トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー 会話のスタイル(聞き手側)
配信日 09年5月22日 (11年1月16日 一部分を分離)
タイトル 説明への対処
 追記 元の文章から「双方向性の欠如」「反論されるとパニック」という部分を分離独立 (11年1月16日)
ダメダメ家庭の人間はコミュニケーション不全の人間と言えます。
そもそも当事者意識がないので、自分の問題を自分で解決する発想がない。
だから、自分の問題を顕在化させたり、事態を改善するために、人とのやり取りをする必要もない。

ダメダメ家庭の人間のコミュニケーションは、単に命令と服従があるだけ。
それとは別に、グチで盛り上がる・・・そのようなケースもあります。
「まあ!アナタ・・・なんてお気の毒な!」
『アナタも、お気の毒な!』
そして、「おお!ワタシたちって、なんてかわいそうなのぉ〜♪」と手に手を取ってデュエットとなり、そうやって、盛り上がる。
何も対面でデュエットするような事態だけでなく、インターネットの掲示板なんて、そんな様相でしょ?

ダメダメ家庭の人間には、それ以外のやり取りは存在しない。
と言うか、それ以外のコンタクトを試みると、「ワタシを追い込もうとしている!」なんて逆上するだけ。

命令も服従も、グチの共鳴も、自分で考えることとは無縁でしょ?
ダメダメ人間は、自分で考えることから逃避して、日頃から何も判断せずに、何かトラブルになると、「ワタシは悪くないっ!」と言い訳するだけ。
逆に言うと、後になって「ワタシは悪くないっ!」と言うためには、自分で考えては不都合になる。

自分で考え、判断すると、結果責任が発生してしまい、後になって「ワタシは悪くないっ!」と言えなくなるわけだから、『アンタ自身はどう考えるの?』という質問は、まさしく「ワタシを追い込もうとしている!」なんて受け取ることになってしまう。
そんな人間なんだから、その人の周囲の人間も、命令と服従とグチの共鳴だけのダメダメ人間ばかりが集まってしまう。
しかし、当事者意識がないダメダメ人間には、それが心地いい。
だって、何も考えなくてもいいし、だからこそ、責任を取るような事態も発生しないわけですからね。
ダメダメ人間の周囲はそんな人間ばかりですが、実際の世の中はそういう人間ばかりではありませんよね?
と言うか、そんな人間ばかりだったら、やってられませんよ。

マトモな人間は、自分の問題を自覚して、その問題を自分で解決するために、自分で色々と考えるもの。
そんなマトモな人が求めるのは、説明。

「今回の事態は、こんな原因から発生して、こんな要素が絡み合って、このまま放置すると、やがてはこうなる。」
「背景となっているものは、こんな心理状態で・・・」
「歴史的に見て、今回と似た事例としては、こんな事例があって・・・」
「アナタ自身が、そのことについて、より深く調べたければ、△△さんが書いた○○という本が参考になるよ。」

そんな説明をされると、直面している問題を解決するには参考になるでしょ?

もちろん、説明をする「視点」には、人それぞれのものがあるでしょうし、人による相性のようなものもある。
それに、説明の「語り口」にも、相性がありますよね?
説明を受ける側にとって、分かりやすい説明もあれば、分かりにくい説明もある。
しかし、相性の問題はあるにせよ、問題解決のためには、そのような客観性を持った説明が必要でしょ?

しかし、ダメダメ人間には、そんな説明こそが「ワタシを追い込もうとしているっ!」となってしまう。
だって、説明されれば、自分で考えなくてはいけないでしょ?
自分で考えれば、後で自分で責任を取らなくてはいけない。
だから、後になって「ワタシは悪くないっ!」とは言えない。

だから、ダメダメ人間は、説明されること、そのこと自体を回避する。
説明する際の視点なり、説明の語り口の相性の問題ではないんですね。説明されること、そのものが不快であり、もっと端的に言うと恐怖につながってしまう。
そして、自己逃避なんだから、説明されること自体が不快ということ、それ自体が自覚できていない。それに、説明することが不快なんだから、説明されることが不快であることを周囲に対して的確に説明できるわけがない。だから、とにもかくにも、説明が発生するシチュエーションを回避しようとする。

だから、人から説明を受けると、自分で考えるための参考にするどころか、いわば思考停止になってしまう。とにもかくにも、その場から逃げることが最優先になってしまうわけです。
「説明を受けることが思考停止をもたらす。」
↑この文をよく読んでくださいね。そんな事態は、シュールなギャグ的状況そのものですが、現実のダメダメ人間って、そんな面を持っているんですね。

そんな人は、子供時代に、人の話を聞く習慣がなかったし、自分の話を聞いてもらった経験がない。説明することが苦手なので、反論を受けたくない。しかし、当然のことですが、人の話を聞くのが怖いという心情を持っている人の話はつまらない。そもそも、それまでに人の話を聞いていないし、自分で考えているわけではないんだからそんな人がする話がおもしろいはずがない。だからこそ、ますます周囲の人のレヴェルが落ちて、説明能力も、説明を聞く能力も向上しない。

自分で考える習慣がない。
会話の習慣がない。
自分で判断する習慣がない。

そんな環境で育ってしまうと、その人が何かを言って、その言葉を聞いた側が、質問したり、疑問点を提示したりすると、「オレに反論するのか?!」「このオレが間違っているとでも言うのか?!」と逆上することになってしまう。
説明されること自体が不快なんだから、その人の言葉に対して反論なり質問を受けてしまったら、不快そのものですよ。だから、そんな過激な対応になってしまう。

そんな環境だから、反論もなくなってしまうし、議論自体がなくなってしまう。だから、やり取りの場においては、言ったもの勝ちの状態となる。声が大きい人が一言言い放てば、それで通ってしまう。
説明の中身よりも、声の大きさが優先されてしまう。
クレーマーなんて、まさにそんな感じでしょ?
あるいは、平和運動なんて、そのパターンでしょ?
権威者が一言言って、周囲の者がそれに従う・・・そして、その場から議論がなくなる。そんなスタイルの平和を求め、内部では実行しているのが、平和運動でしょ?
平和運動にあるのは、命令と服従とグチの共鳴だけでしょ?
しかし、そんな状況だと、思考や説明からは解放され、あるいは責任からも解放されるので、抑圧的な人間にしてみれば、心理的にラクなんですね。

そんな環境だから、ますます会話の能力がつかない。あるいは、言葉から中身を聞き取る能力も低いまま。
だから、ますます言ったもの勝ちの雰囲気になる。
言ったことの「中身」を考える発想自体がなくなってしまう。

そんな「常識」の元で育ってしまっているので、自分の「発言」が通らないと、「どうして通らないんだ?!」と被害者意識を持ってしまう。個別のダメダメ家庭の中だけでなく、韓国人とか北朝鮮人なんて、その典型でしょ?

ダメダメ家庭では、話のネタを持っていない。出てくる話は被害の話ばかり。
そして、別のところで書いておりますが、被害を先に語られると弱いという習性がある。相手から被害を語られると、自分の考えを抑圧してしまう。
だから、ますます言ったもの勝ちの状況が進行してしまう。
しかし、そんな言ったもの勝ちの状況でも、その集団の人は、説明というシチュエーションからは解放されているわけです。誰かが言い放てば、それで終了という状態は、思考を恐怖する抑圧的な人間にとってはラクなもの。
ダメダメ人間が求めるのは、客観的な説明や冷静な議論ではなく、問答無用の命令の方。
それを自覚できないと、自分に命令する人間が変更されても、自分が命令に従うことはいつまでも続けるわけです。

そして、説明をすることも、されることも苦手なので、そんな自身の心情を他者に説明することもできない。
だからこそ、ますます強圧的になったり、権威にすがったりするようになる。
自分の現状を解決するためには、説明能力の高い人とのやり取りが有効なのは当然ですが、自分の問題を「見ない」ようにするためには、説明能力の低い人の方がやり取りの相手としてはいいでしょ?そして、会話の能力の低い人を相手に、自分を被害者として語っていれば、その語った言葉によって、「自分はかわいそうな被害者」という立ち位置を自分で納得させることができることになる。
そもそも被害を語る場合は、具体的で客観的な説明をするよりも、主観的で感情的なものになりがち。逆に言うと、被害しか語らないので、客観的な説明や、具体的な議論などはする必要もないわけです。

そうやって、説明能力が低い同類に吸い寄せられ、客観的な説明が不要な世界に安住してしまう。
説明というものとぎこちない対応しか取れない人間は、説明とは縁遠い環境を求め、認識能力なり思考力が低下し、認識能力や思考力が低いんだから、自身がそんな状態であることも認識できない。
まさに、居酒屋さんで「オレは酔っていないぞぉ〜」と叫ぶヨッパライの境地となってしまう。
説明不要の問答無用の世界でしか生きられないダメダメ人間は、それゆえに、ますますダメダメになってしまうわけです。

(終了)
***************************************************
発信後記

今回の文章の基本的なテーマは、ダメダメ人間が持つ「説明されることへの心理的抵抗感」です。
このテーマに関連したエピソードを色々と詰め込んだ文章になってしまって、まとまりがないし、文章が長くなってしまって申し訳ありません。正直言うと4本くらいの短いドラフトを組み合わせたんですよ。

私もいつまでも、このメールマガジンの発行を続けようもないわけですから、短めの文章は一本にまとめあげ、その上で配信するようにするようになって来ました。

長い文章が苦手という方は、土曜日発行の総集編的な文章を中心にお読みいただくのがいいと思っております。
長い文章にも、抵抗がない方は、私の文章を踏まえ、ご自身で書きなおしてみたらどうでしょうか?この文章を元にワードなどのワープロソフトで、修正するだけですしね。

ちなみに、今週は民主党の小沢さんに関連した文章を集中的に配信しておりますが、今回の「説明されることへの心理的抵抗感」は、小沢さんにも顕著に見られるもの。
皆さんも、そんな視点で、今後見てみては?
R.11/1/16