トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る | 似て非なるものに関するトピックスの目次へ |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ | リーダース・チョイスのトップに戻る |
カテゴリー | ダメダメ家庭の金銭感覚 | |
配信日 | 04年11月26日 (10年8月1日 記述を追加) | |
タイトル | お金の使い方を教える | |
ダメダメ家庭の人間は、会話ができないので、経済的に豊かになれないことが多くあります。人生において様々なチャレンジした後で、期待した結果が得られず、貧乏になってしまった場合はしょうがない。 しかし、経済的に恵まれていない環境だと、子供が習得できないこともあるわけです。 もともとの環境が単なる出発点の問題だけでなく、チャレンジの際の手段の幅として影響を与えてしまうわけ。 今回は、そのうちのひとつとして、「お金の使い方」を取り上げます。 「お金の使い方」は、やっぱり、実際にお金を使うことで上達するわけ。頭の中で訓練していても上達はしないでしょ?貧乏だと、「お金の使い方」の実地訓練ができませんものね。 だから貧乏な人ほど、わけわからないものを購入したりするんですね。 よく繁華街などで、フランスの絵画?などを販売しているお店がありますよね?絵葉書などを配ったりしていて・・・あとイルカの絵とか・・・ 数年前、たまたま時間があったので、そのような店に入ったことがあります。ケバい販売員が私に説明してくれました。「この画家はレジオン・ドヌール勲章をもらっているんですよ!」 自慢じゃあ、ありませんが、私は美術館にあるような絵は見れば作者がわかるので(主だった西洋の画家200人程度ですが)そんな素人臭い絵をニヤニヤと笑っていただけですが・・・ 全く不思議なのは、あんな程度の低い絵?を、50万円以上出して購入する人がいることですね。 ダメダメ家庭では子供は審美眼が習得しにくいことは以前に配信しております。「美しいもの」と接する体験が少ないので、どうしてもマトモな審美眼が身に付かないわけです。だからあんな派手なイルカの絵を「美しい!」などと思ってしまうんでしょうね。 あと、ダメダメ家庭は権威主義であることについての文章も以前に配信しております。権威者のお墨付きを何かと重視するわけです。 ですから、そのような得体のしれない絵?を扱うお店も「レジオン・ドヌール勲章」などと芸術とはあまり関係ない権威で、売りつけようというわけでしょう。 それにダメダメ家庭出身者は会話ができませんからね。店員から勧められると、断ることができないんでしょう。 それに、これも以前に配信いたしましたが、ダメダメ家庭の人間は「おだてに弱い」わけ。普段は、人から誉められることがないので、人から誉められたりすると舞い上がってしまうわけ。 まあ、その手の画廊?も、ダメダメ家庭の人間の特色をよくわかっているんでしょうね。 それなりの審美眼があると、「いい絵」なのか?「しょーもない絵」なのかはスグにわかります。しかし、たとえ芸術的な審美眼がなくっても、あんな絵を、あんなお店で買う人はダメダメですね。 そもそも、絵を好きでないのなら、高いお金を出して絵を買ったらバカ。 絵が好きなのなら、美術館にちゃんとした絵を見に行った方が安い。 絵に興味のあるのなら、「西洋美術入門」とかの本を、¥5000くらいで購入して勉強することが先決でしょ? それに50万円あればヨーロッパの美術館にも行けますよね?どうせなら本物を見た方がいいでしょ? それに50万の品物を買うに当たって、まずお店選びということをしなくてはダメでしょ?店員の資質とか、応対とか、知識とか、言葉使いとか、勿論のこととして、店構えなども・・・ 何も「絵」の購入に限らず、買い物に当たっての基本的判断ってありますよね? しかし、このような判断は、「お金の使い方」を知っていることが前提になるんですね。 本を買ったり、美術館に行ったりしているから、様々な判断が可能になるわけ。 また、様々な買い物をしているから、お店選びもできるようになる。 質素倹約という名目の下に、ダメダメ家庭では、子供が「お金の使い方」を知らないことが多くあります。ダメダメな親は、むしろそのことを賛美したりするわけ。「私の子供はお金の使い方を知らない。だから将来は、お金が貯まるだろう。」「自分の子供にお金の使い方を教えなかった私は、何といい親なんだ?!」 しかし、そんな「お金の使い方」を知らない子供が、お金が貯まる大人にはならないわけです。それこそ、わけのわからないことにお金を使ったり、必要なお金までケチってしまって、後でとんでもない出費をするハメになるんですね。ダメダメな相手と結婚をしたりして、とんでもない事態に陥ったりするわけ。そうして大出費となってしまう。 それに「お金の使い方」を知らない人は・・・一般的に収入が低いことが通例です。 必要なことにもお金をケチったりするので、人との付き合いも広がらないし、情報も集まらないわけ。 ムダなことにはお金を使わない。必要なことにはお金を惜しまない。 お金の使い方って、本来はそれが理想でしょ? ムダ使いというのは、「正しくないお金の使い方」ですよね?だからムダ使いをしないためには「正しいお金の使い方」を知っていないとダメなんですね。お金の使い方全般を全然知らない場合は、何がムダ使いなのかもわからないわけ。 だから子供時代に、「お金の使い方」をマスターしていない人間は、結局は、お金が貯まらないことになる。とんでもないムダ使いをしてしまうわけです。たとえば、最初に挙げたイルカの絵なども、本当にリッチな人は買わないでしょ?あれは貧乏人しか買いませんよね?そんな買い物をしないように自分の子供を育てるのが、親の務めでしょ?しかし、ダメダメ家庭では親は子供に対し、質素倹約を言い渡すだけで、上手なお金の使い方は教えられないわけです。 これは経済的に豊かでないダメダメ家庭では顕著ですが、経済的に恵まれているダメダメ家庭でも発生するケースもあります。 子供が何か購入したときに、親が子供の買い物について適切にアドヴァイスをしたりすることがないので、子供が何か購入する際のチェックポイントが身につかないわけ。子供のみで試行錯誤するしかないわけです。 度々取り上げております、ライブドアの堀江社長ですが・・・ ダメダメ家庭出身者の典型的スタイルを存分に示していて参考になります。 彼も「お金の使い方」を知らない人の典型ですね。 ギャンブルに使ったり、女性に使ったり・・・ もうちょっとマシなことにお金を使えばいいのに・・・ しかし、出身家庭で「正しい」お金の使い方を学んでこなかったので、いたし方がないのでしょうね。お金の使い方を子供の頃に学んでこなかった人は、大人になって得たお金の使い方がいかにもヘンテコなことが多くあったりするんですね。まあ、よく言う物言いですと成金なる言葉があるでしょ? 堀江さんのような、ギャンブルとか、女性に対してお金を使っても、それが文化的な蓄積にならないのでは? 本当の「遊び」って、もっと、単純な道楽に近いものなのでは?別の言い方をすると、子供っぽいものなのでは? 昔の映画で「山猫」という映画があります。監督はイタリアのルキノ・ヴィスコンティ。その中の自己責任に関するセリフを、民主党の小沢さんが著書で引用しているので、ご存知の方もいらっしゃるかも? 小沢さんが引用しているセリフとは別にもおもしろいセリフがあります。アラン・ドロン演じるタンクレディという貴族の若者の父親について語られます。タンクレディの叔父であるサリーナ公爵は、甥のタンクレディをかわいがる。そして「タンクレディの父親は、道楽に金を使って、資産を失ってしまった・・・しかし、その道楽ゆえに、その子供であるタンクレディがこんなに魅力的になったんだろうな・・・」などと語るわけ。 人は、遊びを知らないと、やっぱり魅力的にはならない。 「お金の使い方」だって、長い目で見て考えることが必要になるもの。長い目で見て当人に役に立つような支出にすることが必要でしょ? そのためには、洞察力なり、教養がある人が周囲にいないと、「お金の支出の適切性」について判断できないでしょ? 自分の周囲の人のレヴェルを上げるためにも、まずは当人自身として、ある程度は適切にお金を使えるようにならないとダメなんですね。 しかし、ダメダメ家庭では、「お金を使わない」美徳を繰り返すばかりで、適切にお金を使うようにはできないわけ。 そんな環境で育った子供は、親から適切なお金の使い方をマスターできないだけでなく、周辺の人物からもそんな情報は得られない。 ダメダメな人は、グチばかり言っているので、周囲の人間も、そんなグチに共鳴するような人間が集まってきてしまう。 親がダメダメなら、基本的には周囲もダメダメだし、たとえマトモな人が近所にいたとしても、そんなマトモな人と、ダメダメな親はやり取りをしないわけ。 だから、ダメダメ家庭で育った子供としては、出発点が低いというだけでなく、マトモな参考事例も知らないわけ。 「あの○○さんのご家庭の姿を参考にして、自分も家庭を運営していこう!」そのようにはならない。 適切な具体的な目標があれば、それを取り入れるだけだから、ラクでしょ? しかし、具体的な参考事例がないと、自分としてどのように努力していいのかすらわからないじゃないの? その家庭がダメダメであるほど、周囲のレヴェルも低く、実際の参考事例も見当たらない。 その家庭がマトモな家庭だったら、周囲にマトモな人が多く、現実の参考事例も豊富。 このようなことは、お金の使い方の問題だけでなく、ダメダメ家庭の周辺では常に発生していること。 適切な具体的な事例を見つけるためにも、そんな実家から相当程度まで距離を取る必要があるわけです。 ちなみに、このメールマガジンのために?先日、繁華街で絵はがきを配って勧誘している「画廊?」に、突撃潜入しました。 ちょっとその潜入レポートを書いてみます。 1.絵葉書を受け取って、中に入って行く。私はその際に「買う気は全然ありませんから・・・」と念押し。お店の人は「いいですよ〜」と了解。店に入ると、名前を書くように求められる。 これは多分、来店者の手を見ているのでは?あるいは字を書き慣れているかどうか?とか・・・まあ、手を見ると職業もわかるでしょうしね。 2.ざっと店内を見て、「気に入った絵がありますか?」と尋ねられる。私は「どれもパッとしないね。いいのはありません。」。店員「では、一番いいのは?」私「あれかな?けど気に入っているわけではない。あってもジャマにならないと言ったレヴェル。」と回答。 3.店員より、その絵についての説明を聞かされる。そしてシルクスクリーンという技法についての説明。また作者についての説明あり。作者は「天才として評価されている!」んだそう。店員はその作者が特に大好きなんだそう。ちなみに絵の価格は100万円以上。 4.私が「では、この作者さんの絵はどこの美術館にあるの?」と質問。店員は「えーとぉー、ちょっと覚えていません。」で逃げる。 5.今度はその絵を部屋の片隅のところにもって行く。これは店員が大きな声を上げることができるようにするためでは? 6.先ほどと同じ話を聞かされる。私も面倒になってきたので、ちょっとレアな画家の名前など出して、「実は私は美術にそこそこ詳しい。」というニュアンスをにじませたりしましたが、その辺りは読み取れない人のようでした。店員さんは画家の名前もあまり知らないのでは? 7.店員はそれでもしつこく薦め続ける。私は「絵というものは人との相性があるでしょ?相性が合わないものを買う意味があるの?私はこの絵が気に入りません。無料でもいらない。」と言うと、店員さんは「分割で買うと1ヶ月2万円です。」と回答。 8.私は「無料でも要らないんだし・・・そもそも絵を買うのなら、もっといっぱい別のお店を見て、もっと多くの絵を見た後で決定しますよ。」と回答。すると店員は「今ここで決定してください。即決でないとダメです。」と大きな声。 9.私からは「そもそも買う気はないって最初から言っていたじゃないの?それに即決ということなら簡単。この絵はいりません。」 10.すると店員が「いえ!あなたはこの絵が好きです!買ってください!!」 サスガにこの辺りに来るとヤバイと思ったのか、別の店員が間に入って、結局は、私は解放されることになりました。 私は法律はよくわかりませんので、「買う気は全然ない。」と言っている人間を引き止めて「今ここで買ってください!」と、しつこく勧誘することが合法的なのかはわかりません。 しかし、100万を超える価格のものを販売するのに、即決以外は認めないという商売のスタイルは、カタギではありませんよね? それに「大好きな画家」と言っているわりには、どこの美術館に収蔵されているのか答えられない店員のレヴェル。まあ、美術館には置いていない作者だから、「忘れた」とごまかしたのでしょうが・・・ この手のお店で絵を買ってしまったという『被害者』の方もいらっしゃるでしょうが、売っているお店はカタギとは言えないように、こんなところで絵などを買ったりする人もダメダメですよ。 そもそも、ちゃんとしたお店なら、まずは、リピーターを相手にするでしょ?特に美術品ならそう。絵葉書を配っているということはリピーターがいないということですよね?そんなお店から高額の品を買ったらバカですよ。 まあ、あの手のお店は「都会のワンダーランド」というか「お化け屋敷」のようなもの。わかって付き合えばスリルがあって楽しめたりするわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 今回の、「行動するメルマガ発行者?」の私の突撃レポートはどうでした? まあ、今後はこのような突撃レポートはないと思いますが・・・ 今後なくなるというと、NHKの「青春メッセージ」なる番組がなくなるそうです。といっても私はそんな番組は知りませんが・・・弁論大会のようなものらしい。 なんでも「今の若者のスタイルに合せた番組に変更」とか・・・ しかし、年齢的に若い人間が自分自身を「自分たちは若者!」って言うのかな?私はそれが不思議。 「若者」って言葉は年寄りしか使わないと思うけど・・・ まあ、これってダメダメ家庭の親の常套句の「普通」と同じですよね? 普通の人は、「私は普通だ!」なんて言いませんからね。 そういえば、茨城県で28歳の「若者」が両親と姉を殺したそうですが・・・ あと、先日やっぱり茨城県で19歳の「若者」が親を殺しましたね。 このメールマガジンを発行してもうかなりになりますが、この手の事件は実に多い。よくあるケースは今回の事件のように、親が教員だったり、公務員だったりのケースです。 実際に多いでしょ? 教員とか公務員は「立場」で仕事ができるわけ。だから人の話を聞かなくてもいい。そんな習慣で家庭内も押し切ってしまうので、子供も「自分の話を聞いてもらっていない。」と親に対して不満を感じながら成長するわけ。 これでは子供はマトモには育ちませんよね? しかし、子供と会話をしてこなかった親には、子供の不満の理由もわからないし、会話そのものの能力もない状態。だからいつものように「正論」を子供に押し付けるだけ。 こうなるとますます子供も荒れちゃって・・・ 今回の事件のようになっちゃうわけです。 以前にも大阪でありましたよね?結局どうなっちゃったのかな? まあ、今回は無関係な子供を殺傷したわけでなし・・・ 今回の事件は自分の子育ての失敗の結果なのだから、まさに自己責任ですよ。折角、典型的な事例がまた起こったのですから、その失敗を他山の石としないとね。 あと、茨城県ということもあるのかな? 茨城県の知事さんも、国から税金をふんだくることを考えてばかりいるから、県民の心が貧しくなっちゃったのでしょうね。茨城県の電車に乗ったとき、禁煙車なのに多くの制服の高校生がタバコを吸っているのには、びっくりしたことがあります。 「国から税金をふんだくってやったわい。これでワシらもラクできるわい。ウッシッシ・・・」なんて大人がほくそえんでいるから、子供の心が貧しくなっちゃったんですよ。 |
||
R.10/8/1 |