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カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 09年12月25日 (11年1月2日 分離独立 )
タイトル 雰囲気への依存
追記 09年12月25日配信の「超肯定による否定」から分離独立いたしました。(11年1月2日)
ダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、そして自分自身から逃避している。
誰かとやり取りをするにあたっても、「このことを分かってほしい。」という気持ちを持っていないし、そもそも「分かってほしいこと」それ自体がない。
その場の雰囲気に乗って、「な〜んとなく」でやり取りをしているだけ。
議論にあたっても、「これこれについての結論を得たい。」とか「この問題点の解決策の見通しをつけたい!」とかの強い意欲を持ってやり取りをするわけではない。

相手の言葉を理解しようとする意欲もないし、相手に対して分かりやすく伝える意欲もない。
それどころか、説明することを被害として認識し、相手から説明されることも被害と認識することになる。
自己逃避であるがゆえに、相手から説明を受けることは、「自分で考え判断しなくてならないことを要求された。」という形の、相手から追い込まれた状態と認識し、被害感情を持ってしまう。あるいは、もともと説明能力が低いし、もともと説明したいことそれ自体を持っていないので、自身が説明することにも被害感情を持ってしまう。だから、説明が発生するようなシチュエーションを可能な限り避けようとする。

やり取りの場に対して不快感を持っているのなら、何も無理に人とやり取りをする必要もないわけですが、まあ、生きていると、やり取りの場もどうしても発生してしまう。
かと言って、会話不全のダメダメ人間が、やり取りの場で何か成果を得ることはない。
その手の人は、やり取りの雰囲気に目を向けますが、やり取りの中身には関心を持つことはない。とりあえず、その場の空気を読んで、人に合わせているだけ。
しかし、人とのやり取りにおいて、その中身に関心を持たなかったら、何が残るの?
そのように疑問に思われる方が多いのは当然のことでしょう。

実は、その手の人は、アロマのようなものが大好きなんですね。
まあ、アロマを炊き込めば、そのやり取りの「場」も、それなりに実感にはなるでしょう。
マトモなやり取りおいては、やり取りの中身が記憶に残ることになりますが、アロマを使うことで、その場の匂いが記憶に残るというパターンも成立するわけです。
それが会議などの議論の場の本筋ではないことは、本来なら誰でも分かることですが、逆に言うと、議論というか会話に対して恐怖を持っているダメダメ人間にしてみれば、アロマによって「それっぽい雰囲気」を作りだし、それによって、中身の問題から逃避しようとするわけです。まさに中身ではなく、雰囲気を重視する姿勢にはアロマはぴったりなんですね。

実際問題として、ちょっと考えてみましょう。
もし皆様が、会議を主催し、会場のコーディネイトを任されたら、その場にアロマは使いますか?よっぽど臭い部屋なら「臭い消し」としてアロマを使うことも考えるでしょう。
しかし、参加者が真剣に議論する場をセッティングするのなら、アロマは使わないでしょ?
真剣な会議の場で、お香を炊き込んだら、周囲から総スカンですよ。

相手の言葉を真剣に聞き、相手に対して分かりやすく、そして真摯に伝える、そして相手が理解したかを適宜チェックする・・・そのような状況において、アロマなんてジャマですよ。
だって、会議においては、言葉そのものに意味があるわけでしょ?
余計なものはない方がいいのでは?

別のところでも書いていますが、とあるドメスティック・ヴァイオレンスのボランティアの人が、暴力オトコをつるし上げる集会を開催し、その会場にはアロマを炊き込みました。
別の機会に、その主催者さんが、自慢気に語っていました。
しかし、どうしてアロマを使うの?

前にも書きましたが、やり取りの中身というか言葉を理解してもらい、相手の言葉を理解するには、アロマなんて意味がありません。しかし、相手から反論されないという状況を作り上げるには、アロマは有効でしょ?
いわば、ちょっとした忘我の境地を作ろうとしているわけですからね。
相手を忘我にしてしまえば、どんなに稚拙な見解を語っても、反論は食らいにくいのでは?

アロマは認識の能力を落とす働きがある。
だからこそ、トイレで使われるわけでしょ?
あんなところでしっかり認識しても、意味ありませんよ。
そして、認識する能力を落とす働きがあるがゆえに、議論の場では不適なのでは?
まあ、そんな観点からも、トイレにはアロマは有効ですよ。
だって、トイレの中では議論なんてできませんからね。
アロマが使われる場と、議論の場は、現実的には重ならない。

アロマの使用は、そのやり取りの場において、中身に注目するのか?それとも、雰囲気だけに注目するのか?そんな視点の違いに対応しているのでは?
アロマは雰囲気を作るものであって、内容を作るものではありませんよ。
逆に言うと、アロマに対する過剰なこだわりは、中身への軽視というか、会話への恐怖とつながっているわけです。

アロマは議論の場にはなじまない。
逆に言うと、アロマにこだわりがある人は、議論することが怖い。そして、相手から反論されることが怖い。
あるいは、説明することも、説明されることも怖い。
もっと端的に言ってしまうと、自分で考えることを怖がっている。
それっぽい雰囲気の段階で留まっている状態にしたい。

そのようなことは、アロマだけでなく、カラーコーディネイトでもそんな感じでしょ?
もちろん、アロマとかカラーコーディネイトなどの環境要素からは人間の脳に影響を与えるでしょうから、脳波を測定するなど計測は可能でしょうし、知的活動への効果を科学的に検証することもできる。
知的活動を刺激したり、議論をしやすくするアロマやカラーコーディネイトも、実際にあるのかも?

しかし、現実的には、議論の場に「不適な」アロマやカラーコーディネイトは色々とあるでしょうが、議論が進むようなアロマなどはちょっと思い浮かばないでしょ?
たとえば、子供が勉強しやすいように、部屋の色を見直す・・・そんなことは実際にあるでしょうが、それでも、過度のこだわりを持つものではないでしょ?

子供の成績を上げるために → 子供がもっと勉強するようにする → そのために、子供の部屋の環境を整える → その一環として部屋の色を見直す ・・・そんな流れだったら分かりますよ。
しかし、抑圧的な人は、中間部の「子供がもっと勉強するように」が抜けていたりする。

ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、現実にあったりするんですよ。
以前にダメダメ家庭においては「積み重ね」という発想を持っていないという文章を配信しております。そんな人は、勉強を積み重ねることによって、成績を上げるという発想を持っていない。もっと、ドラスティックな方法にしたがる。
部屋の色を見直す → 子供の成績が自動的にアップする  
・・・そんな発想を持っている。
そんな観点から、部屋の色とかアロマにやたら関心を持っている。
そんな人って、現実でも、たまにいたりするでしょ?
部屋の雰囲気の話には熱心だけど、「その部屋で何をやるのか?」という点については何も語れない人。

部屋の色とかアロマを見直せば、「な〜んとなく」気分がいい・・・一般の人にしてみれば、その程度のものでしょ?その場における作業効率を細かく数値化して検討しているわけではないでしょ?逆に言うと「な〜んとなく」で済んでしまうことになる。

部屋の色とか、芳香の話に首を突っ込むことで、具体的な各論から逃避してしまう。
実際に、その手のマターに入れ込んでいる人って、そんな面があるでしょ?
まさに雰囲気だけに関心があり、中身には関心がない。
そんな人は、子供部屋にアロマを入れたのはいいとして・・・「じゃあ、子供は勉強するようになったの?」と聞いても、答えられなかったりする。そんな人は、アロマとか部屋の色の問題に注意を向けることで、子供の問題を認識することから逃避しているんですね。
むしろ、現実逃避で、思考停止の有効な便法としてアロマが使われてしまうことになる。
だからこそ、アロマとカルト団体は結びつきやすい。

アロマとカルト団体って、現実的に結びついているじゃないの?
まあ、ラベンダーの香りとか、お香の香りとかなど、種類は違っていても、いわば雰囲気重視で思考軽視のスタイルは同じでしょ?アロマというものは、現実認識からの解放の道具として有効なんですね。そして、認識能力を落とし、思考の能力を落とすがゆえに、反論されにくい状態を作ることになる。逆に言うと、自分の考えを押し付けるのには非常に有効になる。

カルトというものは、その主義主張の方向性というよりも、それを検証する発想の欠如や、それを伝達する意欲の欠如から見た方が理解しやすいわけです。相手に分かってほしいことが自分でも分かっていないので、相手に対して分かりやすく伝達して、相手が理解するようにして、合意してもらうというよりも、相手を支配することを考える。反論されなければ、それでOKというスタイルになっている。
相手の側が、自分の話をちゃんと聞いて、その中身を理解してほしいと考えた上でやり取りをしている人は、その場にアロマを炊き込むの?
しかし、反論されたくないという二重否定の人だったらアロマを使うことになる。

反論されたくないという心理を持っているので、アロマ愛好家とかカルト団体って、スグに逆上したりするもの。逆上によって、思考から逃避し、威圧的な姿を見せることによって、相手に何も言わせないようにしたいわけです。

何回も書いていますが、アロマは現実を認識することから逃避するには有効な手段と言えるでしょう。アロマは、まさに空気を読んで人に合わせるだけの人には有効なツールといえるんでしょうね。逆に言うと、そんなやり取りを志向しているわけです。
逆に言うと、必要もないのに、アロマを使っている場合には、アロマによって「見えなくなってしまっている」面をみる必要があるわけです。
抑圧的な人は、アロマに過剰に関心を持つこともあるわけですが、アロマに意味があるのではなく、アロマによって消したいものに真実があるものなんですね。