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カテゴリー | テレビの前のダメダメ家庭 |
配信日 | 04年6月16日 (11年1月16日 記述を追加) |
タイトル | 事件後の感想 |
それこそ先日の長崎県の事件とか、あるいは、万引きなどの軽犯罪など、様々な未成年の犯罪が起きたりします。 テレビでも連日報道されています。 家族でテレビを見ている時に、そのような報道もあるでしょう。テレビを見ながら、親も一言二言感想を言ったりしますよね? 親という立場だったら、まずもって事件の関係者の中の親の立場を持つ人に注目する・・・これは当然のこと。 しかし、「親は子育てという迷惑を背負わされた被害者」という認識を持つダメダメ家庭では、その種の事件について考えるに際し、被害者当人ではなく、被害者の親でもなく、また加害者となった子供本人でもなく、加害者となった子供の親のことを真っ先に考えるわけです。そして、その加害者の子供の親への同情を表明するものです。 「まあ、あの子はあんなことしてしまって・・・加害者の親御さんはこれからどうやって生きていけばいいの?」 「自分の子供があんな犯罪をやったら、世間に顔向けできないじゃないの!」 「全く・・・少しは親のことを考えなきゃね。」 「オマエはあんなことして、親に迷惑を掛けるなよ!」 と、こんな感じ。 いわば、極悪犯罪者の子供というババを「引かされてしまった」親の側への同情を表明するんですね。 しかし、言うまでもなく、そのような凶悪な犯罪行為を行った未成年も、生まれながらにして犯罪者であるわけもないでしょ?結局はそのダメダメな親に育てられて犯罪者になったわけです。 しかし、ダメダメな親は子育てに対して当事者意識がなく、「子育ては学校の仕事」という認識なので、子供が犯罪をやったとしても、親の育て方の問題には視点が向かわない。むしろ、「学校が悪い。」とか「社会が悪い。」とか、「時代が悪い。」などの、保護者に関係する要因以外の理由を設定して、自分で勝手に納得してしまうわけです。勿論のこと、まずもって子供自体が悪いという認識となる。だから、そんな「不良品」の子供をつかまされて面倒を被ったお気の毒な親への同情を表明するわけです。 長崎県の「古い方」の事件でも、加害者の親は被害者に謝罪には行きませんでした。 それは、ある意味において当然なんですね。だって、その親にしてみれば、加害者である子供の親である自分たちこそ、面倒な事件に巻き込まれた「最大の被害者」という認識になっているんですから。 あるいは、別の言い方をすると、「出来の悪い子供を持ってしまった」被害者という認識となっている。 だからこそ、「あの事件の犯人の親御さんはお気の毒だ!」という感想になってしまう。 そうなると、そのようなコメントを聞いた子供はどう思うでしょうか? 『あらまあ!この親は子育てなんて、全く他人事なんだな。』と分かることになる。 あるいは、そんな親に配慮して、『では、これから親に何も手間を掛けさせないようにしよう!』となってしまう。 子育てに当事者意識もなく、子供から面倒を持ち込まれることに対して過敏に反応するそんな親に対して、子供としても自分の困りごとなどは相談できるわけもなく・・・物事をすべて自分自身で解決する必要性を実感することになる。しかし、そんな切羽詰った心情の子供は当然のことながらストレスの日々ですから、結局はそのストレスが爆発して何か事件を起こすことになっちゃうんですね。 これが、そのような未成年の凶悪事件の報道時に、横にいる親が、 「あの子・・・何か困っていたのかしらねぇ・・」とか、 「あんなことになる前に、誰か相談できる人が、近くにいなかったのかしら?」とか、 「あの子の親御さんは一体何をやっていたのかしら?」とか、 「オマエは何か困ったことはないの?」とかの感想の言葉だったら、横にいる子供も安心ですよね? だって、そんなコメントは、「子供からの相談に対しては、いつだって相談に乗るよ!」という親の意思表示なんですからね。 まあ、子育ては親の仕事と思っていれば、そのような言葉も出てくるわけですが、ダメダメな親は「子育ては学校の仕事」「親は子育てを押し付けられた被害者」という認識なので、子供から相談されるのが鬱陶しいわけです。 子供と親の間のやり取りばかりではなく、親同士の会話で、未成年の凶悪事件についての雑談において、そのような「あんな事件をしでかした子供の親はお気の毒!」と言った類のコメントを発する人は要注意と言えます。そんなことを言う人も、実際に結構いるものでしょ? 実際に観察して御覧なさいな。 その人自身にダメダメな例が多く見られるものですよ。 また、その人の子供が、結果的にトラブルを引き起こしたりするもの。 そんな親によって育てられた子供としては、普段から「親に迷惑を掛けないように!」なんて気をつけて生きる必要があるわけですから、そりゃ疲れますよ。だから、結果的に事件も起きちゃうわけです。 事件と言っても、子供が加害者になるばかりではなく、被害者になるケースもあります。 顔見知り同士の子供の事件においては、加害者も被害者も、親からのサポートがなく、「入れ込む」&「入れ込まれる」という関係において同じような精神状況なっていることも多いんですね。 それこそ、「新しい方」の長崎の事件でも、もっと早くに子供が親に相談を持ちかけられるような家庭だったら、子供は加害者にはならないし、被害者にもなりません。 被害者の側の家庭においても、「あの子、最近チョット怖いの!どうしたらいいのかなぁ・・・」って、そんな家族の間の会話がなかったわけでしょ? そのような相談なり会話がない状態だったら、その家庭はダメダメですし、そのような会話があっても親が放置していたら、やっぱりダメダメでしょ? ダメダメ家庭においては、子供は親の側からの一方的な命令を受けるだけ。 親の側は子供の困りごとをサポートする発想自体を持っていない。 別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の親は、子供の保護者ではなく、支配者なんですね。支配者なんだから、被支配者たる子供の側からトラブルを持ち込まれることを拒否することになる。 逆に言うと、子供を保護するという発想を持っていないが故に、何も覚悟も、将来の見通しもなく、子供を作ってしまうことになる。 そして、できてしまった子供に対して、「親に迷惑をかけるな!」と命令するだけ。 ダメダメな親が、たまたま、気の迷いで「オマエも何か困ったことはないか?」などと子供に対して言うことはあっても、日頃の積み重ねによって、子供としては親の本音を分っている。だから、子供としても、『別にぃ・・・』という生返事となってしまう。 そんな生返事を受けて、ダメダメな親は、「ウチには何も問題がない!」と勝手に納得することになる。 それこそ、茨城県の駅で通り魔事件があり、その事件の報道を見た人が自分の子供に対して、「あんなことをするなよ!」と命令して、命令された子供が、岡山駅で突き落とし事件を起こしました。 その親は、「通り魔事件のようなことをするな!」と自分の子供に命令することはあっても、「オマエは何か困っていることはないか?」と聞くことはしないわけです。 あるいは、「あの青年もそんなに思い詰めているのなら、どうして親に相談できなかったのか?」というコメントにもならないわけです。 ただ、一方的に自分の子供に命令するだけなんですね。 しかし、そんなことだから、「命令を受けた子供」が追いつめられて事件を起こすことになるのは、本来なら小学生でも分ること。 そして、実際に事件を起こした後になって、「あんなことをした自分の子供を許すことはできない!」と正義感あふれるコメントとなる。 しかし、親としての資質なり覚悟なり必要な行動については何も考えないわけです。 テレビなどの事件報道などを「見る視点」だけでも、その人の傍観者感覚や被害者意識が見えてくるものでしょ? 弱い立場のものは、保護者という立場にいるものの傍観者感覚を見逃すことはできませんよ。 だからこそ、子供としても、ますます切羽詰ってしまって、ストレスをためていくことになるわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 まあ、今回の“新しい”長崎の事件での皆様の周囲のコメントで、「この人って、ちょっとヘン?」と思うような人って結構いたでしょ? 今回のお題のように「加害者の親」への同情を表明したり、やたら話を大きくしてしまったり・・ 一般の親は自分の子供が安全であるように、努力することで精一杯でしょ? 話を大きくしてしまうと、肝心の自分の子供のことが宙に浮いてしまうんですね。 |
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本文中でふれております08年に起きた岡山駅突き落とし事件ですが、その事件の加害者の少年の心理については、 08年3月31日 配信 「しちゃダメ」という文章でも考えております。 |
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R.11/1/16 |