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カテゴリー | ダメダメ家庭の顔 |
配信日 | 07年2月20日 (10年6月5日 記述を追加,11年2月5日 一部分を分離) |
タイトル | 生気のない顔 |
追記 | 元の文章から「感情と表情」という部分を分離独立。 |
ダメダメ家庭なり、ダメダメな集団と言うものは、自分自身の問題と真剣に向き合ったりしない。何か不都合なことがあると、新参者にその問題の原因を押し付けて、「自分たちはアイツが来たことによる被害者だ!」と被害者意識に浸ってしまう・・・このことは以前に配信いたしました。 この新参者は、何も人間とは限らず、たとえば、インターネットとか、その前は音楽のロックだったりと、とりあえず目立つものが選定されることになる。 そもそも、現実としっかり向き合うことから逃避したり、問題点について考察することからの逃避としての犯人認定行為なんだから、とにもかくにもスケープゴートがほしいだけなんですね。 犯人探しに明け暮れるようなダメダメ家庭において、問題の原因としての役割を押し付けられてしまう新参者は、それが人間となってしまう場合には、往々にして「嫁」だったり、「子供」だったりするもの。この手のダメダメ家庭は封建的な面を強く持っているので、男尊女卑の雰囲気があったりして、女性が犯人として認定されやすい。だから、同じ子供でも女の子が狙われてしまう。それに、犯人認定行為をする人は、「どうしてその人が犯人と言えるのか?」という点について説明するのができないので、「自分に対して反論してこない存在」を犯人認定しようとする。まあ、男性よりも、女性の方が反論してこないことが多い。 あるいは、よく虐待事件で出てきたりするシチュエーションである、同居している「相手」の連れ子なんて、この理屈からすると、ドンピシャでしょ? いったん、犯人認定されてしまうと、普段から、「この家庭が上手く行かない犯人」とされてしまい、まさに諸悪の根源扱いとなってしまう。ちょっとのことで、「また、オマエのせいで、迷惑を受けた!」と怒られることになる。だから、犯人とされてしまっている人間は、日頃から周囲に対して気をつける必要がある。 それこそ、楽しそうな表情をしていたら、家族からどう言われちゃうの? 「ヘラヘラと笑っていて・・・全く・・・アンタは気楽でいいねぇ・・・コッチはアンタのために苦労ばかり!」 「いったい、誰のためにこんな苦労をしているのか、分かっているのかしら?」 そう言われちゃうでしょ? とてもじゃないけど、朗らかな表情をしているわけにはいきませんよ。 かと言って、困った表情をしていると、どう言われちゃうのでしょうか? 「全く・・・辛気臭い顔して!コッチまで気が滅入って来るじゃないの!」 「ちょっとは、周りのことも考えてほしいものだわ!」 「いったい、誰のためにワタシたちがこんな苦労をしているのか、分かっているの?!」 と、やっぱりイヤミを言われるだけ。 結局のところ、どうすればいいの? 朗らかな表情でも、文句を言われ、苦虫を噛み潰した表情でも、文句を言われるわけでしょ? もうこうなると、表情が判らない・・・生気そのものが抜けたような顔になるしかないでしょ? 逆に言うと、「あの人・・・どうも生気がない顔をしているなぁ・・・」と思われる人は、その家庭において、自己表現が閉ざされていることが推測できるわけです。 ちょっとでも自己表現をすると、叩かれる。 ちょっとでも感情を見せると、文句を言われる。 いわば「出る杭は、打たれる」状態となっているんですね。 子供の表情を見るだけで、どんな役割を子供に対して「要求している」家庭なのか分かったりするもの。生気のない顔をしているということは、感情を抑圧することを求めている家庭ということなんですね。 ダメダメ家庭の、特に女の子において、このような生気のない顔になってしまう例があったりします。 それだけ、子供の頃から周囲に気を配っているわけです。自分の周囲に波風が立たないように配慮する。そして自分の感情を読まれないように配慮する。そして自分の感情そのものを抑圧する。そんな習慣だったわけです。 そんなことをしていると、精神的に疲れちゃうでしょ?だから、ますます顔から生気が抜けてしまうことになる。 このような生気のない顔の周囲には、以前に書いた「不満いっぱいの顔」がいるもの。 日頃から不平不満を語っていて、「アイツのせいでうまくいかない!」と誰かを恨んでいる。 そんな人の身近にいる子供は、その不満を一身に浴びて生気が抜けてしまったわけです。 逆に言うと、生気のない顔の子供と、不満いっぱいの顔の親の組み合わせだったら、もはやダメダメ家庭のレヴェルを超えて、フィジカルな虐待の可能性も見えてくるわけです。 それこそ、以前に、秋田県で、自分の息子や、近所の子供を殺害した女性がいましたが、あの女性の顔は不満いっぱいの顔だったでしょ?そして、たぶん、殺された息子さんは、生気のない顔だったのでは? 個人の顔だけでなく、顔の組み合わせからも、その家庭について見えてくるものなんですね。 あるいは、前に書いている封建的なジジババがいる家庭だと、まさにそのジジババが不満いっぱいの顔だったりするでしょ? そして、その不満いっぱいの顔のジジババの周囲には、そんなジジババに媚びを売るようなボランティア顔の人がいたりするもの。 つまり、「おべっか」や「おべんちゃら」を求め、真実と向き合っていない状況も見えてくるわけです。 そんな顔の組み合わせだと、まさに威張っている人間が、不満を語り、周囲のおべんちゃら人間がそれに同調し、結局は、新参者への締め付けがますます強くなってしまい、カタストロフに至ることになってしまう。 ちなみに、生気のない顔というと、日本で一番身分の高い女性が、その典型と言えるでしょう。まあ、あの方も随分と大変なんでしょうね。 あの女性は、好き好んで、あの家庭に嫁に行ったわけですから、それは本人の選択の結果と言えるでしょう。しかし、そんな状態を放置するから、次なる新参者が病気になっちゃうんでしょ? まあ、いとやんごとない家庭は、一般人には関係ない話といえます。しかし、そこに見えるダメダメ家庭の特質は一般人にも結構参考になるわけです。ダメダメ家庭というものは、内科的な方法では改善できません。だって、問題が起こっても、その問題の原因を、自分たちとは「もっとも薄い」関係にある新参者に原因を押し付けてしまうので、本質的なものは何も変わらないんですね。 その家庭に生気のない顔の人がいたら、その人が、その家庭の問題の原因を一手に背負わされていると見ることができます。そんな家庭に新たに入ったりすると、次に生気のない顔になるのは、新しく入ってしまった当人なんですね。 ちなみに、なんでも、とあるオーストラリア人のジャーナリストが「プリンセス・マサコ」という本を出版したそうです。宮内庁が皇太子妃の雅子さんをいじめているという話らしい。 このメールマガジンでは、以前に皇后の美智子さんが宮内庁からイジメられているシーンを書いています。この私がコンサートホールで目撃しました。目の前で肉眼で見たんだから、議論の余地なしですよ。 皇后さんもあんなにイジメられているんだから、皇太子妃も当然のこととしてイジメられていますよ。というか、あんなに生気のない顔だったり、鬱病になって「ワタシは幸せよ!」も何もないでしょ? しかし、宮内庁も、オーストラリアのジャーナリストから問題を指摘されると、「そんなことはないっ!」と逆上するって・・・イジメ自殺が起こった学校の関係者と全く同じ対応というか、私のメールマガジンに対し逆上メールを送ってくるダメダメ人間と同じというか・・・まあ、ダメダメのお約束なんでしょうね。 つまりダメダメと言うものは、どんなところでも起こっているわけですし、ある意味において、共通性も多いわけです。 まあ、皇室に関係のある購読者さんは、たぶん、いないでしょうが、あの手の封建的な家庭が近くにある方はいらっしゃるでしょ?そのような封建的な家庭の、お嫁さんなり、女の子って、あんな生気のない顔のケースが多いですよね? 往々にして、そんな封建的な家庭のジジババは、ボランティア活動などをやっていたりするもの。だから、そんな家庭は、いわゆる「立派な家庭」と評価されたりする。 しかし、ボランティア活動をやっても、自分のもっとも身近な人間の生気はない・・・封建的なダメダメ家庭って、身分の差はあれど、そんなところがあるでしょ? そうして「ワタシたちはこんなに立派なのに、あの人が来たせいで・・・」と周囲にグチることになる。ダメダメ家庭の周囲には、同じような被害者意識が強いダメダメ家庭の連中が多いので、そんな被害話に大いに盛り上がってしまう。そして『まったく・・・アナタも大変ねぇ・・・あの人には困ったものだわ!』とグチの共鳴。周囲がこれでは、ますます生気がなくなりますよ。 ちなみに、私は、制度としての皇室問題を議論するつもりはありませんヨ。 一人の人間としての、あるいは一人の女性としての幸福について考えているだけです。 幸福な人は、幸福な顔をしていますよ。そのオーストラリア人ジャーナリストの著作がトンチンカンだというのなら、宮内庁の反論よりも、幸福そうな表情が何よりも雄弁な反論になるものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 本文中でも取り上げましたが、「プリンセス・マサコ」という本に関わる問題は、ダメダメ家庭を考えるに際し典型的な事例と言えますね。 内容に反論したいのなら、余裕を持った堂々とした態度で反論すればいい話。 感情的に逆上すること自体が、その記述の「正確性」を証明しているわけでしょ? 児童虐待の疑いのある家庭を訪問したら「うるさいっ!オレは虐待なんてやっていないぞ!帰ってくれっ!あまりしつこいとブン殴るぞ!」と言われるようなもの。 まあ、そんな宮内庁の次期長官は、あの柳澤大臣が最適任でしょうねぇ・・・ 彼以上の人材はいませんよ。その識見は宮内庁に最適。 まあ、野党の方々もこれくらい、わさびの効いたセリフでも言えばおもしろいのに・・・ ちなみに、次回は、とある映画を取り上げます。 大昔の恐怖映画です。恐怖映画といっても、私の文章を読むと笑えると思っています。まあ、笑いといっても苦笑いの類です。 ご興味がありましたら、次回もよろしく。 |
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R.11/2/5 |