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カテゴリー | ダメダメ家庭が好きな言い回し |
配信日 | 09年8月3日 (10年12月28日 分離独立) |
タイトル | どうしてコッチが |
追記 | 09年8月3日配信文章である「弱い部分にしわ寄せ」から分離独立いたしました。 |
ダメダメ人間は、被害者意識ばかりがあって、当事者意識がない。 トラブルがあっても、それを自分の力で解決していく発想がない。 常に「やらされている」という受け身のスタンスで物事をとらえている。 受け身のスタンスだからこそ、不都合な事態は被害として認識し、だからこそ、ますます被害者意識が強くなる。 常に受け身のスタンスだからこそ、トラブルも起こるわけですが、実際にトラブルが起こっても、それを受け身でとらえることになる。 そもそも、「自分は被害者である。」としての確信があるので、自分で主体的に動こうとしない。「どうしてコッチがそんなことをしなきゃいけないの?」などと言いだしグチグチするだけ。 やり取りというものは、本来なら、お互いが知恵を出し合うことで物事を解決していったり、お互いが相互に訪問していって、交流したり・・・そんなものですよね? それは順調に物事が運んでいる時でも、トラブルになった時でも同じですよ。お互いが協力してのやり取りが必要になるでしょ? しかし、ダメダメ人間は、 「どうして、コッチが行かなきゃならないの?」 「どうして、コッチが考えなくてはならないの?」 と、グズるだけ。 しかし、そんな言葉を言ったりする人間にマトモな人っていましたか? どうしても、やりたいこと、やれること、やらなければならないこと、解決したいこと・・・が自覚できていれば、どっちの側が、行くとか、考えるなんて、それほどこだわる問題ではないでしょ?結果として、事態が解決されることが重要なのであって、そのプロセスは二の次ですよ。しかし、ダメダメ人間は、自身の受け身の立ち位置を常に保とうとする。 それこそ、企業に執拗にクレームをつけている、いわゆるクレーマーの方がいます。 まあ、その企業の製品で不都合をこうむった・・・実際にそんなこともあるでしょう。ということで、補償などの問題でやり取りをすることになる。 そんな人に、「アナタは、その会社を訪問したことがあるの?」なんて聞いていても、返ってくる答えは、コレ。 『どうして、コッチが行かなきゃならないの?』『向こうが悪いんだから、向こうが来るのが当然でしょ?』 確かに、そのとおりではあるわけですが、たまには向こうでやってもいいわけでしょ? そもそも、向こうの会社でやれば、決定もしやすいじゃないの? 「社に持ち帰って検討します!」そんな逃げ口上は通用しないわけですからね。「決定」するには最適ですよ。 逆に言うと、事態を解決したくない人、あるいは判断なり決定したくない人にしてみれば、会社の人間を「呼び付けて」クレームをつけ続けることの方が楽しいわけです。 それに、そんな人は、自分自身がつけているクレームにも、本当には確信が持てない。 被害者感情が燃え上がって、感情が暴走して、クレームをつけているだけなんですね。 だから、相手の会社の社屋の中で、自分の主張を堂々と展開することができない。 「できる限り、自分のペースでやりたい!」「そうでないと、対応できない!」 内心では、そう思っている。 それに、もともと会話の能力や説明能力がないのがダメダメ家庭の人間というもの。客観的な説明によって自分たちの主張を堂々と言うことができない。だから、自分たちが、いざとなったら逃げられる状況を確保しておきたい・・・だから、「自分のホームグラウンドでないと困る!」そう思っている。 そのクレームに自信があるのなら、どんな場所でも、しっかりとした説明ができますよ。 相手先に出向くのがイヤと言っている段階で、そのクレームの質も見えてくるわけです。 相手先に出向くことができないということは、結局は、自分の主張に自信がないということなんですね。 まあ、典型的な例が、北朝鮮のキム・ジョンイル将軍でしょ? 彼は自分のホームグラウンドから中々出ようとはしませんよね?それだけ、自分に自信がないんですね。 その手の人は、「どうして、コッチが行かなきゃならないの?」という言葉が頻発するのはいいとして、別に「行っても」いいじゃないの? どうして、「行くのがイヤなの?」あるいは、「どうして、行ってはダメなの?」 その点から、その種の人の心理が見えてくるわけです。 目標を達成することや、事態を解決することよりも、自己弁護が優先されているわけです。 そのようなことは、クレーマー系の女性運動もそのパターンでしょ? 「どうして我々女性の側が考えなきゃいけないの?」 「ワタシたち女性は被害者なのよ!」 そんな言葉をよく言ったりしますよね? それはいいとして、じゃあ、そんな女性たちは何をしたいの? 男性にクレームをつけるよりも、自分たちのしたいことを堂々と掲げて、それに協力するように要求すればいいじゃないの?そんな要求だったら、言われた方も協力できる可能性が高いでしょ? 「どうして、コッチが・・・」 そんな言葉が出てくる背景には、「ワタシたちがかわいそうな被害者である。」ということが前提になっている。そんな被害者意識だけでなく、「自分がしたいことは何なのか?」ということを考えることから逃避する心理もあるわけです。 自分がやりたいことそれ自体や、解決したい問題それ自体が明確ではないんだから、自分で判断することもしたくない。 まさに「受け身」の形での解決を望んでいるわけです。 受け身にこだわるがゆえに、自分からで出向くことはできない。 自分で出向いたら、受け身でなくなってしまうでしょ? そんな人たちは、「どうしてコッチが・・・」ということについては、強く語るけど、じゃあ、「その場で何を主張したいのか?何を決定したいのか?」ということについては、明確に語らない。形式論をグダグダ言っているだけ。 当事者意識がないんだから、そんな人は、何も達成するわけもない。だから不満がたまってしまうし、自信も持てない。 だからこそ、何か機会があると、人を呼び付けて、大威張り。 「どうして、コッチが・・・」 なんて、ちょっとした言葉ですが、そんな言葉から見えてくるものがあるわけ。 自分がやりたいことを、「石にかじりついてもやる!」なんて人間ではない。当然のこととして、そんな人の話は被害話ばかり。 だから、周囲の人間のレヴェルも落ちてしまう。 本来なら「どうして、コッチが・・・」なんて本人が言っても、『何もアンタもそんなことは言わないで、たまにはアンタが向こうに行ったら?』なんて言ってくれる人もいたりするわけですが、そんなマトモなことを言う人を遠ざけてしまって、結局は、『そうよ!そうよ!向こうが来るのが当然よ!』と同調する人ばかりを集めてしまう。 そうやって、ますますクレーマー稼業が板についてくる。 皆さんの近くにもいたりするでしょ? 二言目には「どうして、コッチが・・・」などと言ったりするような人。 そんなことを言うのも、本人の勝手なわけですが、やっぱり思ってしまうのがコレ。 『で、アンタ・・・結局は相手にどうしてもらいたいの?』 何もクレーマーのような過激な事例ばかりではありません。 「どうしてコッチが・・・」と言い出すような人は、子供と疎遠になる親に実に多いパターンなんですね。 疎遠になりかけた子供に対して「親の元に会いに来い!」と命令することはあっても、自分から子供の元に会いに行くことはしない。 それどころか、子供に対して、誕生日プレゼントとか、年賀状を送ることもしない。 とにもかくにも、自身からはアクションを起こさないわけです。 常に受け身のスタンスなんですね。 そして、親からの命令に従って会いに来た子供に対しては、「わざわざオマエに会ってやったぞ!」と押し付けがましい態度となる。 逆に言うと、そんな態度を取るためには、受け身のスタンスでいる必要があるでしょ? そんな態度をされたら、子供だって、もう二度と実家には来ませんよ。 そうなると、親の側は、「会いに来い!」と、また、命令する。 しかし「会いに来い。」と命令しても、やっぱり自分からは会いには行かない。 自分で判断して、アクションするという発想そのものを持っていないわけです。 そうして、「自分の子供が会いに来ない!」と周囲の人間にグチることになる。 そんなグチを聞かされた側が、『だったら、アンタ自身が会いに行けばいいじゃないの?』『何も外国に住んでいるわけではないでしょ?』『どうして、アンタ自身から会いに行かないの?』と質問されることがある。 そんな質問に対しては、 「どうして、親の側が子供のところに、わざわざ出向かなくてはいけないの?」 「ワタシは子育てでこんなに苦労をしたんだから、子供がそれに応えるのは当然じゃないの?」 と回答することになる。 しかし、そんな回答こそが、子供と疎遠になっている理由を如何なく説明していると言えるでしょ? 同じようなことは、子供の登校拒否の問題でも発生します。 「登校拒否の問題は、学校側が考え対処すべきだ!」 「我々親の側は、出来の悪い学校による被害者なんだぞ!」 「子供を愛さない親はいないんだぞ!」 そのように主張する親もいますよね? しかし、自分の子供の登校拒否を本当に解決したいと考えているのなら、対応を丸投げしている余裕なんてないでしょ? しかし、逆に言うと、自分なりに対応を考え、実行したら、その結果責任が発生してしまう。 それはダメダメ家庭の人間には不快であり、恐怖と言える。 そんなことよりも、事態の対処を誰かに丸投げして、その丸投げ対象に文句を言うだけの状態を求めるわけです。 ダメダメ家庭を作る親は、何かがあっても「自分は悪くない。」と言える受け身の状態を維持するために、子供はどうなっても構わない・・・深層心理的にはそう思っているわけです。子供の幸福ではなく、弁明のしやすさを優先させるわけです。 だからこそ、結婚後のドメスティック・ヴァイオレンスのような状況においても、相手先の暴力オトコを責めることはあっても、「どうして、あんなオトコとの結婚を認めてしまったのか?」については、まるで自省しない。 あるいは、このようなドメスティック・ヴァイオレンスだと、暴力を振るわれていた女性が、暴力をふるっていた男性を殺害するような事件もあったりしますが、その男性の母親が、相手の女性を執拗に責めるような事例がありましたよね? 相手を執拗に責める行為によって、「親であるワタシは悪くない!」という主張をしているわけです。まさに、子供を登校拒否にしてしまう親と、まったく同じ姿となっている。 しかし、相手を執拗に責める親の姿勢こそが、そんな事件を引き起こす要因を語っていると言えるでしょ? 「コッチは悪くない!」「アッチが悪いんだ!」 その関係性を、確定させるための儀式的な糾弾であり、そんな姿勢は、「殺された」自分の息子との間にも成立していたわけです。 ダメダメ人間は、「ワタシは悪くない。」というために、常に受け身のスタンスを維持しようとする。 そして、ことが起こってから、相手を責めたてる。そんなことを、様々な領域でやっているもの。逆に言うと、過激なスタイルで相手を糾弾する姿勢は、自分は常に受け身の立ち位置にいることの証明のようなものでしょ? しかし、親がそんなに受け身なんだから、子供の側がトラブルになるのは、誰でもわかることですよ。 ダメダメ家庭の人間は、受け身のスタンスにこだわる。 抑圧的であり、自分で判断するという状況そのものが不快であり、恐怖を伴うことになる。 自分が判断しなくても済むという受け身のスタンスしかいられないわけです。 受け身の立ち位置だからこそ、不都合な事態は、自分にとっての被害となる。 それが、被害者意識の強いダメダメ人間にしてみれば、心地いいこと。 その受け身のスタンスを保つために「どうしてコッチの側が対処しなくてはならないの?」と周囲に対して文句を言ったりするものですが、逆に言うと、そんな言葉が、トラブルの発生の理由を十分に語っているものなんですね。 |