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カテゴリー | ダメダメ家庭の人間の行動 | |
配信日 | 09年12月28日 (11年2月3日 分離独立) | |
タイトル | 評価のための勝利 | |
追記 | 09年12月28日配信の「評価向上のための努力」から分離独立 (11年2月3日) | |
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がなく、自分自身が達成したい目標もない。 目標自体が存在しないんだから、自分の目標を達成するために、自分なりに努力していくこともあり得ない。当然のこととして、達成した成果もなく、自信も持っていない。 自分で自分のことを語れないから、自分以外の人間による、評価に依存してしまっている。 しかし、そんなことをしているがゆえに、やっぱり何も達成せず、周囲ばかりをうかがい、そして、意味のないチョッカイを掛けて、その人の評価も下がってきてしまう。 自分なりの目標を達成するために、自分で努力していれば、周囲からの評価も上がることになる。逆に、周囲からの評価を上げようと、周囲ばかりを見ている人は、結局は周囲から呆れられてしまうのは、本来は小学生でも分かることでしょ? 周囲から呆れられてしまった段階で、自分自身を見直し、自分なりの目標を持つようにすればいいわけですが、ダメダメ人間は、そんな殊勝なことはしない。 自己逃避のダメダメ人間は、人からの評価にこだわりすぎる自身の行動によって下がった自分の価値を、やっぱり人からの評価によって上げようとする。 その一つとして、やたら、勝とうとすることになるわけです。 何かに勝つことによって、「自分はアイツよりも上なんだ!自分は立派なんだ!」と思いたいし、周囲にも主張したいわけです。勝ち負けの結果は、曲がりなりにも他者との関わりがある評価と言えます。逆に言うと、自己逃避の人間にしてみれば、勝ち負けを持ち出せば、自分の価値を説明するのにラクとなる。 勝負事になれば、勝ちたいのは当然のこと。 しかし、「勝ち負け」の決着は、一方が「自分が勝った。」と思うことではないんですね。 一方が「自分が相手に負けた。」と思うことです。 相手方に「自分はアイツに負けた!アイツの方が上だった。」と、いかに思わせるか?そのあたりがポイントと言えるでしょ? 「自分はアイツに勝った!」と思うことは、自分勝手な妄想でもOKでしょ? 「自分はアイツに負けた!」と相手に思わせることは、相手方をよく見ていないとできないこと。簡単ではないんですね。 そもそも、ダメダメ家庭の人間は序列意識が強い。対等な関係での会話ができないので、序列に拘らざるを得ない。だから順番が重要視される。だから、尚のこと「勝ちたがる」ことになる。 それに加えて、ダメダメ家庭は減点法であり、自分の減点面を認めることができない。だから勝ちにこだわるというだけでなく、負けを認められないという心理もある。 相手に負けた自分というものと向き合うだけの心理的な強さを持っていない。 一般論ばかり展開しても分かりにくいので・・・ 例えば、以前にあった日本と韓国での2002年のサッカーのワールドカップですが、韓国のゲームでの審判の判定の偏りが問題になりました。おかげで、韓国チームはベストフォーまで上り詰めたわけですが、だからと言って、韓国という国が世界から尊敬されてはいないでしょ?だって、確かにサッカーのゲームで「勝った」けど、「相手に負けを認めさせた。」状態には至っていないんですからね。 何度も書いていますが、私は韓国の人に偏見を持っているわけではありませんよ。 ただ韓国の方々がダメダメ家庭の典型的な行動をしているので、例として使いやすいというだけです。 話を戻しますが、ゲームで「相手に勝った!」と自分で思うことは、自分勝手な妄想でもできること。勿論、そのサッカーのゲームだったら点数という客観的な数字が出てきますので、勝手な妄想とは言えないかもしれませんが、その客観的な点数に至るまでが、主観的だったわけです。 と言うことで、ゲームの相手方は全然納得をせずに「自分たちは韓国チームに負けた。」と思っていない。その食い違いが、逆に韓国という国への尊敬や親近感を減らしてしまう結果になってしまう。 もともとは、サッカーのゲームで勝つことにより、周囲から称賛を得ようとしていたのでしょうが、現実としては逆効果となってしまう。「相手に勝ちさえすれば、それでいいんだ!」として、いかがわしい手段を用いてしまう。しかし、それゆえに、相手から軽蔑されることになってしまう。 こうなると、相手からの評価にこだわるが故に、逆に、相手からどう思われているのかがどうでもよくなってしまうという逆説状態となってしまう。 そもそも、ダメダメ家庭の人間は、人の気持ちが分からないことが多く、相手から「オマエはダメだ!」と直接言われなければ、相手の考えていることなどは分からない。だから、相手を納得させることよりも、相手を黙らせるという行為を取ることになる。だから、つるし上げが大好き。 つるし上げをしても、自分の評価が上がるわけでもないでしょうが、しかし、自分を否定する評価を聞かずに済むでしょ? つるし上げをする人は、それだけ他者からの評価にこだわっているわけです。別の言い方をすると、他者からマイナスの評価を受けると、パニックになってしまう人とも言えます。 あるいは、メールマガジンを購読されている方ですと、インターネット掲示板をご覧になったり、ちょっとした意見を書き込んだこともあるかとも思います。 そのような掲示板には、やたら「熱く」なっている人もいますよね? 「句読点もないような、読みにくい文章で、頭から湯気が上がっているのが明白な文章。」 よくそのような文章が書き込まれているものでしょ? 書き込んだ当人としては「自分が論争において相手に勝つ。」ために一生懸命なんでしょうが、論争の相手方は勿論のこと、読んでいる第三者は、とてもそう思えませんよね? 「自分が勝った!と思う。」ことと、「相手に『自分は負けた。』と思わせること。」これは全然違っているわけです。 たとえインターネットの掲示板のような世界でも、今書いている文章を、読んでいる相手の側や第三者がどのように思うのかについて常に考えないといけない。それはコミュニケーションの基本ですよね? 勿論、サッカーのゲームやインターネットの掲示板の世界だけ、「熱く」なるのならまだいいのですが、まさかそのようなことはありませんよね? 実世界で自分の周囲にいる人間が、自分の行動や発言をどのように思うのか? あるいは自分の考えを相手に理解してもらうためには、どのような伝え方がいいのか? あるいは、ネットの論争?で「熱く」なっている姿を、実世界で周囲にいる人間はどのように見ているのか?特に子供が見ていたらどう思うのか? ダメダメ家庭では、このようなコミュニケーションの基本が欠落しているわけです。 そのような環境で育った子供も、そんなダメダメな親とのやり取りを積み重ねて成長し、親を見本に育ったので、自分の考えを伝えられない。 自分の考えを伝えられない「いらだち」をネットの世界に「熱く」ぶつけても、やっぱり何も伝わらない。と言うことで、ますます妄想の世界に入り込み、評価が分かりやすい「勝ちに拘る」ようになる。しかし、そこには、やり取りをしている相手は本当の意味で眼中にないわけです。相手方が不在なバトルとなってしまっている。 たとえ、論争になったとしても、相手がとても冷静な人とは言えないような人間だったら、「自分は負けた。」などとは思いませんので、そのような人とのやり取りは不毛なんですね。冷静でないような人間とやり取りをしても、そもそも楽しくないし、「相手より上回っていた。」と第三者より評価をもらっても意味ないでしょ?アタマから湯気を出しながら書き込んでいるオバカさんよりも利口なのは当たり前ですよ。 「勝ち」を目指して熱くなるのはいいとして、今現在行っているやり取りの当初の目的に立ち返り、「何のために自分はこんなに熱くなっているんだろう?」と、考え直してみることだって、意味のあることでしょ? しかし、それを忘れてしまうのがダメダメ家庭の人間というもの。 そもそも、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がなく、「自分自身がやりたいこと」そのものを持っていないし、考えることから逃避している。 「損して得取れ。」とかの発想とは無縁。 常に目先の勝ちにすがりつく。 自分にやりたいことがあれば、人からの評価よりも、自分の目標への達成度合いが重要になるでしょ? しかし、達成したい目標自体が存在しないんだから、人からの評価に対して異常にこだわってしまう。 あるいは、自分自身でやっていくという発想がないので、物事が評価どまりになっている。 それこそ、とある活動について、考え、人と議論するに際し、マトモな人なら、「その活動に参加するのか?参加しないのか?」という視点で検討するでしょ? しかし、ダメダメな人は、「その活動を肯定するのか?否定するのか?」という点で議論し、そして、熱くなり、どのみち、その活動に参加するわけではない。 ただ、横からワイワイ言っているだけ。 参加するという意識がなく、評価で留まってしまうんだから、逆に言うと、評価の議論に熱くなり、そして相手に勝とうとしてしまう。 議論で相手に勝っても、結局は、何もしない。 「オレは、この活動のすばらしさを絶賛しているんだ!しかし、アイツはこの活動を否定している。だから、オレはあの不届きなアイツを論破してやった!」と自画自賛することはあっても、その活動に参加したり支援することはない。 そんな姿を見ていた周囲の人は、そんな人から離れていってしまうことは当然のことでしょ? 勝つことで評価を上げるのではなく、自分の達成したいものの実現のために努力した方が、結果的に評価が上がるのでは? ダメダメ人間にしてみれば、「相手に勝つ」という目的は、自分自身よりも相手を見ることで、自己逃避も達成できることになる。 だからこそ、そんな無意味な勝利に酔いしれるようになってしまう。 まさに、相手に勝とうとするのはいいとして、己に負けているわけです。 そして、評価を上げようとして、自身への評価を下げてしまう。 そんなダメダメな人って、実にポピュラーでしょ? |