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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 09年8月10日 (10年12月30日 分離独立)
タイトル 理由なき
 追記 09年8月10日配信文章である「流すための言葉」から分離独立いたしました。
 ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がなく、自分で事態に対処するという発想自体を持っていない。しかし、だからこそトラブルが多発することになる。
トラブルが発生しても、その事態に当事者意識を持って当たるという発想がなく、「ワタシは悪くない!」と言い訳をして、「悪くはないんだから」という名目で、対処を誰かに丸投げすることになる。

その言い訳も、「唸らされる」くらいに見事なものならいいんですが、ダメダメ人間は、その言い訳も、やっぱりダメダメなものなんですね。
聞かされた側が途方に暮れるような言い訳を臆面もなく出してきたりするもの。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、一般常識がない。それに、「自分こそが一番かわいそうな被害者なんだ。」という基本認識なので、他者のことを考える習慣がない。と言うよりも、以前に集中的に配信いたしましたが、他者という存在自体を、心理的に認識できていない。だから他者が受け入れ可能な客観的な説明もできない。だから、トラブルに際しての、言い訳のレヴェルも低くなってしまうわけです。
自分が納得できればそれでいいし、事態を改善するつもりはない。ただ事態を流したいだけ。その不都合な事態を見たくないし、考えたくもない。

そして、ダメダメ家庭の人間は、信頼というものが理解できない。だから、トラブルに際に発せられる言葉も、信頼を回復するための行動としての弁明ではない。あくまで目の前から流すための言葉であり、対処を丸投げするための言い訳の言葉になっている。
だから「とりあえず」くらいの感覚で、いつも使っている言葉で言い訳したり、事態の説明をしたりする。
そんな人たちは、ちょっとでも分かりにくい事例が起こると、それこそ「理由なき」なんて、分かったような訳分からないレッテルを貼り付けて、それでオシマイとしてしまう。

そうして、「この事件は、確たる理由もなく、たまたま起こった偶発的なものなんだから、ワタシは悪くないわ!」「もし、理由があったとしても、ワタシは全然分からないんだから、対処はアンタたちがやってよね!」「じゃあね!ワタシは知〜らない!」と、ふんぞり返ってしまう。
トラブルに際し使われる「理由なき」というレッテルには、そんな効果があるでしょ?

確かに「理由なき」と言っておけば、突っ込まれにくい。物事の証明で一番難しい証明は「ない」ということの証明ですよ。
それこそ『アンタ・・・実は浮気しているんじゃないの?』なんて言われても、「浮気していない」証明はできないでしょ?『浮気していないのなら、その証拠を出してよ!』なんて言われたら、それこそ「コイツはバカか?」と思ってしまうだけ。

本来は、そんなことは小学生でもわかること。
しかし、現実でも、そんな言いがかりに近いような追求ってあったりしますよね?
「不正をしていないのなら、その証拠を出せ!」なんて・・・言っている人もたまにいるでしょ?小学生ばかりではなく、国会でもやっているくらいなんだから・・・

まあ、現実的には、そんな感じでアタマがおかしい人からは距離を置くしかない。
そもそも「ない」ということの証明が、非常に困難を伴うことが分かっていないような人と、我慢してやり取りをしても、後々になって、より面倒になるだけですよ。
その手の人は、他者という存在が心理的に認識できていないわけですからね。
そんな人とは、「やり取り」のしようもない。
マトモな人が避けてしまうので、ますますトラブルが起こることになる。

しかし、何か事件があったりすると、それこそ「理由なき」というレッテルは、それこそ「お約束」で使われたりしますよね?学校などで大きな事件があると、本当にお約束状態でしょ?子供同士のトラブルなり、あるいは、かつての卒業生によって教員が襲撃されたり・・・そんな事件の後には、その言葉が、必ず登場してきますよね?

しかし、本当に理由がないの?
本当にないのなら、それをどうやって証明するの?

もちろんのこと、「理由がない」ことが証明できないことから、「理由がある」ことの証明となる・・・そのような論理展開にはならない。
前にも書きましたが、現実的には、「理由がない」ことは証明できない。
だからこそ、「証明する必要がない」言葉とも言えますよね?
証明する必要がないがゆえに、「コレを言っておけば安心だ。」なんて感覚で気軽に使われてしまう。まさに事態を「流す」ためには有効な言葉なんですね。

しかし、証明できないと言っても、本当に理由がないの?
理由がないと判断した根拠くらいはあるでしょ?
どんな判断材料を元に、そしてどんな思考を積み重ねて、「理由がない」と判断したの?
証明は無理としても、判断のプロセスくらいなら説明できるのでは?
「理由がない」と、いきなり断定するよりも、そんな判断の材料なりプロセスを提示することの方が意味があるのでは?

と言っても、そんな感じで突っ込んでくる人間が、ゴロゴロいるわけもなく・・
結局は、何かトラブルがあったりすると、「理由なきトラブル」という物言いで一般の人は納得してしまう。
それに、確たる理由がないとしておけば、何も対策を取らなくてもいいでしょ?
ただ、「こんなことになってしまって・・・ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と嘆いていればいいだけ。

このような事例の典型は、以前にありました長崎県の小学校6年生による事件でした。
ちょっとでも考えれば、その原因なりプロセスが推定できるのに、いきなり「理由なき」ということで断定してしまう。
結局は、「逆らえない」「理由を言えない」存在をスケープゴートにするだけ。

あの事件の周囲の大人たちは、「自分自身が至らなかった点はどこか?」という当事者意識につながる視点は、ずっぽり抜け落ち、「オレは、かわいそうな被害者」という点を、「外さない」報告書だけを参考にしていましたね?
だから、「どうも腑に落ちない。」「完全に説明できない。」って、そんなことは当たり前ですよ。

このようなダメダメ人間は、「まあ!あなたは何てかわいそうなの?」「お気の毒ねぇ・・・」そのような言葉を待っているだけ。自分を「かわいそうな被害者」と人から認定してほしいだけなんですね。

結局は、自分たち自身では何も考えたくないわけです。自分で考えないものだから、自分の目で事態を見る必要もない。ただ、権威筋のご高説を問答無用に押し付けているだけ。
ちょっとでもそのご高説から外れると、「理由なき」認定で終了。
ああ!なんてラクチンだこと!!

しかし、精神的にも知性的にも怠惰なそんな姿こそが、トラブル発生の理由を、そして「理由の存在」を証明している・・・
実際には、そんなものでしょ?

理由なきという言葉は、議論を封じるセリフの一つと言えます。
つまり、「これ以上は考えたくない!」という思考停止のための言葉なんですね。
思考停止が日常化しているがゆえに、問題意識をもって現実を直視する必要もなく、自分自身についても何も考えない。

しかし、だからこそ、事件が現実として発生してしまうのは、それこそ小学生でも分かること。
事件の後で、安直に出てくる「理由なき」という言葉は、その「理由について考えたくない」という心理を表したものと見ると、事件について実に理解しやすくなるでしょ?

「理由なき」という言葉を早々に発する人は例外なくダメダメであり、そんな言葉を違和感なく受け入れているようだったら、その周囲としても、やっぱりダメダメなんですね。
「事件が起こったら、『理由なき』と言っておけばいいじゃん!!」というお軽い精神だからこそ、事件が起こるわけですし、結局は、別の事件が起こってしまうわけです。
長崎なんて、まさに、そんな流れになっているでしょ?