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カテゴリー 文芸作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 06年5月12日
タイトル 「谷間のゆり」 (概要編)
作者 オノレ・ド・バルザック
前回は、バルザックの小説「谷間のゆり」の中の文章を、そのままピックアップして抜き出してみました。
読んで、どう思いました?

「自分が子供のころ感じたことが、そのまま出ている!」
そう思った方もいらっしゃるでしょう。

「今現在の自分の心情が、そのまま表現されている!」
そのような感想を持った方もいるでしょうね。

「普段、自分が実際に言っている言葉が出てきた!」
そのような方もいらっしゃるかもしれません。

あるいは、「いつものメールマガジンの文章と実によく似ている言葉が出てきた!」
そう思った方も、もちろん、いらっしゃるでしょうね。
「なるほど・・・・最終回に『とっておこう』と発行者が考えるのも、よくわかる。」
そう思ったかも?

さて、最初にちょっとした具体的な文章を抜き出しておいて、その後にあらすじなどの概要に進むスタイルは、日本人による作品解説の典型的なスタイルとは記述の順番が違っています。どっちかというと、フランス映画の予告編のスタイルと言えるでしょう。まあ、この点は「谷間のゆり」がフランスの小説だからというより、私の特性だからしょうがない。

さて、この小説「谷間のゆり」について、ここで簡単にあらすじを書いてみましょう。
ダメダメ家庭の貴族に育った青年フェリックス(ちなみにもともとは「幸運児」という意味・・・日本風だと「幸男」くらいかな?)が、ある日、アンリエットという女性に出会う。彼女はモルソーフ伯爵の夫人。アンリエットもダメダメ家庭の出身であり、二人は「入れ込む」ようになるわけ。

しかし、アンリエットには夫もいれば、2人の子供もいる。しかし、夫であるモルソーフ伯爵とはお互いが理解し合っているという夫婦ではない。普段から「自分は周囲から理解されていない。」と不満を持っているアンリエットの前に、自分と同類のダメダメ家庭出身者であるフェリックスが現れ、2人は意気投合するが、かといって、アンリエットは、フェリックスとの恋に走るわけではない。フェリックスへの想いと、母として妻としての義務の間の板ばさみで懊悩するアンリエット!!そしてアンリエットは苦悩の中で息絶えるのでした・・・

この「谷間のゆり」では、このフェリックスが現在の恋人であるナタリー・ド・マネヴィル伯爵夫人に宛てた手紙という書簡体のスタイルを取っています。そのフェリックスからの書簡の中に、引用という形で、アンリエットがフェリックスに宛てた手紙が登場してきます。

最後に、そのフェリックスからの手紙に対する、ナタリー・ド・マネヴィル伯爵夫人からの返事が掲載され、この小説は終わります。

人物関係をもう一度整理しますと、主人公の青年であり、小説の主要部分の書簡の書き手がフェリックス。そのフェリックスが想いをよせ、入れ込む相手がモルソーフ伯爵夫人のアンリエット。あと、そのアンリエットの夫の伯爵がいる。そして書簡の相手がナタリー・ド・マネヴィル伯爵夫人で、このナタリーは書簡には登場しません。

ここで作者のバルザックについて簡単にふれてみましょう。彼は1799-1850の生涯で、まさにあんな小説を書くくらいなので、実際にダメダメ家庭の出身です。そしてこの小説は自伝的性格を持っています。ダメダメ家庭出身で、年上の夫人に恋愛感情を持つフェリックスは、彼の実際の体験を反映していて、いわば分身としての性格を強く持っているわけ。
この「谷間のゆり」は1836年の作品です。19世紀の作品なのに、21世紀の我々の心情を、完璧に表現している!
芸術の力って、そして真の芸術家の洞察力って、やっぱりスゴイ!

バルザックは「神の如く」の洞察力を持っていたなんて言われたりすることもあります。多くの作家の中でもその面では抜きんでいた存在なんですね。まあ、バルザックさんも「アンタ、エスパーなの?」なんて言われたりしたんでしょうね。

あと、バルザックは小説家の中でも屈指の多作家として知られています。まあ、ダメダメ家庭出身の人間は、往々にして多作家の傾向があったりするんですね。それだけ「書きたい!」という欲求が強いわけ。バルザックの生涯を見てみると、あちこちで結構ケンカしたりして、「ああ!やっぱりダメダメ家庭出身者だなぁ・・・」と苦笑いしてしまいます。

今回取り上げた、この「谷間のゆり」という小説を、「恋愛と義務、官能と精神の葛藤の中で苦悩する女性アンリエットを描いた恋愛小説の傑作!」なんて表現する人がいたりします。というか、ほとんどの人はその程度でしょうね。巻末の「解説」によると、フランス文学の研究者もそんな感じのようです。

しかし、バルザックはそんな単細胞じゃあありません。
たとえば、この「谷間のゆり」は書簡体の小説です。
フェリックスが女性に宛てた手紙が、主な要素。しかし、本にして400ページになるような手紙なんて現実的ではないでしょ?不自然な長さでしょ?

書簡体というスタイルは、この小説のスタイルとしては、実に不自然なんですね。
では、作者であるバルザックは、なぜに書簡体というスタイルにしたの?

書簡の特徴って何でしょうか?それは書き手の主観なり心情が率直に吐露されることでしょ?
この「谷間のゆり」という小説は、フェリックスの主観的な心情が率直に語られているわけ。そしてそのフェリックスの手紙で引用されるアンリエットの手紙によって、アンリエットの主観的な心情が語られるわけ。
つまり登場人物の率直な心情を語った文章で、この「谷間のゆり」という小説は出来上がっているわけです。いわば登場人物の主観の羅列によって構成されているわけ。
登場人物が「わたしはこう思っている!」「このように苦しんでいる。」そのように自分の主観を語っているわけ。

登場人物の心情は心情でいいでしょう。
しかし、では、作者のバルザックはどう思っているの?
あるいは、登場人物の主観は主観としていいとして、では、客観はどこにあるの?
この小説の「キモ」は、まさにこの点にあるんですね。
登場人物が思っていることと、作者のバルザックが考えていることが同じとは言えないわけ。というか、まったく同じことを考えているのなら、わざわざ不自然な書簡体の小説にはしませんよ。

作者のバルザックは、登場人物の発言や行動や考えを、共感を持って眺めながら、決して同意見ではないわけです。

登場人物たちはこう考えている・・・しかし、作者の私はどう思っていると思うかな?そして読者の君たちは、この「不幸な彼らのことを」どう考えるのかな?
そのような問い掛けがあるんですね。

そのような作者からの問い掛けを見落としてしまうと、単に「恋愛小説の傑作!」なんて、ありきたりな賛辞になってしまう。
しかし、バルザックの問い掛けを頭に入れながら読み進めると、ダメダメ家庭出身の人間が持つ「恋に恋する」妄想癖、不幸への憧れ、グチっぽさ、自己からの逃避、甘ったれな性格・・・そのようなネガティヴな面が、実に的確に表現されているわけです。

そして作者であるバルザックの「現在の」心情は、彼の分身と言えるフェリックスの手紙よりも、それに対するナタリーが書いた返事の手紙に近いものなんですね。
まあ、一言で言ってしまうと、
「で、アンタは結局は、どうしたいの?」
「もっと現実を見つめなさいよ!」
そんな感じ。

じゃあ、どうやってこのような不幸な境遇から脱出していくか?
小説の中の人物はどの点がダメなのか?
実際のダメダメ家庭出身の作者バルザックはどう考えたか?
天才芸術家の導きに従って、これから考えてみたいと思っています。

(終了)
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発信後記

このシリーズは今週の2回が、いわば予告編で、次回から内容について直接ふれていきます。
来週、来々週の2週間はこのシリーズから離れて、この「谷間のゆり」のシリーズは5月22日の予定です。
読まなくてもわかるようには書きますが、できれば、その「谷間のゆり」を読んでいただけるとより理解しやすいと思います。
R.10/11/30