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カテゴリー | ダメダメ家庭の被害者意識 | |
配信日 | 06年1月11日 (11年1月30日 記述を追加) | |
タイトル | 被害者意識の無限ループ | |
「ダメダメ家庭は被害者意識が強い。」って、もうイヤになるほど、お約束の書き出しとなっています。 じゃあ、「そんな書き出しをやめればいいじゃないの?」と思われるでしょうが、現実的にみると、ダメダメ家庭の問題をこの被害者意識を抜きにしては語れない。 「自分はかわいそうな被害者だ!」ダメダメ家庭の人間は、常にそう思っている。だから自分の被害者意識を満足させてくれるような状況を、むしろ、求めるように行動する。 それこそ、グチばかり言っている人たちの元に出かけ、一緒にグチを言い合おうとする。 あるいは、政党においても、グチばかりの政党があったりますよね? 「悪いのは全部○○のせいだ!」 「ワタシたちは全然悪くはないのよ!」 「みんなは、ワタシたちのことを、理解しようとしない!」 「ああ!私たちって、なんてかわいそうなの?!」 そうやって、どんどん盛り上がって行く。 それはそれでいいとして・・・そんなことで盛り上がった成れの果てが、あの社民党の土井さんやその秘書さんの顔でしょ? そんなグチの共鳴によって、自分の被害者意識が満足され、相手の被害者意識を肯定する。そして大いに盛り上がる。 まあ、このケースは被害者意識が共鳴して、どんどん増幅して行くケースです。 しかし、世の中のすべての人が、被害者意識を満足させてくれるわけではない。 「あ〜あ、上手くいかないなぁ・・・ワタシって、なんてかわいそうなの?!」なんて言葉に対し、『かわいそうも、何も、アンタ自身は、結局は、どうしたいの?』なんて言葉を返してくる、この私のような、人間だっている。 当事者意識がないがゆえに、被害者意識に浸っているわけですから、「アンタは、結局は、どうしたいの?」なんて言葉に返答できないのもダメダメ人間のお約束。 まあ、この段階で、「この人にはグチが通用しない。」と分かって、その場から撤退して、ちゃんとグチに共鳴してくれるダメダメ人間を選んでグチを言えばまだしも、その人間に食い下がってくるケースも発生する。 だって、グチばかり言っているダメダメ人間は、そのグチが唯一の自己表現の手段であり、被害者としての立ち位置がアイデンティティそのものとなっている。取っておきのグチを否定されちゃったら、自分全部を否定されたように感じてしまうわけです。 被害者意識が強いダメダメ人間にしてみれば、「自分は○○を達成したいけど、その達成のためのハンディキャップとして△△がある。」という形で被害を認識しているのではなく、その人にとってのアイデンティティそのものとしての被害者という立ち位置なんですね。 だからこそ、周囲に対してグチを並べ、執拗に被害者認定を求めることになる。 とは言っても、そんなグチに根拠があるわけでなし、そのグチが通らないと、結局は、「だってぇ〜」とか、「でもぉ〜」とかの言葉にならない言葉しか出てこない。 そんな感じで目の前でグチグチ言われた方は、いい気分でいるわけもなく・・・ とうとう御法度の言葉を言ってしまう。 『そもそもアンタは、自分で出来ることすらやろうとしないでグチグチ言っているだけなんだから、上手く行かないのも当然でしょ?』 取っておきのグチを否定された挙句、一番イタイところをずばり指摘されちゃったら、当然のこととして逆上。 「キーっ!あの人はワタシのことを全然わかっていないわ!」 「ああ!ワタシって、何てかわいそうなの!」 と、被害者意識に。 逆上しないまでも、「ふんっ、どうせ、アンタはいいわよねぇ〜」「アンタは、ワタシたちの気持ちなんて何も分かってくれないのね!」と、急にふてくされた態度を取ることもある。 急な態度の変化によって、「自分のことを分かってくれなかった、相手方が悪い。」という関係性を自分に納得させるわけです。ふてくされた態度は、捨てセリフの一種なんですね。 捨てセリフを投げ付けることによって、「自分こそが、被害者なんだ!」と、自分に確認させることができるわけです。 実際に、「ワタシはかわいそうな被害者なのよ!」ということしか言ってこない人は、それを認めないと、逆上するか、ふてくされるかの態度となってしまうものです。 その人なりの尊厳を持って、「ワタシとしては、○○のように考えておりますが、その点について、アナタのご理解をいただけないようで、ワタシとしては残念です。」くらいの社交辞令もない。 感情的な対応でやりとりを終わらせるものなんですね。 そんな感情的な対処によって、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と自分に確認させるわけです。 被害者意識というものは、お互いが肯定し、共鳴することで高まるケースもありますが、被害者意識を否定されても高まるわけです。 被害者意識はこうやって無限にループすることになる。 自分の被害者意識を肯定され、安心して被害者意識に浸りきっていく。 自分の被害者意識を否定され、自分のアイデンティティを認められないと感じ、被害者意識に浸ってしまう。 そうやって、どんどんと強い被害者意識になっていき、そして、強い被害者意識に浸れる状況をますます求めて行く。 本人がそんな被害者意識に浸るのは勝手ですが、そんな人を相手にする人って、どんな人? やっぱりその人と同じような被害者意識だけの人でしょ? まあ、大人同士が勝手に盛り上がっているのはいいでしょう。 しかし、そんな状態で子供なんか持ったりしたらどうなっちゃうの? 「子育てのために、ワタシの人生をフイに!」 そんな被害者意識が登場するのは当然でしょ? そんな被害者意識の無限地獄から解脱?するためには、まずは自分自身の被害者意識を自覚するしかないんですね。 本人がそのままダメダメに安住するのはともかく、そんな状態では、子供だってダメダメになっちゃうでしょ? そうやって、自分の子供をダメダメにした挙句、ダメダメな親が言うセリフもお約束。 「こんな出来の悪い子供を持って、ワタシって、何てかわいそうなの?!」 こうやって、被害者意識は無限ループするわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 最近は、このメールマガジンの文章が全体的に短めです。 別に購読者さんのご希望に沿った・・・と言うわけではありません。 まあ、私はそんな親切な人間じゃあ、ありませんし・・・ ただ、このメールマガジンの文章は、「長い」以外にも色々と「わかりにくさ」の要素を持っているので、その「わかりにくさ」の代表例として「長さ」が槍玉に挙げられるのだと思います。「長い」と言う点が、一番「わかりやすい」わかりにくい部分ですからね。 その内に、私の文章に限らない、人の文章を読んでいて感じる「わかりにくさ」についてまとめた文章を書いて配信したいと思っています。 文章のわかりにくさだけでなく、人との会話のおいて感じる時もある、わかりにくさを理解するにも役に立つと思っています。 |
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R.11/1/30 |