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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 09年5月22日 (10年9月30日 記述を追加,11年1月16日 分離独立) |
タイトル | 反論されるとパニック |
追記 | 「説明への対処」から分離独立 (11年1月16日) |
ダメダメ家庭の人間が、説明することも、説明を受けることも不快となっていることは、別のところで書いております。 相手からの説明が丁寧で客観的なものであるがゆえに、自分で考えなくてはならなくなり、そうなると、自分で考えた上での結果責任が発生してしまうことになり、まるで相手から追い込まれたように感じてしまうわけです。 そんな追い込まれた心理を持っているがゆえに、「追い込んだ・・・と、自身がみなしている相手」に対してクレームを投げつけることになる。クレームを投げつけることによって、自分の問題ではなく、「自分は相手から被害を受けた。」という形で自分を納得させることになる。 かと言って、説明することが苦手な人間のクレームなんだから、クレームといっても、事態を客観的に説明したものではなく、単なる悪態どまりとなってしまう。 そんな悪態を投げつけたはいいとして、その相手から、丁寧な説明が返ってきたらどうなるの?説明されたことが不快だから、悪態を投げつけたのに、さらに、相手から説明されてしまったら、まさにドツボそのものですよ。 粗暴な文章の逆上メールを自分が送りつけた相手側から、返ってきた丁寧な文面の返事を見ると、「自分自身は特に言いたいこともないし、ワタシはこの人のように上手く言えないし、ヘタなこと言って、また突っ込まれたらイヤだし・・・ああ!自分がミジメになるっ!!キーっ!!」となってしまう。 そんな心情は・・・マトモな人には理解できないのも当然なんですね。 この私に対して、逆上メールを送りつけてくる人だけでなく、こちらが丁寧に説明すると、それに対して返事をしてくる人って、実に少数なんですよ。 前にも書きましたが、丁寧な文章を読むこと自体が、苦手な人もいるわけです。 自分なりに考えなくては・・・と、精神的にテンパってしまうんですね。 まあ、丁寧な返事を受けて、心理的なプレッシャーを感じた段階で、無理に返事を出す必要はありませんよ。しかし、「説明されること自体が苦手な自分自身」を自覚する必要がある・・・これは確かでしょ? だって、一般の人は、「相手側から丁寧に説明されると、困惑する。」そんな心理状態そのものに困惑するものでしょ? マトモな感覚を持っている人だったら、「最初はアッチの側からコンタクトを取ってきて、それに対し、コッチの側が丁寧に説明したのに・・・どうしてアイツは無視するんだ?」って思いますよ。 まあ、ダメダメ人間にしてみれば、丁寧に説明されてしまったので、必死で考えてパンクしてしまった・・・という葛藤があったのであって、決して無視したわけではなんですね。 むしろ、考えすぎてしまったという面があるくらい。 だったら、せめてそういうことくらいは、自覚し、周囲の人に対して説明できるようにしておかないと、後々困るでしょ? そうでないと、ダメダメ人間にとって「居心地」のいい状態・・・つまり説明不要のダメダメな状態に安住するばかりとなってしまう。インターネットの掲示板に住みついたり、それこそ市民運動に入れ込んだりする。あるいは、恵んでやるという立ち位置を取れるボランティアのような場所に逃げ込んでしまう。その手の人は、相手側の話を真摯に聞く態度は持っていないでしょ? もっと端的な物言いをすると、やり取りの相手側自体が、自分の話に対し「聞く耳持たぬ」人たちでしょ? 掲示板の常駐者も市民運動の活動家も、わざわざ「聞く耳持たぬ」人たちに近づいて行って、当人自身も聞く耳持たぬスタイルで相手を糾弾することになる。 相手が聞く耳持たぬ系だからこそ、逆に言うと、相手から「的確」な質問は返って来ない。 返ってくるとしたら、悪態くらい。 だから、相手からの質問に対して、回答なり説明する必要はない。 だからこそ、自分の話を聞かない人、自分の文章を読まない人のところに、わざわざ引き寄せられてしまう。そうして、聞く耳持たぬ者同士で、怒鳴り合う。 しかし、ダメダメ家庭の人間にしてみれば、それ以外のやり取りなどはできないわけです。 この手の人は、「言いたいこと」はあっても、相手に「分かって欲しい」ことはない。 だから相手の側が自分の話を真摯に聞かない方が好ましいわけです。 客観的でわかりやすい説明ができないので、逆に言うと、大声を出せば済む相手しか、やり取りの対象にしない。 いわば、聞く耳のないものに対して、一生懸命に語ることになる。 だからこそ、やり取りにおいては、去る者を追い、来るものを拒むことになる。 そもそも、ダメダメ家庭の人間は、自分に自信がない。 ダメダメ家庭では親は子供のサポートなんてしないわけですから、そんな環境の子供は達成体験なり成功体験が乏しい。達成感のようなものとは無縁の日々となっている。これでは自信なんて持ちようがありませんよ。 それだけではありません。ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。自分自身がどうしてもやりたいこと、そして伝えたいこと・・・そのこと自体がない。 だからこそ会話の能力が向上しないし、成果を得るという達成感もない。 「これだけは分かってほしい!」なんて気持ちもなく、会話の能力についても自信もない人間なので、インターネットの掲示板のような、形の上では、「言いたいことが言える。」状況においても、どうしてもぎこちないものにならざるを得ない。 ぎこちないというより、警戒心が強いコミュニケーションになってしまうもの。 そんな人は、的確に反論されることを極端に警戒するような物言いになっているんですね。 だって、相手から反論されてしまったら、どうするの?どのように自分の考えを説明するの? 受けた反論について、自分で考えるの?説明されると困惑するダメダメ人間なんだから、反論されること自体がイヤ。イヤというよりも、恐怖に近い。 その場において最初に提示した当人の意見だって、自分自身がしっかり考えた上での意見ではない。まさに同意や共感どまりであって、自分なりに考え、理解した上で合意しているわけではない。その考えが自分の身になっていないことを、自覚するのが怖い。 それに、相手からの反論に対して、また反論なり、説明する段になると、やっぱり必要になるのは会話の能力。つまり、相手に分かりやすく伝える能力が必要でしょ? だからダメダメ人間は、そもそも反論されないような物言いをすることになる。相手から反論されないことが、何よりも優先されるわけです。 たとえば、権威筋ご推薦の、いかにも立派な正論を、もっともらしく言い出したり、「平和」とか「人権」とか、誰もが反論できないような、立派な言葉に逃げ込んでしまう。 そして、その言い方も、いわば「上からの物言い」ばかり。 上の序列のものが下のものに「言い渡す」「教え諭す」感じの物言いなんですね。 そうやって、反論されることを回避しようとするわけです。 あるいは、乱暴な物言いをすることで、的確な反論ではなく、感情的な悪態が返ってくるようにしてしまう。どのみち、相手に分かってほしいことがあってコンタクトを取ったわけではないので、相手が納得したかどうかはどうでもいいわけです。とにもかくにも、的確な反論が返ってくるのが怖いわけです。 しかし、それでも、相手から、反論されてしまったら? こうなると、もう逆上するしかない。 と言うことで、「おいっ!覚えていろよ!」と捨てセリフを残して、さっさと退散。 まあ、そんなシーンは、それこそインターネットの掲示板などではポピュラーじゃないの? あるいは、最近の日本では、与野党問わず、政治家の会見でおなじみのシーンですよね? しかし、本来は、会話というものは、相手の見解を聞いて、自分自身の思考を発展させていくものでしょ? 相手からの反論こそが意味があるとも言えるのでは? やり取りの相手から、反論なり質問を求めていないのなら、一人で本でも読んでいた方がマシ。 あるいは、論文にまとめたり、自分なりのサイトを作って、発表すればいいじゃないの? 反論なり質問によって、自分の考えを微調整したり、問題点を抽出すればいいだけ。それを踏まえて、自分の考えをもっと発展させていけるわけでしょ? しかし、このようなことは、自分自身にそれなりに自信がある人でないと、難しい。まさに「言うは易し」ですよ。 まあ、そんな感じで、誰かからの反論を取り込みながら、自分自身に有効活用していくことは、そうは簡単ではないでしょう。しかし、相手の反論について、じっくり考えてみることくらいは、誰だってできることでしょ? しかし、当事者意識がなく、自分自身で何も考えないダメダメ人間は、説明されることに恐怖し、反論されること自体を恐怖するもの。そんな人は、その物言いからして、「反論するなよ!」あるいは、「説明を寄こすなよ!」という言外のメッセージがあったりするものなんですね。 まあ、そんな人に対して反論なり質問しても、逆上されるだけ。 まあ、そんな逆上の姿をニヤニヤと楽しむ・・・のは、それなり高度な能力が要求されたりするものです。まあ、一般的には、そんな反論を恐怖するような人とは関わりにないならないことが現実的ですよ。 しかし、そのような、反論を許さないスタイルの物言いをする人は、それこそ周囲から避けられたりするわけだから、やたら「構ってほしがる」もの。 だから、アチコチとちょっかいを掛けることになる。ちょっかいは掛けても、相手から反論なり質問が返ってくると、追加説明も何もできずに逆上するだけ。 「構ってほしがる」人は、別のいい方をすると、「反論されると対応できない」人といえるわけです。その間に本来は存在しているはずの会話が不在となっているわけです。会話が欠如しているがゆえに、「構って欲しい」し、「反論されたくない」わけです。そのように考えると、その手の人の珍妙な振る舞いも理解できてくるでしょ? まあ、ホントに難儀な人たちなんですね。 |