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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 09年2月16日 (10年8月27日 記述を追加)
タイトル 自己の欠点の投影
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
何か自分で達成したい目標があるわけではないし、自分の問題を自分で解決しようなんて、思っていない。
だから何も達成することはできずに、自分に自信がない。だからコンプレックスが強くなってしまう。
だから、いつも自己逃避。

そんな人が、勝手に自己逃避していれば、物事はカンタンなんですが、そうは問屋はおろさない。
そもそも日頃から自己逃避していれば、うまく行くわけもなく・・・結局はトラブルになってしまう。トラブルにまではならなくても、周囲の人からの視線も厳しい。
そうなると、持ち前の被害者意識が爆発し、「アイツのせいで!」と、誰かを犯人認定して、その人を恨むばかり。

まあ、この流れは、このメールマガジンでは、定石の流れとなっています。しかし、現実にそうなんだから、しょうがない。

周囲の誰かを「アイツのせいで・・・ワタシはうまく行かないんだ!」なんて犯人認定するのはともかく、現実的には、ダメダメ家庭の当人が一番ダメダメ。ダメダメな人から犯人認定された周囲の人は、当人よりも、まだマトモ。
一番ダメダメな人が、周囲のマトモな人を、「アイツのダメダメのせいで・・・」と恨んでいる・・・いささか珍妙ですが、そんなシーンはポピュラーでしょ?

じゃあ、その「アイツのダメダメのせいで・・・」と思うのはいいとして、具体的にどんな感じのダメダメなの?ダメダメでも色々とありますよ。どんなダメダメが選定されるの?

そのような状況になると、ダメダメな人間は、自分自身のダメダメな要素を他の人間に投影するものなんですね。
周囲から嫌われている人その人自身が、「アイツは周囲から嫌われている!」と主張したり、
周囲に迷惑をかけている人その人自身が、「アイツは周囲に迷惑ばかりかけている!」と言い出したり、
あるいは、やたら残虐な行為をする人自身が、「アイツの残虐行為のせいで・・・」と言ったり、
差別意識が強いその人自身が、「アイツから差別された!」と、被差別意識を爆発させたり、
自分自身から逃避している人が、「アイツは自分から逃避するために、あんなことをやっているんだ!」と訳知り顔で解説したり、
もっとも常識とは縁遠い人その人自身が、「アイツの非常識のせいで・・・」とグチったり・・・
あるいは、当人がインターネットの掲示板に入り浸っているのに、「コイツたちは掲示板に入り浸っている・・・ダメなヤツらだ!」と誰かを嘲笑したり、
当人自身が特定の人に入れ込んでいる状態なのに、誰かについて「アナタは○○さんに入れ込んでいる・・・その人を盲信している。まあ、典型的なアダルトチルドレンの症状だよな!」と訳知り顔で論評したり、
もっと深刻なケースだと、誰かにストーキングしている当人が、「ワタシはあの人にストーキングされている!」などと自らの被害を主張するようになるわけ。

ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、韓国人なんて、まさにその典型でしょ?
あるいは、それこそインターネットの掲示板なんて、その手の人たちの巣窟の様相を呈しているでしょ?
このような状況だと、よく使われる言葉は、
「おいおい・・・オマエが言うなよ!」という言葉。
まあ、ダメダメの領域では、そんな嘆息は、おなじみのもの。

そもそもダメダメ家庭の人間は、実際の会話の積み重ねがないので、妄想への親和性が高い。妄想と現実の区別がつかないわけ。
しかし、現実でうまく行かないわけだから、現実でのトラブルを、何かの理由付けをする必要がある。

「アイツのこんなダメダメのせいで・・・」
こんな理由がほしいわけ。
ここで、犯人認定する「アイツ」は、まあ当人なりに設定できる。自分が知っている人を設定すればいいだけですからね。
じゃあ、その原因となる「ダメダメ」は、どう設定するの?ダメダメだって色々とありますよ。このメールマガジンだって、現時点で700本を越えているくらいなんですからね。

色々なダメダメの中で、「自分に被害を与えている」と認定されるのは、自分がそれなりに知っているダメダメ。つまり自分自身のダメダメしかないわけ。ストーキングしている人なら、ストーキングについては、身近な問題でしょ?だって自分でやっているんだから、その状況については、よく知っているとも言えますよね?
自分でやっていても、自己逃避している人なんだから、自覚もない。だから他者に勝手に投影して、「アイツのストーキングのせいで・・・」と言い出す。

まあ、ストーキングのような深刻なケースばかりではなく、「アナタはあの時、こんなことを言ったじゃないの?!その時に、ワタシはイヤだったのよ!」なんて言葉を、やり取りの相手から言われることってあったりしますよね?
その言ったとされる「こんなこと」とやらを、コッチが実際に言っているのならまだしも、実際には「えっ?!ワタシはそんなことは言っていないけどなぁ・・・と言うか、その言葉はアンタの方が言ったじゃないの?」なんて思わされる・・・そんなやり取りもなさった方もあるでしょ?まあ、そのダメダメな人の妄想の中では、その人の側が被害者のやり取りとなっているんでしょうねぇ・・・
妄想と言っても、まったくゼロから妄想するわけではない。何がしかの具体例を元に妄想するわけ。その何がしかの具体例って、はっきり言って当人がやったこと。
自己逃避しているから、無意識的にはなじんでいる自分のダメダメ事例を他者に投影。

あまりに堂々と「被害」を語られるで、言われちゃった方もそれなりに思い出すと、「その言葉は、やっぱりアンタの方が言っていたじゃないの?あの時はワタシの側がイヤな思いをしたんだけど・・・どうしてワタシの方が加害者になってしまっているの?」なんて呆然とすることに。
皆さんは、そんな経験はありませんか?

その人の側が周囲の人に散々と迷惑をかけておいて、いつの間にか「一番の被害者は自分だ!」と確信を抱いている状態。
このようなことはダメダメ家庭の妄想癖に起因するばかりではありません。

以前にフロイトの反復強迫という考え方を紹介いたしました。
自分がやられてイヤだったことと同じことを、他者に対して、いわば強迫的にやってしまうという心理状態です。自分が傷ついた物言いとか、傷ついた行動とかを、今度は自分の方が無意識的に他者にやってしまうわけ。これは無意識の領域なので、なかなか当人には自覚しにくい。

まさに子供時代に、自分の親によって、傷つけられた物言いを、自分の子供に対して、無意識的にやっていたり、周囲の人に対しても、自分が一番イヤだったことをしてしまっていたり・・・そして、ふと振り返ると、そう言えば、そんな行動は、よく思い起こせば、ワタシの母親がそうだった・・・ああ!自分がイヤになる!
そのようにパニックになってしまう。

欠点とは、欠点であるがゆえに、連鎖するもの。
一番嫌悪するものであるがゆえに、その点について考えることから逃避し、だからこそ、何も考えずにできる「なじみ」の行動を、結果的に自分でもやっていたりするわけ。
そのことに後で気がついて自己嫌悪状態に陥ってしまう。
逆に言うと、自己嫌悪に陥らないようにするために、相手から言われる前に、いわば先制的に、自分自身の欠点を他者に投影するわけです。
「アイツの○○のせいで・・・オレは迷惑ばかりだ!」
「アイツは、また、こんなことをして・・・オレを困らせてばかりだ!」
この反復強迫による欠点投影だったら、過去には実際に自分もやられていたわけだから、周囲にも説明しやすいし、また自分を納得させやすい。
まさに、その行動そのものだけでなく、その行動による被害についても、なじみであるわけですからね。

そうやって、子供時代の心の傷による欠点を、周囲に投影して、自分を納得させ、自分を納得させるだけなので、現実的には何も改善されず、ますます自分の欠点を他者に投影するようになってしまう。

こうなると・・・もう処置なしでしょ?
ヘタにかかわると、「オマエのせいで・・・」と、逆に「犯人認定」されたりするだけ。

それこそ、以前に「監禁皇子」なる事件がありました。
若い男性が女性を拉致して、監禁した事件です。その犯人は、被害者の女性に「ご主人様」とかの呼称で呼ばせていたとか。
裁判においては『犯人の石島被告は、被害者への暴力を「お仕置き」と言い換えた。「(被害者は)しつけてもらうことができなかったから(自分に)お仕置きを求めたんです。」「言葉づかいがなっていないと注意したとき『体で教えてください。』と言われ、こづいたことがありました」。一言一言を区切り、周囲を納得させるように自分の行為の「正しさ」を説いた。 』
・・・んだそう・・・

彼が持っている被害者女性のイメージは、まさに父親によって支配されている彼自身そのものでしょ?自分自身のマイナスのイメージを、他者に投影しているわけ。
監禁された女性の姿は、まさに父親によって精神的に監禁された彼自身の姿なんですね。

そこまで深刻な事例はともかく「アンタが言っているその話とやらは、ワタシは言っていないんだけどなぁ・・・」と、やり取りをしていて途方に暮れてしまうことを言い出す人ですが、まあ、そんな人は単純に記憶力が悪いケースもありますが、多くのケースでは、そんなことを言われると次にこのように思うもの。「・・・というか、 その話はアンタの側が言ったじゃないの?」
こうなると、記憶力の問題ではなく、ダメダメ人間の自己逃避の心理の問題になるわけ。

ダメダメが進行すると、「自分がかわいそうな被害者である。」という、悲劇の主人公的な妄想の中に生きている。その妄想でのエピソードは自分が知っている事例が使われる。つまりその当人のダメダメ。
自分のダメダメを素材として、「自分はかわいそうな被害者」というストーリーなんだから、いくら妄想と言っても無理がある。
結局は、その無理を実力で解消しようと、ますます過激なことをする。
しかし、過激なことによる周囲への迷惑も、それが自分の妄想に取り込まれ、後になると、「自分こそが、かわいそうな被害者である・・・こんなことをされたし、あんなこともされた・・・」というストーリーの一部に転化されてしまう。
当人自身のダメダメによって、状況がますます悪くなるのは当然ですが、その理由がますます他人のせいになってしまうわけ。
自己逃避というのは、周囲にとっては、それだけ危険なものなんですね。

そのようなことは、たとえば、HIV感染の問題と一緒。
感染については、当人にとっても、周囲の人にとっても、「知ろうとしない」ことが一番タチが悪いものでしょ?もし感染がわかっても、それと上手に付き合っていけばいいだけだし、それしかない。
「知ろうとしない」がゆえに、当人の症状が悪化するばかりではなく、周囲に人まで巻き込んでしまう。

「知ろうとしない」人は、後になって、周囲から責められたら、アイツがうつしたせいで・・・と他者を犯人認定。
そんな納得と弁解の仕方は、感染したこと自体の問題よりも、ずっと悪質でしょ?
しかし、別の人にうつした人間が、「アイツにうつされたせいで・・・」と言ったりするのは現実にあったりするもの。
ホント、そんな類の人からは、距離を取らないとシャレにならないわけです。

周囲としては、そんな人からは距離を取りたいのは山々でも、その手の人は「自分がかわいそうな被害者」とするためのネタを探しに、方々をめぐることになる。それこそ、自分が「なじんでいる」ダメダメ様相が見られ、かつ自分より下の存在を探そうとインターネットをめぐったりする。
そして、待望の「下」の存在を発見して、「ああ!こんなにイタイ奴がいるぞ!」と大喜び。
そして、その「下」に対してチョッカイをかけることになる。
そんな流れは、インターネットの世界だけではなく、それこそボランティアの行動も、まさにそんなものでしょ?
それこそ、強圧的な父親によって、子供時代に、暴力的に支配されていた女性が、成人後に集団となって、暴力的なスタイルで、オトコたちをつるし上げるような事例もポピュラーですよね?
なんと言っても、暴力的な支配については、なじんでいるし、ノウハウもある。
その手のアクションの勘所もよくわかっているし、その手の状況による被害もよくわかっている。

だからこそ、その手の人は、自分の欠点を投影できる対象を探し回っているわけ。
偶然発生したしまったトラブルに対して、自分の欠点を投影するというよりも、自分の欠点を投影できる状況を、探し回ったり、自分で作ったりするわけ。

そして、いささか近親憎悪的に、つまり感情的に関わることになる。
単なる近親憎悪だったら、積極的にその対象と関わることはしないわけですが、それに犯人認定の心理が加わっているから、自分のダメダメの近親的な状況を積極的に求め、そして積極的に憎悪していくわけです。
しかし、そんな行動によって、やっぱりトラブルになって、ますます「アイツの○○のせいで・・・」という被害者意識が増大するばかり。

ダメダメって、距離を置いてみると、結構面白いものですが、距離を取らないとシャレにならないものなんですね。
欠点があることは褒められたことではありませんが、ある意味においてしかたがない面もあるわけ。特にダメダメ家庭の問題については、子供は親を選べないでしょ?
子供としては、しょうがないところもあるわけ。
だから、それを自覚するしかないわけです。ダメダメにおいては、自己逃避であるがゆえに、自分の欠点からも逃避する。単に逃避するだけでなく、他者への投影が加わるから、なおのこと厄介になるわけです。

(終了)
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発信後記

被害者意識が強い人は、周囲からのアドヴァイスも、いわば被害と受け取ってしまう。
それこそ「もうっ!鬱陶しい!」と逆切れし、「放っておいてよ!」と、ふて腐れるだけ。

ふて腐れるだけで終了ならまだしも、まさに「被害」と捉えているわけだから、その被害を素材に、ストーリーを組み立てるわけ。
そして「ワタシはかわいそうな被害者なんだから・・」と、犯人認定した対象に復讐することになる。周囲からのアドヴァイスだって、自称被害者のダメダメ人間にしてみれば、「あの○○さんにヒドイことを言われた!」になっているわけ。

被害者意識が強い人間に対しては、アドヴァイスも被害と捉えてしまうことなんて、論理的には当然のことですが、そのことに警戒もなしに近づくと、とんでもない事件になったりするもの。

ホント、ダメダメの極意は距離感の問題なんですね。
この文章に関連する文章としては 07年1月26日配信の「近親憎悪」という文章があります。
R.10/8/27