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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 04年9月8日  (10年11月15日 記述を追加)
タイトル 男尊女卑
ダメダメ家庭は会話が不全となっている家庭です。
このことはこのメールマガジンで何回も触れています。

家庭内で会話がなくなれば、会話によるコミュニケーションではなく、むき出しの権力関係によって家庭が維持されるわけです。
「相互理解」を基にし、合意を積み重ねていくやり取りではなく、「命令と服従」の関係で、支配されてしまうわけ。

「命令と服従」の関係だからこそ、身体的な強弱とか、経済的な力関係とかが優先されることになる。
だから、どうしても「男尊女卑」の発想になりがちなんですね。

やっぱり身体的には男女の間では差があるでしょ?
それに一般的には、男性の方が収入を得ていますよね?
ダメダメ家庭においては、家庭内でフランクな会話がないので、そのような、むき出しの「力関係」で家庭が運営されるわけです。

「こらっ!オレに文句を言うな!ブン殴るぞ!」
「オイ!いったい、誰の稼ぎで食わしてもらっていると思っているんだ?!」
こんな調子になってしまう。

家庭内が会話による合意を進めることで運営されている場合には、そのようにはなりません。だって会話の能力なんて男女同じですからね。
それに、相手にわかってもらいたいことがあれば、自分の意向を丁寧に説明すればいいだけ。家庭内において、会話が機能していれば、そんなことは簡単ですよ。

会話不全のダメダメ家庭では、「命令と服従」という封建的な面が強くなり、どうしても男尊女卑になってしまうわけです。
そもそもその家庭の妻も、会話のできない男と結婚するような女性なので、所詮はダメダメ。それこそ、前回の配信のお題のように、日頃から「あ〜あ、女はツマラナイ!」とグチっているだけ。「お父さんは男尊女卑で困った人だ!」「お父さんの実家は封建的な雰囲気だ!まったく・・・子は親の鏡とはよく言ったものね。」などとグチることになる。
グチることで、自分を被害者だと勝手に認定し、自己憐憫するだけで、自分では何も対処しないわけ。
会話の能力のない男性と別れて、やり直す気概もない。
そんなグチを聞かされた子供としては、「そんなことは、結婚前からわかっているでしょ?バカじゃないの?」と呆れることになるわけです。しかし、「命令と服従」の関係であるがゆえに、子供は親に逆らえない。だから、命令が問答無用で通ってしまうように、親のグチも通ってしまうわけ。

そのようにグチっていればいいだけなので、男尊女卑の環境は、「自分でやりたいこと」がなかったり、考えたくない女性にしてみれば、心理的にラクになるわけ。
だからこそ、わざわざそんな環境を求めてしまう。
その女性に、本当に自分でやりたいことがあるのだったら、その女性の意向を認めてくれる男性と結婚しますよ。

「ワタシとしては、結婚してからはこのようなことをしたいけど、アナタはどう思うの?」
と聞いて、
『ウルサイっ!そんなことは許さん!』と回答が返ってきたら、そんな男性と結婚するわけがないじゃないの?

つまり、後になってブチブチと言うような女性は、女性を抑圧するような環境を自分で求めているんですね。
そして、自分の意向を抑圧してもらって、安心して自己逃避してしまう。
そして、自分で考えたくないので、考える役割を自分の子供に託すことになる。

一般的に、ダメダメ家庭では親は男の子をかわいがる。だって、男の子は将来は稼いでくれるものでしょ?かわいがると言っても愛情なり会話があるわけでなく、経済的な機能を重視し、「ワタシの老後は頼むわよ!」そんな調子でかわいがるわけ。いわば、投資信託の一種として有効と思っているわけ。
精神的な結びつきというよりも、純粋に経済的な結びつき。

だから、男の子の方も「かわいがられて」うれしいわけもなく・・・だって、親の魂胆がミエミエなんですからね。
まさに「利子を付けて、返さなくてはならない借金」を背負っているようなもの。これでは、心ハレバレとは行きませんよ。
しかし、ダメダメ家庭の親は、「ワタシの老後はお兄ちゃんに見てもらうわ!」などと、自分自身で自分の将来を考えることから解放されて、安心しきっている状態。
その天真爛漫な笑顔の親を見つめる、男の子と女の子のしらけた表情・・・
「コイツ、何もわかっていないなぁ・・・」
まあ、ダメダメ家庭では定番の表情ですね。

逆に言うと、自分の老後の面倒を見させるための子供なので、経済的な機能が要求され、それが男尊女卑につながることになる。確かに女の子は、将来において稼いでくる可能性が男の子より低いでしょ?だからどうしても軽く扱われてしまう。
しかし、そんな家庭で育つ子供・・・特に女の子にはたまりませんよね?

結局は、その家庭の父親の仕事だって、男女で差がある仕事・・・つまり実際に自分の体を使う仕事であったりするわけです。だからこそ、仕事において会話が必要でもないし、男女で仕事の能力に差がある。
そのような仕事が悪いわけではありませんが、その常識を自分の子供に適用されたら子供だってイヤでしょ?

それこそ「どうせ、女は何をやってもダメ!」なんて片付けられてしまうだけなんですからね。
本来なら男女で差が出ない、会話によって仕事が進む業界に自分の娘を進ませれば、そんな顕著な男女の差なんて出てこないでしょ?親として、子供の可能性をサポートするのがスジなのでは?しかし、ダメダメ家庭においては、サポートどころか、子供の可能性を摘み取るだけ。そして、そのことに自省もない。まさに、それが「ふつう」のことだと思っているわけ。

勿論のこと、身体的な労働が中心の環境という面だけではなく、その親たちが育った環境がそもそもそんな男尊女卑の環境であるケースも多くあります。そのような封建的な環境で育っていたりするので、当人がそれなりに学力や知識があっても、自分の育った世界の常識から抜け出せないわけです。

そして、会話の能力がない人間は、「命令と服従」の関係が成立する業界に行きたがる。
相手にわかりやすく説明する能力がないので、「とにもかくにも、オレの言うことに従え!」と命令すれば済む仕事に就きたがる。
やり取りをしたりすると、「この人はそれなりに知識があり、学歴もまあまあなのに、どうしてこんなに封建的な発想をするんだろう?」なんて、思う時がありますが、それは当人の育った環境自体が封建的なんですね。出身家庭に会話がないわけ。ただ、当人は学力があったので、それなりの「知的な」職業に就いていたりする。しかし、そんな「知的」な職業の人でも、やっぱり子供時代から会話の訓練をしていないので、会話がヘタだったりする。
そんな人は、たとえ、顕著な男尊女卑ではなくても、序列意識が強く、強圧的だったりするでしょ?
結局は、会話がない環境だったんですね。そして、当人もそれを引き継いでいるわけ。

そして、そのような会話の訓練を経ていない人が、そのまま結婚し、子供を作ったりする。そんな封建的な人と結婚する相手も、やっぱり会話の訓練を経ていない。
だから会話によって、家庭が運営されることなく、むき出しの力関係による支配になってしまう。
「オレの言うことを黙って聞け!」
まさに「子は親の鏡」そのものとなってしまうわけ。

こんな環境だったら、ちょっと頭がいい女の子で、いわば「打ち所が悪い」と、女性運動の闘士になってしまったりする。
「男なんかやっつけろ!」
「悪いのは全部男のせいだ!」
そんな感じでクレームを連呼することになる。
やたら過激な発言をしたり、活動に入れ込んでしまう。

しかし、そんな活動に入れ込む女性も、そもそも子供時代から会話の訓練を受けてきていないので、コミュニケーションに問題がある。
「聞き上手」「話し上手」ではないわけです。だから、人との間で合意を形成することができず、運動が広がらない。
それこそ、ダメダメ家庭出身者に特徴的な発想のスタイルである二項対立的だったり、個別的な具体論を軽視し、抽象的な一般論だけを論じたりするので、他の人と一緒になって考えたり、議論したり、行動することができないわけ。
それに、やっぱり親譲りで、序列意識が強く、説明もヘタで、物言いも強圧的。自分の被害を感情的に主張するばかり。

やがては、肝心の女性たちから疎んじられてしまうんですね。
だって、そのような人は「社会に存在する女性のハンディキャップを解消していこう!」ということではなく、自分が体験した不快なことを全部男女問題にすり替えているだけ。様々なハンディキャップも、現実的には、自分の出身家庭の会話が不全であったことが要因となっている面が大きかったりするわけです。男尊女卑という問題は、「会話の不全」という本質の一断面に過ぎないわけ。

ここまで、お読みになった方は、とある女性運動の大学教授を思い出されるでしょうね。
まあ、彼女は絵に描いたような典型的な例といえます。
封建的な父親と、グチっているだけの母親の元で育つと、あんなふうにならざるを得ないわけです。

そもそも、社民党から立候補しておいて、後になって「社民党の政策はおかしい。」と言い出すところなど、深く考えずに適当な相手と結婚した後で、「お父さんは、どうしようもない人だ!ダメダメだ!」と、ブチブチとグチったりするダメダメ家庭の母親のスタイルそのものですよ。
きっと彼女の母親もそんな人だったのでしょうね。
だから彼女は、一般論的な「女性問題」について活発に発言しているようですが、もっとも身近な女性問題である、自分自身の母親と父親の関係について語れませんよね?

そんな女性にとっては、結局は、自分たちの活動も、自分にとっての一番肝心なことから、自分の目をそらすための活動になっている。
出身家庭がダメダメであるほど、その出身者は親の問題をアンタッチャブルにしてしまう。だから、別の問題に転化してしまうわけ。自分を騙すために、あるいは、肝心なことから目をそらすための活動だからこそ、その活動は、劇場的な過激さが必要になる。

その手の女性運動の活動家は、社会に存在する女性へのハンディキャップの問題と、自分のダメダメな親によるハンディキャップをゴッチャにしてしまっている。女性の地位向上が目的というより、抗議活動そのものが目的となっているわけ。そんな様相は、典型的なダメダメ家庭出身者の様相でしょ?

本来は、結婚前によく考えて、ちゃんと会話できる男性と結婚し、ちゃんと事前調査して会話によって運営される仕事に就けば、男尊女卑の問題は顕著にはならないでしょ?
しかし、そのような当然の努力を何もしないで、突っ走ってしまって、新たな家庭を持ってしまうと、その家庭内で男尊女卑の様相が顕著になってしまう。
そして、そんな家庭で育ってしまった人に限って、「女性問題」の闘士になったりするんですね。

そして、「悪いのは全部オトコのせいだ!」とクレームの声。
しかし、そんな女性の父親も、『悪いのは全部○○のせいだ!』と言っていたわけ。
まさに、父親譲りの被害者意識であり、父親譲りのクレームになっているわけです。

(終了)
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発信後記

世界においても男尊女卑が顕著な社会というのはダメダメですね。
まあ、儒教が盛んな韓国とか、イスラム教の世界とか・・・
それだけ、その世界に会話がないということなんですね。

女性が生き生きしている社会は、うまく行っている社会といえます。それだけ会話が成立しているわけですから。
シャークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」という作品でも、女性たちが元気でした。それだけ、エリザベス女王の時代のイギリス社会の健全性がわかるわけです。
この問題に関係の深い文章となると 05年7月8日 配信の 「アンディ・ウォーホルを撃った女」という映画作品についての文章があります。
R.10/11/15