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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者のキャラクター |
配信日 | 09年10月19日 |
タイトル | 埋没恐怖 |
「アナタのお子さんの○○ちゃんは、どんなことが得意なの?」あるいは、「どんなことが好きなの?」 なんて質問は、親同士のやり取りでは、ポピュラーなものですよね? 勉強が得意でも、運動が得意でも、絵を描くことが得意でも、あるいは、特定のマンガが好きでも・・・それはそれで子供の特徴であり可能性と言えるでしょう。 本来なら、子供が持っている興味なり可能性を伸ばしてあげるのが、親の務め。 ・・・なんですが、ダメダメな親は、そもそも「親として自分の子供の可能性を伸ばしてあげたい。」なんて考えていない。ダメダメな親が自分の子供を見て思うのは「この子供を育てるハメに陥って、親であるワタシって、なんてかわいそうなんだ?!」と言うことだけ。 だからこそ、自分の子供の出来が悪い方が親としてうれしいことになる。だって、その方が「子育てによる被害者」という立場を取り易いでしょ?以前より書いていますが、そんな親に対して『アナタのお子さんは、優秀でうらやましいわ!』と言ったりすると、自分こそが被害者であるという認定に対する反論と認識し、過激に「ふんっ!そんなことはないわよ!この子はいつも・・・」と子供の悪口を言うことになってしまう。 このことは、以前よりこのメールマガジンで頻繁に言及しております。 子供の出来が悪い方がうれしいと感じている親なんだから、子供の可能性を伸ばしてあげたいなんて、思うわけがありませんよ。ヘタに子供の出来がよくなってしまったら、親は被害者でなくなってしまうでしょ?ヘタをすれば、子供の可能性をつみ取っている加害者と認定されてしまう。だからこそ、自分の子供は「もともと」何も可能性がないダメな子供であった方がうれしいわけです。 だから、ダメダメな親は、自分の子供の得意分野なんて、全然知らないんですね。 最初に挙げた、『アナタのお子さんは、どんなことが得意なの?』そんな質問に対しては、たとえ過激な反論をしない場合でも、「うーん・・・」とか、「別にぃ・・・」とか、「特にぃ・・」とか、そんな返事になってしまう。 そもそも、普段から自分の子供が何をやっているのか?どんなことが好きなのか?何も知らないんだから、子供の得意分野を説明できるわけもありませんよ。 それに、そもそも、その親自身にも得意分野なんてものはない。親が自分自身を語る言葉は、お約束の言葉である「ふ・つ・う」。 周囲に対し、自分の子供のデキの悪さを語り、得意分野は知らないし、知りたいとも思わない。ヘタに子供の得意分野を知ってしまうと、それを伸ばさないといけない。親にその気がなくても、周囲からの声があったりするもの。ダメダメな親にしてみれば、それが鬱陶しい。 そんな親に育てられている子供はどうなっちゃうの? だって、もっとも身近な大人である自分の親に、自分の得意分野なり美質を見つけてもらえないわけでしょ? 子供としては当然のこととして、自信なんて持ちようがないでしょ? そして、自信がないだけでなく、親が自分を見ていて、守ってくれるという信頼がないんだから、どうしても周囲との接触では切羽詰ったものになってしまう。 「ミスしたらダメ。自分の身は自分で守らないと!」と常に身構えてしまう。 「ミスしたらダメ!」と思っているから、ますます対応がぎこちないものになってしまう。以前にシェークスピアの戯曲「じゃじゃ馬ならし」を取り上げた際に書きましたが、周囲に対してツンツンするようになってしまう。いわば、弱みを見せられないとテンションが上がっている状態。しかし、そんなに余裕がない精神状態だからこそトラブルを起こし、だからこそ、ますます自信なんて持ちようがないし、自分の得意分野なんて作りようがない。 そんな状況だから、子供としても「ワタシは、ふ・つ・う」以外に自分を語るものがなくなってしまう。 かと言って「どこにでもいる、ありふれた存在」であるのは、なんとなくイヤ。 と言うことで、そんな境遇で育った人が、周囲に主張するようになるのは、どのようなことでしょうか? 「ワタシはかわいそうな被害者なのよ!」 そんな感じで、自分の被害を語るしか能がなくなってしまう。 まあ、ちょっとした「悲劇の主人公」に喩えるしかない。 だって、他に何を言えばいいの? それに「悲劇の主人公」だったら、それなりに格好がいい。 ・・・それにダメダメ家庭の子供にとって、そんなスタイルで自分を語ることの、かっこうの見本が目の前にいる。だから子供としても簡単にできてしまう。 しかし、そんな感じで、自分の被害ばかり語るような人間からは、マトモな人間は離れて行ってしまいますよね?と言うことで、同じように被害ばかり語る人間が集まるようになる。そうして、被害話で共鳴。 共鳴するだけならまだしも、意気投合して、結婚したりするケースもある。だって、お互いが「ワタシは、かわいそうな被害者なんだ!」と言うことだけがアイデンティティなんだから、それを認めてくれると、やっぱりうれしいわけ。 「アナタも、お気の毒な被害者なのね!」 『おお!ワタシたちは被害者同士だ!これから仲良くしていこうよ!!』 しかし、そんな人たちが結婚しても、うまくいくわけもなく・・・ 「ワタシこそが、かわいそうな被害者なのよ!」『オレは、オマエよりもずっとかわいそうなんだ!』と、お互いが被害を主張するようになる。だからこそドメスティック・ヴァイオレンスなどの事態になってしまう。 そんな主張や、被害者競争は、まさに双方の親から譲り受けたもの。 夫婦の間の被害者競争だけでなく、子供同士でその被害者競争をやると、まさに長崎県の小学校6年生の事件になってしまう。 子供時代に事件を起こさずに、そのまま成長して結婚しても、そんな人たちができるのは、子供を作ることくらい。だって、他に何をするの? と言うことで、被害者意識に凝り固まった人間が、親になり、子育ての際に考えるのは、 「この子供を育てるハメに陥って、ワタシって、なんてかわいそうなんだ?!」ということ。 そんな親に育てられた子供が・・・・ と無限ループ状態。 ダメダメ家庭では、子供の長所だけでなく、好みも知らないもの。 「自分の子供が今、何か困難に直面している。」とかのシリアスな事項でなくても、子供のちょっとした好みなども全然知ることはない。 前にも書いたように、周囲の人から『アナタのお子さんはどんな子なの?』なんて質問があった時は、お約束の「ふつうの子供よ!」となるだけ。まあ、私のようにシャープな突っ込みをする人間だったら、「その『ふ・つ・う』って何?」などと突っ込むところですが、一般的にはそんな突っ込みはされませんよ。 一般的には「ふーん・・・」でオシマイでしょ? しかし、そんなやり取りで、その子供の何がわかったの? 「どんな子なの?」『ふ・つ・う』「ふーん・・・」って、犬同士で「ワンワン」『バウバウ』「ワンワン」と吠えあっているのと何も変わらないでしょ? 『どんな子なの?』 なんて質問に対しては、いくらでも答えることがありますよね? それこそ好きな本でも、好きなテレビ番組でも・・・そんな他愛のない話でいいじゃない? 質問してきた方だって、何もシリアスな内容を聞いてきているわけではないでしょ? しかし、一般的には「ふつう」と言っておけばそれで通ってしまうわけ。特にダメダメな親は、そんな「説明」が通用するような環境を求めるので、そんなダメダメな環境だと「て・き・と・う」な説明で十分になってしまう。 だから、親としても自分の子供について改めて考えることもない。せめて『どんな子なの?』と言われたことを覚えていて、後で子供と色々と話でもすればいいのでしょが、そんなこともしないわけ。 だから、ダメダメ家庭の親は子供のことを何も知らないわけです。 それこそ服の好みなども、当然のごとく知らない。服のデザインや色に対する好みを知らないのは当然として、服のサイズ自体も知らない。 「オマエに似合いそうな服があったから買ってきた。」と称する服を、子供が着てみたら全然サイズ違いなんてことも平気で起こってしまう。 挙句の果てには、「アンタのために、せっかく苦労して買ってきたのに・・・」とブチブチとグチる始末。お約束の被害者意識に浸ってしまうことになる。 そんな状態だから、子供もそんな親と顔を合わせないようになるし、ますます会話もなくなってしまって、親としては、ますます子供のことを知らなくなってしまう。 現実的には、「ワタシの子供は、ふつうの子供。」という言葉の意味は、「ワタシは子供のことなんて何も知らない。」という意味でしょ?しかし、「何も知らない。」と明確に言うことはサスガに語弊がある。だから「ふつう」と言って置けば大丈夫!まあ、ダメダメな環境では、実際に大丈夫なわけ。 だからこそ、「自分が親として子供のことを何も知らない。」・・・と言うこと自体を知らないわけ。 「無知の知」どころではない状態。 よく子供の事件があったりすると、まさにこのやり取りが頻発していますよね? 「どんなお子さんでした?」 『ふつうの子。』 そんなやり取りが自然にできてしまう環境だからこそ、事件が起こるわけです。 せめて、「何も知らない。」と言えるようになれば一歩前進と言えるわけですが、自己逃避しているダメダメ人間は、その自覚が難しいことはいつも書いているとおり。 そんな親と関わっても、面白くないだけでなく、危険なんですね。 自分の子供の得意分野や好みもスグに語れないような親は、その時点ではトラブルを起こしていなくても、いずれは親自身なり子供がトラブルを起こしたりするもの。 早めに避難する必要があるわけです。 それに自分の子供の関心分野や得意分野なんて、見つけるなんてカンタンでしょ? それができないなんて、どんな親なの?しかし、そんなカンタンなこともできないような親がすることができるのは、子作りくらい・・・ だから現実的に無限ループになっちゃうものなんですね。 親は自分の子供のことを何も知らないし、知っていないことすら自覚していない。自分の子供が「その他大勢の一員」になっている。 そのような事態は、ダメダメ家庭では頻繁に起こっているわけですが、特に兄弟のうちの一人に集約する場合もあります。それこそ3人以上の兄弟の中間の子供とかには頻繁に見られたりするもの。兄弟において、一番上は、それなりに構ってもらって、一番下もそれなりに構ってもらうわけですが、中間部は、放置状態。そんな状態なので、自分の存在を積極的にアピールしないとネグレクトされてしまう恐怖感があったりする。だから過剰な自己主張をしたり、あるいは、内心で持っている他の兄弟への恨みを見たくないがゆえに、「ワタシって、こんなにいい子でしょ?」と過剰なまでに主張したりする。 しかし、子供が無理をして自己主張するからトラブルになりやすいもの。 そしてそんなトラブル対応を、結果的に親がすることになり、その子供の立場がますますネガティヴになる。だからこそ、子供としては、ますます「いい子」アピールが必要になって、ますますトラブルが起こったりする。 子供時代に顕在化しなくても、大人になって顕在化する例もポピュラーでしょ? それこそ、以前に大騒ぎになった、落語家の林屋三平さんの次女の方なんて、その典型でしたよね?あるいは、三女である料亭の吉兆の女将さんも、まさにその典型でしょ? 埋没に対する恐怖があるから、過剰なまでに「いい子主張」をして、それによってドツボハマってしまうわけ。彼女らは、騒動の後になって、「親に迷惑をかけた。」云々とおっしゃっていましたが、それだけ、自分の親に対する信頼感がないわけです。 自分の親は、 ミスを受け入れてくれる存在とは認識していない。しかし、だからこそトラブルになってしまう。 親から長所を見出してもらえない子供は、自分で見つけるしかない。 だからこそ、自分探しの旅をしたり、「いい子ちゃん」主張のためのボランティア活動や政治活動をしたりする。あるいは、「ボクって、いい子でしょ?」と言った感じの文章を書いてみたりする。 ある種の自己主張にこだわるようになるわけです。 だからこそ、芸能人や芸術家が誕生したりすることになる。それはそれでダメダメ家庭の、数少ないメリットと言えるでしょう。しかし、どうしても、安直さから脱却できずに、安っぽい自己弁護とまりのことも多い。「いい子」の殻を破れないわけ。 うかうかしていたら、埋没してしまう・・・そんな恐怖感があるので、どうしても手短に成果を欲してしまうんですね。あるいは、相手よりも自分自身を納得させるために必要以上に過激な表現を使ったりして、自分自身で何がなんだかわからなくなってしまうパターンもある。 結局は、第3者を犯人認定したり、「自分が一番かわいそうな被害者なんだから・・・何をやってもいいんだ!」と、無茶をやって、大騒ぎになったりするもの。 結果的に埋没しなくても済んだから結構とも言えるわけですが・・・ その騒ぎの意味を一番わかっていないのが、当人自身・・・その手の騒ぎって、そんなものでしょ? このようなことは、大国に挟まれた小国がやたら目立とうとする例にも見られるでしょ? まあ、日本人の方は、そんなことをしている国が、スグに浮かんだりしますよね? しかし、そんな無謀な行為によって、結局は、周囲からの厳しい目を受けるだけ。 さすがに国のレヴェルでそんな行為をするとシャレになりませんが、個人レヴェルだったら、それなりの成果を得る場合があるわけです。 前にも書きましたが、その手の「目立ちたい」「認めてもらいたい」という感情は、芸能人には必要な資質と言えます。 このメールマガジンでは、ダメダメ家庭出身の人間は、芸能人に向いていると頻繁に書いていますが、ダメダメ家庭出身者には、まさに芸能人オーラを出している人も多いわけです。 そもそも、ダメダメ家庭出身者は、地に足がついていなくて、生活感が希薄だし、 いつも書いていますが、意外と容姿端麗な人も多い。 そもそもダメダメ家庭では一般常識とは差があるので、人と違った感覚を持っている。 「人に合わせるように」要求された日々からの反発もあり、実際に一般人と違った雰囲気があったりする。 そして、自分を認めさせたいと思っているので、創造的なオーラが出ているわけ。 そして、そのオーラ自体も、強い。 そして、どっちかというとナルシスティックな面があったりする。 と言うことで、どうしても一般人とは雰囲気が違ってしまいますよ。 オーラなどと書くと、意味不明と思われる方もいらっしゃるでしょうが、「どこか・・・なんか・・・ふつうの人と違った雰囲気・・・」と言うのはあったりするでしょ? というか、購読者さんの中には、周囲の人から言われたことがある方も、いらっしゃるのでは?「アナタ・・・もしかして芸能界の方じゃないの?」なんて、顔を見つめられながら、真顔で質問を受けた方もいらっしゃるのでは? 埋没に対する危機意識の積み重ねがあるので、そんな人は、ちょっとしたしぐさも、妙にキマっていたりする。いわば劇場での決めポーズに近い雰囲気を、自然に醸し出してしまう。一般の人は、行動するに当たって、自分の目的が果たせればそれでいい。 しかし、劇場がそうであるように、周囲の観客を踏まえたポーズなり行動をしてしまう人もいるわけです。 それでは、「ちょっと雰囲気が一般の人とは違う・・・」となってしまうのは当然でしょ? それはそれで楽しいわけですが、「どうしてこうなったのか?」その点をちゃんと自覚しておかないと、吉兆の女将さんや、落語家の次女さんのように、大きなトラブルになってしまう・・・そんなこともあるわけです。 埋没への恐怖から、「認めてもらいたい」という切実な気持を持つこと自体は、結構なこと。ただ、それが無自覚だと、とんでもない方向で目立つことになるだけ。 特に「親に認められたい」という心理が基本なので、格上の存在に対しては、一所懸命になっても、格下なり序列が下の存在に対する扱いは、実にぞんざいなもの。いわば、相手の序列によって、やたら態度が変わったりすることになる。 それこそ、自分より格上の存在に対して、「いい人」としての自分を認めさせるために、自分の子供を犠牲にするようなことをしてしまう。以前に取り上げた代理ミュンヒハウゼン症候群のようなことが起こってしまう。 しかし、周囲の人に対して、自分の子供の出来の悪さを強調し、「自分がかわいそうな、そして、いい親なんだ!」と主張するスタイルは、結局は親譲り。 だから、結局は無限ループになってしまうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 本文中で触れておりますが、兄弟の数と、キャラクターはやっぱり関係があるもの。 それこそ、芸能人なんて、一人っ子はあまりいないのでは? やっぱり俳優だったら、目立たないとダメですからね。 俳優だと一人っ子は少なくても、映画監督だと一人っ子もいたりする。それこそ以前に取り上げたフランソワ・トリュフォーとか、ジャン・ユスターシュがそうでしょうが、彼らは長生きはしていない。 ダメダメ家庭で一人っ子となると、目立つわけにはいかない。目立てば、まさに「出る杭は打たれる」ことになる。だから、どうしても内面的な世界に逃げ込むことになる。それは、フィクション世界の制作には向いているといえるでしょうが、当然のこととして、その苦悩を独りで抱え込むことになる。これでは長生きはできませんよ。 あと、中間の立場の人間が、自己主張の方法で心理的負担を抱え込む例となると、クラシック音楽の弦楽四重奏団があります。 多くの弦楽四重奏団は、一番高い音の第一ヴァイオリンと、一番低い音のチェロはメンバーが変わらないのに、中間部の第2ヴァイオリンと、ヴィオラはメンバーの交代がよく起こっている。やっぱり上からと下からの圧力を受けて、「もうっ!やっとれんわい!」とブチ切れたりするんでしょうね。中間管理職の悲哀どころか、芸術においては中音担当者の悲哀があるんでしょう。 どんな分野でも、人間の心理って、似たところがあるものなんですよ。 |
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R.10/12/28 |