか、あるいは音楽コンサートとか・・・
そのようなものは、ある種の惰性のようなものもあったりします。

一つどうしても行きたいものに行ったら、会場にチラシが置いてあったのでちょっと見たら、面白そうなので、それにも出かけ、そこでまた、置いてあったチラシを見て別のものにも出かける・・・
そんなパターンもあったりするもの。
まあ、チラシを置いた人だって、それが目当てなんでしょ?

映画でもコンサートでも、何も覚悟が必要なものではありません。あるいは、もうちょっと覚悟が必要なものとしては旅行の場合もあるでしょう。クセが付いてしまうと、判断の「しきい」が低くなる、だから、継続して行うようになってしまう・・・それはある種の惰性でもあるわけですが、このようなことは現実的にありますよね?

逆に言うと、いったん途切れてしまうと、その種のイヴェントを個々に精査したり、ある種の醒めた目で見たりするようになってしまう。だから、再開するのに「しきい」が高くなる。

まあ、この種の惰性の代表例が年賀状でしょう。
年末年始は、年賀状やり取りが、結構メンドウなもの。
「あんなものは虚礼だ!廃止しよう!」
そんな考えは当然のこととしてあるでしょう。

学生さんが、クラスメイト同士で年賀状のやり取りをしても、あまり意味がない。しかし、社会に出ると年賀状も役に立つもの。年賀状を見て、「ああ!アイツも、まだ生きているんだねぇ・・・」と思うことになる。

『自分は生きている。』
なんて報告ができるのは、年賀状くらいですよ。違うシーズンにやったら、逆にヘン。
そんな意味では、年賀状も、結構有意義なものなんでしょうね。

「自分は生きている」と年に一回報告しているから、もしもと言う時にも、コンタクトが取れるわけでしょ?「生きている」という報告もしていなかったら、何かあっても、「え〜とぉ・・・コイツは誰だっけ?」と思われるだけ。

そう言う意味では、年賀状は、礼儀云々の問題ではなく、いわば中間報告というか、やり取りの継続性の意味から考えることができますよね?

実は、ダメダメ家庭の人とのやり取りでは、この中間報告がないもの。
それこそ私に相談されるような場合でも、こちらから宿題のようなものを出すことがあります。だって、現状をしっかり報告してくれないと、解決案も出しようがないでしょ?ダメダメな人は、往々にしてその現状認識ができていないもの。だから「こんな点に注意しながら、ちゃんと現状をまとめてくださいな。」と宿題を出すわけ。
まあ、実際問題としては、現実認識があいまいなまま相談してくる人という事実から、色々と分かったりするものなんですが。

宿題を出したにせよ、あるいは、こちらから「視点」や「考え方」を提示しても、ノーリアクションのことも多い。まあ、トンズラされるケースが実に多い。
ダメダメな人間と言うものは、そういうものだから、別に怒ったりはしませんが、まあ、だからトラブルが起こるわけでしょ?

いつものようにトンズラかなぁ・・・と思っていると、2,3ヵ月後に突然にリアクションが返ってくることがあります。「あれっ?生きていたんだ?」とビックリ。しかし、私としてはそんな人は、すでにアーカイヴに入っていますよ。

もし、相談してきた事例について、まだ解決できず検討中なら、適宜中間報告をした方がいいのでは?
だって、それこそ「まだ生きている。」ことが判るわけですし、まだ問題が解決していないことも伝わるわけでしょ?
問題が解決していないことが伝わっていたら、相談相手の側も、「そう言えば、あの件は、こんな考え方も有効なのでは?」と追加して考えたりもしますよ。だから次にコンタクトを取った時にも、より有効な回答を受ける可能性が高い。

それに、適宜、中間報告をしていれば、聞きやすいでしょ?当然のことながら心象だって違ってきますよ。

自分で色々と考えるにせよ、上手く行きそうにない状態だったら、早めに連絡した方がいいわけ。結果的にギヴアップするにせよ、「溜め込んで」ギヴアップするよりも、その前に事前に「ピンチだ!」と連絡しておけば、相手も対応が取りやすいでしょ?
事態がより悪化してしまうと、相談を持ちかけている相手側としても、対応が取りにくくなってしまうことが何となくわかるから、気を使って、ますます相談できなくなってしまう。
極限まで粘る気迫は重要ですが、その前に状況を連絡しておけば、善後策も取りやすいわけ。

ダメダメ家庭の人間は、相談の仕方がわからない。
このことは、このメールマガジンで以前に配信したことがあります。
そもそも自分の親に対して、相談ができなかったので、相談の仕方がわからないわけ。

被害者意識が強いので、やり取りの際にも、真っ先に自分の被害を考え、周囲まで配慮が至らない。常に自分のペースで物事を進めようとする。
しかし、だからこそトラブルが起き、周囲に対し協力を求めることもできない。
このような事例は、以前にあった「島田紳助氏暴行事件」での被害者の女性に顕著でしたよね?

今現在やり取りをしている人がどんな状態なのか?
その点について、ちょっと考えてみれば、中間報告の重要性は簡単にわかるでしょ?
何も難しい報告じゃなくてもいいから、「まだ解決していません。」「今こんなことをやっています。」くらいで十分。

何もダメダメ家庭の相談の問題だけでなく、ビジネスの世界でも同じでしょ?
一緒に作業をしていても、ダメダメな人は途中経過を言わないもの。だから「まあ、たぶん順調に進んでいるんだろうなぁ・・・」と思っていたら、突然にギヴアップされたりするもの。
そうなると、当然のこととして周囲の視線も厳しい。

そんな厳しい視線を受けたりすると、今度は周囲の反応を恐れて次からは何もしなくなる。ただ逃げ回るだけ。だからますます自信がつかず、ますます逃げ回る。逃げ回っているだけで何も達成していないから自信がないまま。だから「今ちょっとピンチだ!」という連絡も入れられない。だからますます状況が悪化する。
何も難しいことではなく、適宜中間報告をすれば、お互いにラクなのに・・・と言うだけです。

あるいは、中間報告だけでなく、事後報告のようなものもありますよね?事態が解決したら、事後報告くらいはしてもいいのでは?
事後報告をしないから、次の機会に知恵を借りられないことになってしまう。

しかし、ダメダメ人間はこの事後報告もないもの。そもそも抑圧的なダメダメ人間は、判断から逃避している。だから事態が「解決したかどうか?」の判断すらしないわけ。判断がないままなんだから、報告もできるわけがありませんよ。

ダメダメ家庭の世界では、相談と言っても、「構ってほしがっている」ダメダメ人間が、自分のトラブルをネタに遊んでいるだけ。
その問題を解決したかどうかは、実はその当人にとって重要ではないんですね。
だから、解決に役に立つ知恵やアドヴァイスなどは、存在しない。
逆に言うと、人から知恵を借りて、事態を解決する発想自体が存在しない。

事態を本気で解決しようとは思っていない抑圧的なダメダメ人間が、中間報告や事後報告とは無縁なのはしょうがない。
しかし、トラブルを解決したいと考えていたり、予防しようと考えているのなら、そんな報告を適宜入れることにより、付き合いの継続性のようなものを保つことができるでしょ?
トラブル解決云々の報告ではなく、連絡のようなもので十分ですよ。

いったん、やり取りが途切れると、醒めた目で見ることになる・・・私としては、そのことを申し上げているだけです。
美術展や映画などは、相手が人間ではない。だから、復活することも簡単。
しかし、人間同士のやり取りだったら、コッチのその気が復活しても、相手がそうなるとは限らない。このようなことは、他人同士ばかりではなく、家族の間でも同じですよ。

それこそ、会社の仕事の関係での単身赴任も、その一種でしょう。
もちろん、電話などを使えば、離れた場所の間でのやり取りは、技術的に、可能となる。
しかし、一緒に暮らしている時は、「一緒にいるのが当たり前」だったのが、そうではなくなるわけだから、ある種の「しきい」が出来てしまう。
まあ・・・わざわざ顔を合わせなくても・・・
電話で十分だし・・・
そうなると、顔を合わせること自体を、醒めた目で見て考えることになってしまう。
次には、顔を合わせる人間そのものを、醒めた目で見ることになる。

往々にして単身赴任をする男性は、そこそこアタマもよく、ソツがないので、自分ひとりで生活できてしまう男性が多い。だからこそ家族の側も安心して単身赴任させるわけですが、逆に言うと、男性の側も「わざわざ一緒に暮らさなくてもいいじゃん!」と言うことに気がついてしまう。そうなると、ますます家族を醒めた目で見るようになってしまう。
そうなると、マズイ事態が発生したりするものなんですよ。

醒めた目で見られると、どんな人間も、色々と欠点が見つかってしまうもの。
だから、醒めた目で見られないようにした方が現実的には簡単なんですね。
交流の習慣があれば、そんな醒めた目にはならないことが多いでしょ?
もちろん、醒めた目で見直して「やっぱり一緒にいた方が、何かと便利だ。」とでも思えればOK。ただ、いつもそうなるとは限らないわけ。

あるいは、ちょっと交流が途絶えた状態になったら、どうするのか?
そんな問題もありますよね?
ダメダメ家庭の人間は、現実逃避している。だから、ちょっと交流が途絶えた状態という現実を認識することからも逃避してしまう。それこそ「こんなのはふつうだよ!」でオシマイ。だから何も対処しない。
5年以上も音信不通であっても、「ふつう」の不通と認識してしまっている。

本来なら、たとえば半年くらいの音信不通の状態で、何がしかの対処をとればいいだけ。
手紙でも、あるいはメールでも何でも可能ですよ。
あるいは冠婚葬祭のようなイヴェントもあったりするもの。

そんな「半年程度のちょっとした不通」状態からのリカヴァリーには色々な方法があっても、5年以上の音信不通だったら、リカヴァリーは無理でしょ?
結局は、その5年の音信不通が十年になるだけでなく、その親の葬儀にも子供は出てこないなんて事態になってしまう。

だって、単に音信不通どころか、居場所がわからない状態だったりするんですね。
それも本来は、せめて1年ごとに居場所については確認しておきさえすれば、そんな事態にならないでしょ?
年賀状を出して、返事が来なかったら、ちょっと調べてみる・・・そうすればいいだけ。ちょっとした不通を放置するから、まさに完全に音信不通になってしまう。
しかし、子供に対して年賀状も出さない親に限って、「子供が会いに来ない!」とグチるもの。

年賀状のようなものばかりではなく、お中元でもお歳暮でも、クリスマスプレゼントでも、誕生日プレゼントでも何でもいいでしょ?そんなものを送れば居場所が確認できるだけでなく、相手からのお礼の電話くらいはあるでしょ?そうなるとやり取りくらいは発生しますよ。
大学進学などで親元から離れている子供に缶詰でも送ったりする親は、缶詰を送るのが目的というよりも、「何かあったら、連絡しなよ!」というメッセージを送っているわけでしょ?
音信不通になる家庭は、そんなこともしないもの。
周囲に「あの子は、全然来ない。」とグチることはあっても、子供に何か送ったりはしない。
つまり、交流継続の意思表示はしていないわけ。

現実から逃避しているダメダメ人間は、家族が自分を嫌っていることを認めるのが怖い。だからこそ、内心ではその家族と会いたくないわけ。顔を合わせて、本心を言われるのがイヤだし、「来てほしい!」と呼びかけて拒否されるのがイヤ。だからこそ、「来てほしい!」と呼びかけることすらしないようになってしまう。
ダメダメ家庭の中は、「支配・被支配という構図」なので、対等の関係での交流というものがわからないわけ。いったん、支配関係が崩れてしまったら、対処できない。

そうして、持ち前の被害者意識から、「あの子はワタシに会いに来ない!」と周囲にグチるだけ。そんな姿を伝え聞いた子供の側は、ますます音信不通になってしまう。
そんなパターンは、それこそ日本のやんごとないご家庭でも、似た状況でしょ?

いったん途切れると、再開するのが難しい。
だったら、薄いやり取りでも、続ける方が簡単なのでは?
そういう意味では、惰性も、悪いことばかりではないんじゃないの?

(終了)
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発信後記

昨日4月23日に有名な芸能人の方が逮捕されてしまいましたよね?
何でも、酔っ払ってオールヌードで騒いでいたとか・・・

このメールマガジンでは、ダメダメ家庭出身者にフィットした分野の代表例が芸能界であると頻繁に書いております。逆に言うと、芸能界でそれなりの地位にまで上り詰める人は、ダメダメ家庭出身者であることが推定できるわけ。

芸能界というか芸人は、体を張ってバカをやるのが、その仕事でしょ?
上の立場から、「皆様!地上デジタル放送への準備をしましょう!」なんて呼びかけることの方が心得違いですよ。
体を張ったバカも限度はあるでしょうし、カタギの人に多大なる迷惑を掛けてはダメでしょうが、一般人がとてもできないようなことをやってこその芸人というもの。

ダメダメ家庭のメンタリティを持った人間が、周囲からヘタに「いい人」認定を受けてしまうと、それにより、自分の首を絞めるだけ。
そういう意味では、その彼も、芸人の原点に立ち戻るいいチャンスと言えるのでは?
「いい人」の衣を脱ぎ捨てて、裸一貫から出直した方が、後々にはいい影響が出てきますよ。
R.10/12/22