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カテゴリー ダメダメ家庭の被害者意識
配信日 09年7月22日 (10年10月31日 記述を追加)
タイトル 被害を認められない被害 (持ち出しに対する配慮)
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。
と言うか、当事者意識がなく、被害者意識しかない。このことは、まさにお約束のように、このメールマガジンで登場しております。

ダメダメ人間は、自分自身を語るに際し、「自分は○○による被害者です。」そんな形でしか語れない。
その○○に、「親」という言葉が入ったり、「結婚相手」という言葉が入ったり、「時代」という言葉が入ったり、「国家」という言葉が入ったり・・・その面でのヴァリエーションはあっても、「自分は○○による被害者です。」という記述のスタイルは、みな同じとなっている。
「ワタシは、このような目標があって、今現在は、このようなことをやっています。」なんてスタイルでは自分を語れない。

そんな人は、「自分は○○による被害者です。」というスタイル以外では語れないだけでなく、自分自身のアイデンティというものを、被害者という形としてしか持っていない。
被害者という形が唯一のアイデンティティなんだから、それを否定されたらどうなるの?
もう、その人の全存在が否定されたことになってしまうでしょ?

「ワタシは国による被害者です。」
という自己紹介に対し、
『あら?そうなの?だったら、どこか別の国に移住したら?ガンバッテね!』
なんて言葉を返そうものなら、逆上されてしまう。

「あの人は、ワタシのことを全然分かってくれないっ!」

「現在の政府が嫌いなら、その人が好きな政府のところで、自由にやればいいじゃないの?」と思うわけですが、ダメダメ人間にしてみれば、渾身の思いで説明した自分の被害に対して、反応がないので、怒ってしまうわけです。
唯一のアイデンティティに反応されないんだから、その人の全存在が無視されたと感じて逆上してしまう。

逆に言うと、そんな逆上する姿が、その人が、「自分は被害者」ということのみがアイデンティティとなっていることを示しているといえます。
当事者意識があって、自分なりの目標があれば、その目標に到達する方法は色々とあると言えるでしょう。
あるいは、自分が直面している問題を解決する方法も色々とあるでしょう。
だから、自分とは違った見解も受け入れられる。
しかし、自分は被害者ということが大前提だと、その前提を補足するような話しか受け入れなれないし、その前提からちょっとでも外れると、逆上するしかない。

被害者意識が強い人間は、被害ばかり語ることになる。
そして、語られた被害を相手から認められないと、全存在が否定されたと思ってしまう。
そうなると、まさに「ワタシが無視された!」と被害感情に至るのは、理の当然。
そんな人とのやり取りは、相手からの被害話に同調し、さらに被害話が盛り上がるか?それとも、被害話に無反応を決め込み、その無反応による被害を主張されるか?まさに前門の虎、後門の狼。

「あの○○のせいでワタシはうまくいかない!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
『かわいそうなのはいいとして・・・で、アナタは、結局は何をしたいの?』
「どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!アナタって、ヒドイ人ね!ああ!ワタシのことを誰も分かってくれないわ!」
『わかるって・・・アナタはワタシに何を分かってほしいの?』

被害話にヘタに付き合うと、そんなやり取りにしかならない。
被害話に同情すると、「アナタはワタシの苦しみを分かってくれる人だ!」と認定されてしまう。そんな認定が、「入れ込み」につながり、ヘタをすればストーカーされるだけ。

ストーカーをする人は、「ワタシは人々から分かってもらっていない。」という被害者として自分自身を認識していて、「あの△△さんの被害を理解しているのはワタシだけ。」と、他者の被害に対する理解というスタイルで自分を規定し、「もうっ、あの△△さんは、このワタシの思いを分かってくれない!」とやっぱり被害感情を持ちながら、「自分の思いを分からせてあげる。」とストーキングすることになる。

まあ、何をやらせても、被害という形でしか自分を認識できないもの。
先日(09年7月)に集中的に配信いたしましたが、被害を認識し、対処するという形で、心理的なベースができあがっているといえます。

本来なら、何も被害という形でなくても、それこそ「ワタシは、このような目標があって、今現在は、このようなことをやっています。」と言えればいいだけ。そんなことは小学生でも言えることですよ。
しかし、何事も被害と捉えるダメダメ人間は、被害を語り、それが認められないことも被害と捉え、やっぱり被害を語ることになる。そして、その被害に同調する人ばかりを周囲に置くようになる。
逆に言うと、そんな被害ばかりの人間の周囲にいる人間は、同類と見ることができる。
「かわいそうな人たち」をサポートしていると自画自賛しているボランティアの連中も、被害話に共鳴しているだけでしょ?
ボランティアとか市民団体の人は、あらゆる面を被害の観点から説明するもの。「これこれによって、こんな被害を受けた。」と被害を説明することはあっても、「これこれによって、こんなことを達成した。」と成果を説明することはできない。だからこそ、ますますダメダメになってしまう。

常に被害者意識を持っているので、そんな人は「してあげる」という物言いが多い。
「このワタシが、自分に多大な被害があるにもかかわらず、アンタのために、わざわざしてやっているんだぞ!」
そんな心情になっている。

「恵んでやる!」とか、
「育ててやる!」とか、
「助けてやる!」とか、
「教えてやる!」とか・・・
色々とありますよね?

それこそ、韓国人が言う「日本人に韓国の文化を教えてやった!」なんて物言いになってしまう。かと言って、その日本が「教えてもらった」とされる韓国の文化なんて、何もないでしょ?何もないからこそ「してあげる」という物言いなる。
「してあげる」という物言いは、当事者意識の欠如と、強い被害者意識が背景にあるわけです。あるいは、この「してあげる」の変形ヴァージョンと言える「もらってあげる」という言葉もあります。

ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。
だから、何かと、謝罪なり補償を求めることになる。
お金が欲しいというより、被害者としての立場を明確にしてほしいという心理なんですね。
謝罪なり補償を受けられるということは、被害者意識が強い人間にとっては、自分が相手よりかわいそうな被害者であるという満足につながっていくことになる。
アンタよりかわいそうなんだから・・・謝罪してよ!何か補償してよ!

何回も書きますが、被害者意識が強いダメダメ人間にしてみれば、「自分がかわいそうな被害者」ということしか自分を語れない。つまり相手から謝罪や補償がある「立場」であることしか、自分自身のアイデンティティはないといえる。
唯一のアイデンティティだから、それを守るためには、必死の努力をする。
だから、相手に対し、執拗に、謝罪や補償を求め続けることになる。
そして、その謝罪や補償を受け取る際にも、被害者意識を持って、相手からわざわざ「もらってやる」という発想となる。

だって、ダメダメ家庭では「より大きな被害を被っている」方がグレードが高い。ダメダメ家庭の序列意識によって、大きな被害を受けている側は、恵まれている人間よりも、序列が上と思っている。だから謝罪や補償は、その「下のランク」の被害者が、「上のランク」の被害者に上納するようなもの。
「上のものが、下のものに感謝する必要はないだろう?」
「そもそも、オマエの方が恵まれているんだから、オレの言うことを聞け!」そんな発想が基本となっている。

「より大きな被害者であるがゆえに、序列が上となる。」という発想はシュールに思われるでしょうが、韓国なり北朝鮮の言動を見れば、実感できるでしょ?
韓国なり北朝鮮も、まさに「オマエから、もらってやるぞ!」という発想ですよね?
以前に、北朝鮮は、日本が北朝鮮への援助に加わらなかったことを非難していましたが、そのような非難も、「せっかく・・・オレたちが、オマエからもらってやると言っているのに・・・」なんて心情を理解していると、意外にも理解できるもの。
あるいは、かなり以前のことですが、韓国は日本から援助の金額についてクレームを言っていました。
「もっとカネを寄こさんかい!」というわけなんでしょう。
援助してもらう側が、金額の多寡について文句を言うなんて・・・と思うのは当然でしょうが、強い被害者意識と、ある種の序列意識が重なると、そのような発想になるわけです。

被害が大きいほど、序列が高いと考えているがゆえに、その被害に対する補償が大きいほど、序列が高いとなってしまう。だからこそ、ますます「補償」を得ようとする。
このようなことは、何も韓国や北朝鮮だけの問題ではありません。
日本でも、結構頻繁に起こっているのは、結婚の際。
たまに、指輪の金額でモメたりすることもありますよね?まあ、給料3ヶ月分の指輪とか・・・相場としては、色々と言われていますよね?
そもそも結婚指輪を購入するなんて、人生に頻繁にあるわけではないので、人から言われてしまうと、「そんなモンかなぁ・・・」と思ってしまう・・・それは確かでしょう。

指輪を「もらう」側も、それなりの期待もある。
期待よりよければ、喜べばいいでしょうし、期待以下なら、ちょっとガッカリすることもあるでしょう。
しかし、期待以下でガッカリしても、それを恨みに思うようだったら、問題でしょ?
そもそも結婚指輪なんて、ゴールではなく、出発点なんだから、「ワタシが安く見られた!」なんて怒るほどのものではありませんよ。これからが重要なんですからね。
逆に言うと、「これからどうしようか?」という当事者意識がないと、指輪で示されたそんな評価にこだわらざるを得ない。

前にも書きましたが、被害者意識が強い人は、「○○してやる!」なんて、恩着せがましいわけだから、当然のこととして、結婚するに際しても「アンタと結婚してやる!」なんて思っている。そんな発想だからこそ、指輪だって「アンタからもらってやる!」という意識なんですね。
「もらってやる」という意識だからこそ、金額が少ないと怒ることになる。まさに韓国や北朝鮮と同じ発想となっている。

何も北朝鮮だけの話ではありません。有名なオペラに「薔薇の騎士」という作品があります。その中で、俗物のオックス男爵が、新興貴族の娘と結婚する際に、花嫁側からの結婚祝いを執拗に要求するシーンがあります。その要求が入れられないオックス男爵は、結局は、相手を怒鳴ってしまう。

まさに、「オレ様が、オマエらごときと結婚してやろうとしているんだぞ!」という自分の側の持ち出しに対する意識を表現しているシーンといえます。
それを見た、オックス男爵の親戚の公爵夫人は、『なんて下種な男なんだ。』と呆れてしまう。
オックス男爵としては、まさに新興貴族の娘を嫁にもらってやるんだから、その補償をもらってやるんだ・・・となっているわけですが、そのような自分の持ち出しばかりを向いた行動は、結局は、マトモな人からは相手にされなくなるだけ。

色々とあって、そのオックス男爵は婚約破棄となるわけですが、そうなると、とたんにあわてだす。「婚約破棄なんてことを言い出したオマエたちを許してやるぞ!」とやっぱり自分の持ち出しを意識して上からの物言いをするばかり。
何かというと「〜してやる」というような人物の安っぽさは、オペラにも出てくるくらいのポピュラーなものなんですよ。

指輪の金額について一人で喜ぶのも悲しむのも勝手にすればいいのですが、相手に対して恨んだり怒るようではその後もそんな調子になってしまうだけ。「結婚してやる!」という発想なんだから、その後には「家事をしてやる!」なんて思うことになる。
「こんなことを、したくはないんだけど、しょうがなくやってやるよ!」
楽しいかどうかは別として、そんな「してやる」の発想なんですね。

そんな人は、当然のこととして、子育ても「してやる」の発想。
「子育てなんてしたくはないけど、できてしまったから、しょうがないからしてやるか!」

「結婚してやる」と思う女性は、「家事をしてやる」と考えるようになるし、「子育てをしてやる」と考えるようになるって、小学生でもわかるでしょ?
そんな人は、何かをもらう際にも、「もらってやる」なんて形で、自分の「持ち出し」に目が行っているわけです。

しかし、そんな「もらってやる」なんて発想の女性と結婚するような男性も、結局は「同じ穴の狢」。同じように被害者意識を持っていて、恩着せがましい。
そんな男性が妻によく言うのは、「オレがオマエを養ってやっているんだ!」
夫婦そろって、同じ穴の狢と言うか、予定調和と言うか、バカばっかりと言うか・・・
実際に、「オレの女房は、結婚して10年後の今になっても、指輪の値段でグチグチを言うんだ・・・」とグチる男性は、その話題以外の話題は、やっぱり被害の話ばかりでしょ?結局は、同類同士が結びついただけなんですね。

まあ、指輪の金額でモメるような場合は、そのまま行くと、もっとモメることになる。

それこそ、離婚のような事態になって、その手の持ち出しの話を言い出したりする。
「オイ!新婚旅行の費用はコッチが出したんだからな!半分はオマエが持てよ!」
「結婚指輪の代金はオレが払ったんだからな!返せよ!」
離婚のような事態になっても、なんともまあ、みみっちい。

しかし、そんな事態は、結婚指輪の金額でモメた段階で予想できるものなんですね。
ダメダメな人間にしてみれば、結婚指輪は、記念品ではなく、賠償金という位置づけに近い。
当事者意識がないダメダメ人間は、自分で達成するという発想がなく、「何かをもらう」ということしか達成するものがない。だからこそ、それにこだわり、「もらってやる」という発想になってしまう。そんな時しか自意識が満足されない。だからこそコンプレックスがますます強くなり、ますます被害者意識が大きくなり、ますます謝罪や補償を求めるようになる。

そんな家庭で育った子供がどうなるのか?
「育ててもらって」感謝しているの?
そんなわけないでしょ?

「もらってやる」って発想は、実に安っぽい発想なんですね。
「ワタシはそんな安いオンナじゃないわ!」・・・そんな物言いが実は安っぽいもの。
単に安っぽいだけならともかく、後々トラブルになって行く発想とも言えます。
そんな発想を持っている時点で、自分を見つめ直してみる・・・そんな必要があるわけです。
当人が安っぽいと、安っぽい人しか相手になってくれない。それだけならまだしも、子供まで安っぽい人間にしてしまう。そうしてトラブルが発生して、結局は、家族そろって恨み節。

結婚を被害と捉えているのなら、結婚なんてしなければいい話。
しかし、何も考えずに「てきとう」に結婚して、結果的にトラブルになり、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くだけ。普段からグチばかりなので、周囲の連中も、そのレヴェルのダメダメばかり。
当事者意識がない人間が集まっても、何も解決できるわけもなく、修羅場になるばかり。そしてそんな修羅場の状況を一生懸命に語ることになる。
そんな話に「かわいそうねぇ・・・」と寄って行く人もいたりして・・・その人と意気投合して・・・と、修羅場の状況が延々と続くことになる。

被害者意識が強いダメダメ人間は、常に自分の被害を語る。そのヴァリエーションは色々とあっても、根底にある被害者意識はつながっている。
たとえば、上記の「してあげる」という物言いをする人は、「誰のおかげで・・・」という物言いをしたりするものでしょ?

誰のおかげで、生きていられるんだ?
誰のおかげで、進学できるんだ?
誰のおかげで、結婚できたんだ?
誰のおかげで、食べていけるんだ?
誰のおかげで、総理大臣になれたんだ?

この「誰のおかげで」という物言いに、言葉を追加すると「誰の、被害の、おかげで・・・」あるいは、「誰の、持ち出しの、おかげで・・・」でしょ?その背景には「オマエのせいで、オレが被害を受けた。」という被害者意識であり、そんな人は、マトモな人からは相手にされず、そんなグチを子供に言い続けることになる。
そしてトラブルが発生して、「いったい誰のせいで・・・」と犯人探し。

自分の被害を認められない被害・・・って、いささかギャグのように思われる方もいらっしゃるでしょうが、ダメダメの領域では、実にポピュラーな発想なんですよ。当然のこととして、その感情が、「自分の被害を認められない被害を認められない被害感情」につながっていき、どんどんと増殖してしまう。もうこうなると、純粋な被害感情の中に、浸りきっている状態。

ギャグを書いているようですが、そんな実例を皆さんも知っているのでは?

(終了)
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発信後記

本文中でストーカーについて言及しておりますが・・・
ストーカーというものは、まさに被害を認識し、被害に対処する心理的枠組みの共鳴現象とみることができます。入れ込む側も、入れ込まれる側も、被害に共鳴しやすい心理構造になっているわけ。

その面を自覚しないと、たとえ、その事例が解決しても、また別の事例が発生するだけ。
それこそ、共鳴現象なんだから、被害に共鳴しないような心理構造にもっていけば、そんな入れ込みは回避できるわけです。

一般論ばかりだとわかりにくいので、具体的に書きますが、「自分が何をしたいのか?」それを自覚し、それを達成するという「ちょっとした成功体験」を積み重ねること・・・それが重要なんですね。
そうすれば、「自分は何をしたいのか?」「そのために自分はどうすればいいのか?」という新たな座標軸ができることになりますから、従来のように被害話に共鳴する頻度は少なくなるわけ。

誰かに入れ込まれたり、ストーカーされたら、その「被害」を周囲に語るよりも、むしろ「で、アンタはどうしたいの?」と顔を見るたびに相手に聞いてみるのが、有効でしょう。
まったく顔の知らない人間ならともかく、顔見知りにストーカーされたら、ストーカーされる被害を相手に主張するよりも、「アンタ・・・ホント・・・一体どうしたいのさ?」と聞き続ければ、だんだんと「敷居」を感じていきますよ。だって、心理的に依存している人間にとって、その質問が一番、苦手な質問なんですからね。

逆に言うと、「で、自分はどうしたいのか?」がストーカーされた側が自覚していれば、「自分はこれをするつもりだから、アンタも協力してよ!」「とりあえず、今度来る時までに、これをやっておいて!」と言えるわけ。
せっかく、付きまとってくるんだったら、こき使えばいいだけ。
現実的には難しいのはわかりますが、相手が顔見知りだったら、その方法が一番有効でしょう。
「自分は何をしたいのか?」それが具体的に言えない・・・被害者も、加害者も・・・
その点の自覚なしには、抜本的な解決はないんですよ。
この文章に類似の内容の文章としては「06年1月11日配信の被害者意識の無限ループ」という文章があります。
R.11/1/21