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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 09年10月26日 (10年12月31日 分離独立)
タイトル 生きてやってる
 追記 09年10月26日配信文章である「言わせない雰囲気」から分離独立いたしました。
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。
何をするにも、それを自分の被害と考える。だから、被害というか、「持ち出し」を強く意識する。
「こんなに面倒なことを、アンタのために、わざわざ、『してやった』。」という物言いが頻発し、そんな態度を実際に取ることになる。

それこそ、このような「○○してやった。」という物言いになると、韓国人が日本に対して主張する「文化を教えてやった。」とか、ダメダメな親が子供に主張する「オマエを育ててやった。」とかの物言いは、ポピュラーでしょ?
あるいは、このサイトでは、ボランティアの人たちが言外に主張する「恵んでやった。」とか、相談を持ちかけてくる側が、その前提としていることがある、「オマエに相談を持ちかけてやる。」という態度についても取り上げております。

「教えてやった」とか「育ててやった」のように、言葉として直接的に出てくる場合もありますが、「構ってあげた」とか「読んでやった」とか「恵んでやった」となると、どちらかと言うと言葉ではなく態度に表れてくるパターンとなります。
言葉に出すかどうかは別として、どのみち、その手の人は、持ち出しを主張し、恩着せがましいわけです。

そんな「○○してやった」という言葉として、今回は「生きてやっている」という恩着せを取り上げましょう。
ダメダメな親は、親である自分が生きていることについて、子供に恩を着せようとするわけです。

しかし、本来は「オマエのために、わざわざ生きてやっている。」と言われても、「わざわざも何も、生きていることは当然のこと」でしょ?
それこそ、その人自身が呼吸することや食事をすることについて、別の人に恩を着せられても対応はできませんよ。
だからこそ、当人が生きていることについての恩を相手に着せるために、生きていることについてのグチが並ぶことになるわけです。

それこそ、
「あ〜あ、もうイヤになっちゃう!」
「生きていても何もいいこともないわ!」
「もうっ!死んじゃいたいわ!」

と言うグチになったりする。そして、そんなグチが日常化することになる。
ダメダメ家庭の食卓では、そのような「楽しい?」言葉が飛び交っているわけです。
逆に言うと、「生きることが、こんなにも不快なこと」だからこそ、「わざわざ生きてやっている。」という立ち位置を取ることができるわけでしょ?
生きているのが楽しいことだったら、「わざわざ生きている」も何もありませんよ。
自分が生きていることについて相手に恩を着せるためには、生きることが如何に不快なことなのかについて、語っておく必要があるわけです。

そして、「わざわざ生きてやっているんだから」という立ち位置を強調し、親が生きていることについての感謝を子供に要求しているわけです。
と言うよりも、被害者意識の強いダメダメな親にしてみれば、自分が生きていることを自分が背負わされた被害として認識し、「わざわざ生きてやっている」被害についての謝罪と補償を子供に要求しているわけです。
しかし、そんな感謝を、というよりも、謝罪と補償を求められても、子供としてはどうすればいいの?
そんなに生きていることが辛いのなら、勝手に死ねばいいだけ。
子供に対してグチっても、事態が解決するわけがないでしょ?

勿論のこと、マトモ家庭だって多少のグチはあるでしょう。
しかし、マトモ家庭のグチで「死んじゃいたい!」というのはないでしょう?
親からの「死んじゃいたい!」というグチを聞かされた子供はどう思うの?
「生きてもらっている」ことに対する具体的な謝罪と補償について考えるの?
子供としては、親からの「死んじゃいたい!」というグチに対してどう反応すればいいの?

少しでもマトモな部分が残っている家庭だったら、「お母さん、元気を出して!私たちも手伝うから・・・」との言葉を掛けると言ったところでしょうか?
まあ、ダメダメ家庭では、そのような会話にはならないわけです。だって、日常的に「死んじゃいたい!」なんて言っているような家庭なんて、修復不能なダメダメ家庭なんですからね。

ですから「死んじゃいたい!」という親からのグチを聞かされた子供が思うことは、
『この人も、やっと死ぬのか・・・そうか・・・これでボクもラクになるなぁ・・・』
『しかし・・・どうやって死ぬんだろう?首でもくくるのかな?葬式はどうしようかな?』
『これからは家事がちょっと大変なんだろうけど、まあいいっか・・・どうせ今までだっていい加減だったんだし・・・』
と、母親の顔を見ながら、次のステップに思いをはせることになるわけです。

それこそ、
『本人が死にたいって言っているわけだし・・・』
『家族も大喜びだし・・・』
『社会にとっても、いいこと。』
と、子供も判断している。本人+家族+社会と3者がすべてハッピーとなる。まさにWinWinWinの関係と言えるくらい。
だから、親から「死んじゃいたい。」というグチを聞かされると『どうぞ!どうぞ!ご自由に・・・』『後のことは心配しなくていいよ!』と回答することになる。
あらまあ!本当に楽しい食卓風景だなぁ・・・

実際に困ることなんて何もないわけです。
しかし、大きな問題が一つある。
それは「死んじゃいたい。」と言っている親が死んでくれないこと。
子供の方は、それこそ『ご自由に・・・』と大賛成しているのに・・・

せっかく得られた家族からの賛成を逆に否定して、
「ワタシが生きていないと、オマエたちは困るだろう?」
「親がいないと世間体も悪いぞ!」
「ワタシが生きていることを感謝しろ!」
と、恩を着せようとする。

その手の親の心理としては、「『生きるのが辛い』状態なのにもかかわらず、ワタシは子供のために生きてやっているんだから、子供としては、親であるワタシに感謝するのが当然だ!老後もちゃんと面倒を見るんだぞ!」となっているわけです。

まあ、日頃からグチばかり展開していれば、家庭だってメチャクチャでしょう。そりゃ、ますます「生きるのがイヤ」になりますよね?そうやって自分自身の首を絞めておきながら、最後には「まあっ、いいか・・・」と緩めてしまうわけ。
当人自身が首を絞めたり、緩めるのは勝手ですが、結果的に首が絞まっていくのは子供の方なんですね。

「生きることがイヤだ!」とグチばかり言っているのに、そんなグチばかりの人を見続けることすら、親からの恩とされ、上からの物言いで、恩を着せられてしまう。
どうせ、恩を着せられるのなら、「生きてアゲル」というよりも、「死んでアゲル」という形で恩を着せられる方がままだマシですよ。

それに、「生きてアゲル」ということで恩を着せようとするということは、別の言い方をすると、「育ててやった」という恩の着せ方すらできないということ。
それだけ、「育てる」に当たっては何もしていなくて、実質上はネグレクトになっているわけです。

毎日グチを聞かされ、その上、恩を着せられたら、まさにLoseLoseの関係そのものでしょ?それこそ、まさに「ダメ・ダメ」ですよ。
そんな日々に子供が耐えられるわけもなく、結局は子供の側から、トラブルになってしまう。それこそ、「オマエのために生きてやっている。」と親が子供へ恩を着せようとする家庭の子供は、そんな恩を感じないどころか、さっさとこの世からオサラバしてしましますよ。

そもそも、親の側からは「生きていてもいいことはない。」との嘆きが日常化しているんですからね。それに前にも書いておりますが、恩を着せるということは、その行為が不快なことということでしょ?
そして、「生きていてもいいことはない。」という言葉を忠実に実行すれば、この世からのオサラバとなるのは、小学生でも分かることでしょ?

そんな事件があった後で、ダメダメな親は「どうしてこんなことに?!」「どうして、ワタシたちは、いつもうまくいかないの?!」と嘆きの声を上げるだけ。
とんでもないシーンと思われる方も多いでしょうが、いっちゃっているダメダメ家庭では、現実に起こっていること。だからこそ、ドッカーンとなるような事件も起こるわけです。