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カテゴリー ダメダメ家庭はいつも否定形
配信日 09年1月21日
タイトル 疑問形での否定形
ダメダメ家庭の人間の物言いには否定形が多い。
このことは、以前より頻繁に触れております。
「ない」とか「ダメ」とか、あるいは意味として否定形である「悪い」とか「違う」とか・・・
そんな、否定のための言葉が飛び交っているわけ。

何かを否定するのはいいとして、「じゃあ、アンタとしてはどう考えるの?」なんて言われても答えられない。
ダメダメ人間は、ただ、相手の考えを否定しているだけなんですね。
それどころか、わざわざ、否定したくなるような対象を探そうとする。いわば「あら探し」をしたがるもの。そうして、「あら」を見つけて、「コイツのせいでワタシはうまく行かない!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くばかり。

被害者意識が強いダメダメ人間は、自分に被害を与えているものを、探し出し、それを否定する・・・そんなことを四六時中やっているわけ。
だからその物言いに否定形が多くなるのも当然のこと。

じゃあ、相手の考えを否定したい時には、どんな表現を使うの?
相手の考えが、自分とは全く相容れない。
この人の文章は、とてもじゃないけど、納得できない。
そのような時は誰だってありますよね?そんな時はどんな表現を使うの?
いつもいつも否定形を使っているダメダメ人間なんだから、そんな時こそ「取って置きの」「お得意の」否定形を使うのが自然というものでは?

ところが、そうではありません。相手の考えを否定したい時、つまりクレームを付けたい時は、意外や意外、疑問形を使ったりするものです。

それこそ、以前にこのメールマガジンで、実際の逆上メールを取り上げたことがあります。まあ、私の文章が気に入らなかったのでしょう。それはそれで本人の勝手ですよ。その逆上メールの冒頭が「こんなことして何になるんだ?」だったり「アンタ頭は確か?」だったりの、文法的には、疑問形でした。

しかし、その疑問形の文章は、私に質問をしているわけではないでしょ?
「こんなことをしている理由が知りたい。」とか「この文章を書いている人の思考が正気であるか知りたい。」・・・という私への疑問を提示しているわけではありませんよね?その疑問形の表現に応えて、メールマガジンを発行している理由を説明すればいいとか、私の知的判断力が「それなり」の水準にあることを証明する返事の文章を書けばいい・・・と言うものではないでしょ?

そんな文法的には疑問形で、意味的には否定形の文章を送られて、「じゃあ、私は、それこそどうすればいいの?」それこそが疑問ですよ。

何も、このような逆上メールに限らず、疑問形を使ったクレームって、結構あったりするでしょ?
「どうして、こんなことをしたんだ?」とか「どうして、そんなふうに考えるんだ?」とか・・・あるいは、以前に起こったお相撲さんでのリンチ殺人事件での親方の指導の言葉である、「どうして本当のことを警察に言うんだ?」なんて言葉も同じ。それって、相手に質問をしているわけではありませんよね?ただクレームを付けているだけでしょ?もし、本当に疑問に思っているのなら、もっと回答しやすい表現にしないとダメでしょ?疑問形を使えばいいというものではないでしょ?

クレームを付けたいのなら、それにふさわしい文章形式を使えば良いじゃないの?
たとえば、「ワタシはアナタの考えに同意しない。ワタシだったら、このように考える。」そして「ワタシの考えの方がはるかに、物事の改善につながる。」「キミの発想には、この点が抜けている。」こんなスタイルの表現のクレームの方が適切じゃないの?

ダメダメ人間は、当事者意識がない。だから自分が本当に言いたいことがそもそもないわけです。自分自身の考えを持っていないがゆえに、その思考の基本が否定形になる。「ワタシはあれと違う!コイツにも気に入らない!」と何かを否定することから入るわけです。実に典型的に見られたのは、以前に取り上げました韓国の歴史教科書でした。あの中の記述を読むと、韓国人は、歴史的に見て「誰かに対抗する!」「何かを否定する」なんてことから議論を始めていたことがよくわかります。まあ、現在でも、まったくそのままですが・・・

否定から入るのは別にいいとして、「じゃあ、自分はどう考えるのか?」そっちの方が重要でしょ?そして、「自分の考えをどのように相手に説得するのか?」その方法論が重要じゃないの?怒鳴り散らしていれば、相手が納得してくれるものではないでしょ?

そのためには、「自分自身が、どう考えるのか?どうしたいのか?何を伝えたいのか?」そのことを自覚することが先でしょ?「相手の考えを否定したいのか?相手に質問をしたいのか?」どっちでもいいわけですが、それを自覚しないとね。そして、相手に質問をしたいのなら、疑問形の表現を使えばいいわけですし、否定したいのなら、否定形の表現と、それに加えて補足説明となる肯定形を使えばいいわけでしょ?逆に言うと、それが自分自身でも明確になっていないので、疑問形を使ったクレームになっているわけ。
自分自身に確たるものがないので、明確な否定形にも、明確な疑問形にもならなくなってしまっているわけです。

自分自身として何をしたいのかが分かっていないような人間が、被害者意識を爆発させて、周囲に当り散らす際には、そんな疑問形を使ったクレームが頻発しているものです。
まさに、
「そんなことして、どうなるんだ?」なんて・・・思ってしまいますよね?

(終了)
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発信後記

本文中で実際にいただいた逆上メールの文面について言及いたしましたが、私へのメールの文面で多い文言は「妙に」という言葉です。「妙に納得した」と使われたりします。
たぶん、意味としては・・・アナタの文章による説明の流れで、見事に説明できるけど、どうもその視点そのものには実感がわかない。だから完全に理解したとは言えない。ただ、実際にきれいに説明できるので、アナタの言うとおりなんだろう・・・そんな意味なのでは?
いわば、理解したとか合意したというよりも、「否定できない」という二重否定のスタイルに近いものなのでは?

あるいは、わりと多い言葉は「あまりに」という言葉です。
「あまりに的確」とか「ある人のことを、あまりに言い当てている」なんて表現で使われたりします。「ある人のことをあまりに言い当てている」なんて言われてしまうと、ちょっと笑ってしまう。私は、「ある人」のことなんて全然知らないし、そもそも、「その人」のことを言い当てようと思って文章をまとめたわけではない。まあ、「図らずも」ドンピシャだったんでしょう。

それはいいとして、面白いのが、「あまりに的確」と言った表現です。
「あまりに」という言葉は、基本的には否定形の文に付く言葉です。
それこそ写真を見て、「あまりに、ピントがずれていて、何が写っているのかわからない。」・・・「あまりに」という言葉を使うとすれば、そんな「あまりに + 否定形」の文になるでしょ?
写真を見て「あまりに、きれいに写っている。」とは言わない。
単に「上手に撮れている写真だ!」というのが標準パターン。

しかし、たとえば写真でも、単に視覚情報の面で優れているという写真を超えて、写っている人の匂いとか、その場の空気感とか、あるいは写っている人の過去や未来までわかるような写真だったら、単に「上手に撮れている写真だ!」という表現では不十分。
それくらいだったら、やっぱり「あまりに」という言葉が付いたりするんでしょう。

文法的には、「あまりに」という言葉は否定形の文章と結びつくわけですが、言葉の不自然な結びつきを意図的に「作って」、文章のリズムや生命感を作るなんてことは、ちょっと文章が書ける人ならやったりするもの。
ただ、慣れていない人は、そのような上級テクニックは使わない方がいいことは確かです。
慣れていない人の表現にそんな不自然さがあったりすると、その人が受けた衝撃が読み取れるわけ。逆に、その衝撃を自覚すれば、その人にとってもメリットになるわけです。
自分が書いた文章は、自分自身について、そしてその心理状態について、的確に教えてくれるものなんですよ。
R.10/12/16