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カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
アップ日 10年9月11日
タイトル 20歳過ぎたら、親は関係ない! (成人したら、親は関係ない)
以前に「関係ない」というお題の文章をメールマガジンとして配信いたしました。
心理的にアンタッチャブル領域を多く抱える抑圧的な人間は、やり取りをしていて、その人にとって、いささかクリティカルなマターに近づいてくると、いかにも唐突に、「それは関係ないわ!」「そんなことは関係ないじゃないか!」と強圧的に言い出したりするもの。
そうやって、議論をしぼませてしまう。
逆に言うと、議論がしぼんでしまうので、その人にとってのクリティカルなマターに話題が移ることもない。
そんなことをすると、議論の結果として価値のあるものになるわけがないのですが、問題意識が欠如したダメダメ人間にしてみれば、事案が解決することよりも、クリティカルなマターに移らないことが重要になっているわけ。
自分にとって「触れられたくない」「痛い」ところに言及されなければ、それでOKとなってしまうわけ。
逆に言うと、「〜とは関係ない」という言葉がスグに出てくるということは、「触れられたくない」「痛い」ところがあって、その点から逃避しているということ。

さて、その「関係ない」なる言葉がついた物言いで、実に頻繁に登場してくるのは、ある人が事件を起こしたりして、「どんな子育てをしたら、こんな人間ができてしまうんだ?」「この人の親は、いったい、どんな親だったんだろう?」などと議論になったりすると、猪突に「20歳過ぎたら、親は関係ないじゃないか!」「親の問題を議論するのはやめよう!」などと言い出したりする人がいるでしょ?

しかし、そのような事件なりトラブルが発生する要因として、実家なり親の問題が、本当に関係ないと本気で思っているのなら、逆に言うと、もっとじっくりと相手の話を聞けるでしょ?
そして、相手の見解よりも、はるかに的確な説明をすればいいだけ。
相手の話を遮るのではなく、親の問題を除外した内容での自分なりの見解を、相手にわかりやすい形で示すことの方が有効ですよ。

どうして、そのような形で、自分の見解を示すことができないの?
それができないのなら、やり取りにおいて、相手の話を遮る必要はないでしょ?

そうなんですね!
相手の話を必死で遮ろうとする態度こそが、その人の「後ろめたさ」や「恐怖心」を示しているわけ。
それだけ、相手から丁寧に説明されると、反論できないし、あるいは、そのマターについて自分で考えたくないと思っているわけ。

とは言え、まあ、この「20歳過ぎたら、親は関係ない。」という文言はよく使われたりするもの。だから、今回の文章においては、この言葉から見えてくるものを、じっくり考えて見ましょう。

その心理的な背景については、今回の文章の最初において軽く言及いたしましたが、じゃあ、その言葉が指し示しているもの・・・その言葉自体の正当性や妥当性はどうなんでしょうか?
本当に「20歳過ぎたら、親は関係ない。」の?
それとも、実際には大きな関係があるの?

まあ、このサイトの基本的なコンセプトがわかっておられる方であれば、その2つの内で、この私がどちらの見解を取っているのかは、スグに予想できることでしょう。
それに、多くの一般の人も、「20歳過ぎたからと言っても、その人を育てた親が無関係なわけがないじゃないの?」と思っておられるのでは?
まさに「三つ子の魂、百まで」とか「子は親の鏡」なる言葉があるくらいですからね。

ただ、多くの一般の人は、それを明確には説明できないもの。
それに、その手の問題が直接的に対象としているダメダメ家庭の人間は、説明能力が、一般のマトモな人よりも、はるかに低いことが通常なので、ますます、そんなご高説に流されてしまって、自分の見解が言えない状態。

だから、今回の文章において、それを「的確に?」説明したいと思っております。

さて、この「20歳過ぎたら、親は関係ない。」というテーゼを、検証するために、色々と思考実験をしていきましょう。

たとえば、以前にこんな実際の事件がありましたよね?
オーストリアにおいて、自分の実の娘を、地下に閉じ込め、レイプし続けた父親の事件です。
そして、レイプの結果で生まれてしまった子供は、そのまま、地下で成長することになりました。

地下で生まれて、ずっと地下で暮らしてきた人が、生後20年経って、その人が、たまたま外の世界に出ることができて、外の世界でトラブルを起こしたら、周囲の人はどのように考えるでしょうか?

「20歳過ぎたら、親は関係ない。」んだから、その人がしてしまったトラブルは、その人自身に責任がある・・・そのように考えるものなの?
まずは、そのようには考えませんよね?
たとえ、物理的に20年経っていたとしても、ずっと地下で暮らしたその20年には何の意味もない・・・そのように考えるのが自然でしょ?

もちろん、その思考実験の例は、いささか極端な事例といえるでしょう。
しかし、そんな極端な事例ですら、実際に起こってしまっているわけでしょ?
では、もう少し、ポピュラーな事例を考えて見ましょう。

それこそ、地下に閉じ込めるパターンではなく、まるっきりの放置というかネグレクトの事例を考えて見ましょう。

地下ではなくても、家とか部屋に放置するパターンだと、日本でも実際にあったりするでしょ?
それこそ、巣鴨ネグレクト事件とか、あるいは、最近あった大阪ネグレクト事件などは、一応は外に出ることはできても、親からの保護がない・・・そんな状態といえます。

そんな状況で20年経たとしても、その後の行動に対し、責任を取らせると言っても無理がありますよね?
あるいは、ネグレクトと言っても、食べさせることは、一応はやっても、たとえば教育などの面においてはネグレクト・・・そんなパターンも実際にあるでしょ?
食事を20年間やり続けても、一回も会話をしていない状態だったらどうなるの?
人間は、ただ単に、肉体的な存在というわけではなく、精神的な存在と言えるでしょ?
しかし、子供の精神的な成長に対する親としての義務の面をネグレクトするダメダメ家庭の例は多いでしょ?
飼育はしても、教育はしないネグレクトのパターンは、ダメダメ家庭においては、実にポピュラーといえるでしょ?
教育だって、本来は、その子供の可能性に十分配慮する必要があるのでは?
それこそ、極めて優秀な頭脳を持っているのなら、相応の教育を受けさせる必要があるでしょ?
子供が極めて優秀な頭脳を持ちながら、その子供を中学校卒業で働かせるのは、法律的にはネグレクトではありませんが、子供の可能性に対するネグレクトといえるでしょ?
教育においては、たとえ経済的なハンディキャップがあっても、奨学金を使うという方法もあるわけですが、子供の教育それ自体に関心がないダメダメな親も多いでしょ?
ネグレクトといっても、色々なレヴェルなりケースがあるわけ。

あるいは、病気になってその治療をネグレクトするようなパターンもあるでしょ?
親の拒否によって治療をネグレクトするパターンもあれば、子供に治療を拒否するように仕向けるパターンもある。治療をしないで、結果的に後遺症が残ってしまった場合においても、「20歳を過ぎたら、親の問題は関係ない。」と言えるの?

このサイトはダメダメ家庭・・・より正確な名称となると機能不全家族をテーマとしております。「機能不全家族」の「機能不全」は、親として、子供を一人前にするための機能を指しております。そして、人が人として一人前となるためには、多くの要素が絡んでくるでしょ?「このことさえできれば、一人前だ!」とは単純にはいかないもの。食糧を与え続けることのみが、親が子供に果たさなければならない機能ではないわけ。
そんなことは、オーストリアの鬼畜父親でもやっていること。

もちろん、親としての機能を完璧に備えた、完全にマトモな親なんて、いるわけもないでしょう。
だからこそ、親として子供に対して果たさなければならない多くの機能というか義務を個別に、そして、具体的に考えていくことが必要になってくるわけ。

「20歳過ぎたら、親は関係ない。」と、概括的で単純に言い切ってしまうことそれ自体が、親が子供に果たす義務を個別的に認識しようとする態度の不在の証明のようなもの。
そんな人は、ただ、自分の親の問題を考えたくないだけなんですね。

あるいは、別の思考実験をしてみましょう。
「20歳過ぎたら、親は関係ない。」という論理を支持するのでしたら、それはその人の判断と言えるでしょう。
では、たとえば、成人後になって北朝鮮から逃げ出してきた人はどうなるの?
あるいは、未成年のうちに、北朝鮮から逃げ出してきて、逃げた先の外国で成人を迎えた人はどうなるの?
「20歳過ぎたら、出身の国家は関係ない。」ということで、成人後は、援助なりサポートを打ち切るの?
そういうものではないでしょ?

現実的には、それまで積み重ねてきた北朝鮮での流儀との齟齬に苦しむ脱北者に対して、手厚いサポートがあったりするもの。
「20歳過ぎたら、出身家庭は関係ない。」のだったら、「20歳過ぎたら、出身の国家は関係ない。」とも言えるでしょ?
20歳を過ぎたその後の人生において、出身国家は多大な影響はあっても、出身家庭はほとんど影響がないの?出身家庭というものが、その後の人生に対しては、そんなに影響がないものなの?
国家こそが重要なの?家庭とは、そんなに軽いものなの?

本来は、逃げ出すようなダメダメな国家に生まれてしまったら、もう次の世代を作らなければいいじゃないの?何も考えずに、子供を作ってしまって、「ああ!なんてヒドイ国だ!子供にかわいそうだ!」と嘆くなんてギャグですよ。そんな嘆きを聞かされ続けた子供としては、「つーか・・・じゃあ、このワタシを作るなよ!」と思いますよ。
常識的には、国家の問題よりも、その家庭の問題の方が、その後の一生において、大きなファクターでしょ?

あるいは、別方向の思考実験を考えて見ましょう。
今までは、悪影響について、考えてきました。
次には、「いい影響」について、思考実験をしてみます。

ある人がこのように言ったとしましょう。
「ワタシの母は、ワタシが子供の頃に、よく本を読んでくれたわ。そんなことがあったから、今のワタシも本が好きなんだろうなぁ・・・」そのようなことを語る人に対して、『何を言っているんだ?バカモノ!オマエは25歳じゃないか!20歳を過ぎたら、親は関係ないんだ!今のオマエが本が好きなのは、親とは関係ない!』と、一喝するような人がいるとしましょう。
そんな人に対して、周囲の人はどのように思うでしょうか?

「あの人・・・さびしい人ねぇ・・・」

まあ、そんなところでしょ?
子供の頃に親から本を読んでもらった積み重ねが、現在での本好きにつながっている・・・
そんなことは、誰だって認めることでしょ?

だったら、「ワタシの父は、ワタシが子供の頃に、よく怒鳴りつけてきたものだ。そんなことがあったから、今のワタシもスグに人を怒鳴りつける人間になってしまったんだろうなぁ・・・」という述懐に対して、『20歳を過ぎたら、親は関係ないんだ!』という反論も、おかしいでしょ?

トロイヤ遺跡を発掘したドイツのシュリーマンも、ホメロスを子供の頃に読んだからこそ、そのような熱情を持つことができたわけでしょ?
ホメロスと接することができる家庭ではなかったら、後の偉大な業績も達成できなかったのでは?
それとも、「シュリーマンがトロイヤの遺跡を発掘したのは、親とは関係ない!」とでも言うの?

プラス方向に対しては、親の影響を無条件で認めても、マイナス方向に対しては、今度は無条件で認めない・・・そんな人は、この社会には多くいるでしょ?
しかし、プラス方向に影響があれば、マイナス方向にも影響はありますよ。
何度も書きますが、包括的に議論するのではなく、個別の具体論が重要になるわけ。

「20歳過ぎたら親は関係ない」ということを言いたがる人間ほど、自分の実家について考えたくないものだから、無駄に説教くさいもの。自分自身の問題に話題が移らないように、いわば先制的に、仕切ろうとするわけ。
逆に言うと、困っている人からの相談などは受け付けない。
ただ、正論を一方通行で言い放っているだけ。
たまたま、相談を受けても、「そんなことはオマエ自身でなんとかしろ!」と言い放つだけ。
しかし、「オマエの親に相談しろ!」とは言わないもの。
だって、その人自身が「親と相談できない」わけですからね。
一方的な説教をすることで、その人自身の問題を指摘されることを、防御しているわけ。

先日、大阪でネグレクト事件が発生し、その事件については、文章をまとめ、このサイトにアップしております。その事件においては、幸か不幸か2人の子供が死んでしまいましたが、もし、その子供が命を取り留めてしまったら、そんな子供に対して、説教くさい人はどんな対応をするの?

それこそ、「20歳過ぎたら親は関係ない!」と言い出すような人だったら、
「たまには親のところにいけ!」
「女手ひとつで立派に育ててもらったことを感謝しろ!」

そうやって、問答無用に説教するだけでしょ?

そんな説教をされてしまうから、説教をされた側が、自分を騙すように、無理に「ふつう」になろうとして、子供を好きでもないのに、子供を持ってしまう。
そうして、この手のネグレクト事件が繰り返されることになる。

大阪ネグレクト事件の犯人の女性だって、その女性の問題が、実家の問題といかにつながっているかについて、自覚ができていれば、あのようなカタストロフにはならなかったのでは?
しかし、ダメダメな人ほど、自分のダメダメに甘い環境を求め、そして、会話の能力のない人ほど、問答無用の雰囲気を求め、それらが一緒になると、「20歳過ぎたら親は関係ない」という論理と、自分を騙す形でそんな正論を受け入れる抑圧的な心理がマッチングしてしまう。
だから、まさに親の問題が、子供に繰り返されることになってしまうわけ。

もちろん、安直に「悪いのは全部親のせいだ!」ということを申し上げているわけではありませんよ。何度も書きますが、個別の具体論で考えていく必要があるというだけです。
「20歳を過ぎたら、親は関係ない!」という言葉が、この社会で通用してしまう背景には、親に責任のすべてを押し付けるダメダメ家庭出身者の態度に対する一般のマトモな人が持つ不快感もあるわけ。

自分の親の問題を指摘するにせよ、客観的でわかりやすい形の説明となっていないのに、自分の被害感情だけを感情的に連呼する状態だったら、その指摘にも支持は得られないでしょ?
親の問題を指摘しようと思ったのなら、それを「どうやって、客観的でわかりやすい形にしていくのか?」そんな思考も必要でしょ?その人本人の表現能力が十分ではなくてできないのなら、誰か表現能力の高い人の協力を得ればいいだけ。そんな努力もしないで、親による被害を連呼していれば、周囲からあきれられるだけですよ。
「悪いのは全部親のせいだ!」という物言いで、誰に何をわかってほしいの?
それが明確ではないのに、感情的に連呼されるから、「いかにも甘ったれ」に見えるわけでしょ?

別のところで書いていますが、事件を考える際に「理由」と「きっかけ」は別のもの。
親の問題は、事件の「理由」であって、「きっかけ」ではないわけ。
そのあたりを区別できないから、親からの影響を客観的に説明することができず、聞いていても、さっぱりわからない。

「悪いのは全部、親のせいだ!」と安直に断定するのも、「20歳を過ぎたら、親は関係ない!」と断定するのも、個別に、そして具体的に考えていくことからの逃避なんですね。
方向性は反対ですが、逃避の出発点は同じであるわけ。双方とも自分自身なり自分の過去から逃避しているわけです。

以上のように、「20歳を過ぎたら、親は関係ない!」という物言いからは、個別に考えていく思考能力の欠如や、親の問題を考えることからの逃避、そして、今現在のその人の状態を認識し考えるに際し、その人の親が与えた影響について考える姿勢の欠如が見えてくるでしょ?

それだけではなく、都合が悪くなると、強圧的な言動をすることで、相手の意向を圧殺しようとする態度も見えてきますよね?
説明能力も低いし、相手の意向を聞き取る意欲もない。
つまり、そんな「20歳を過ぎたら、親は関係ない!」とスグに言い出す人の親の姿が、実によく見えてくるわけです。
まさに、「子は親の鏡」というわけ。

「20歳を過ぎたら、親は関係ない!」というご立派な物言いに対する一番的確な反証は、そんなことを言い放つ人当人のキャラクター・・・そのように考えると、意外に理解しやすい言葉なんですね。
だからこそ、その点を指摘されると、見事なまでに逆上するもの。
そんな、逆上している人に対しては、「アンタの親も、そうやってスグに逆上したんでしょうねぇ・・・」なんて、言ってごらんなさいな。
もっともっと、逆上するものですよ。
ただ、その手の遊びは、ほどほどにね。
R.10/11/14