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カテゴリー ダメダメ家庭の会話の雰囲気
配信日 09年5月22日 (11年1月16日 分離独立)
タイトル 双方向性の欠如
追記 09年5月22日 配信の「説明への対処」から分離独立 (11年1月16日)
 抑圧的な人は、日頃から問題意識を持っていない。
そもそも現状認識を抑圧し、自身の希望を抑圧しているんだから、問題意識などは持っていませんよ。そして、不都合な事態になっても、自分で事態を解決しようという発想がない。トラブルが起こっても、てんで他人事となってしまう。だから、人の話を聞く必要はないし、人の文章も読む必要はない。むしろ、人の話を聞いて、自分で考えることが心理的に負担となっている。

それに、ダメダメ家庭においては、親はグチばかり。だから、家庭内でのやり取りにおいて相手の言葉から内容を聞く必要もないし、聞くだけムダ。だから、人の話を聞く習慣がない状態となってしまう。誰かとのやり取りにおいて、音響的には聴いていても、内容的には聞いていない。
ダメダメ家庭では、親のグチに対してヘタに反応しても、親は相変わらずグチり続けるだけ。子供としては、そんな環境に順応し、結局は、自分で自分を抑圧し、考えることから逃避するようになってしまう。

自分の思考を抑圧しているので、説明されても対応できない。
だから説明を聞いて、自分で考えるというスタイルではなく、「正しい教えを学ぶ」という問答無用で一方通行のスタイルの方が心理的にラクとなる。形の上では、誰かに質問したり、相談を持ちかけると言っても、往々にしてグチに付き合ってほしいだけ。

あるいは、質問なり相談を持ちかけるという名目で、「このワタシはかわいそうな被害者だ。」と相手に認めてもらい、被害者という立ち位置を得て、後の対処を自分以外の人間に丸投げすることになる。
対処を丸投げできれば、後は誰かからの説明を聞いて、自分で考える必要はなくなるでしょ?
とにもかくにも、説明されることが不快なんですね。

だから説明とは無縁のシチュエーションの方を好むようになる。それこそインターネットの掲示板のような場所が心地いいわけです。
説明されると困惑するので、相互理解を目的とした会話によるやり取りの場からは縁遠い。そんなことだから、自分自身の説明能力もないし、他者に対して説明することはない。
誰かの考えを否定する際には、丁寧なスタイルで異論を説明するというよりも、相手を糾弾するような一方的なスタイルが好みとなる。
相互に説明を積み重ね、相互理解を達成していくような双方向性のやり取りはできないわけです。

そんなことだから、周囲の連中も会話不全のスカばかりとなってしまう。
だから、ますますマトモな話をしなくなってしまって、ますます人の話を聞く習慣がなくなってしまう。しゃべりはできても、会話ができなくなってしまう。それこそクレーマー系の市民運動の人なんて、そんなパターンでしょ?あるいは、しゃべりはできても会話ができないとなると、現在(09年)の日本の首相の麻生さんとか、あるいは多くの大阪人とかも、そのパターンでしょ?そんな人は、相手からの説明を聞くこと自体が、心理的に負担となっている。だから無意味な茶々を入れて、説明を中断させたり、逆上したり、心ここにあらずの状態になったりする。

そんな状態だからマトモな人からはますます嫌がられ、ますます、周囲がダメダメになり、そんな周囲の環境になってしまっているから、意を決して、周囲の人の話を聞こうとしても、もう、周囲にはマトモな話をする人がいない状態となっている。だから、なおのこと、やり取りで得るものがなくなってしまう。と言うことで、一時的には持つことができた会話や説明を聞くことへの意欲も、結局はなくなってしまう。
そんな日々なので、問題を説明するような文章を読むと、逆上してしまう。
我を忘れるという逆上状態に到達することで、説明することからも、説明されることからも逃避するわけです。

たとえば、私宛に逆上メールを出してくる人に対して、私から丁寧な返事を出しても、その返事に対する返事が返ってこないもの。こちらとしては丁寧に説明し返答しているんだから、私に対して文句があるのなら、まさに満を辞して自分の言いたいことを言えばいいじゃないの?
しかし、そんな「やり取り」を通じて、分かってきたことがあります。逆上メールに限らず、「スグに逆上するような人間が苦手な相手なり態度って、どんなものなのか?」そんなことが分ってきたんですね。

それこそ「あんた頭大丈夫?」なんて言葉に対し、『バカはオマエだ!』なんて返事を、この私が出したとしたらどうなるでしょうか?
逆上するような人は、そのような態度を見ると、安心するんですね。
そもそも、スグに逆上するような人は会話の能力がない。だから、自分と同じような会話の能力の欠如が相手から見えた方がうれしい。それこそダメダメ同士での「なじみのやり取り」が・・・可能になる・・・でしょ?
しかし、「あんた頭大丈夫?」なんて言葉に、『私はこのような情況認識のもと、このように考えております。しかし、これはあくまで私の考えです。アナタは どのように考えておられますか?』などと、丁寧な言葉使いで「説明」したらどうなるでしょうか?

逆上するような人間は、それこそが困ってしまう。

本来は、『アナタはどう考えますか?』なんて言われたら、「ワタシはこの点については、このように考えております。」で済む話でしょ?むしろ、やり取りするに当たって一番ラクな態度じゃないの?だって、『アナタの話を聞きますよ。』って、言ってくれているわけですからね。
しかし、会話の能力のない、そして自分自身の考えがないダメダメ人間は、そのように「アナタの話を聞きますよ。」という態度をされることが、大の苦手なんですね。

だって、そもそもそんな態度なんて、子供時代から縁がなかったわけですから、どうやって接していいのか分からない。
「アナタの話を聞きます。」という完璧なお膳立てこそが、逆上する人間にとってのプレッシャーになってしまう。
だって、そんなお膳立てをされたら、「自分の考え」を言わないといけないでしょ?
ダメダメ人間にはそれが出来ないことなんですね。
だからこそ、そんなお膳立てをされると、「ワタシを追い込もうとしている!」なんて更に逆上することになってしまう。

メールのやり取りだけではなく、一般的なやり取りにおいても、丁寧でかつ余裕綽々な態度で、『どうぞ!どうぞ!アナタの考えをおっしゃってくださいな。』 なんて言っておけば、ダメダメな相手を「追い込む」事ができてしまうわけです。
ちなみに・・・私は何も「相手を追い込もう。」として、丁寧な文章にしているのではありませんよ。自分自身の尊厳のためです。

そもそもダメダメ家庭の人間は、自分としてやり遂げたいことが自分でも分からない。だから、評価が判りやすい「勝ち負け」にこだわらざるを得ない。相手に勝つと言う名目を持ち出し、相手を見ることで自分自身から逃避するわけです。また、会話の能力もなく、コミュニケーションが命令と服従しかないので、強い序列意識を持っている。だからこそ、序列を決定する「勝ち負け」にこだわらざるを得ない。
勝ち負けにこだわっているがゆえに、「コイツには絶対に勝てそうもない。」なんて思ってしまうと、それが屈辱になってしまう。だからそれを認めたくないものだから、思考停止を求めて逆上する。
これは、肥大化したダメダメ家庭と言える韓国や北朝鮮の態度と全く共通しているでしょ?あるいは、インターネットの掲示板でのやり取りなんて、まさにそうなっているでしょ?

そんなダメダメ人間にとっては、余裕の態度で「どうぞ!どうぞ!アナタの考えをおっしゃってください!」「ワタシはしっかり聞きますよ。」なんてやられるのが一番の苦手となってしまう。
逆に言うと、そんな余裕の態度だと、相手を本当に追い込むことができるわけです。別に追い込むつもりはなくても、結果的にそうなってしまう。

一般的には推奨される態度こそが、ダメダメ家庭の人間にしてみれば、もっとも不快な態度なんですね。
逆に、乱暴な言葉で怒鳴られると大喜び!
エーリッヒ・フロムが指摘する、抑圧的な人間が持つマゾヒズムそのもの。

会話における基本的な態度としては、自分の考えを自覚した上で、相手に分かりやすく伝え、そして、相手の話を真摯に聞くということでしょ?
しかし、ダメダメ人間はそれができないわけです。
むしろ、一方的に命令してくれた方が心理的にラクなんですね。
そして、その命令の物言いも、問答無用であるほど、言われた側としては、その命令に「縛られる」わけだから、自分で考えることから解放されることになる。

そんなマゾヒズム的な心理は、何も21世紀の日本だけではなく、古今東西を問うものではありません。
それこそ、別のところで取り上げております、バルザックの「谷間のゆり」の中には、「不始末をした犬は飼い主から折檻されます。しかし犬は折檻されながら、その折檻する手を慕うんです。どうかこのボクを折檻してください!」という記述があります。
あるいは、別のところで戯曲や小説を取り上げておりますロシアのチェーホフの手記の中には、「飼い犬は食べ物をくれて可愛がってくれる主人たちにはなつかないで、打ってばかりいる赤の他人の料理女になついた。」という記述があります。

やり取りする際に、やり取りの相手が抑圧的なダメダメ人間だったら、相手の人格を認め、対等な関係としてやり取りをすると、相手の側はむしろ心理的なプレッシャーを持ってしまう。その手の抑圧的な人間は、一方方向での強圧的なやり取りでしか対応できないわけです。
ヘタに相手を対等として扱うと、怒り出してしまう・・・そんなことに注意する必要があるんですね。