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カテゴリー | ダメダメ家庭の会話の雰囲気 |
配信日 | 10年3月24日 (11年1月30日 記述を追加) |
タイトル | 質問をかわす |
このメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」のバックナンバーを収録したホームページは、IBMのホームページビルダーというソフトを使っています。 最近のワカイモン?はご存知ないかもしれませんが、昔は、それが代表的なソフトでしたからね。 昔はヴァージョン5を使っていて、今はヴァージョン11を使っています。 ヴァージョンのアップグレードと言っても、私のホームページなんて、どうせ動画などのリッチコンテンツなどもなく、文章を収録しただけのホームページなんだから、ソフトの機能向上の分もはっきり言って関係ない。 OSのサポートの関係で、従来のヴァージョンが不都合なことになってしまっているだけなので、「ソフトも別の製品に変えようかな?」とも思ったんですが、従来どおりにそのソフトにしました。 IBMは、カスタマーサポートが充実しているんですね。 だから、困った時には電話をかけると、丁寧に対応してくれる。 別に私はIBMからお金をもらっているわけではありませんよ。こんなところで推奨しても、効果ないでしょうしね。 ただ、「こちらが質問したら、どんな対応をされるのか?してくれるのか?」そんな点から、その製品なり、あるいは、その人の主張の信頼性も見えてくる・・・そんなことはあるでしょ? こちらが質問したら、丁寧に対応してくれるのなら、技術的な細かいことは分からなくても、その製品に信頼が置けるでしょ? 以前にも書きましたが、信頼とは、こちらからのアクションに対して相手方からのリアクションが、ある程度の範囲で推測できると言うこと。ノー・リアクションなり、ランダム・リアクションだったら、信頼はできませんよ。 さて、ダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、何かを絞って対処するという発想がない。 だから、何をするにも、ばら撒きのパターンになりがち。 このことは、以前に配信しております。コミュニケーションに当たっても、「この人に対して、このことを分かってほしい・・・」そんな発想を持っているのではなく、不特定多数に対して、とにもかくにもばら撒くパターンでしか対処できない。そして、やり取りが一方通行であり、相手からのリアクションに対応するという発想がない。 単に「最初は広い対象を相手にしておきたい。」「いきなりは、絞る必要はない。」というのなら、一種の方法論としてばら撒きという戦術もありでしょう。こんな人に分かってほしいと思っていても、最初は、その「こんな人」がどこにいるのか分からないんだから、最初の段階では、ばら撒きになってしまいますよ。 しかし、抑圧的な人間がするばら撒きは、考えた上での方法論ではなく、方法論を考えたくないが故のばら撒きなんですね。 それにダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。 達成したい、自分の目標自体が、そもそも存在しない。 だから、自分の目標達成のためのコミュニケーションなんて存在しない。 そんな人が主張するのは、「ボクは悪くない!」「ボクって、いい子だよ!」という自己弁護だけ。 自己「主張」というよりも、自己「弁護」であって、相手に対して説明したり、合意を取るものではない。協力要請なら、自分の考えに合意してもらわないと意味がない。しかし、自己弁護だからこそ、言い放しでOKとなってしまう。自分が満足できればそれでよくなる。だから、相手から質問されると、困ってしまう。 そもそも抑圧的なダメダメ人間は、「相手から説明を要求されることは、自分の被害である。」との認識を持っていたりする。自分が説明することそれ自体に対して苦手意識を持っているケースがあるわけです。あるいは、相手から説明されても、その説明を受けて自分で考えなければならないわけですから、それは自分自身から逃避しているダメダメ人間にしてみれば、歓迎するようなことではない。相手から説明されて、「じゃあ、アナタはどう思ったの?」なんて聞かれると厄介になる。だからダメダメ人間は、説明するのも、説明されるのも双方とも、つまり説明というシチュエーションそのものが嫌いなんですね。 それにダメダメ人間は、合意という発想がなく、単に弁解をばら撒いているだけなので、それに対する質問は、弁解を受け入れないという意思表示と受け取ることになってしまう。 「ボクがいい子であるというボクの主張に疑義を呈するのか?つまりアンタはこのボクが悪い子であると言いたいのか!なんて、ひどいことを言い出すんだ!」 誰かから質問されると、そんな感じで身構えてしまう。 相手に対して、自分の見解を理解してほしいと思っているのなら、相手から質問があったら、追加して説明すればいいだけ。むしろ、質問があれば、「ああ!多くの人は、こんな点に疑問を持つものなんだな!じゃあ、次の文章では、その点に配慮した文章にしよう!」そう思うだけですよ。 そんなことは、それこそパソコン用のソフトのような製品でも同じでしょ? 「一般ユーザーはこんな点に戸惑ったりしているのか?じゃあ、次のヴァージョンでは、その点を修正したものにしよう!」となるだけ。 質問というのは、作り手が持っている視点とは別の視点を教えてもらえるわけですから、むしろ有意義なものなんですね。 しかし、相手に分かってほしいこと自体がない人は、質問されることを警戒する。 ダメダメ家庭の人間は、もともと、会話によって、相互理解が深まって、双方が有意義だったという体験もない。質問したり質問されることの意義が分からない。 だから、質問されると、もうこれ以上は質問されないように、強圧的な回答をしたり、相手からの質問のあら探しをして、論破しようとしてしまう。あら探しをして、揚げ足取りをして、「オレはアイツを論破してやったぞ!」と、勝手に大喜び。 質問した側は、単に疑問点を質問しただけなのに、どうしてそんなに血圧を上げてリアクションしてくるのかさっぱり分からずに途方に暮れてしまう。 そんな強圧的なスタイルではなく、形の上では丁寧な対応であっても、ただ質問をかわすと言った趣の回答のケースもあります。そんな回答をした人は、追加説明をするという発想ではないし、質問してきた人の問題意識を解決しようなんて考えない。どちらかと言うと、はぐらかすというのに近い。もちろん、質問に対してトンズラを決め込んで無視するパターンもポピュラーでしょ? 前にも書きましたが、自分の見解に自信があり、その見解を伝えることに対して責任感なり使命感を持っているのなら、「ちゃんとした」質問に対しては、「ちゃんと」答えるのがスジというもの。 逆に言うと、自分が主張していることが、本当には自信がなく、その「あら」を突かれないかビクビクしている状態だと、質問から逃げ回ったり、あるいは過激な対応となってしまう。自信を持っているのではなく、むしろコンプレックスを持っているようなもの。 内容的に自信がないだけでなく、やり取りにおける会話の基本的なベースがないので、やり取りそのものが怖い。 個別のやり取りには対応できず、一方通行のメッセージ発信しかできない。 マトモな人は、そんな人とやり取りをしたいとは思わないので、さっさと降りてしまう。 そうなると、「オレはアイツに勝ったんだ!」「質問してきたヤツをやっつけてやったぞ!」「一回返事を出したら、次からは何も言ってこないから、ワタシの主張が認められた!」と勝手に認定して、大喜び。 それに味を占めて、それ以降も、同じようなことを繰り返す。 相手からの質問に対して、回答したら、相手からの再質問がなかったからと言って、自分の回答が相手に受け入れられたというものではないでしょ? 現実的には、相手が呆れてしまったというだけのケースも多いもの。 本来は、質問をされたら、その質問してきた人の問題意識を踏まえた回答をするのが理想でしょ?質問してきた人も、文章表現なり物言いが上手とは限らない。そのあたりを配慮しながら、質問してきた人が何に困っているのか、その点を理解して、解決のために協力しないとね。 それが「よく分かっている」人間の務めというもの。 しかし、本当の意味で「分かっている」とは言えないダメダメ人間は、質問をかわしてばかり。 メーカーのカスタマーサポートでも、質問をかわすことばかりしていると、リピーターがいなくなってしまうでしょ?と言うか、「その製品に対して愛情があるの?」「何かヤバイ製品なんじゃないの?」という話になってしまうだけですよ。 国会答弁のような状況だったら、質問をかわすのも多少はありでしょう。政治の分野だったら、議論や答弁だけではなく、具体的に何をやったかが、より重要ですからね。 しかし、言葉による主張をしている場合には、言葉でのやり取りそのものが、実績と言えるでしょ?だから本来は、質問があったら丁寧に答える義務がありますよ。 受けた質問をかわすことはいいとして、じゃあ、伝えたいことはあるの?分かってほしいことは何なの? 自己弁護とか「いい子ちゃん主張」に励んでいる人たちって、「グチの共鳴」系の質問なり相談には、大いに乗りがいいわけですが、ちょっとした疑問になると、とたんに身構えたりする。 それこそボランティアの関係者に対して質問して御覧なさいな。 顔つきからパっと変わって、いかにも身構えているという雰囲気が出てきてしまう。 そして、「ああ!どうやって質問から逃げようか?」と必死な様子が伝わってくる。 逆に言うと、そんな質問に対するぎこちなさは、当人が言っていることに対して、本音における自信のなさや信念のなさの証明のようなもの。 もし、信念があれば、その信念を自分の言葉で語ればいいだけですよ。 その言葉を聞いている側は、その言葉に合意するしない、あるいは理解するしないの問題とは別に、自分の言葉で語ってるかどうかは、ちゃんと分かったりするでしょ? 信念がなく、ただそれっぽい言葉を持ち出しているだけの人は、相手から質問があると何も回答できない。 逆に言うと、なんとなく通りのいい言葉を使いたがる人ほど、質問を受け付けないものでしょ? そして、相手が質問をしてきそうな雰囲気になってくると、間に人をいれて、直接的に質問を受けることから逃げようとする。 逆に言うと、その手の人は、直接的に質問を受けると対処できないという恐怖を持ちながら、「とおりのいい」ことを語っているだけなんですね。 そんな人たちは、たとえ、質問を受けて、それに対し答えたとしても、質問を受けたというアリバイだったり、「質問に答えるボクはいい子。」という立場を確定するために、質問を受けるだけ。 だから質問してきた人の問題意識にはまったく配慮せず、言葉尻を捉えて、一人で満足している。しかし、そんな回答?で質問者の疑問や問題意識は何も解決しないまま。 何も見解は人それぞれですから、やり取りの結果として合意する必要はないでしょう。 しかし、合意を取る発想を持った上でのやり取りと、そもそも「見解の相違」「自分とは別の見解」を、「見たくない」という二重否定を目標としたやり取りでは、やり取りの質が違うでしょ? ダメダメを考えるにあたって、似て非なるものに注意する必要がることは頻繁に書いています。その代表として、「会話」と「おしゃべり」は違っている。 会話は、相違点を認めた上で、相互理解を深めていくものでしょ? それに対し、おしゃべりは、相違点があったら対処できない。 そんなおしゃべりばかりをやっているので、説明能力もない。 説明することなり、質問されるのが心理的に怖いので、結局は、自分に対して質問をされないようにしてしまう。 早い段階から議論を封殺してしまうようになる。まさに、「合意を取った」という肯定形ではなく、「反論がない」という二重否定状態を目的としてしまう。 現在において、その典型なのが、民主党の小沢さんでしょうね。 自分自身の主張なり、やっていることに自信や責任感があるのなら、質問を喜んで受けますよ。 質問へのぎこちなさって、その人の主張なり、その人そのものの「あやうさ」や「うそくささ」を、実に的確に示しているものなんですよ。 リアクションによって、その状態が見えてくることになる。 まさにお医者さんでの聴診のようなもの。 トントンと叩いて、反応を見ると、まさに病状が判ったりする。 ヘタをすればトンデモナイ癌細胞が見つかるかも? 逆に言うと、そんな聴診をやらなかったり、やっても相手の問題に気がつかないとしたら、結局は同類なんですね。 それこそ、グチの共鳴系の質問だったら、ダメダメな相手ほど、乗りがいい。 そんなやり取りばかりしているから、しばらくはグチで盛り上がっても「オレの方がもっとかわいそうなんだ!」『ワタシの方が被害者なのよ!』で応酬になるばかり。 だからこそドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。 グチ系の質問には乗りがよく、問題点の指摘系や説明を依頼する類の質問には、身構える。 そんなことばかりやっているから、質問に対して回答する能力だけでなく、選別する能力も落ちてくる。 なんでも、インターネット上での質問に対して、「ググレ(google検索を利用しなさいな・・・という意味なんでしょ?)」と、わざわざ回答する人もいるようですが・・・ 不適切な質問なら無視すればいいだけ。 しかし、抑圧的なダメダメ人間は、選択というシチュエーションが嫌い。 それこそ「こんにゃくゼリーを買わない。」という選択もできないんだから、不適切な質問を無視することもできない。 そんな人は、まさにそのような、不特定多数を対象とした相談サイトでは大きな顔をしていても、個別の質問に対しては、身構えたりするもの。 逆に言うと、個別の質問に対して対処ができない分だけ、そのような相談サイトで、アリバイを作っているんですね。 質問なり相談というシチュエーションは、個別のやり取りが基本のスタイルでしょ? まずは、そのスキルを向上させる必要があるわけですが、ダメダメ家庭では、数の上ではそれなりにこなせていても、質の上では、ほとんどやってきていない。 そもそも質問することだって、自分自身の考えなり、現状をしっかりと相手に伝えることが必要でしょ?しかし、ダメダメ人間にしてみれば、それは難しい。 質問することができないんだから、質問されることがもっとできないのは、実に当然のことでしょ? 質問をしたり、されたり・・・そんなシチュエーションでの対応をみれば、多くのことが分かるわけです。 ダメダメな人は、ダメダメな対応をするもの。 その主張がいくら立派でも、そんな人とやり取りをしていると、結局はモメたりするものなんですね。逆に言うと、質問されたくないがゆえに、ご立派な主張をしたりするもの。 それだけ、ダメダメ家庭の人は、会話に対して恐怖を持っているわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 次回は、なんと、配信1000回の記念の文章になります。 と言っても、特に記念とした文章ではありません。 たびたび書いていますが、このメールマガジンももうすぐに終了なので、そっちの「締め」の方が重要ですからね。 文章を書く・・・ということ、それ自体についての考えが入った文章です。 あと、このメールマガジンは、現在では、「まぐまぐ」と「カプライト」から発行しておりますが、そのうちの「カプライト」それ自体が、もうすぐ廃止されます。 基本的には私のバックナンバーのサイトに当日中にはアップするようにいたしますから、無理に購読なさらなくてもいいでしょう。 あと、メールマガジンの発行を終了しても、たまには、新規の文章をアップしていく予定ですので、ご興味がありましたら、お読みになってくださいな。 では、もうしばらくよろしくお願いいたします。 |
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R.11/1/30 |