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カテゴリー ダメダメ家庭出身者のキャラクター
配信日 09年12月4日 (11年2月7日 分離独立)
タイトル 外弁慶
 追記 09年12月4日配信の「身近逃避」から独立。 (11年2月7日)
ダメダメ家庭の親は被害者意識が強く、子育ってだって、親である自分が押しつけられた被害と捉えている。そうして、自分の子供に対して「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」というグチを投げ付けることがお約束状態となっている。
そして、「親に迷惑をかけるな!」と子供に対して厳命している。
子供が、ちょっとでもトラブルを家庭内に持ち込むと、親の被害者意識が刺激され、逆上することになる。

逆上する親の姿を見ているので、ダメダメ家庭の子供は、家庭内では何も問題のない、いわばよそ行きの姿をするようになる。
おまけに、「オマエが生まれてしまったから、うまくいかないんだ!」と親から犯人認定を食らっているので、子供は親に対して気を使う。
『ボクが生まれてしまったために、親にはこんなに迷惑をかけてしまった!これ以上、親に迷惑をかけないようにしないと!』と、切羽詰まった心情で生きている。

親に対して気を使い、親の前で問題を見せないようにしているので、親の前では、「おとなしい、いい子」になるわけです。
そして、本音の部分を、外で解放することになる。別のところでも書いていますが、家庭内ではよそ行きの姿で、家庭の外では普段着の自分というような、いわゆる「外弁慶」となるわけです。

家庭の外では自分自身を解放するのはいいとして、家庭内で異常なまでに気を使っているので、心理的に疲労してしまっているし、ストレスが溜まっている。
家庭内で必死に自分を抑えているので、家庭の外においては、その反動が出てしまう。
と言うことで、子供同士のトラブルになったりする。

子供同士でトラブルが起こり、その連絡が親の元に行っても、ダメダメな親はピンと来ない。
「あの子は、家では、おとなしい『いい子』なんですよ。」
「何かトラブルがあったのなら、相手側のお子さんに問題があるのでは?」
こんな文句も、ダメダメ家庭の周辺ではお約束状態となっているでしょ?

しかし、家庭内で、そんなに「いい子」なんだから、そのストレスを外で発散するわけでしょ?家庭内でため込んだストレスを外で発散することで子供がトラブルになってしまうというだけではありません。
ダメダメ家庭を作る親は当事者意識ないので、子供にとってその家庭の方向性が見えないので、将来イメージを持つことができず、不安となっている。
あるいは、そもそも子育てを親である自分が背負わされた被害と思っているわけだから、子供に対して構うようなこともしない。
加えて、ダメダメ家庭は会話不全の家庭であり、自分の考えがあっても、それを相手に分かりやすく伝える発想も能力もない。話す能力だけでなく、人の話を真摯に聞く発想自体も持っていない。家庭内で親がそんな状況だったら、子供もストレスが溜まりますし、会話の訓練を家庭内で受けていないんだから、周囲の子供とのコミュニケーションも上手にとれませんよ。

家庭内でのストレスでいっぱいになった子供が外の世界に放り込まれたらどうなるの?
そして、親譲りの、会話不全の子供が、家庭外に出て行ったらどうなるの?
そりゃ、事件にもなりますよ。事件になるかどうかは別として、親の目の届かない場所では居丈高な外弁慶になっちゃうでしょ?
物言いもやたら強圧的で、命令調。
構ってほしがるけど、自分自身が分かっていないから、トンチンカンなことばかりする。
活発でゲンキがあるというのではなく、むしろ乱暴な振る舞い。

そんな子供は、トラブルになっても、親は知らん顔。
その親に指摘すると、まさに「ウチの子は、おとなしい子なんですよ。」との怪訝な顔となるだけ。

そんな子供の最大の注意点は、「自分の親に迷惑をかけてはいけない!」ただ、それだけ。逆に言うと、自分の親ではない人間に対しては、迷惑をかけてもいい・・・そう思っている。
そんな子供の振る舞いは、実は「子は親の鏡」と見た方が理解しやすいものなんですね。
子供が外で行っている振る舞いを、家庭内ではその親がその子供に対してやっていると想定すれば、実に見通しがよくなるでしょ?

そんな子供は、親の前では、親に対して気を使った、おとなしい子供。
しかし、親の目の届かない場所では、やたら乱暴。

そして、そのまま成長するとどうなるの?
親の目の届かない場所では乱暴と言っても、そんな人は、一個人としては何もとりえがないことが多い。当事者意識がないんだから、自分で達成したものがあるわけではない。それにダメダメ家庭は知的好奇心が育ちにくい。だから話のネタも少ない。結局は、社会の中では、「おとなしい」人になってしまう。そもそも、当事者意識も会話の能力も話のネタもないわけだから、周囲の人にしてみても、相手にして楽しい人とは言えない。
外弁慶と言っても、ゲンキがあるのは、小さな集団のような中間領域だけで、社会という大きな領域において、一個人として活力があるということでもない。
あるいは、特定のインターネット上では異常にゲンキであっても、一般社会では存在感がゼロ。
別のところで書いていますが、マルグリット・デュラスが書いている「与太者」の姿、「与太者たちというものは、人と固く結ばれることがなく、自ら一人偉大ということもなく、不安の中に生きている。」そのものになってしまう。

親に迷惑をかけてはいけないという子供の頃からの習性を引きずっているので、親につながるようなマターからは逃避してしまい、ちょっと離れた問題に首を突っ込むことになる。それこそ、光彩陸離とした陰謀史観をインターネット上で得意気に語ったりする。
しかし、そんなことを語る当人自身は、家に引きこもっている。
家に引きこもっているのなら、ユダヤの陰謀も何もないじゃないの?
むしろ、自分の引き篭もり生活について、実感をこめて語った方が建設的ですよ。
引き篭もり生活の実態について、社会に対して、発言して行ったらいいじゃないの?
しかし、そのようなことは、親に迷惑をかけることになり手をつけようとしない。むしろ、自身とは関わりのないようなものとか、手の届かないものばかりに関心を寄せ、結局は、社会の中の存在感がますますなくなってしまう。
そのまま、引きこもって死んでしまえば、逆に言うと人畜無害といえるでしょう。
しかし、そんな人も、某かの事情があって、自分が言うことを聞かせられる組織を持つこともある。
それこそ、自分で家庭を持ったり、あるいは会社において部下を持ったりする。

そんな人が、自分の配下の人たちにどのように接するの?
ジェントルに接するわけがないでしょ?
それこそ、自分の家庭で、妻に対して暴力を振るったりする。
家庭内でトラブルになっても「自分の親には迷惑をかけてはいけない。」と思っているので、自分の親には相談できず、自分たちで処理しようとして、結局は暴力的になってしまう。

あるいは、自分が受けている社会からのストレスを子供にぶつけるようになる。
「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」というお説教の文句を言いながら、子供を弾劾する。
何と言っても、実に「なじみ」のある言葉ですからね。そんな言葉もスグに出てくる。まさに「子は親の鏡」そのものですよ。
あるいは、インターネットの掲示板で「暴れる」例も、最近ではポピュラーですよね?

よく注意して見てみると、外弁慶の人は、一個人として活動すると、実に目立たないもの。
結局は、同類同士でつるむようになってしまい、それこそ、市民運動を組織して、組織だってクレームを付けたり、集団でのつるし上げにいそしんだり、お互いをつるしあったりして、結果的にトラブルを起こすことに。
外弁慶の人は、クレームを付ける時はゲンキだけど、それ以外は実にツマラナイ人でしょ?
話のネタもなく、会話も弾まない。逆に言うと、だからこそ、クレームによる居場所にこだわってしまう。
市民運動のように組織だった活動ではないパターンとなると、まさにモンスターペアレンツとなる。まさに、家庭外には異常にゲンキになるわけです。
インターネット上も、ボランティア活動も、いわば仮想現実のようなものでしょ?
自分にとって、身につまされる現実ではないでしょ?
そんな「外」でしか自分を発揮できないわけです。

この手の外弁慶の人は、自分の配下のものには居丈高になるけど、外部の人間には媚びた態度でしょ?
それこそ、この手の人が会社の管理職になると、部下には無茶苦茶言うけど、会社外の人に対して、「当人なりの考えを分かりやすく伝えること」もできない。だから、媚びたような態度となってしまう。
常に、命令と服従の関係性の中だけで生きている。
そんな人は、人に対して強圧的になったり、とにもかくにも人に合わせたりと両極端になっていて、適切な水準でのやり取りができない。

そんな大人も、今回の文章の最初に書いた外弁慶の子供の姿である、
「物言いもやたら強圧的で、命令調。
構ってほしがるけど、自分自身が分かっていないから、トンチンカンなことばかりする。
活発でゲンキがあるというのではなく、むしろ乱暴な振る舞い。」
が、そのまま大人になったとみれば、理解しやすいのでは?
その手の人は、外弁慶のメンタリティがそのまま残っていて、いまだに自分自身との距離感がつかめないわけです。
そんな視点を持って、その手の人を見ると、その後の流れも予想できたりするものでしょ?