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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 10年1月18日 (11年2月9日 分離独立)
タイトル ミジメな姿
追記  10年1月18日配信の「尊厳」から分離独立 (11年2月9日)
 ダメダメ家庭の人間には尊厳というものがない。
何と言っても、「自分はかわいそうな被害者だ!」ということがアイデンティティになってしまっているので、逆に言うと、高貴さを求めることは、自分のアイデンティティを否定することになってしまう。
だからこそ、自身に尊厳がないし、尊厳というものを理解もできないし、当然のこととして得ようとしない。
尊厳のないままで、一生を終えてくれればまだしも、そんな人間は、子供を育てる責任とか覚悟などは何も考えないで子供を作ってしまうのは、理の当然。

尊厳に配慮しない人間は、親になっても、とんでもない姿を子供の前でさらしているもの。それこそ、かなり前のことですが、スーパーマーケットで販売したお肉が国産との表示であったけど、実際は輸入物だったことがありましたね?
それで、そのスーパーは「返金」を行いました。
その「返金」を求めて多くの人が殺到する事態になりましたよね?

しかし、そのお肉の味がまずかったのなら、もうそのお店では購入しないでしょうから、リピーターとして購入した人はそのお店のお肉を納得して購入したことになるでしょ?安全性の問題であれば、全然違っていますが、味の問題なら、納得していたことになりますよ。逆に言うと、安全性の問題だったら、返金で済む問題ではありませんよ。
どうして、そこまで「返金」のために大騒ぎするの?

単身者や子供がいない家庭ならまだわかりますが、子供の前であのような行為をしてしまう・・・それがまさにダメダメ家庭のダメダメたるところ。
目の前で「ウシシ・・・儲かった、儲かった。」と下品に喜ぶ親の姿を、子供としてはどう見ればいいの?

子供は「そのお金で遊園地に行きたい!」と思うのかな?そんな子供だったら、もう将来はありませんよね?
「あ〜あ・・・ボクの親はダメダメ!」って思うでしょ?
そんなことは、ちょっと考えれば分かることですよ。

このようなことはスーパーの食料品の問題だけではありません。
ダメダメ家庭では子供の前で、親が本を読んで勉強するとか、料理などの趣味を楽しむなんて姿は見せません。見せませんというか実際にしませんし・・・
むしろ、見ている側がみじめになるような姿ばかりを見せているんですね。
このようなミジメな姿っていくらでもあるでしょ?

電車のキセル乗車をしたり・・・あるいはお気軽に行政機関から補助を受けようとする。
実際に年齢を重ねて、老人用の優待を受けたりする場合は問題ないでしょう。まあ、誰だって歳は取る。しかし、疾病に近い個別のものだと、ちょっと微妙でしょ?
本人がそのような病気を望んで患ったわけではないでしょうし、子供を作った後になってそのような病気になったのなら致し方がないと言えますが、病気を持ちながら、いわば、行政からの補助を当てにして、子供を作ったりする事例もあるでしょ?しかし、子供としては、「そんなに援助が必要だったら、子供なんか作らないでよ!」と思ってしまいますよね?

子供がない家庭や単身者だったら、まだ許されることでも、子供には大変な悪影響なこともあるでしょ?様々な事情があって、後になって色々とハンディキャップを背負ったりすることもあるでしょう。しかし、人の世話になるばかりで、それを当たり前としている親と暮らす子供は、もっとダメージを受けたりするんですね。
せめて、その地点から脱却する努力くらいはすればいいはずなのに、努力自体もしない。
被害者ということがアイデンティティになってしまっているので、「かわいそうな状況」からの脱却の努力は、自分のアイデンティティの否定になってしまう。しかし、そんな親の姿を見ていた子供としては、やりきれないでしょ?
しかし、ダメダメな親は被害者意識が強く、「オレが一番かわいそうなんだ!」と確信しているので、子供の気持ちなどには配慮しない。

行政からの補助の別の例として、学校における学費の問題も同じような事態が発生することになる。
子供が通う学校の授業料減免は、その権利としてあるでしょうが、当然の権利ではないでしょ?
あくまでテンポラリーなサポートでしょ?継続的にそんな状況だったら、そもそも子供を作るという判断をしてはダメでしょ?
そもそも行政の援助を前提としている時点で、尊厳とは無縁ですよ。
法律的な権利ではあると言えますが、親としての義務の放棄とも言えますよね?

子供当人に授業料の減免のための手続きをさせて、それを暢気に見守るのがダメダメな親。
せめて子供に対して「すまないねぇ・・・ワタシたちが情けなくて・・・」とでも言えばマシですが、ダメダメな親はいたって能天気。「アハハ!ちょっと儲かりそうだぞ!」と、楽しい笑顔。その笑顔に子供はますます落ち込むばかり。そもそも、子供に何かを与えるというよりも、子供から受け取ることしか考えていないんだから、ダメダメな親は、そんな態度になってしまう。

服装だって、そう。
何も高級ブランドに身を包んでいないとダメと言うわけではありませんが、「何なの?あの格好?」そう思わされる服装の方も現実にいたりしますよね?まあ、ダメダメ家庭の人間は審美眼が壊れているケースが多いこと以前に配信しております。しかし、限度というものもあるでしょ?そんなヘンテコな格好をしていたら、一緒にいる子供もいたたまれないじゃないの?
それなりの格好をしようとして、審美眼の観点でズッコケているのではなく、もともと、「てきとう」のフィーリングでメチャクチャな格好をしているんだから、周囲としても何も言いようがない。

ダメダメな親は、自分自身で何も努力しないのに、「アイツらはうまいことをやりやがって・・・」と、うまく行っている人間を嫉んでいるだけ。そして、「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と自己憐憫しているだけ。
そんな姿を見て、子供は『ああ!お母さんは、なんてお気の毒なんだ?!』と思うの?
自分で何も努力もせずに、グチっているだけの人間に同情を寄せる人間は、ボランティアをやっているようなアタマカラッポのダメダメ人間しかいませんよ。
子供だって呆れてしまいますよ。

あるいは、気に入らない人間がいたら、ダメダメ連中が集まって陰でグチっているだけだったり、あるいは、イタズラ電話を掛けるようなことする。
その人に対して面と向って、自分の意向を分かりやすく伝えるのだったら、それは見解の相違ですが、そんないやがらせしかできない親の姿を子供はどう見るの?
『わあ!お母さんって立派だなぁ!』と思うの?

人のやっていることを妨害する方法はヴァラエティがあっても、達成するための方法は何も考えない。
何かを達成してうれしかったら、自分で勝手に喜んでいればいいだけですが、自分の達成したいものそのものがないんだから、誰かとの関係性に依存してしまう。
それこそ、スポーツの分野における韓国人選手のパフォーマンスは、当人が勝手に喜んでいるというよりも、関係性を明示するパターンのパフォーマンスになっているでしょ?
そんな抗議系のパフォーマンスを子供が見たらどう思うの?
しかし、「自分はかわいそうな被害者なんだ。」と絶対の確信を持っているダメダメ人間は、抗議系のパフォーマンスが大好き。逆に言うと、それだけ関係性に依存しているわけです。
そして、それだけ他者が気になってしまっているわけです。
そして、そんなことをして、同調してくれる人は、同類のダメダメばかり。
だから、ダメダメがスパイラル進行して、ますますやることが過激になる。そして、ますます周囲から孤立して、それを被害と認識し、ますます被害者意識を募らせることになる。
大仰な抗議系のパフォーマンスはしても、自分なりの考えを相手に伝える意欲も能力もない。

それこそ、このサイトではたまに逆上メールについて触れております。
気に入らない文章があったら、それ以上の文章で反論すればいいだけ。
しかし、そんな努力もせずに、ただ悪態を付くだけ。
そんな態度を見ていた子供から、「賛成できないのなら、ちゃんとした反論をすればいいじゃないの?」と言われると『うるさいっ!ワタシはコイツが気に入らないんだ!悪いのはコイツの側なんだ!』と逆ギレするだけ。

そうして、子供からの軽蔑の視線を受けると、
「オマエが生きていられるのは、いったい誰のおかげだと思っているんだ?」,「オマエは食べるものも食べられないアフリカの子供よりも幸せじゃないか!親に感謝しろ!」と要求することになる。
しかし、食べるものも食べられないアフリカの子供より幸せということで感謝しなければならないのだったら、とりあえず食べている親自身が、自身の現状を肯定するのが先でしょ?
しかし、ダメダメな親は自身では何も努力せず、現状を否定して、文句を言うばかり。
よく言われていることですが、「汚れた服を着ているのは恥ではない。汚れたままにしているのが恥なのです。」という言葉でいうと、ダメダメな人間は、「オレたちの服が汚れているのは、あの◎◎のせいだ!アイツをやっつけろ!」と抗議をしても、汚れた服を洗うことはしない。
抗議はともかく、まずは服くらい洗ったら?しかし、そんなこともせずに、文句を言っているだけなんですね。

個人としてミジメな姿をさらすだけではなく、このような事態は、地域全体で発生もしますよね?
ダメダメな地域は、やたら「たかる」ことが多いことはこのメールマガジンで以前に配信しております。
それこそムダな公共事業をやったりする。
それで「上手に理屈をつけて、こんな建物を作らせることができたぞ!儲かったわい!うっしっし・・・」なんて喜んでいる姿を、その地域の子供たちはどう見るの?ちょっと考えれば分かることでしょ?
しかし、被害者意識の強いダメダメ人間は、そんな下卑た満足感に抵抗がない。
自分自身で何かを達成するのではなく、人の成果を上手に利用することだけに視点が向っている。
ああ!なんて立派な人たちなんだろう?!

人の成果からぶんどるのもその人の勝手ですが、「その姿を子供がどう見ているのか?」そんな視点がないのが、ダメダメ。
まあ、だから実際にダメダメ家庭なり地域が出来てしまうわけです。

それに、そんなにダメダメが板についてしまっているので、それこそボランティアをやっているような同類のダメダメが寄ってきて、「彼らにも事情があるんだ!」「彼らも被害者なんだ!」「だから、こんなことをするんだ!」「だから許してやろうよ!」と、そんなミジメな行為を弁護してしまう。
弁護するのはいいとして、そんな事態を改善しようとはしない。
だって、そんな弁護をするボランティアのような人が相手になってくれるのは、ミジメな行為をするダメダメ人間だけなんですね。
グチばかり言っているダメダメ人間が、心を改め自立してしまったら、ボランティアなんて真っ先に切り捨てられますよ。

現実的には、ダメダメ人間は、ボランティアの甘言を得て、ダメダメ街道を驀進してしまう。
そして、自分の親や周囲の大人たちのミジメな姿を見ていて、子供としては心理的にストレスとなってしまう。人に「たかっている」だけの大人を見ていたら、そんな大人を頼ることなんてできませんよ。かと言って、子供が、家庭の問題なり、地域の問題を何とかできるわけもない。
そもそも子供が何か言っても、被害者意識が強い大人たちは、逆上するばかり。
「うるさい!そもそもオマエが生まれたから、オレたちがこんなに苦労しているじゃないか?文句を言うな!」
「オマエを育てるために、こんなことをやっているんだぞ!ちょっとは感謝しろよ!」
そう言われてしまったら、子供としては何も言えないでしょ?
だから、子供としては、何も考えないという対処となってしまう。
何も考えないがゆえに、結局は、親がやっていた、ミジメな姿が、自身に身についてしまう。
多少は気を付けていても、ちょっとしたことで親譲りのミジメな姿を周囲にさらしてしまって、パニック状態。
だから、自分のダメダメさが「ふつう」となるような、地域全体がミジメなところに逃げ込んで、プレッシャーがかからないようにしようとする。
そうやって、尊厳とは無縁のミジメな姿も連鎖していくわけです。