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カテゴリー | 「入れ込み」「入れ込まれ」問題 | |
配信日 | 04年6月11日 | |
タイトル | 人に入れ込まれる | |
このメールマガジンにおいて、ダメダメ家庭出身者は「人に入れ込む」ことが多いと何回も書いています。ダメダメ家庭出身者は普段から「自分は理解されていない。」と思っているので、「この人は、ワタシのことを分かってくれる!」と思ってしまうと、その人に入れ込んでしまうことも多い。 では、どんな人に入れ込むの? 入れ込む対象は当然のこととして、「自分のことを分かってくれる」人ということになります。ダメダメ家庭出身者の感情を分かってくれる人ということで・・・・結局は「入れ込まれる」側の人もダメダメ家庭出身者なんですね。 そんな様相は、以前に書きましたがフランスの小説家のバルザックの小説「谷間のゆり」で、典型的に描かれています。ダメダメ家庭出身者の伯爵夫人アンリエットが、「私と同じことを言う人と初めて会ったわ!」と、ダメダメ家庭出身の青年フェリックスに入れ込んでしまう。 「私と同じことを言う人と初めて会ったわ!」って・・・身に覚えのある人も多いでしょ? まあ、お互いが理解しあえる関係を築くことができれば、お互いに幸福ですよね? しかし、このようなダメダメ家庭の「人に入れ込む」発想だと、上手くはいかない。入れ込む側の人は、多くの人とコミュニケーションが取れる中で、ダメダメ家庭の人とも仲良くなる・・・というわけではないんですね。マトモな人とのコミュニケーションが取れない状態の中で、ダメダメ家庭の人のみと話が通じる状態となっている。 これでは何がしかの事件も起きますよ。 だって、「入れ込んでいる」人は、今現在入れ込んでいる人を逃したら、「自分には後がない」状態なんですからね。これでは必死になりますよ。まるでスッポンのように食いつくことになってしまう。 おまけにダメダメ家庭出身者は妄想との親和性が高く、「恋に恋する」傾向が強い。だから、どうしても過激な行動になりがちです。 しかし、そのような過激に「入れ込まれた」側は、やっぱり鬱陶しくなるのは当然のこと。もうちょっと距離を置きたい・・・と思っても、相手は「入れ込んで」いる状態だし・・・ 一体どうしよう?困ったなぁ・・・ しかし、「人から入れ込まれて」しまって困っている状態の人も、元はと言えばダメダメ家庭出身者の人の気持ちを理解してあげて、その人から「私と同じことを言う人」という認定を受けたことに端を発している。 「入れ込む」人も、「入れ込まれる」人も、結局はダメダメ家庭出身者・・・当人たちの発想は、マトモ家庭出身者には理解できないでしょう。 入れ込みとは、相手を肯定したものではなく、むしろ、自分に対する否定的な感情が原因になっているもの。自分単独では自分を肯定できないので、誰かに自分を投影し、その投影した自分を肯定する形で、自分の価値なり意味を肯定しようとするわけです。 そして、そのためには、自分を美しく投影できることが必要になってくる。 あるいは、自分自身の一番重要な感情・・・たとえば疎外感なり被害者意識を相手に投影することになる。つまり、マイナスの面を投影するわけです。学業成績がいいとか、スポーツが上手とかのプラスの方向のキャラクターは、ダメダメ家庭の人間にしてみれば、中心的なものではない。あくまでマイナスのキャラクターを相手に投影するわけです。 単に自分のキャラクターを投影しているだけなので、外見的には「濃い友情」とか「熱烈な恋愛感情」に見えていても、相手そのものは見ていない。あくまで相手に映った自身の映像を見ているだけなんですね。 あるいは、投影された映像の「映り」が悪くなったら、ヘタをすれば相手を破壊するようなこともする。 だって、入れ込む側にしてみれば、投影された映像こそが主であって、投影先としての人間などはどうでもいいわけです。 だからこそ、自分をきれいに映しやすい対象と言える自分と同類の人間をターゲットとすることになる。 逆に言うと、そのようなダメダメ家庭出身の人間に入れ込まれている人間は、ダメダメ家庭の人間に限られてくると言えます。マトモ家庭の人間は、多少の付き合いはあっても、決して入れ込まれたりはしません。だってお互い共感なんて起きませんから。 自身を投影しようとしても、まったく違ったキャラクターだったら、きれいに映りませんよ。 まあ・・・身を持って体験した人も多いでしょう・・・ネ? マトモ家庭出身者はこのあたりの心情が理解できない。 だって「私と同じ事を言う人と初めて会ったわ!」というダメダメ家庭特有の心情は、マトモ家庭出身の人にはわからない心情なんですね。 だから、そのような入れ込みを、熱烈な友情とか、熱烈な恋愛感情とかに誤解してしまう。 だから、適切な対処ができないまま放置して、結局は大きな事件となってしまう。 よく話題になるストーカー問題も、このような「人に入れ込む」発想が肥大化したものなんですね。まさに自分を単独では肯定できないがゆえに、相手に自身を投影して、その「映像」に対してすがりついているわけです。 ちなみに"新しい”方の長崎県の事件ですが・・・ 実に微妙な話になってしまいますが、加害者の少女が典型的にダメダメ家庭の子供の発想をしていることは疑いもありませんが・・・ 被害者の少女も、どうして、そのようなダメダメ家庭の子供に「入れ込まれて」しまったのでしょうか? マトモ家庭の子供にしてみれば、ダメダメ家庭の子供の心情などは全く理解できないものです。犬と猫とが会話しているようなもの。共感なんて起こりようがないんですね。雑談したりケンカになることはあっても「入れ込まれる」ことは絶対にありません。 加害者の子供から「私と同じことを言う人」・・・もっと端的に言うと「自分と同じ苦しみを抱えている人」・・・そのような認定を受けてしまっていたからこその、事件なんですね。だからあのような残虐な行為になってしまうわけです。ただのケンカならあのようにはなりません。 「私のことを分かってくれる」認定を受け、次に「裏切り者!」認定を受けてしまった。 その挙句の事件なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 ダメダメ家庭とマトモ家庭の境界線なんてありませんが、典型的なダメダメ家庭ってありますよね? マトモ家庭の子供は、そのようなダメダメ家庭の子供と遊んだりしても、別に「深い」付き合いになったりはしないんですね。 逆にダメダメ家庭の子供と「深い」付き合いになってしまっているのでしたら、その家庭もやっぱり同じようなダメダメ家庭と言えるわけです。 悪い友人と付き合うからダメになるんじゃなくて、ダメだから悪い友人と深く付き合うようになるわけ。 |
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R.11/1/5 |