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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 05年8月10日 (10年7月15日,10年8月6日 記述を追加)
タイトル いいとこ取り
オリンピックなどのスポーツ競技で、優秀な成績を勝ち取った選手が「このコーチの言うことを信じて、一生懸命やってきてヨカッタ!」などとおっしゃるケースが多くあります。

そのコーチの識見や指導力が世界一なのかは別として、少なくとも自分を評価してくれている人の言うことを信じて、わき目もふらずにそのコーチに付いていく・・・そんな発想も有効でしょ?
色々な人の、色々な言葉を少しずつ取り入れても、結局はダメになるものですよね?

指導者が競技者を信じて、競技者が指導者を信じる・・・そんな信頼関係を作り上げないと、成果なんてあげられないでしょ?
複数の人から指導を受けるにせよ、それまでの指導にひと段落ついたら、「このコーチからは、十分吸収し終わった。今後は、別のコーチの元で新たなステップに進みたい!」そのような、いわばシリアル形式のスタイルで、別のコーチの元に行けばいいわけ。しかし、同時に2人以上のコーチの指導を受けるようなパラレル形式では、うまくいくわけがないでしょ?期間を区切って、せめてその間は一人のコーチと一緒にやらないとね。

ところが、このような「一人の指導者を信じる」と言うことが、ダメダメ家庭出身者には難しい。
ダメダメ家庭出身者は、常に人を値踏みするんですね。
多くの人の発想を取り入れ、自分に都合のいいことを適宜利用しようとするわけ。
誰か一人の指導者に全部預けるという発想はしないわけです。常に逃げ口を残そうとするわけ。
「この人と、あの人とのいいところを同時に取り入れて行こう・・・」と、最初から、そんな感じで人を見ているわけ。

しかし、このメールマガジンにおいて、ダメダメ家庭出身者は「人に入れ込む」ケースが多いと、度々書いています。
「前に書いた記述と、矛盾しているのでは?」
そう思われる方も多いでしょう?
勿論、ダメダメ家庭出身者と言えども、様々なタイプがいます。誰もが「人に入れ込む」わけではありません。
それに「自分自身を預ける」ことと「相手に入れ込む」とは全然違っています。
「自分自身を預ける」ケースは、その人が「自分自身についてある程度わかっていて」その上で、「相手についてもわかっている」・・・そのような状態を確認した上で発生するものです。
「自分に何が足りないのか?」「今後は、どのような面を伸ばして行きたいのか?」それを自覚した上で、そのために最適な人間の指導を受けるわけでしょ?

ところが「人に入れ込む」ケースは「自分自身もわかっていない」し、「相手についてもわかっていない」状態。
冷静さが全然ないし、相互理解も全くない状態なんですね。

「自分自身を預ける」あるいは「今後の自分を任せる」・・・そのような「預ける」「任せる」という発想は、家庭において、子供が親に自分を任せる関係と似ていますよね?信頼関係が基本であるわけ。

それに対し、「人に入れ込むケース」は信頼関係がなくても発生するでしょ?結局は、誰も信頼できない状態のままで、特定の指導者に自分を預けることせずに、多くの人から「いいとこ取り」をしようとするし、逆に「この人こそ!」と思った人間に入れ込んだりするわけ。

「誰かを信頼して、わき目も振らず一緒にやっていく」・・・勿論、その基本形は夫婦であり、家族ですよね?
ダメダメ家庭ではその基本形がメチャクチャの状態。
子供にしてみれば、ダメダメな親を信頼して、信じて付いて行くなんて自殺行為ですからね。子供時代に「人を信頼する」という精神ができていないわけです。だから、大人になって、いきなり「人を信頼しなさい!」なんて言われてもムリでしょ?あるいは、人から信頼してもらうためにはどうすればいいのかもわからない。

このまま、人を信頼する経験もなく、その価値もわからないまま結婚したりするわけ。
これでは新たな家庭内で問題が起こるのも当然でしょ?

このような「いいとこ取り」の発想は、何もスポーツの世界だけで起こるわけではありません。人と相談するような段でも、顕著に発生するんですね。
色々な人に相談を持ちかけ、そこから得られた多くの回答の中から「いいとこ取り」をしようとするわけ。しかし、そのような人にとっての「いいとこ」って、要は自分に甘いもの。自分自身の被害者意識を満足させてくれるものだけなんですね。

自分自身の問題について正確に説明して、自分自身の意向を正確に説明した上で、回答をもらうことは考えないわけ。「多くの人」に「とりあえず」というスタンスで相談を持ちかけ、多くの回答を得て、その多くの回答の中から、自分の都合のいい言葉を採用する。
それこそ、インターネットの相談サイトの「利用のされ方」って、そんな感じじゃないの?
都合のいい言葉は受け入れるけど、自分に厳しい指摘は、無視・・・そんな人が多いでしょ?

しかし、本来なら、そんな感じで、多くの人に相談を持ちかけるよりも、最初から相談相手の選択について十分に考え、自分が選んだ相談相手に対して、自分自身の現状と意向を正確に伝えることが必要でしょ?
この手の「いいとこ取り」をする人は、そのようなことは決してしないわけ。自分の現状や意向について、ほとんど言わないものなんですね。ただ「ワタシは困った、困った・・・」そんな調子。

そうやって、自分自身についてなり、直面している現状は説明しなかったのに、後になって「あの人は・・・ワタシのことを全然わかってくれないっ!!」とグチったりする。
いいとこ取りは、形の上では、当人が相手を利用するスタイルになっているわけですから、当人なりの主体性を持っている・・・と、見てしまう人もいらっしゃるかもしれません。しかし、当人自身の希望なり現状認識がないがゆえに、質問なりサポート依頼をばら撒くわけだから、むしろ主体的な判断や選択から逃避した状態に近いわけ。

相談というものは、相談相手が一流かどうかの問題もありますが、相談を持ちかける側が、自分自身や現状をちゃんと説明することが第一でしょ?相談を持ちかけられた方だって、少ない情報からは考えようがありませんよね?まだ、私のように、「アナタからの相談には、この面と、この点と、あの箇所の情報が不足しています。これでは回答しようがありません。」と指摘できる人間だったらいいわけですが、そんな人間はそうザラにはいませんよ。善意があって、かつ鈍感な人間は、そんな「いい加減」な相談にも丁寧に回答しようとして、相手が望んでいる「被害者意識を満足させる」回答をしてしまうわけ。

「いいとこ取り」をするような人間は、多くの人から得られた、その手の「被害者意識を満足させてくれる」回答を集めて悦に浸っている。
「ワタシはかわいそうな被害者なのよ!!」
「あの○○さんも、そして、別の△△さんも、そう言っているわ!」

しかし、そんな状態では改善なんてできるわけがないでしょ?
と言うか、かわいそうな被害者と認定されたので、その認定に安心してしまって、当人自身は何もしないわけ。
「だってぇ・・・被害者であるワタシの側が、どうして、アクションをする必要があるのよ?」
そのように開き直るだけ。

ダメダメ人間は、自分で事態を解決する発想がそもそもない。
だから、人から言われた形にしたがる。
これは単に背中を押して欲しいということではないわけ。
背中を押すということは、当人なりの希望があったりするものでしょ?
その希望に対し、あまり自信がなく、周囲の人から同意がほしいというだけ。

しかし、ダメダメ人間は、当人の希望そのものがない。
だから、自分の希望への同意なんてものはないわけ。むしろ、周囲からの言葉に合わせ、それに従うことを自分で求めている。そして、うまく行かない状態になっても、「ワタシはあの○○さんの言葉に従っただけなんだから、ワタシは悪くないわ!」と周囲に語ることになる。

当事者意識がないし、覚悟もない。
別のところで書いていますが、ヘタをすれば、子供を持つことさえも、人の意見に従って作ったという形にしておきたい。自分が判断したという形を避けようとするわけです。
当然のこととして、そんな人が親となっても、子供が順調に育つわけもない。
しかし、親となった当人としては、「ワタシは、あの☆☆さんの言葉に従って、子供を作っただけなんだから、ワタシは悪くないわ!」と、やっぱり自己弁護。

逆に言うと、後になって自己弁護できるように、やり取りにおいて、自分の都合のいいことばかりを聞き取るわけ。
それこそ、「このワタシも子供を持った方がいいのか?」という相談においても、「いいとこ取り」の精神に満ちている。
「兄と折り合いが悪くて、このワタシと同居している母が、ワタシに子供を持てと言ってきます。子供ができたら、子育てを手伝ってくれるとのことです。母は、『子供はかわいい』といつも言っています・・・」とかの相談を受けたことがあります。

「子供はかわいい」と、自分と同居している実母が言っていて、子育てをサポートしてくれると言っているんだったら、表面上は、頼りになると言えるでしょう。
そんなサポートがあるのなら、子供を持つという選択において敷居が低くなったといえるのかも?
まさに「いいとこ取り」の聞き方だと、そのように受け取ることも可能でしょうね。

しかし、ちょっとでも深く考えれば、子供がそんなにかわいいと本気で思っているのなら、まずは実の息子と疎遠な関係にはならないでしょうし、何とかして関係修復をしようとするでしょ?
あるいは、その母の娘も、つまり私に相談してきた人もマトモなコミュニケーションができず、各方面でトラブルばかりという状態にはならないでしょ?
同居している母親がトラブルのサポートをしてくれないから、この私に相談しているんだから、そんな母親は、娘がする子育てについても、現実的には頼りになるわけがないじゃないの。

その実母の言葉は、いいとこ取りをすれば、子育てのサポートの表明といえるでしょうが、より一貫的に見ると、その母親がかつて行った子育てを繰り返す表明のようなもの。
じゃあ、その実母の言葉を受けた娘の側は、自分が受けた子育てをどのように思っているの?

私に相談してきた人も、その点を考えることから逃避しているんですね。
逃避していて、自分で考えたくない。
だから、この私に「母親のサポートがあるようだから、子供を持ったらいいよ!」と言ってほしいわけ。
その言葉を受けると、子育てでトラブルになった場合には、この私と実母を犯人として設定できるでしょ?
そうして、お約束の嘆き。
「ワタシはあの人たちに従っただけなのに、どうしてこんなことに?!」
「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
母親となっても、そんな言葉で嘆いているだけ。
まさに「子は親の鏡」そのもの。

逆に言うと、そんな言い訳ができるように、自分に都合のいい言葉がちりばめられている言葉を求めるようになる。だからこそ、相談の言葉をばら撒き、多くの人から回答が得られるようにする。そして、求めている言葉が得られないような人だったら、それ以上はやりとりをしようとしない。
自分の事態を解決するための回答ではなく、自分にとっての都合のいい言葉が含まれている文章を求めているだけ。

受けた言葉から「いいとこ取り」をする人は、まさにスポーツの指導のように人間関係でも「いいとこ取り」をしようとして、結局は、マトモな人から相手にされなくなってしまう。しかし、信頼と言うものを心理的に理解できないダメダメ人間は、「ミンナがワタシのことを、お気の毒だって言ってくれているわ!」と、同情というか好意を求めるアピールをするばかり。
そんなアピールによって、ますます信頼から遠くなってしまう。
「いいとこ取り」の人は、信頼とは無縁の人でしょ?

結局は、そんな「いいとこ取り」をするような人間同士で、今度は「入れ込み」「入れ込まれ」の修羅場に陥ることに・・・
そんなギャグのようなことが現実に・・・あるから、事件が起こっているわけです。

(終了)
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発信後記

今回のお題は該当者多数かと思います。
まずは自分にそんな面がある・・・と自覚することが第一。そのようなことを指摘してくれる人がいなかったわけですから、致し方がない面もあるわけ。
これからは、気をつけてくださいね。
甘い言葉は所詮は一時しのぎ。
良薬は口に苦し、って、やっぱり真理なんですね。
幼少期に形成される、信頼の基本形については、09年7月15日配信「信頼・安心の心理的ベース」という文章にまとめてあります。
R.10/8/6