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カテゴリー ダメダメ家庭の顔
配信日 09年11月27日 (11年1月22日 記述を追加)
タイトル 半身の薄ら笑い
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。
「これを達成するんだ!」「この問題を自分で解決するんだ!」そんな強い気持を持って生きてはいない。
むしろ、被害者意識を持ち、命令されてやらされているという受け身の感覚を持ち、何かあったらスグにトンズラすることになる。
そのことを指摘されると、「だってぇ・・・だってぇ・・・ワタシは人から言われてやっただけなのよ。ワタシはかわいそうな被害者なのよ!」と弁明することになる。
だから立ち位置としては、逃げ口の近くにいて、まずくなったらスグに逃げる心の準備をしている。

そのようなことは、このメールマガジンで頻繁に書いています。
いわば、腰が入っていない半身の姿勢で生きている。

そんな人がよく見せるのが、「薄ら笑い」。

その手の「薄ら笑い」は、以前に取り上げた「ベルリン・フィルと子供たち」という映画において、子供たちが「最初の頃に」よくしてしました。
いわば、「自分は真剣にやっているわけではないんだ!むしろ、やらされている立場なんだ!だから、うまくいかないことになっても、命令した側の問題なんだ!」「だから、ボクは悪くない!」との心理的な「逃げ」を意味しているわけです。

自分自身が率先して真剣に取り組むと、その結果責任を自分で取らなくてはいけない。
しかし、「やらせれている」という立場だったら、その結果責任は、「命令した側」が取ることになるでしょ?
だからこそ、心理的にはラクになる。
逆に言うと、そんな「薄ら笑い」を浮かべている段階で、主体的にやっていないということ。まあ、そんなことは、わざわざここで書かなくても、皆さんだって、感覚的に判ることですよね?

現在では、そんな「薄ら笑い」は、実際の顔の表情だけでなく、それこそインターネット上で出て来る「www」とかの表記もそんなものでしょ?
タイピングだって面倒でしょうに、わざわざそんな表記をして何を伝えたいのかは、私には分かりませんが、たぶん、ある種の薄ら笑いの表情を作っているのでは?

このメールマガジンで、以前に「捨てセリフの匂い」という文章を配信しております。
ダメダメ家庭の人間は、何かうまくいかなくなると、スグに捨てセリフを投げつけ、さっさとトンズラしてしまうもの。
そんなクセがついているので、そんな匂いが最初の段階から漂っていることも多い。いわば、スグに逃げ出してしまう半身の姿勢が習慣化しているわけです。

「どうしても相手に分かってほしい!」「絶対に、これを達成したい!」
そんな全身全霊を込めた気持でやり取りをするのではなく、「分からなくてもいいや!」「どうせアンタには分からないだろ〜」・・・そんな雰囲気を漂わせている。
逆に言うと、相手に伝わらなくても、後で理由付けできるような表現を使ったりする。
それこそ、略字とか、特定のスラングなどの、マイナーな領域のみで通用する表現が頻発している。
あるいは、相手から説明されると、深く考えもせずに、「ワタシ・・・難しいことはわからない〜」「そりゃ、アンタは△△だからいいけどさぁ・・・ワタシは・・・」と逃げを打つ。何もその表現が分からなくても、「その○○について、よく分からないから、もっと詳しく説明してくれない?」と聞けばいいだけでしょ?そんな真剣な態度もなしに、半身のスタンスの人間は、言い訳に近い表現がすぐに出てくるもの。

真剣さが怖く、「スグに逃げられるようにしたい。だから真剣に取り組みたくない。」そんな恐怖感に近い感情を持っている。
だから、シリアスな態度が必要な時にも、オチャラケな態度を取ることになる。
たとえば、誰かに相談したり、質問したりする際には、それ相応の態度が必要でしょ?
メールなどで文章を使って質問する際には、それ相応の文章表現が必要になってきますよ。
それこそ、質問する側の文章に「www」とか「笑」なんて表記があったら、「何なの?コイツは?」って思うでしょ?あるいは、ブロークンな言葉遣いも、最初の頃は控える必要があるでしょ?あるいは、まるで「歌の文句」のような格好を付けた言い回しをした人もいましたが・・・格好を付けている場合なの?それとも鼻歌を歌いながら、相談の文章を書いているの?随分余裕がある人からの相談だなぁ・・・いったい何に困っているのやら?

いつもシリアスでないとダメと申し上げているわけではないんですよ。
真剣な議論なり、相談相手からのアドヴァイスによって、自分のトラブルが解決したら、その時に高らかに笑えばいいだけ。そして信頼感が出来たら、ブロークンな言葉使いで、お互いがリラックスしてやり取りを進めればいい。
「やり取りの最初の段階や、相談の最中に、ヘラヘラ笑っていたらダメじゃないの?」と申し上げているだけです。

しかし、ダメダメ人間は、相談によって、事態を解決しようなんて思っていないのに、相談したり質問したりする。つまり、「とりあえず、やらなければならないことはやったよ。」くらいのアリバイのようなニュアンスとしての相談なんですね。
まさに相談や質問ですら「やらされている」という半身の立ち位置となっている。
そして、それを自分自身に確認するために、「薄ら笑い」をし、それを相手にみせつける。

楽しいから笑うのではなく、逃げ口を確認する意味での薄ら笑い。別の言い方をすると、自信のなさゆえの「薄ら笑い」。
ダメダメ家庭は当事者意識がないので、自分自身で達成したものがあるわけでもない。
子供としては当事者意識が残っていても、親が子供のことを全くサポートしないんだから、やっぱり達成することが難しい。
だから成功体験がなく、自信がなく、強いコンプレックスを持っている。

自信があるとできることとして、「自分で自分を笑う」ことがあります。
そのことについて文章は以前に配信しております。
「ワタシって、バカねぇ・・・」と、自分で自分を笑っている姿は、余裕を感じるもの。
そんな感じで、自分で自分を笑っている人に対して、それ以上の追求をしたりはしないものでしょ?

つまり、自分で自分を笑う姿は、ある種の、解決状態とも言えますよね?
「この件は、これで一件落着!」
そうなりますよ。そんなものでしょ?
「ワタシって、バカよねぇ・・・」と言っている人に、それ以上何を言うの?
特に言う必要はないでしょ?一緒に笑ってオシマイですよ。
「ワタシって、バカねぇ・・・」ということは、別の言い方をすると、「ワタシが悪かったわ。」「ワタシは自分の問題点を自覚した。」と認めていることになるでしょ?基本的にはそれで解決ですよ。

ウダウダ言い訳を重ねているから、逆に言うと、その件が終結しない。
だって、言い訳を出してくるんだから、その言い訳を吟味しないといけないじゃないの?そして、言い訳が必要になっている状況についても、更に吟味する必要がでてくる。これでは終結できませんよ。「結局は、何が問題だったのか?」「今後どうすればいいのか?」そんな点は、言い訳からは見えてこないでしょ?

何でもかんでも「笑って済ます」というわけには行きませんが、まあ、ちょっとしたことなら「笑ってすます」のもOKでしょ?
しかし、前にも書いていますが、それは「ワタシって、バカねぇ・・・」と自分で自分を笑っている状態において成立している話。
それは自分で自分の「至らなさ」を認めないとできないことですし、自分の「至らなさ」を認めるためには、やっぱりある種の自信がないとできないことなんですね。

ですから、ダメダメ家庭の出身者には、「笑って済ます」ということが難しいわけです。
解決したが故に、「笑って済ましている」わけで、何も解決していない状態だからこそ「薄ら笑い」となる。そんなものでしょ?そんなことだから、ますます何も解決しないし、それゆえ、ますます自信とは無縁になり、だからこそ、ますます、逃げ口を探し回る。

メールでのやり取りだったら、都合が悪い事態になったら、実際問題として、逃げれば済む話でしょう。まあ、前に書いたような捨てセリフの匂いがついてしまいますが・・・
顔を合わせてのやり取りとなると、逃げるわけには行かないので、そうなると、言い訳に終始することになってしまう。

顔を合わせてのやり取りで、言い訳に終始する人間を、マトモな人は相手にするわけもなく・・・だから、周囲からのサポートも得られにくくなり、ますます成功体験から遠くなってしまう。だから、ますます自信を持つことができない。

当人がコンプレックスを持っているので、そんな人は、自分より下の人間を探すようになってしまう。そうして、他者の言動を「笑う」ようになる。
「ああ!アイツって、あんなにバカなことをやっているぞ!ワハハ!」
「なんてイタイヤツなんだ!ハハハ!」

侮蔑からくる「笑い」を積極的に、作ろうとする。
以前にも書きましたが、文章中にわざわざ「笑」なる表記を入れたりする。
何回も書きますが、自分自身を笑うのはありでしょう、しかし、他者を笑っても意味がないでしょ?

たとえば相談などのシチュエーションにおいて、必死に説明しようとして、突っ込みすぎて、熱くなりすぎて、そんな自分を発見して、笑ってしまうのは、周囲にしても腹が立ったりはしませんよ。そんな笑いは、真剣さとつながっているわけですからね。しかし、薄笑いのような笑いは、見せられた側にしてみれば不快でしょ?

安全圏で「引いた」スタンスから人のことを見ていて、そんな引いたスタンス状態で、他者を笑ったら、品性がありませんよね?品性がないだけでなく、何も得るものはないでしょ?それこそ、わざわざインターネットの掲示板に出かけ、笑いの対象を求めているようなもの。そんな状態では何も生み出さないし、何も解決しませんよ。ただ一時的に目をそらすことができたというだけ。

そして、自分自身の笑いの表情を相手に見せることで「コッチは笑っているんだから、もうワタシに対して、何も言うなよ!」と、それ以上のことを、相手から言ってくることを拒否するようなことをする。このことについても以前に「逃避の方法としての笑い」というお題で配信しております。

しかし、その「笑い」で、実際に、解決なり終結したわけではないでしょ?だから、ますます事態が悪化してしまう。そして、トラブルが悪化したら、「ワタシはかわいそうな被害者なんだから、何をやってもいいんだ!」と居直ったり、逆ギレしたりする。
こんな居直りをされると、笑って済ますわけにはいかないでしょ?
居直る以外にも「ふて腐れ」なんてのもおなじみですよね?
「ふんっ!どーせ、ワタシが全部悪いのよ!あー、そうよ、そうよ!ふんっ!」

ちょっとした事態だったら、「自分で自分を笑って」それで済ますことができても、それから逃避しているので、逆に言うと「笑い事ではない」事態になるわけです。

逃げ口を意識している人間は、逃げ口が見つからないと恐怖を感じて逆ギレする。
相手が逃げ口を意識している状態を認識できれば、逆ギレを起こす前に、コッチがそんな人を回避すればいいだけ。どうせやり取りを続けても、何か結論が出る人じゃないんですからね。
やり取りを進めるにせよ、その人自身が解決したいという気持をそもそも持っていないことを自覚してもらうことが必要になりますよ。

解決したいという明確な気持がないがゆえに、斜に構えた姿勢を取ることになる。
斜って、縦でも横でもない、あいまいな状態。
あるいは、やり取りを前に進めるのか?元に戻るのか?あいまいな状態。
そんな人は、何かというと薄ら笑いをすることになる。
薄ら笑いって、楽しいわけでも、不快なわけでもないあいまいな状態。

だからどうしても間の悪い行動を取ったりする。
楽しい話題の時に、自殺などのシリアスなネタを持ち出したり、
前にも書きましたが、シリアスな状況の時に、ムダに「笑い」などの文言を入れたりする。
状況が一方方向に進むのが怖い。

面白いもので、人の気持ちが分からないと自称する人ほど、その手のムダな策を弄することが多い。しかし、人の気持ちが分からないんだから、その策も通用するわけがありませんよ。やり取りの相手から呆れられるだけ。
しかし、そんな策を弄した人は、自分さえ納得できればそれでいい状態。
親に迷惑を掛けないことばかり考えているので、その他の人については、どうでもよくなっている。そして、相手から怒られて、「ああ!ワタシは人の気持ちが分からない!」と嘆く。
そう言われてもなぁ・・・
まずは、一つの事をしっかりやり遂げることが最初に必要なことでしょ?
しかし、半身の人は、それをせずにあいまいな状態のまま。

そんなあいまいさは、まさに逃げ口への意識に繋がっているわけです。
出口を意識していれば、真剣に取り組み、最後になって高らかに笑うことができる。
しかし、逃げ口を意識しているがゆえに、あいまいな薄笑いを浮かべ、ちょっとのことで、捨てセリフを投げつけ、逃げ出そうとする。

半身の薄ら笑いをする人は、現実としては人から嫌われる。
しかし、当人としては、やり取りの相手から「嫌われたくない。」と強く思っている。
逆説的になりますが、そんなものなんですね。
そもそも、自己逃避で抑圧的なので、自身の信念があるわけではない。たとえ相手から嫌われたとしても、それでもやり遂げたいものや、伝えたいものを持っていない。ただ、相手に嫌われないように、その場の空気に合わせているだけ。
しかし、一貫した信念がないがゆえに、信頼とは無縁となり、結局は嫌われることになる。
嫌われたくないと思って、人に合わせようと半身でいるがゆえに、信頼感を持たれずに、嫌われるわけです。
しかし、当人としては、人に合わせているつもりなので、後になって「どうしてみんなはボクのことを悪く言うの?」と拗ねたりする。
半身の薄ら笑いをする人は、そんなパターンになることが多いでしょ?

そんな人間には不快な気分にさせられるものですが、そんな人間を追いかけてもしょうがない。そもそもやり取りをしていても面白い人間ではないんだし、その手の、自己逃避人間は、ヘタをするとカルトとの関係が疑われる。
自己逃避で、判断から逃避する人間が集団化したらカルトになるんだから、そんな人間を追いかけるのは実に危険なんですね。

そんな時こそ、「はぁ〜」と、苦笑いでも浮かべればいいだけ。
実際のやり取りで、「薄ら笑い」の表情とか、文章中で「w」とか「www」なる表記を使う人で、傾聴に値する見解が出てきたことがありますか?真剣さとか信念がないことから、半身であり薄ら笑いとなるわけで、逆に言うと、そんな人とはやり取りをしても意味はないわけです。
書いている人自身が強い気持ちを持っていたら、そんな表情なり表記は使わないでしょ?
その時点で、「ハイ!さよなら!」でいいわけです。
オバカをやりこめるのが賢人なのではなく、オバカから距離を取るのが賢人なんですよ。

(終了)
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発信後記

今週は、何かに取り組む際のスタンスについての文章を集中的に配信いたしました。
ダメダメ人間は、半身のあいまいなスタンスを取ろうとするわけ。
自主的に取り組むのではなく、やらされているという状態にしておきたい。
だからこそ、何も達成できない。だからこそ、自信がもてず、ますます逃げ口を残そうとするわけ。

ちなみに、明日配信の文章も、そんな半身のスタンスに関する文章です。
R.11/1/22