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カテゴリー | ダメダメ家庭にないもの | |
配信日 | 04年11月29日 | |
タイトル | ハメをはずさない | |
世界の多くの国のうちで、いい国と上手く行っていない国はどんな点で見分けるの? まあ、よくある言い方で「わが国には偉大な歴史がある。だからいい国だ!」そんな物言いがあります。 まあ、偉大な歴史があるに越したことはありませせんが、今の時代において生きている人が幸福であることが大前提でしょ?歴史上の4大文明のエジプト,メソポタミア,インド,中国・・・それにギリシャも、今現在はパっとしない。 確かに昔はよかったのかもしれませんが、今となってはねぇ・・・ 以前にもちょっと書きましたが、「オレは小学校の時は優秀だったんだ!クラス委員だったんだぞ!」なんて昔の自慢話をするのは、ショボイオヤジに決まっていますよね? 国だって同じですよ。 いい国か、よくない国かを見分けるのは「人の移動」を見れば一発でわかります。 「よそから人が流入してくる国」は、いい国。 「国民が出て行ってしまう国」は、よくない国。 まあ、これを数値的に検証すれば「いい国」や「悪い国」の判断も、文句のつけようがありませんよね? よそから人が流入してくる国というと、やっぱりアメリカでしょう。アメリカは経済的に発達していますから、当然といえば当然のこと。 しかし、意外なところではブラジルという国もあります。 ブラジルへ人はまだまだ入ってくるけど、人は流出しない。 出稼ぎでブラジルから出て行っても、稼いだ後はまたブラジルに戻ってくる。 日本が景気のいいときは、ブラジル人の労働者が日本で働いていましたが、お金を稼いだ後は、結局は、さっさとブラジルに帰国してしまいました。 経済的な面では、日本とブラジルでは格段の差があるわけですが、それだけブラジルが住みやすいところなんでしょうね。 お金の面で問題があっても、気持ち的に楽しい方がいいに決まっていますよね? ブラジルというと、リオデジャネイロのカーニヴァルが有名です。まあ、街中がバカやっている状態のようです。お世辞にも建設的とか生産的とは言えませんよ。 しかし、あのようなハメを外したおバカな時間って、人間には必要だったりします。いつもバカやっていたら大問題ですが、たまには必要なんですね。 20世紀のフランスの哲学者にジョルジュ・バタイユ(1897〜1962)という人がいます。彼は「蕩尽」(「消尽」と言ったりもします。)ということをいいました。「人間はコツコツと建設的で生産的なことをすることよりも、ドッカーンと使い尽くすことに、生きている実感を得るもの。」と言った考えです。私は哲学者ではありませんので、理解に若干の乱暴な面があると思いますが・・・ まあ、「蕩尽」なんて小難しいことばを使わなくても、ドッカーンとムダ使いした後は、ちょっと後悔すると同時に、なんかさっぱりした気分になったりしますよね? 一種の生まれ変わりの体験とでも言いましょうか? ブラジルのリオのカーニヴァルだって、そんな蕩尽の一種なんでしょう。そうやって使い尽くすことによって、生きている実感とか人生の生まれ変わりが味わえれば、そりゃ楽しいでしょうね。 だからそんなドッカーンといった感じのお祭りって、世界中に結構あったりするでしょ?トマトの投げ合いのお祭りとか・・・テレビでやっていたりしますよね? まあ、勿体無いことは確かですが・・・ しかし、人間はドッカーンといった感じの時間がないと、生きている実感が味わえなかったりするんですね。コツコツと質素倹約だけで、生産活動の日々では息が詰まってしまうでしょ? このメールマガジンの読者の方も、たまにはハメを外したりするでしょ? しかし、ダメダメ家庭というものは、そのようなハメを外したりすることはほとんどない。以前にも配信いたしましたが、何をやるにも「費用対効果」などの考えを持ち出したりする。「それをやったらいくら儲かるのか?」「何がメリットがあるのか?」「そんなムダ使いは許さん!」 と言うことで、毎日毎日コツコツとした生活が延々と続くことになってしまう。 それにそのような質素倹約の生活は、周囲からは高い評価を受けたりするもの。 「あらまあ!ムダ使いしなくて立派ねぇ・・・」 しかし、第2次大戦中の日本では「欲しがりません。勝つまでは!」「贅沢は敵だ!」などと質素倹約を奨励されていましたが、結局は戦争という途方もないムダ使いをやっていたわけでしょ? 戦争に比べれば、トマトの投げ合いなんて大したことないじゃないの? そう!人間って、たまにはそんなバカみたいなお祭り騒ぎをしないと、全然別のムダ使いに走ってしまうんですね。 まあ、ブラジルのように酒飲んで、歌をうたって、お祭りして・・・と対極にある世界があります。 イスラム世界です。 イスラム世界は飲酒が禁じられています。確か歌舞音曲もダメですよね?イスラム世界のお祭りって何があるの?まあ、神殿へのお参りがあるようですが・・・楽しくなさそう・・・ 酒も飲まないで、歌も歌わないで、お祭りもしないで、ひたすら「アメリカが憎い!」と悶々としていたら、そりゃ自爆テロもしますよ。 だって、自爆テロこそが「蕩尽」・・・ドッカーンと使い尽くすことそのものでしょ?自分の命を『蕩尽』しているわけです。まあ、自爆テロこそが彼らにとっての唯一の「生きている実感」を得る手段なんですね。逆説的な物言いになってしまいますが、実際にそうでしょ? ただ、第2次大戦中の日本だって、特攻隊があったわけですから、質素倹約をさせることによって、ドッカーンと自爆させるのは、ありがちな方法を言えるわけです。 ダメダメ家庭では、「ハメを外してバカ騒ぎ」とは無縁。 だから「生きている実感」が希薄になってしまう。学校でチマチマ勉強して、家では親のグチを聞かされ続けている状態で、「生きている実感」なんてどうやって味わうの? ダメダメ家庭ではお祭り騒ぎなんて無縁。まあ、たとえお祭りに参加しても「家庭の世間体のため」という使命を帯びての参加となってしまう。とてもじゃないけどバカをやっている余裕なんてない。 お酒を飲むといっても・・・子供が飲めるわけもなく・・・家庭内で誰かが飲んで、勝手にその人がリラックスしているだけ。その他の人は戦々恐々の状態。 それこそ家族でどこかに遊びに行くようなことになっても、そのようなお出かけにも使命があったりする。夏休みの作文のお題のため・・・と言った明確な使命がある。 とてもじゃないけどバカにはなれない。 おまけにそんなお出かけから帰ったりしたら、「あ〜あ、疲れた、疲れた。やっぱり家だと気を使わなくて済むから一番ね!」とのお言葉が親からあったりする。しかし、そんな聞かされる子供としては『アンタは家でリラックスしているのかもしれないけど、ワタシは家ではリラックスできないだけどなぁ・・・』と途方に暮れるだけ。 何もハメを外してバカをやるなんて、お金がかかるものばかりではないわけで・・・ どこかのカラオケで家族でワイワイやるだけでも、それなりにハメをはずしていることでしょ?もちろん、その前提として、家族の仲が悪くなければの話ですが・・・一旦家族の仲が悪くなってしまったら、カラオケくらいでは修復はできないでしょう。 「私たちは、いつも質素で堅実な毎日です。」そんな状態は、基本的にはいいことなんでしょうが、ダメダメ家庭では本当に毎日がその調子で、ハメを外してバカをやる・・・そんな時間が全然ないわけです。 だからどうしても、どこかで、ドッカーンと爆発してしまうことになる。 まあ、先日の茨城県の事件とかも、そんな感じもあるのでは? ちなみに、前回はお金のムダ使いの話でした。 ダメダメ家庭では、子供に対しお金の有効な使い方を教えないという内容でした。 今回の内容と矛盾しているのでは?とお考えの方もあるかと思いますが・・・ 「ムダ使い」も、それがムダ使いであるとわかってやっていればいいわけです。 ムダをムダとして楽しんでいれば、OK! ダメダメ家庭では、全く役にたたないのに、「これは○○の役に立つ・・・」なんて理由を付けたがることになる。 ヘンに「役に立つ」という大義名分を背負ってしまっているので、それを有効活用しなくては・・・などと考えてしまって、家族の重荷になったりする。 それよりは、「ムダをムダとして楽しんだ」方が『建設的』でしょ? 重要なことは「遊ぶときは遊び」「働くときは働き」「学ぶときはしっかり学ぶ」そういうことでしょ?メリハリが重要なんですね。しかし、ダメダメ家庭ではこのメリハリというものがない。 まさに、「変わりばえのない」「な〜んとなく」の「ふつう」の日々が延々と続くだけ。 だから、子供がドッカーンとやっちゃうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 オランダで画家のゴッホの遠縁の映画監督さんが、イスラム教徒に暗殺されたそうです。イスラム社会の女性への弾圧を非難した映画を作ったら殺されてしまったそう。 自分に反対するものはテロで封殺というのが、イスラムのスタイルなんでしょうね。私もそのうち殺されちゃうかな? イスラム教は歴史的に暗殺が好きな人たちなんですね。 十字軍の時でも、イスラム教徒は、暗殺者に麻薬を使って、恐怖心を取り除いて、キリスト教徒を暗殺しに行かせました。だから英語で暗殺者は「assassin」で、この言葉は麻薬「hashish」から来ています。 常に自分たちの被害者意識を焚き付けることによって、相手への憎しみを駆り立てる手法など、イスラム教が確立したテロの文化?は、ある意味見事なもの。 自爆テロだって、ブラジル人がやったら大事件でしょうが、イスラム教徒は昔からそんなことをやり続けてきたわけ。珍しくも何ともないんですね。 しかし、そんな女性を弾圧するイスラム教にシンパシーを寄せる女性もいたりするわけ。日本でもその種の女性がいましたよね? それって、イスラム教徒が持っている被害者意識に妙に同調しちゃうんでしょうね。 しかし、何回も書いていますが、被疑者意識は「自分のやるべきこと」を確実にやっていない人間が持つわけです。 被害者意識だけの人間が集まって、「悪いのは全部○○のせいだ!」と盛り上がる。 本人たちは勝手でしょうが、イスラムで不自由を強いられている女性たちのことをちょっとは考えてみたら?と思ったりします。 全く同じことが朝鮮半島の問題でも言えるわけですが・・・ |
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R.11/1/4 |