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カテゴリー | 様々な二重否定表現 |
配信日 | 06年6月12日 (10年10月13日,11年1月21日 記述を追加) |
タイトル | 悪くはない |
備考 | 「悪い」は、意味的に否定形ですので、「悪くはない」は二重否定表現となります。 |
ダメダメ家庭の人間は、否定形の物言いが多い。 このことは以前に配信しております。 「そうじゃ『ない』!」 「『違い』ますっ!」 「それでは『ダメ』!」 「どうしてわかってくれ『ない』の!」 「ない」とか「ダメ」とか、そんな否定形ばかり。ダメダメ家庭の人間が言う言葉なんてそんなもの。ホントに、言葉からして「ダメ・ダメ」なんですね。 言語的には否定形ではありませんが、「悪い」という言葉も実質的な否定形でしょ?だって「よくはない」という意味なんですからね。 否定形の物言いばかり使うダメダメ人間は、そのような否定形を組み合わせた言葉もよく使ったりする。つまり、言語的にみて、二重否定が多くなる。 と言うことで、今回は「悪くはない」という言葉を取り上げましょう。この言葉は、典型的な二重否定の言葉でしょ? 典型的なだけでなく、ダメダメ人間が実によく使う言葉でしょ? 何かトラブルがあったりすると、「ワタシは全然悪くはないのよ!」、 そして、「どうして、分かってくれないの?!」と続いたりする。 まあ、そんな言葉を聞かれた方も多いでしょう。 前にも書いたように、「悪い」と言う言葉を「よくはない」という意味に解きほぐすと、「悪くはない」という言葉は「よくはないのではない。」なんて意味?になっちゃいますよね? それって、いったいどういう意味なの?書いている私自身がよく分からない。 そんな二重否定的な言い回しをしなくても、「ワタシのいいところは○○です。」「ワタシはこうしたいと思っております。」って、シンプルな肯定形で言った方が分かりやすいでしょ? 「悪くない」のはいいとして、「いいところ」はいったい何なの? あるいは、現在トラブル状況にあるのなら、「ワタシは悪くはない!」と、いきなり言い出すのではなく、「この点が問題だと認識している。」そのような言い方の方が分かりやすいでしょ? 「自分は悪くはない」から、生きる権利がある・・・のは、いいとして、「よいところ」あるいは「やりたいこと」が何もなかったら、生きる意味もありませんよ。殺される理由もないかもしれませんが、生きる理由もないんでしょ? 自分の「よいところ」なんて、何でもいいじゃないの?料理が上手でも、話が上手でも・・・そんなこと、自分の勝手な判断でもいいわけでしょ?少なくとも自分の「いいところ」は自分で説明できないとね。せめて、「今後はこのようなことをやりたい。」という形で肯定的に言えるようにすればいいだけ。つまり、自分の将来を肯定するパターンでもいいわけでしょ? 「自分は悪くない!!」なんて絶叫するよりも、「自分のいいところはこれこれ・・・よくないところはこれこれ・・・」と具体的に言われた方が聞いていても楽しいでしょ?会話だって弾みますよね?そんなことは、小学生だって分かることでしょ? しかし、自己逃避のダメダメ人間は、自分自身について何も知らないし、達成したい希望もない。だから、加点法的に自分を説明できず、「顕著な減点がない」、つまり「ワタシは ふ・つ・う」と語っておしまいになってしまう。 「ワタシはふつう。」という説明は、文字通りに悪くはないわけですが、じゃあ、相手に何が伝わるの? あるいは、何かトラブルがあった際に、「ワタシは悪くはない。」と自己弁護するより、「自分はこのような考えで、このように行動した。もしかすると、どこかに問題があったのかな?」とでも言った方が周囲は理解しやすいし、たとえその行動が結果的に間違っていても、周囲の人は、その人を「この人は、信頼できる!」と評価するものでしょ? 「悪くはない!」って絶叫する人って、そのような「自分の目標なり、行動の原理」を明確に語ることって、しないでしょ?ただ、絶叫しているだけ。 さて、「自分は悪くない!」なんて絶叫するダメダメ人間のタイプもいますが、「アナタは全然悪くはないのよ!」なんて呼びかけたりするボランティア系のダメダメ人間も実にポピュラーですよね? それこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスなどの夫婦間の問題が起こった時に現れ、「熱い」同情を表明することになる。 「まあ!なんてお気の毒なの!」 「アナタは全然悪くはないのよ!」 しかし、何回も書いていますが、そんな暴力男とわざわざ結婚しておいて、「全然悪くはない!」もヘチマもないでしょ?「どっちが悪いのか?」なんて議論するより、「お互いがやりたいこと」について話し合って、それぞれのやりたいことの実現のために、銘々が個別に努力したり、必要に応じてお互い協力すれば済む話でしょ? 「どっちが悪いのか?」なんて犯人認定に終始した議論をしているから、「オレの話を聞かないオマエが悪い!」とか、『違うわよ!稼ぎが悪いアンタが悪い!』、そして「ワタシは全然悪くはないわ!!」なんて話になっているわけでしょ?そんな「どっちが悪いのか?」ということについて夫婦間で散々言い争っている状況に、「アナタは全然悪くはないのよ!」なんて言いながら介入するボランティアの連中によって、「どっちが悪いのか?」と言う議論から抜け出せず、ますます深みにはまってしまうことになる。 「悪くはない。」と、頻繁に言っているようだったら、「いいところはこれこれ」と、言い回しを変えてみる。あるいは、「その時には、自分はこのように考えて、このように行動した。」そのように説明できるようにする。あるいは、「今後はこうしていきたい。」と語ることができるようにする。 あるいは「アナタは悪くはないのよ!」なんて甘言を弄するボランティア人間が近づいてきたら、まずそんな人間を疑う。 そんなことを考えみてもいいんじゃないの? 何も難しいことではないでしょ? 現実的には「ワタシは悪くはない。」と、散々と主張することによって、周囲から呆れられ、状況は、ますます「悪くなって行く。」 そんなものでしょ? 典型的な実例が最近(06年)起こっていますよね? ちょっと前に、東京のマンションで事故を起こしたシンドラー・エレーベーターの事例です。 シンドラーさんは、「ワタシたちは全然悪くはないんだ!」の一点張り。 まあ、彼らは彼らの論理があるでしょうし、技術的なマターになると私にもわかりません。 しかし、彼らが「自分たちは悪くはないんだ!!」と主張し続けることによって、問題が解決するわけもなく、そして、彼ら自身の評価も落としていくわけでしょ? 今後は、あの会社の製品を採用するところなんて、ありませんよ。 バカだなぁ・・と思っている人は多いでしょ? しかし、あの会社と同じようなことを、ダメダメ家庭の人間はやっているんですね。 そして、「悪くはない。」という自身の主張を確定してもらうために、その手の人たちは裁判という場を使いたがるもの。まさに、裁判所から「瑕疵がない。」というか「悪くはない。」と認めてもらおうとするわけです。 しかし、瑕疵がなかったと裁判所から認定された人たちを、信頼するかというとまったく別問題でしょ? それこそ、1999年に起った栃木県のリンチ殺人事件において、栃木県警が放置したことについて、警察側としては「悪くはない。」という主張であり、裁判所においても、一審においては、「警察は悪くはない。」と認められました。かと言って、その警察を信頼した人は、誰もいないでしょ? 逆に言うと、「ワタシは悪くはない。」という主張は、信頼を得ることを放棄した人の主張なんですね。 あるいは、中国の毒入りギョーザ事件がありましたが、その際に中国側は「我々は悪くない!」の一点張りでしたよね?その主張を受けて、中国製品に対して信頼感を持った人はいないでしょ? 「悪くない。」と主張するしか能がない人は、別の言い方をすると、説明能力もない。 だから、相手から合意を取るという発想そのものがない。 やり取りの終わり方としては「反論を言わせない。」という二重否定的な形しかない。 だからこそ、「悪くはない。」という、事態を何も説明しない言葉を連呼することになる。 相手に対して説明し、相手から合意を取るという発想そのものがないので、そのような説明が必要とされる状況とは無縁のシチュエーションに惹かれてしまう。 それこそ、前にも書いておりますが、ドメスティック・ヴァオレンスの現場のような状況にボランティアとして参戦したりする。 そんな状況では、言葉による説得などは何もなく、相手をつるし上げているだけ。 当人に説明能力がないがゆえに、自分と同じような説明能力がない人でないと、相手になってくれない。 そんな状況は、それこそインターネットの掲示板などでは典型的にみられるでしょ? 片方が、「オレは悪くはない!」と、自己弁護して、もう一方が『オマエが悪い!』とかで罵倒する。 ギャグでやっているのならともかく、どうやらマジっぽい。 説明能力がない人は、逆に言うと、相手から説明されると困ってしまう。 だから、お互いが感情的な自己弁護と、問答無用の罵倒の飛び交うところしか住めない。 そして、相手方を凝視することで、自分自身でやりたいことなり、相手に分かってほしいことについて考えることから逃避してしまう。 「ワタシは悪くない!」ということばかり言う人は、逆に言うと、「自分はこうしたい。」とは決して言えない人でしょ? ダメダメ家庭を考えるにあたって、「言っていること」「していること」から考えるのではなく、「言おうとしないこと」「しようとしないこと」を見極める必要があることは、いつも書いています。 「悪くはない」という言葉も、「自分はこのように考えていた。」「自分はこうしたい。」と、客観的なスタイルで説明できないことのカムフラージュとみると、そんな状況もよく見えてくるものでしょ? そして、「悪くはない」と熱心に主張するがゆえに、そんな人は信頼するに値しないことも見えてくるわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 まあ、シンドラー・エレーベーターの日本のスタッフも「やってられないよ!」と思っているでしょうね。 外資系の会社って、あまり技術情報を「現地」のスタッフには教えないもの。 それに、よりにもよって、シンドラーの本社はスイスだとか。 スイスって、秘密主義の総本山ですよ。 こうなると、責任の所在なんて、どこにもない状態。 だって、「何もわからない」ことについて、説明のしようがないし、責任の取りようもない。 「やってられないよ〜」なんて思っている人に、仕事を任せても上手く行くわけもないし。 だから、なおのことトラブル多発。 まあ、この例も、典型的なダメダメの様相が見られますよね。 というか、どうして、こんな会社の製品を採用したのかな? 事前の検討の際に、メンテナンスや管理体制や事故情報についての情報を出させなかったのかな? まあ、設置した方もダメダメですよね?官公庁関係が多いのもわかりますよ。 |
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R.11/1/21 |