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カテゴリー 信頼と好意の諸相
配信日 09年12月16日  (10年6月15日 記述を追加,11年1月23日 一部分を分離))
タイトル 好意志向のリカバリー
 追記  元の文章から「謝罪より言い訳」を分離独立。
ダメダメ家庭の人間は、トラブルに遭遇することが多い。
だって、そもそも当事者意識がないわけだから、自分自身の問題について考えない。「自分とはどんな人間なのか?」「どんなリスクを持っているのか?」そんな発想を持つことはない。自分のリスクを認識していないから、実際にトラブルに遭遇することになる。
それに日頃から目的意識もないので、周囲の人間も、同類のダメダメばかりになってしまい、周囲からの的確なアドヴァイスを受けることもない。だから、トラブルが発生しそうな状況にそのまま突っ込んでしまい、実際にトラブルになってしまう。

それに、ダメダメ家庭の人間は、トラブルに遭遇した場合にリカバリーすることが難しい。だって周囲に頼りになる人間がいませんからね。親だって頼りにならないし、前にも書いていますが、友人と言っても単にグチ仲間。これでは頼りになりませんよ。

そして、ダメダメ家庭の人間は、トラブルの認識そのものが、トンチンカンなもの。
ダメダメ家庭の人間は、「信頼と好意」の区別がつかない、というか「信頼」というものが理解できていない・・・このことは度々書いております。相手から、信頼されていない状態であっても、そのことを相手が自分に好意を持っていないと認識してしまう。

信頼というものは、相互理解を基にしている。
しかし、好意であれば、相互理解は必要ない。
だから、信頼というものが理解できない人間は、相互理解のために必要となる、説明能力なり、人の話を聞く姿勢や現状認識能力を持っていない。

好意をベースとした関係では、トラブルが起こった際には、そのトラブルについて客観的に認識することもできず、あるいは周囲の人に対して説明することもできない。そもそも、普段やり取りしている人と言っても、お互いがお互いについて、よく分かっていないのに、いわばフィーリング的に「合う」から、一緒にいるだけ。
別の言い方をすると、相違点が顕在化しないで済んでいるので、一緒にいるだけ。
だから、いったん、相違点が顕在化して、関係が崩れてしまったら修復は不可能となってしまう。
しかし、信頼をベースとした関係だったら、相違点が顕在化して、トラブルとなっても、修復は可能でしょ?だって、相違点を認め合った上で、相互理解ができているのが信頼関係というものなんですからね。

相手から信頼されていないのなら、信頼されるように、自分の行動を改めることが必要でしょ?お互いが合意した約束をちゃんと守ったり、相手に配慮した言葉使いをしたり・・・そうやって信頼を積み重ねていくしかないじゃないの?

しかし、相手から好意が得られないという認識だったら?
あるいは、相手から嫌われているという認識だったら?

まあ、マトモな人だったら、「あの人からはワタシは嫌われている。」と思ったら、そんな人と無理に関わるようなことはしないもの。世界中には何十億人と人間がいるわけですから、自分を嫌っている人と無理にやり取りをする必要なんてありませんよ。
しかし、それは基本的な会話の能力がある人の話。
会話の能力のない人間は、新たな縁を開拓することができないので、いったん関りが出来た人間にすがりつくことになる。そうして、失った好意を取り戻そうと無理をする。

あるいは、ダメダメ家庭の人間は、減点面への感応性が高く、その減点部分をなくそうと強迫的に行動することになる。「嫌われている状態」を、なくそうと焦って対応することになる。
だからこそ、「ワタシを好いてよ!」「ボクを嫌わないでよ!」と絡むようになってしまう。

それこそ、「アナタはワタシを嫌いなの?けど・・・そうなってしまったのは、もともとはアナタのせいじゃないの?」とか「ワタシが悪いんじゃないわ!あの人が悪いのよ!」「あの○○のせいで、ワタシはこんなことになっちゃったのよ!」
そうやって自己弁護のオンパレード。

単なる自己弁護ならともかく、犯人認定が付きまとう弁解だから始末が悪い。
「アイツが犯人だ!」→「ワタシは悪くない!」→「ワタシはかわいそうな被害者なのよ!」→「ワタシを好いてよ!」という流れになっている。

本来なら、たとえ「悪くない」としても、だからと言って「好き」になるか?と言うと全く別なものでしょ?一般的には、そんな主張を聞かされても、『あっ?そう?ふーん・・・』でオシマイでしょ?
あるいは、その人が「かわいそうな被害者」だとしても、それがセールスポイントになるわけではないでしょ?

しかし、被害者意識が強いダメダメ家庭では、「被害者競争」がある・・・このことは以前に配信しております。より大きな被害を受けた方が、「人間として」ランクが高いという認識となっている。「ワタシが一番かわいそうな被害者なのよ!」→「アナタはワタシより恵まれているわ!」→「だから、恵まれているアナタが、かわいそうなワタシの言うことを聞いてよ!」そんな理屈になっているんですね。

そんな人たちは、「自分がかわいそうな被害者」であることだけが、セールスポイント。減点面への感応性が高いダメダメな環境においては、被害者というマイナスこそがアピールポイントになり、「どんなことができるか?」とか「どんな目的意識を持っているのか?」というプラス方向は、アピールポイントにはならない。
しかし、何回も書いていますが、被害者という立場であっても、それが、やり取りの相手から信頼を得るためには何も役には立たないことは自明でしょ?
しかし、好意を得るためには、効果があることもある。
『まあ、なんてお気の毒なの!?』そんな同情の言葉を掛けてくる人も、実際にいたりする。

同情の言葉を受けたら、その言葉に酔ってしまって、「自分の被害」を語り続けることになる。
「アンタがこうしたから・・・」
「あの人があんなことをしたから・・・」
「ヒドイ社会だわ!」
「もうっ!なんて時代なの?!」

結局は、犯人認定した対象を攻撃することで、自分自身が「かわいそうな被害者」であることをますます主張する。
攻撃の言葉によって、周囲の人に主張するだけでなく、自分自身で確認することになる。
「オマエのせいで・・・」
「アイツのせいで・・・」
「政治のせいで・・・」

まあ、実に完璧にやっているのは、やっぱり韓国。
韓国の大統領がヨーロッパに行っても、やることと言えば、自国の話題は放っておいて、日本の悪口を言うだけになっているでしょ?
日本の悪口を言っても、韓国に対する信頼につながるわけではないのは言うまでもありませんが、信頼と好意の違いがわからない人間にしてみれば、「アイツが悪いんだ!」と言い続けることも意味があるんですね。
「日本が悪いんだ!」→「だからボクたちを好いてよ!」
まあ、そう言われても、ヨーロッパの首脳も途方に暮れたでしょう。随分と失笑を受けたそうですが、当然でしょ?

あるいは、ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)の問題でも全く同じでしょ?
暴力をふるう男性にしても、本来なら、妻に暴力を振るっても、妻の出来がよくなるわけがなく、事態が改善するわけもないことは自明のこと。少なくとも「信頼」からは、ますます遠くなるばかりでしょ?
しかし、「自分は、かわいそうな被害者だ!」→「だから、ボクを好いてよ!」という理屈が理解できていると、「オマエの方が悪いんだ!」→「オレの方が被害者なんだ!」→「だからオレを好いてよ!」という流れも理解できることになる。
相手を犯人認定することで、その相手から好意を得ようとしているんですね。
相手の側が加害者であることを確認するために、暴力行為に至ってしまう。暴力行為は、いわば報復行為の意味合いを持っている。報復に値する被害を、自分が受けたことを主張しているわけです。
相手に暴力をふるうことで、相手から好意を得ようとしているわけです。

大人同士のドメスティック・ヴァイオレンスの問題と、大人と子供の間の児童虐待もまったく同じ構図となっています。
自分の子供を虐待する親としては、「オマエが産まれたからオレたちが上手く行かない!」→「だから、親であるオレたちを好きになりなさい!」というロジックになっているわけです。
「子供のせいで上手く行かない」ということを確認させるために、子供が犯人であることを確認させるために、報復としての暴力行為になってしまう。

韓国人も、ドメスティック・ヴァイオレンスも、児童虐待も、「他者を犯人認定し、自分がかわいそうな被害者」であることを主張して、相手から好意を得ようとしているわけです。
しかし、現実においては、そんな行動で好意が得られるわけではないでしょ?以前にも書きましたが、人間が持つ好意には、そのベースとして信頼が存在しているもの。本来は、信頼のないところに好意はありませんよ。だから「アイツが悪い!」「だから、ワタシは悪くない!」という被害者主張の行為をしても、周囲から、軽蔑や非難を受けるだけ。しかし、ダメダメ人間は、周囲からの軽蔑や非難を、自分が受けた被害と捉え、ますます「ワタシは悪くない!」という主張や行動に熱が入ってしまう。

ダメダメ家庭においては、トラブルなどが発生したことにより、失ってしまった信頼を回復する手段を持っていないわけですが、そもそも信頼というものを理解できないんだから、当然と言えば当然でしょ?
逆に言うと、そんなことは、ちょっとやり取りをすればスグにわかるものなんですね。

信頼を失うと、回復する手段がないので、結局は、トラブル状態にある現状を見ないという対処しかない。現実逃避に徹するだけ。しかし、そんなことだからますますトラブルが起こるのは誰でもわかること。そうなると、ますます「アイツのせいで・・・」と犯人認定が大きくなってくる。
実際に起こったトラブル状況から回復すると信頼につながり、その手のトラブルが再発しないようにすることができる。しかし、ダメダメ人間は、「好意を失いたくない。」とトラブル状況から逃げ回るから、信頼を失い、好意まで失う。

状況を改善するために、誰かに質問とか相談をしても、それ自体がやっぱり明後日の方向。
そもそも問題意識を持っていないし、解決したいという強い意欲があるわけではない。
むしろ自分自身の問題から目を背けることができる説明を求めているだけ。
現状の問題を解決するための質問ではなく、「自分がかわいそうな被害者」と認定してもらうための質問だったりする。
それこそ「ワタシたちを苦境に陥れているユダヤ人たちを、どうやってやっつければいいんでしょうか?」なんて質問になってしまう。まあ、そこまでいっちゃっている例はほとんどないでしょうが、まあ、フェミニズムの闘士さんだったら、「どうやって、オトコどもを殲滅すればいいのかな?教えてよ!」なんて真顔で言っているでしょ?

ドメスティック・ヴァイオレンスの状況における相談でも、まさにそんな明後日の方向になってしまう。
昨日の問題だったら、「どうして、あんな暴力オトコと一緒になってしまったのかな?どうして、誰もアドヴァイスしてくれなかったのかな?」という質問になるわけですが、今日の問題だったら、「どうやったら、この事態をとりあえず避けることができるのか?」との質問になりますよね?
そして、「明日の問題」としては、「このような状況にある自分を、適切にサポートをしてくれる人を選ぶには、どんな基準や注意点で選べばいいのか?」となるでしょう。
しかし、抑圧的で現実逃避のダメダメ人間は、いきなり明後日の質問なんですね。それこそ「ドメスティック・ヴァイオレンスを根絶するためには、どうすればいいのか?」なんて壮大なスケールの話になってしまう。

そんなスケールの大きな話は、映画などのフィクションの世界でやればいい話ですよ。
配偶者の選択もミスるような人が、自分をサポートしてくれる人を、どのような基準で選べばいいのか?まずは、そんな点が現実的に必要になるでしょ?
その問題を抜きにしては、また同じトラブルになるだけですよ。
また同じトラブルになったら、一回目は同情を受けても、2回目以降は、同情も得られませんよ。
しかし、自分から逃避しているダメダメ人間は、明後日の問題を熱く語り、明日の問題は何も対処せずのまま。あるいは、「どうして、あんなオトコとくっついてしまったのか?」という昨日の問題は何も議論せず、「どうやってこの世からドメスティック・ヴァイオレンスを根絶させていくべきか?」を熱く議論するだけ。
そんな人間の周囲には、同類が集まって、陰謀史観のようなトンデモな議論で盛り上がることなる。

現実逃避で、自己逃避の人間は、周囲の人に対して色々と不満を語っても、もっとも中心的な不満は言おうとしないし、見ようとしないし、考えようとしない。
目を背けている最も中心的な不満は、実質的には親への不満なんですね。しかし、その点は語られない。だから、そんな人の不満を聞いていても、議論が明後日の方向に向かうだけ。だから現状は何も解決しない。

好意を求めているがゆえに、嫌われないようにと、ちょっとしたトラブルの段階の相談においても、情報の小出しが多く、嫌われそうになったら、スグにトンズラしてしまう。そんなトンズラができるように常に腰が入っていない半身の立ち位置のまま。そして、事態がシリアスになったら、嫌われるのがイヤだから、自分の手を汚してまで、事態を解決しようとはしない。と言うことで、やっぱりトンズラ。
そして、トンズラした先で「ボクって、いい子でしょ?」と周囲に主張。

あるいは、お金などを「恵んでやって」とりあえずの解決としてしまう。しかし、そんなものはあくまでとりあえずであって、問題が発生する土壌に目を向けたものではないでしょ?
しかし、現実から逃避しているんだから、問題の土壌なんて分かっていない。とりあえず見えなくなればそれでいい。そして、とりあえず、見えなくなったら「ああ!トラブルを解決したボクって、なんていい人なんだろう?!」と自画自賛。

しかし、そんな「いい子」って、信頼にはつながらないでしょ?
嫌われたくないと思っている「いい子」自身には、往々にして、尊敬する人がいない。
実際に尊敬している人がいたのなら、その尊敬している人は、そんなにも万人に愛されたの?それこそベートーヴェンなりミケランジェロなんて日頃からケンカばかりじゃないの?
しかし、彼らの作品は残っているでしょ?

周囲の人から嫌われたくないと思っている人は、周囲から信頼を得られず、一番嫌われる・・・
皆さんも、そんな実例をすぐに思い浮かべることができるでしょ?

(終了)
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発信後記

ちなみに、今回の文章の基本的なドラフトが出来上がったのが、はるか昔の06年のこと。
ですから、今現在、まさにドンピシャといえる鳩山さんについては、最初は構想外でした。
しかし、鳩山さんが見事にネタを提供してくれるので、ずいぶんと長い文章になってしまって申し訳ありません。
ホント、文章が長くなってしまったのは、鳩山さんが悪いんですよ、ワタシは悪くないんですよ。文章が長くなってしまったのはフリーメイソンの陰謀なんですよ。
R.11/1/23