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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 10年3月31日
タイトル 「変わりたい」という言葉
ダメダメ家庭の人間は、自己逃避であって、自分自身で考えることを抑圧している。
だから、周囲に対して通りがいい「立派で」「ありがたい」言葉を使いたがる。
その代表例として、「平和」とか「人権」という言葉があります。
平和という言葉を入れておけば、相手から突っ込まれることはないでしょ?

だから、自分が何も分かっていないことが、周囲にバレないし、自分をごまかすこともできることになる。あるいは、いかがわしい活動であっても、その称号があると、立派に見えたりして、突っ込みが入りにくくなるでしょ?だから、自分たちの団体の名称に、ムダに「平和」なる称号をつけたりするもの。あるいは、その手の意味不明の立派な言葉としては、チョット前には「いのち」という言葉を取り上げました。
そんな言葉を使うことは、周囲に対するとおりのよさが優先され、結局は、自分の問題は放置されたまま。

そして、ダメダメ家庭の人間は、その発想が否定形。
「あの○○はダメだ!」
「この△△は気に入らない!」
「その☆☆には、満足できない!」

そんな感じで、何かを否定してばかり。
そんな否定ばかりのダメダメ人間が、周囲に対して通りのいい言葉として用いるのが「ワタシは変わりたい!」という言葉です。まさに現在の自分を否定して、それを周囲に対して通りのよいスタイルで語るわけです。

まあ、この私宛のメールの文章には、その言葉がいっぱいありますよ。
私の文章を読んで、ダメダメな現状に気がつくのはいいとして、発想が否定形のままなので、単に現状否定だけで終わってしまっている。

そうして、この私に質問する。
「どうしたら、変われるんでしょうか?」

しかし、発想の根本が否定形であるというダメダメなままなんだから、変わるも何もないでしょ?
「変わりたい」という現状否定はいいとして、「じゃあ、肯定したいものは何なの?」そんな話になるでしょ?変わるのはいいとして、どっちの方向に向かっていくの?
「これこれの目標を達成するためには、どうすればいいでしょうか?」
そんな質問なら色々と対応もできますが、「ワタシは変わりたい!」だけではねぇ・・・

と言うことで、「まずは自分自身の目標を見つけ、掲げることが先でしょ?」「その目標の実現のためにコツコツと努力するしかないのでは?」
と言うしかありませんよ。

まあ、私からそんな返事をすると、返事が返ってこないことが多いもの。
そうして、「変わりたい」と言っていた人は、「ワタシは自分が変わるために、色々とアクションをやっている!アチコチにも相談している!ただ・・・今のところは・・・」と周囲に語ることになる。
と言うことで、周囲に対するとおりのよさ、別の言い方をすると、言い訳は獲得できたことになる。
だからと言って、当人は、相変わらず。
そうして「ああ!変わりたいなぁ・・・」と願望を語るだけ。

具体的な目標があるわけではなく、漠然とした願望どまりなので、周囲の人から、『とりあえず、これをやったら?』とか言われると、「こんな事情があって・・・」とか言い出して何もしない。
あるいは、「ワタシは自分が変わるために、あの○○を反面教師としている!」なんて立派なことを言いたがるもの。
反面教師ということは、つまり、「自分が変わる」と言うことからして他者に依存している状態でしょ?まずはその他力本願なところを直すのが先なのでは?

そんな「変わりたい」という言葉を乱発する人は、結局はお手軽な「変わる」にすがってしまう。
メンタル面はそのままなのに、結婚し、新しい家庭を作ることで、「な〜んとなく」「形式的に」「立場の上では」変わることになる。
新しい家庭の一員になって、そして子供を作って親になる・・・確かに、立場的には大いに変わることになる。

しかし、メンタル面はそのままなんだから、新しい家庭でうまく行くわけもない。
そもそも「ワタシは変わりたいなぁ・・・」なんて言っているだけの人間と一緒になって結婚するような相手も、結局は自己逃避のダメダメ仲間。だから一緒になっても何かを達成できるわけもない。

しかし、結婚して、子供を作ると、いいことがある。
つまり「変わらないで済む」理由ができる。あるいは、「変わるためのアクションをしないで済む」理由ができることになる。
まさに「家庭があるから☆☆ができない。」「子供がいるから○○できない!」「経済的な理由があるから、△△できない。」そのような「説明」が簡単にできるようになる。

そうして、手に入れた理由を、周囲に対して説明し、「ああ!あの○○のせいで、ワタシはうまく行かない!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」「ああ!ワタシはこんなに変わりたいと思っているのに!」と嘆くことになる。

「変わりたい」という言葉を乱発する人は、実質的には、「何もしたくない」わけ。
本当にやりたいことがあったら、「変わりたい」という言葉ではなく、最初から「○○したい」「△△のようになりたい」って言いますよ。そのように肯定形で言えないからこそ、「変わりたい」という否定形になっているわけです。

そして、結局は、「何のせいで変われないのか?」という犯人探しに明け暮れてしまう。
その犯人が、自分の子供だったり、夫だったり、政治だったり、時代だったりとヴァリエーションはあっても、結局は「あの○○のせいで・・・」というスタイルは同じ。
自分の否定形の発想を肯定するために、別のものを否定しているだけ。
エーリッヒ・フロム流でいうと「○○からの自由」どまりで、「○○をする自由」は、まったく考えていないまま。

変わりたいと言う人は、というか、変わりたいと言う言葉を乱発する人は、自分が何もしないための言い訳を探しているだけ。
だから、「変わる」と言う高邁で一般論的な目標は語ることができても、達成したい具体的な目標が何もないまま。

ダメダメな現状に気がつき、そして、改善したい!
そう思うことは重要なこと。
しかし、否定形の発想にいるうちは、否定の対象が変わるだけ。
否定の対象が変わったことを、「変わること」と言い換えてしまう。

実際に、「変わりたい」という言葉が乱発する人の文章の中は、「成長する」とか「達成する」とか「改善する」とか「解決する」とかの文言がないんですね。
そんな人は、変わりたいという言葉を使うことで、自分の現状を見たくないだけ。
このようなことは、以前に「変わりたくない」というタイトルの文章で書いています。
別の言い方をすると、「変わる」という、「背伸びした目標」を掲げることで、身近な現状から逃避して、何もしない理由としているといえる。

本当に何かを達成する意欲があるのなら、そのためにコツコツとやるしかないでしょ?
しかし、「変わりたい」という言葉が出てくる人の文章は、実にいい加減なもの。
以前にも書きましたが「一つの案件を、一つの文章」にまとめることもできていない。
まずは、文章をしっかりしたものにするのが先でしょ?
だって、コミュニケーションの能力がないと、何も達成できませんし、的確な現状認識や自己認識がないと、変わるも何もないんじゃないの?

しかし、当事者意識がなく、何かを達成するという発想を持っていないダメダメ人間は、「積み重ね」という発想を持っていないことは、以前に配信しております。
「そんな細かいことが、いったい何になるのよ!」そんな感じで、地道な努力を「否定する。」

そんなコミュニケーション能力が低い人間の相手をしてくれるのは、結局は自分の子供だけになってしまう。しかし、そんなコミュニケーション能力の低い人間に育てられた子供の将来がどうなるのか、なんて、それこそ子供でも予想できること。

そうやって、ダメダメ家庭は見事に連鎖していく。
そして、そんなダメダメ家庭の人間のお約束の姿を見て、「ワタシは変わりたい!」と周囲に語る別の人がやっぱり出てくる。
「ワタシは、自分の周囲にいるダメダメなミンナとは違うわ!」
そうやって、周囲のミンナを否定する。しかし、その結果なんて、言うまでもないこと。

ダメダメ家庭出身の人間にしてみれば、マトモな家庭を築くということは、とんでもない難事業なんですね。
たまに誤解されておられる方がいらっしゃいますが、このメールマガジンでは、「ダメダメ家庭出身者がマトモな家庭を築くことは不可能なんだ!」なんて申し上げているわけではありませんよ。
「そんな一番難しいマターから取り組む必要はないのでは?」
そんな考えです。もっと確実に達成できることから始め、小さな成果によって、自信をつけ、そのような成功体験を踏まえた上で、新しい家庭に取り組むのが、適切な順番なのでは?

個人においても、趣味の世界などで、自分で何かやって、達成感を得るとか、あるいは、家庭内においても、ちょっとしたレジャーをして、食卓に気を使い、本を読んだり、自分で勉強したり・・・そんな積み重ねでしょ?小さなことでも、マトモな方向に積み重なると、やがては大きな成果ですよ。あるいは、ちょっとしたトラブルも、小さな段階なら、それまでの成果で相殺できる。しかし、ダメダメ家庭というものは、ダメダメに一方方向に積み重なっていくことが多いもの。
汚れた部屋で、服も汚れたまま。そしてセンセーショナルなだけのテレビ番組を見て、そんな番組を見ていた親が横にいる子供を無視した感想を言って子供の心を傷つけ、自分では趣味もなく、子供に対してグチ。だから、写真もなく、ますます会話のネタもない。
そんな小さな差異が積み重なっていく。

本来なら、本を買うくらいなら、どんな時代でも、どんな経済状況でもできること。
何も新品ではなく、古本を買えばいいだけ。
あるいは、見ているテレビ番組が娯楽オンリーの安っぽい番組でも、自分の家にマトモな本がいっぱいあれば、それが一方方向に積み重なることはない。いわば、その家の個性であって、ダメダメのスパイラルになることはない。

しかし、ダメダメ方向のみに積み重なると、マトモ家庭との差異が誰にもわかるレヴェルになってしまい、そんな家庭の子供は、自分の家庭の状況が周囲にバレないように周囲に対して気を使う。
だから精神的に疲れてしまった子供がトラブルを起こす。それに対して親の側が逆上し、子供がますます気を使い、子供の気使いも積み重なっていく。
結局は、子供としては、そんなストレスを感じなくても済む同類と結びついたり、そんなストレスを共有できる同類と結びつく。
学校や地域で、そんな子供にヘタに指導すると、子供がますますストレスをためるだけ。

結局は、現実逃避したり、自己逃避となってしまう。
それこそ「政治が悪い!時代が悪い!」という、親譲りの理屈で自分を納得させる。
しかし、家庭内では「時代が悪い!」で納得しながら、隣の家に行くと、マトモな家庭風景。隣と自分の家では、生きている時代が違っているの?

ダメダメな方向への小さな差異が積み重なるので、現実逃避や思考停止が習慣化してしまっている。だから、ちょっとしたことで対応できるのに、やらないので、マトモな成果を積み重ねるということもできなくなってしまう。
何かをぶち壊すのは、一瞬でいいわけですが、何かを達成するためには、小さな成果を積み重ねていくしかありませんよ。

まずは、メールの文章をマトモなものにしていく・・・そんなことができるようになるのが先でしょ?
メールの文章もマトモに書けないのに、いきなり「新しい家庭」をマトモなものにしようとしても、それは確実に無理ですよ。
子供とのコミュニケーションだって、うまくいくわけがないじゃないの?

しかし、ヘタクソな文章を書く人に限って、「ああ!マトモな家庭を築きたいなぁ・・・」と熱いロマンを語るもの。
そして、そんなロマンが悲劇性を帯び、「ワタシはあの○○による被害者だ!」と確信を帯びることになる。そうして、陰謀史観などで盛り上がったりして、さらにロマンの度合いが高まっていく。
しかし、その横で身近な現実は相変わらず置いてきぼり。

そして、やっぱり犯人探し。
ヘタをすれば、「ワタシが変われないのは、こんな文章を書いているオマエのせいだ!」と、このメールマガジンの書き手であるこの私を犯人認定するような勢いの文章も、現実にあるんですよ。
この私のメールマガジンに対して「どうやったらダメダメ家庭出身のワタシが変われるのかが書いていない。」とのご意見がたまにあったりしますが、そんな視点で読んでいる時点で、否定形の精神のダメダメのまま。

まあ、この私を犯人認定して、そんなにうれしいのなら、勝手にやっていればいいだけでしょうが、そんな人は「アイツが悪いんだから」→「ワタシは悪くない。」→「だから、今のままでいい。」となる。
ということで、「変わりたい」という言葉を掲げることで、何も変わらないことになる。

最初に「平和」とか「人権」という言葉について言及いたしました。
皆様も、そんな言葉をスグに使う人とやり取りをしたいとは思わないでしょ?
なんとなく、やり取りが弾みそうにないなぁ・・・とフィーリング的に思いますよね?
だって、そんな立派な言葉は、逆に言うと、自分で考えることからの逃避なんですからね。
自分から逃避している人と、やり取りをしても楽しくないだけでなく、ヘタをすれば犯人認定されてしまうだけ。「変わりたい」と言い出す人間も、同じパターンなんですよ。

何も「変わりたい」とおっしゃった方々を非難しているわけではないんですよ。皆さんがそんな状態だったら、その点を早めに自覚して、「まずは、これこれを達成したい!」と肯定形の具体的な目標を持つようにした方がいいわけです。
そんな肯定形の語りだったら、周囲の人間もそんな肯定的な人間が多くなり、結果的に事態の改善も進んでいきますよ。

(終了)
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発信後記

今週は、将来的なことについての文章を集中的に配信しております。
どうやったら、ダメダメから脱却できるのかという問題も、お手軽な「HOW TO」で対処できるものではありませんよ。
お手軽さを追求すると、むしろ、ダメダメから目をそらす技術だけが向上してしまい、それをダメダメからの脱却と言っているケースが多いもの。それこそ、頻繁に例示しておりますが、居酒屋さんで「オレは酔っていないぞ!」と叫ぶ境地。

ダメダメの問題を考えるに当たっては、通りのいい言葉や考えは、逆に言うと、自分を騙すための言葉であることが多いもの。
まさに「平和」とか「人権」とか、あるいは、「ふつう」とか・・・
そんな言葉をよく使う人は、例外なく被害者意識が強く、権威主義的な人でしょ?
それだけ、ダメダメのメンタリティを維持しているわけです。
 R.11/1/2