トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭の親のキャラクター
配信日 09年12月28日 (11年1月6日 分離独立)
タイトル 評価は早く、判断は遅く
 追記 評価向上のための努力」という文章から分離独立 (11年1月6日)
ダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、自分がやりたいことそれ自体を持っていない。
しかし、人とのやり取りにおいて、相手から、「で、結局は、アンタはどうしたいの?」などと聞いてこられる場合もある。自己逃避のダメダメ人間は、そんな簡単な質問にも答えられない。

だからこそ、自分がやりたいことを言わなくても済む状況を作ろうとする。
ヘンな物言いになりますが、自分の希望を持たなくても済むことを、自分の希望とするわけです。もはや、仏教の解脱の境地に近くなる。
それが、当人の自覚のもとに、心身の鍛錬なり、修行によって達成されるのなら、まあ、その人なりに見どころはあるといえるでしょう。
しかし、ダメダメ家庭の人間は、自分を見つめることによって、高い境地に到達することなどは考えない。もっと安直な方法で、「しなくても済む」状態を獲得しようとするわけです。

あるいは、人とのちょっと突っ込んだやり取りにおいては、詳細な説明をすることが求められることもありますよね?相手に分かりやすい客観的な説明をしないと、相手も納得してくれないでしょ?
しかし、別のところでも書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、説明能力がない。表現能力の問題だけでなく、自分が相手に伝えたいことをまとめること自体に心理的な恐怖を持ってしまう。また、相手から説明されると、その説明について考えなくてはならないので、相手から説明されることにも恐怖心を持っている。
だから、説明が必要となるシチュエーションを可能な限り、避けようとする。

つまり、人とのやり取りにおいて、客観的な説明がないやり取りをしたがるわけです。
その一つの方法として、やり取りの最初の段階で「評価」を確定させようとすることが多い。
会話の場が怖いダメダメ人間は、真っ先に何かを評価し、それを確定させてしまって、その問題について、それ以上考えることや説明することから逃避しようとするわけです。
それこそ、
「アイツは悪だ!」
「悪いのは全部アイツのせいだ!」
「アイツが敵だ!」

そんな形で、評価を先に決定してしまって、後は何も考えない。
と言うか、前にも書いていますが、考えたくないがゆえに、「とにもかくにも」評価を下し、その評価でそれ以降の思考を封印してしまうことになる。
実際に、やり取りの最初の段階で「アイツは悪だ!」などと断定したがる人っていたりするでしょ?
そんな人は、自分で考えることが心理的に怖いんですね。

何かや誰かに評価を下すことによって、「自分はどうしたいのか?」という判断から逃避してしまう。そして、「悪いのはアイツだから、アッチで考えてよ!」と思考や対処を丸投げしてしまう。
それこそ有名なフェミニズムの闘士さんなんて、その典型でしょ?
あるいは、某国の社民党の党首さんも、何かと言うと「悪」とかのレッテルをつけてしまって、逆に言うと、その問題点について、客観的に説明したりはしませんよね?
自分が勝手につけている「悪」という評価が、やり取りの相手に受け入れられそうにないと、「絶対悪」なるより強い文言を持ち出し、説明することが逃避しようとする。

そんな過激な文言を持ち出すよりも、「△△氏のあの見解は、このような点が問題であって、歴史的にみた場合の似た事例として・・・」と、説明なり解説をするのが、本当の意味での知的な人間というもの。
しかし、自分で考えることが心理的に怖く、説明というシチュエーションも心理的に怖いので、いきなりの評価を持ち出し、逆に言うと、説明なり会話なり判断から逃避してしまうことになる。

評価は早く、そして、判断は遅く・・・
抑圧的なダメダメ人間は、そんな傾向があるもの。
逆に言うと、最初の段階での評価を確定させようとする態度は、判断や会話からの逃避を求めていると見ることができるわけです。

政治の分野なり、フェミニズム運動の問題だったら、関わらなければ済むわけですが、家庭内においても「早い評価による判断回避」は見られたりするもの。
それこそ「子供のせいで、ワタシたちはうまく行かない。」と評価してしまって、後は子供に八つ当たりするだけ。
しかし、そんな評価を聞かされて、『じゃあ、その子供を養子に出したら?』なんて言おうものなら逆上されるだけ。ダメダメ人間にとっての評価は評価どまりであって、「では、今後は、どうするのか?」という判断にはつながらないわけです。

このような家庭内評価は、親と子の立場が逆転する場合もあります。「親のせいで・・・・ワタシはこうなってしまった!」なんて言葉に対し、『じゃあ、絶縁したら?』なんて言ってもやっぱり逆上。やっぱり同じように、「夫のせいで・・・上手く行かない・・・」なんてグチに対し『じゃあ、離婚したら?』と回答しても、やっぱり逆上。
そうして、「もうっ!どうして、分かってくれないの?!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」となる。
「分かってくれない」も何も、いったい何を分かればいいの?

自分がかわいそうな被害者である・・・という評価は実に迅速。
あるいは、「悪いのは全部○○のせいなんだから、ワタシは悪くない。」という評価の言葉はスグに出てくる。
しかし、当事者意識を持って、事態の改善を図る判断は、回避してしまう。

そして、「ワタシは悪くない。」という評価を自分で語り、そしてやり取りの相手から導きだそうとする。そして、求めていた評価が得られたら、大満足。
そして、その後の判断は何もしない。
世間的にも、やたら評価をほしがる人っていたりするでしょ?
そんな人は、自分がやりたいことなんて、全然言えないもの。しかし、自分のやりたいことを掲げることくらいは自分でやらないとマズイでしょ?
他者からの評価なんて、たかが評価にすぎないわけ。今度の判断のための自己評価なら必要ですが、ダメダメ人間はそんな前向きなことはしない。
ダメダメ人間が求める評価は、「判断から逃避するための評価」だけ。

当事者意識を持って、今後に取り組んでいくための判断材料を求めるのではなく、「何もしないでも済む」ための、お墨付きのための評価を得ようとするのがダメダメ人間。
そんな人は、自身なり、周囲のものを手っ取り早く評価してしまって、やり取りの相手に対しても、そんな評価を求めるわけです。
しかし、評価を求めても、示唆的な視点は求めない。求めないというか、視点を提示されると逆上するだけ。
結局は、判断することからの逃避という視点で見てみると、その手の人の言動も理解しやすいわけです。